04 : 宮廷魔法師の恩人
オズワルドが気が付いた時、そこに彼女はいなかった。
「シャロン?」
辺りにいないのを確認した後、オズワルドは一緒に来たはずの少女の名を呼んだ。だが声が返ってはこなかった。
2人で食虫植物の中に入り込んだ事まではオズワルドの記憶にあった。
それならば、ここはその中なのだろう。どこら辺かまでは分からなかったが。
オズワルドが視線を向けた先、壁は緑色をしていた。
手で触れれば、時折縦に走る柱状のものに当たった。維管束だろうか。これだけ大きければ学者は研究のしがいがあると喜びそうだが、生憎彼は研究者ではない。特に感想は浮かばなかった。
一方通行になっている道を歩きながら、彼は少女の名を呼び続けるが、幾ら経っても返事が返ってくる事はなかった。仕方なしに唯一見つけた、その辺で転がっている少年の肩をゆすり起こす。
起きた少年は、目の前の青年が宮廷魔法師である事に気付くと慌てたが、オズワルドは気にせずシャロンの事を聞き始めた。
「この辺りに、ブラウンの髪の、こう可愛い顔をした可愛い声の可愛い女性を見なかったかい」
「それで分かったら凄いです」
「ならば、可憐に咲く野の花のような見た目で、鈴を鳴らすような声の女性は」
「貴方詩人ですか。余計分かりません」
随分と大雑把且つ曖昧な説明のオズワルドに、聞かれたアーサー少年は律儀に答える。
少年が分からない事が分からないといった様子のオズワルドこそが分からないと、アーサーは思う。バカなのだろうか、天然なんだろうか。それとも人とは感性が違うのだろうか。
「可愛い方なのですか?」
「ああ。だが君にはあげないからな」
ああ、とアーサーは遠い目になった。なんだただのバカップルか。
いくら優秀な宮廷魔法師といえど、恋に罹ればひとたまりもないらしい。
オズワルドの彼女というのならば、きっと、頭はよく性格もよく、清楚で、出るところが出ていて引き締まったところは引き締まっている美少女なのだろうとアーサーは想像する。後に、本物を見て想像と現実の違いに愕然とすることを彼は知らない。
立ち上がり辺りを調べ始めたオズワルドをアーサーは見上げる。
「大切にされているんですね」
「何が」
「彼女の事」
彼は気が付いていた。彼女の名を呼ぶときだけ、男の声が柔らかくなる事を。
会って数分のアーサーですらそのことに気付けたのだ。余程大切にしているのだろう。
それには、オズワルドはどう答えていいものか分からず苦笑を浮かべた。
「恩人なんだよ、彼女は」
「恩人?」
「……そう」
思い出すように目をつむれば、かつてのことを思い出す。
「4年前に流行った疫病を、君は覚えているか」
「……覚えているも何も、最近のことじゃないですか」
アーサーは顔を歪ませる。
アーサーだけでなく、国民の大半には、未だに過去として見つめる事の出来ない出来事である。
4年前、この国を含めた数国で疫病が流行った。感染力の強いその疫病は、あっさりとトレノベイナの4分の1の人間を殺し尽くした。
「当時は疫病に対する抗生物質など存在しなかった。そして、本来、こういった事態に対処するはずの学院や宮廷魔法師は動かなかった」
「――っな!? 嘘でしょう!」
アーサーは即座にオズワルドの言葉を否定する。
それは本来あってはいけないことであるからだ。
貴族制度のあるこの国の民には、高貴なる義務の精神が浸透している。有事に対し誰よりも真っ先に動くからこそ、彼等は特権を行使しても反発が起きない。
それは特定の仕事にも関係している。学院や宮廷魔法師はその心得にもある通り、特権がある分、それを持たない人々への責任を負う事が義務付けられている。
けれど、オズワルドは頭を振った。
「動かなかった。……だからこそ、あれだけ多くの人が亡くなった」
彼等が早く動けば、そこまでの被害を受けずに済んだのだ。だが彼等は動かなかった。
アーサーは背筋がぞっとした。
彼自身もかつて、その疫病に罹っていた。あの苦しく、辛い思いは筆舌に尽くし難い。それが一歩間違っていたら、あのまま死んでいたというのだ。
そしてオズワルドの感情を排したその声が、何よりも怖かった。
「僕の周りでは、始め、僕の世話をしていた侍女が罹った。次に友人が、親族が。多くの知っている人が罹り、亡くなった。僕もその疫病に罹り、医者の手立てもなく、そのうち死ぬのだろうと言われてた」
多くの人がいなくなった。大切な人がいなくなった。恋人が、家族が、友人がいなくなった。
オズワルドは自身の両手を見つめる。
母親が泣いていた。どうしてこの子が、と泣き叫ぶ記憶は未だに鮮明に残っている。碌に会話をした覚えのない父親の始めてみた悲痛そうな顔を覚えている。病気で歪に腫れあがった顔が戻らないまま棺に入れられていた友人を思い出す。その、触れた肌の冷たさも。
「その中を、たった1人の少女が立ち上がった。当時まだ10歳そこそこだったと聞いてる。彼女は抗生物質を作り出し、国王と渡り合い、そして僕たちは助けられた」
10歳の少女、と口で言うだけなら簡単だ。
だが実際に、学院でもまだ魔法を習い始めたばかりの子供と同じ年齢の子供が、何百人もの人々を助ける切欠を作ってくれた。それは、アーサーには衝撃的だった。
「でも、そんな事聞いたことが……っ」
「ああ。国が発表した時には、そのようには公表されていないい。国の宮廷魔法師が見つけた事になっている」
国としては認められるはずもなかった。
学院や宮廷魔法師が動かなかった事実が露見すれば、民から反発が起きる。それを防ぐための処置だった。そして、他国に恩を売るための。
本来だったら、少女自身から反発が起きたかもしれない。だが少女自身にも事情はあった。
許されざる事を起こした少女は、自分の名が表に出る事を疎んだ。
「許されない事?」
「彼女はアリンネヴィアの司書だったそうだ」
アリンネヴィア。魔法書を始めとして、多くの書物を保管する図書館。
司書ということは、そこの書物を守る立場である。
「4年前までは、アリンネヴィアでは一部の者を除いて、魔法書や禁書に類する書物を保管されている事を知らされていなかった。そして司書には、アリンネヴィアで得た知識を外に漏らしてはならないという禁則があった」
だが少女は禁則を犯した。
アリンネヴィアで得た知識を用い、抗生物質を作り、アリンネヴィアの有用性を国王ひいては貴族や学院へと大々的に知らしめてしまった。
多くの人を助ける為に起こした少女の行動は、けれど後に一部の者によって悪用される事となる。
「アリンネヴィアには多くの知識が眠っている事を、彼女はその行動によって知らしめてしまった。一部の貴族が、それらの知識を自分達にも読ませるよう要求をした。そして、当時のアリンネヴィアにはそれに抗う力がなかった」
それが今のアリンネヴィアである。
人々へ書籍や魔法書を貸し出し、時には暴走する魔法書を回収する事が司書の責務となった。
「……まあ、あの館長のことだから、ただでは起き上がっていないのだろうけど」
「何か言いましたか?」
オズワルドの呟きに反応したアーサーに、彼は嘯いた。
「いや、何も言っていないよ」
アーサーは隣にいる麗人を見上げた。
彼の言葉が本当ならば。たった10歳の少女は、人を助けて、なのに国に利用されて人に利用された。少女は自分達の事を恨んでいるだろうか。恨まれても仕方がない、とアーサーは眉根を寄せた。
「そ、その女の子は」
「なんだ」
「その女の子は、今はどうしているのでしょう」
疑問というよりは自分への問いかけに近い声色のアーサーに、そこで初めてオズワルドは微笑を浮かべた。
「毎日アリンネヴィアで走り回っているよ」
「へ?」
「今日も君のせいで仕事をさせられて、もの凄く怒っていた」
オズワルドの言葉が理解出来ないのか、瞳をしきりに瞬かせるアーサーに、彼はゆっくりと唇の両端を吊り上げた。
「君が持っているんだろう、≪植木の書≫。彼女が来る前に返してくれないか」