第五十五話
包囲されてると言っても、びっちり隙なく埋められてる、という訳じゃない。湖、かなり広いみたいだし、それをやるなら物凄い人数が必要なんだろう。
なので、ルーティールの案内でまだ警備薄めの所を隠霧を掛けてすり抜けた。たった三人だったのに、通り過ぎ様何人かの意識に拾われ掛けて冷や冷やした。
(これは、本気で全員捕まえる気だな)
……雨が降る前に、急がないと。
「ところで、ルーティール」
「はい」
「ミットフェリンの勢力の位置関係、ざっと教えてくれないか」
ドラゴンの上から全体を見たは見たが、あの状況で何かを覚えていられるような余裕はない。
「えーとですね、水の宮がミットフェリンの中央部最北にありまして、このまま南下するとレトラスです。レトラスから東に向かえばクアトートで、その先はアイルシェル領ですね。水蛇の棲む水景殿は水の宮からやや南東へ進んだ所に、水棲馬の群れはレトラスの南西のレダ森林を縄張りにしています」
いい所にあるなぁ、碧の湖。大陸最北でその先は海だから、それだけで攻められる方向が限られる。セイレーンが協力してくれるなら、いざとなったら海に逃げ込むってのも考えられなくはない。魔人が強力な水系魔獣を飼っていなければ、だが。
二種族がレトラスを挟んでるのもいい位置関係だ。連携できれば。
……例によってネクスは凄く嫌がりそうだが。
「ちなみに、碧皇がどこに囚われてるかってのは、知らないか?」
「すみません、知りません……」
「いや、いい。知らなくても当然だ」
色々な要因併せて、魔人が一回捕えた精霊王を易々と奪い返されるような情報、漏らさないだろう。
「後は――、そうだな、何か早い移動手段とかないか?」
「少し前まではユニコーンが何頭かいたんですけど、王国軍に捕らわれてしまいまして……」
そうか、ミットフェリンにもいるのか、ユニコーン。今ここにいてくれれば更に良かったんだが、これも仕方ない。
「……じゃあやっぱり、徒歩か」
「はい。頑張って歩きましょう!」
意外にも、これには元気な返事が返ってきた。行く前は水蛇族を訪ねる、というのに抵抗の方が強い感じだったんだが、いいのか?
戸惑った俺の視線に気が付いたんだろう、ルーティールはちょっとばつが悪そうに笑って。
「実はここ数十年、ずっと宮にこもりっぽなしだったので、ちょっと嬉しいです」
「そうか」
何十年も皓の森から出られなかったら、俺だって辟易するな。俺の眷族達には正にそれをやらせてしまったんだが。
(それも含めて、行き来できるようになったらいいよな……)
皆が本当に、気兼ねなく。
「けど、何でルーティールは外に出てたんだ? 危ないだろ」
「少し前に雨が降った時、外の景色を見てたんですけど、ついふらふらー、って宮を出ちゃいまして」
「ふ、ふらふらっと?」
王国軍が一斉捕縛に乗り出して大集合している所に、ふらふらっと?
「はいー、ふらふらっ。と」
「……何で、無事、なの……?」
「さあー」
全くもって同感なライラの質問に、ルーティールも不思議そうに首を傾げてから、ぽん、と手を打った。
「でも私、かくれんぼ得意でした!」
「いや、かくれんぼでどうにかなるレベルじゃないだろ……」
隠霧使って気付かれそうな程、周囲を警戒してるんだぞ。どうなってんだ。リアルラック値がとてつもなく高いのか。
「……まあ、いいや。考えて判る訳でもないし」
でもきっと、宮の中で心配されてるだろう。無事に……守ってやりたいとは思うけど。
「じゃあ次。水蛇族ってどういう一族なんだ?」
名前からして想像はつくが、だからこそ果たして人語が通じるのだろうか、という事に今気が付いた。意志疎通が適わないと、行く意味からないんだよな。
「首領は確か、タタラギリムといったと思います。どんな性格かは、私が生まれてから一度も交流がないので判りませんけど」
うー……む。名前からでは男女かもさっぱり判らん。ここからもう種族の差が……。
「言葉って通じるのか?」
「上位種になら通じますよ。大丈夫です」
それは何よりだ。それなら例え見た目が蛇そのままでも問題ない。
「でも、言葉が通じても、協力してもらえるかどうかは……。やっぱり難しいと思うんですけどー……」
「そこはやってみないとな」
「もし駄目だった時は、どうされますか?」
「水の宮に帰りがてら考える」
時間的に水棲馬を訪ねる余裕はないだろうから、俺達だけで何とかする方法を、な。
一日歩けば着く、とルーティールは言ったが、若干急いだためだろう、翌日の朝早くには水景殿に着く事が出来た。これなら今日の夜までには水の宮に帰れるだろう。
少し前から湿地帯に入っていて、どうやらそこら辺からもう水蛇のテリトリーだったらしい。攻撃はされなかったが、警戒するように絶えず何匹かがちょろちょろ足元を這っていた。
サイズは三十センチくらいのものから、悠に一メートルを越えるものまで様々。所々で蛇の上に乗っている人っぽいのも見かけられた。多分彼等が上位種なんだろう。
歩きにくい道ならぬ道を歩いて辿り着いた水景殿の中心は、何と言うか、池だった。
巨大な池にまばらに浮かんだ、俺が知ってる物より遥かに巨大な蓮の花の上に、悠然として足を組んで俺達を迎えた三十路前後の女性が一人。その両脇に、もう少し下に見える二十半ばぐらいの女性が二人。
ちなみに全員、でかい。二メートル越えしてるだろ、皆。
顔合わせは初めてだし、まだ聞いてもいないが態度と、テリトリーの中心部であるここに陣取っている彼女が首領のタタラギリムなんだろう、という事は想像が付いた。
「珍しい客人じゃのう」
ぽつぽつ浮かぶ、やはり普通よりは大きな蓮の葉っぽい草の上を歩きながら、タタラギリムは池を渡って俺達の元まで歩み寄る。
実際の身長と態度と、両方で見下しながら赤い唇を吊り上げ、傲然と笑う。
「人間に飼われるのではなく、妾に飼われに来たか? ん? お前は実に美しいな。気に入ったぞ? 直接妾が飼ってやろう。さあ、ペットに相応しくないその邪魔な服を脱ぎ、妾の足元に跪くが良い」
「飼われに来た訳じゃない。話し合いに来たんだ」
「ほう、話とな」
それもペットなのか、首に巻き付いた大蛇を撫でながら、聞く気があるのかどうか判らない興味なさ気な口調で、タタラギリムはそう先を促して来た。
「そうだ。今――」
「待て」
「……何だ」
「何の話か、容易に想像はつく。なれば少々、態度を考える必要があるじゃろう? まずはそこに跪け、精霊。それから聞こう」
「……」
正直に言えば、俺自身は膝を着く事にも頭を下げる事にもさほど抵抗はない。気持ちのこもらないそれに一体何の価値があるのなんて知りゃしないが、それで満足ならいくらでも。
ただ、俺が頭を下げるってのは、今は俺だけの問題じゃない。判って言ってるのかどうか判らないが……。
言葉を失った俺に、タタラギリムは縦に入った爬虫類の瞳孔の瞳を、細く眇めて楽しそうに笑った。
(性格、本当に悪いな……っ!)
確かにこいつの性格の悪さはセ・エプリクファに通じる。あくまで俺を辱める事を楽しんでの台詞だ。
ここで従おうがどうしようが、次々無理難題吹っ掛けて来て、結局こっちの話なんか聞く気もないんだろう。
「早うせい。妾を退屈させるなら、一飲みにしてしまうぞ?」
……仕方ない。穏便な交渉は諦めるか。
「遅かれ早かれレトラスに飲み込まれるお前達に飲まれるのは、ま、御免だな」
「っ!」
か、と目を怒りに見開くと、後ろで池の水が湧き立ち柱を作り、ばしりと俺達のすぐ足元の地面を叩きつけた。
「黙りおれ! とうに魔に食らわれた貴様等精霊が、何をほざくか!」
怒りによってか、擬態が解け、ミリミリと口が耳まで裂けてそこから細長い舌がちろちろと出入りする。やっぱり蛇だ。
「食われに来たというなら、それも良かろう! お前達、骨も残さず丸飲んでしまえ!」
「はぁい、姉様」
「少し勿体なぁい……。でも、美味しそうだからいいか」
タタラギリムが座っていた蓮の少し後ろにあった蓮の上に座っていた両脇の女性二人が、張り上げた声に従い立ち上がる。
姉様、って事は姉妹か。三人共か?
「っ」
ライラが身構え、前に出ようとするのを肩を押さえて下がらせる。リシュアさんなら止めないが、その時が来てもライラは危ないから。
「現実逃避して逃げてもいいが、お前達もすぐにレトラスに飲み込まれるのに違いないだろ。それとも軍門に下れば見逃してもらえるのか?」
「ふざけるな! 我等は太古の昔よりこの地に生きる古竜の末裔なるぞ! たかが数千年前に祖が生まれた人間などに、従う事などあり得ぬわ!」
「それに、人間達も良く判っていてよ。私達と事を構えるのが、どれ程愚かな事か。ここ一ヶ月、飽きもせずに使者を送って来るわ」
ほほ、と明らかな嘲笑を持ってタタラギリムの妹の一人が笑う。
(交渉、だと?)
その単語は中々衝撃だった。魔人が交渉で事を進めようとするのだろうか。
それは俺が聞いていた魔人のイメージと大分異なる。悪い方向で。




