第一話
俺にはほとんど同じに見える森の中を、迷わず進むリシュアさんとライラに付いて辿り着いた宮というのは、――何と言うか、薄暗かった。
明りが、じゃない。森の中にあるとは思えないほど、その宮殿は自然光が上手く取り入れられていて、美しく明るかった。
壁に彫られたレリーフは主に植物がモチーフで、美しい造形は心が和む。荘厳ではあるが、威圧感はない。そんな佇まいには好印象だったのだが。
城内に入った途端、誤魔化しようがなく空気が重苦しく暗いのに気が付かされた。
まず、人が少ない。それだけで広すぎる空間は寂しさが増す。
擦れ違う人は、皆俺を見ると跪き、どこかほっとしたような表情で喜んで祝いの言葉と歓迎をしてくれるのだが、長い年月で蓄積された疲労感があからさまに伝わってきた。
「……皆、疲れてるみたいだな?」
「はい。誠に口惜しい事に、このアイルシェル領で魔人共の手に落ちていないのは、この皓の森と、人の大きな都市の幾つかだけにございます」
「魔力、強くなって……エレメント、減りました。仲間、生まれません……。森の結界も、薄く、なってます」
世界地図が頭にないから正確には分からないが、確かに相当、劣勢っぽい。
「けれど、皓皇様がお戻りになられたのですから、もう何も心配などしておりません。魔人共をのさばらせておくのも、もう終わりです!」
そこで期待に満ち溢れて見られると、大いに困る。
過度な期待を抱かせるのも、後々自分が窮地に追い込まれるのも困るので、始めに正直に申告しておくことにした。
「悪いが俺、自分が戦ってたとかいう記憶ないぞ。戦えるとも思えない」
「大丈夫です。すぐに思い出されますよ」
笑顔を崩さず言うリシュアさんに、俺は口で否定するのを諦めた。何か、ちょっと彼女達が怖くなってきた。
その皓皇に対する忠誠心は本物なんだろうが、狂信っぽい。
(しかし……これ、夢だよな?)
断じて夢以外の何かではあってほしくないんだが、ここに来てから、実はちょっと自信がなくなってきてる。
――懐かしい、のだ。何となく。覚えなんかないのに、懐かしさを感じる、のは……
(いや! 気のせいだから!)
デジャブとか、やっと夢的設定に脳が追い付いてきたとか、そんな感じだ!
そんな感じにしておきたい。認めたくない。
だが認める認めない、これが夢かどうかはとにかく、このまま行くと、正にその魔人と戦わされるルートに追い込まれるぞ。
無理だ。絶対無理。人生十七年、ケンカすら一回たりともした事ねーのに、いきなり実戦とか、何もできるわけがない。
「お目覚めになられたばかりで、今日はお疲れでしょう。ゆっくりお休みくださいませ」
考え事をしていたせいでろくに道順も覚えず、ただリシュアさんに付いてきていたが、俺達はいつの間にか目的地に辿り着いていたらしい。
構造なんか知るはずないはずなのに、今目の前にしている目的の部屋が、五階にある場所だというのがすぐに分かった。
(待て。待て待て待て!)
薄ぼんやりとでも、きっと上った階段の数を数えていたに違いない。きっと。
休め、ということはきっとここは皓皇の私室なのだろう。
思い切り他人の部屋に入る気分になるに違いない、と期待していたのに、ドアノブに掛けた手すらも、何だかしっくりと馴染んでしまった気がした。
「――……」
中は想像しうる通りの、普通の部屋だった。
机とタンスとベッド。テーブルと本棚。観葉植物。そして皇の名に相応しく、無駄に広い間取り。
他人の部屋の落ち着かなさが、一切なかった。
やはり、懐かしい、と思う。
「どうでしょう? 何か思い出されますか?」
「え、いや……」
とっさに問い掛けには首を横に振る。本当だ。
何も思い出しはしなかった。
けれど――懐かしい。
「すべて当時のままにございます」
「……」
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。魔人共の話は、皓皇様が落ち着いてからに致しましょう。私共がお守り致します故、どうぞご安心くださいませ」
「あ、あぁ。ありがとう」
促され、部屋に入ると、リシュアさんとライラも一緒に入って来た。
「……あの?」
「何でしょうか」
「いや、ここ俺の部屋なんだよな?」
「はい」
「言われた通り、何か色々疲れてる気がするから寝ようと思うんだが」
「はい。ごゆっくりお休みください」
そこで深々と頭を下げられても困る。気になるだろ、寝てるときに他人が側にいたら。
「……出来れば一人で」
「一人、危ない……です」
希望を告げた俺に、即座にライラから却下が入った。
一番安全だと言ったその口で、危ないから、と言いますか。
(……いや、まぁ、そうか)
多分森に火をつけたのも、敵対しているという魔人とかなんだろう。同じ森の中にあるここが、本当に安全だなどと思うのは愚かしい事かもしれない。
「じゃあせめて、男の誰かがいいんだが」
彼女達では嫌だ――というか、困る。恥ずかしくもある。何となく。
「わ、私共ではご不満ですか!?」
「いや、不満とかじゃなくて」
「命、懸けて……っ、お守り、します……っ!」
初めてライラまでもが強い調子で、明らかにそれと分かる程に必死に言ってきて、俺の方も多いに慌てた。
「頼りにならないとか、そういうんじゃなくて」
何しろ、森の火事を収めたのリシュアさんだからな。
「では、何故ですか!? 何か失態を致しましたでしょうか!?」
「じゃなくてその、色々気になるっつーか」
自分より遥かに強いことは分かってるから、女性に護衛されるのがどう、とは言わない。させるのはどうなんだ、とは思うが。
けど俺が今気にしてるのはそういう実務的なところじゃない訳で。
「何がですか?」
「何かってか、リシュアさんもライラも女だし」
「――っ」
俺の言葉に硬直し、リシュアさんは白い肌を耳まで赤く染め、勢い良く首を左右に振った。
「わ、私共は一介の従具精霊。ただの僕にございます。皓皇様にお気を遣っていただく様な者ではございません。どうぞ、私共の事は道具と思いくださいませ」
無理だろ!
どう見たって生きてる人間を(精霊だけど)、どうやって道具とか思えってんだ!
「貴方の様な尊き方に、下賎なこの身をそのように見ていただけるとは……過ぎる光栄でございます」
「勿体無い……です」
「この身も心も、全て皓皇様に捧げたもの。お望みとあれば、私をどのように扱ってくださっても構いません。皓皇様のお役に立つ事こそが、我等精霊にとって最たる誉れなのですから。けれどその御心を砕くことは、どうぞお止めくださいませ。私共の様な矮小な輩のことなど、極些末な問題にございます」
跪き、深々と頭を下げた二人に、俺は寒気を覚えて見下ろした。
……何だ、これ。狂信にも程があるだろう。
「止めてくれ。俺とリシュアさん達と、何が違う」
「全てにございます」
迷いのない、なさ過ぎる即答と断言。
「何も違わない」
「……陛下……?」
「生きてる、感情がある。何も違わねェだろ。社会を回すために、地位は必要だ。物事を動かすために、上の決定に従うのもある程度は当然だ。けどそれは優劣じゃない」
「……」
二人は無言だ。全く理解できないという顔をしている。
当然にされてきた常識が、彼女達に理解をさせないのだ。
「……あぁ、もう、いーや……」
あまりの薄ら寒さにうっかり真剣に語ってしまったが、馬鹿な事をした、と思う。
真剣に取り合うことなんかない。
……だってホラ、アレだ。目覚めれば終わる事に、真剣に向き合うとかない。
つーか認めたくない。
「今日はもう寝る。二人とも適当な所で切り上げて寝てくれ。頼むから」
「皓皇様、それは……」
困ったように、まだ何かを言おうとするリシュアさんの話を、聞くつもりはないと着のみ着のままベッドに入って毛布を被る。着替えとかないし、あってもできるか。
「陛下……っ。護衛、しないと……」
上からライラの声がぼそぼそ聞こえてきた気がしたが、無視をした。
寝たら目も覚めてるはずだ。つーか頼む。無理。無理だから俺に。平和しか知らねー日本人の俺に、戦争激戦区で戦えとか、本当無理だから!
まだ希望を捨てたくなくて、耳を塞いで目を閉じているうちに、ちゃんと眠気もやって来て、俺は思考を放棄するために、抵抗せずに意識を委ねた。




