01 : 司書の休暇
目の前のデザートをスプーンでつつけば、ぷるんと震えた。
スプーンで一匙すくい取り口に入れた瞬間に広がる甘い香り。
スポンジは程よくしっとりとしており、ムースは滑らかに口の中で溶けた。濃厚だがしつこくはなく、シャロンは相好を崩した。
「美味しい」
「それは良かった」
彼女の呟きに答える声が聞こえ、シャロンは瞳だけを動かし声の主を見上げた。
見る者を惹き込ませる美貌を持った青年は、言葉どおり蕩けるような微笑を浮かべ彼女を見ていた。
白皙の美男と人は彼をそう称する。太陽の光を吸収するがごとく淡く染まった美しい金の髪を揺らがせ、黒の衣を身に纏う彼は、人の視線など気にも留めずただひたすらに目の前のシャロンを見つめる。
あまりの熱の篭った視線に、シャロンは異議を申し立てたくなり半眼となった。
「あの、それ止めてくれませんか?」
「何をだい?」
疑問で返され、シャロンは僅かに呻いた。
貴方のそのまるで世界一可愛いひとを見ているかのような眼差しですよ、と言いたいのだが、万が一違っていたら自意識過剰すぎて恥ずかしいどころではない。
自称繊細な身としては、恥ずかしすぎて死んでしまうかもしれない。
シャロン自身は自分というものを知っているつもりである。
こんな麗人から惚れられてしまう程、シャロンは美人でも美少女でもなかった。
人格者というわけでもない。
不思議な力は持っているが、それは目の前の人物も同じである。だからといって世界を救えるようなご大層な力があるわけでもなかった。
貴族の血を引いてはいるが、それも母親が没落した貴族の出だからに過ぎない。
全てを加味して考えたところで、シャロン・オーリオウルという人物が特別な人間ではないことは、大半の人には理解されるだろう。
それがまたどういった理由でこの麗人から熱い視線を向けられているのか、シャロン自身にすら分からず、彼女も誰かに問いかけたい心境だった。
「君にそれだけ幸せそうな顔で食べてもらえるのなら、そのデザートも本望だろうね」
「……そ、そうですか」
最初に出会った頃のオズワルド・アラステア・ヴィ・グラズヘイムという人間は、こんな態度ではなかったとシャロンは当時を思い出す。
貴族の令息だからなのだろう、主に女性に対して物腰は柔らかかった。
うっかりその態度に、貴族という人種に慣れてはいない一部の女性達が、私に惚れているのねと勘違いしてしまう程度には優しく、そして柔らかかった。
彼はシャロンに対しても他の女性と同等に優しかった。同等に、である。裏を返せば、特別に接している相手はいなかったということでもある。
誰に対しても同じ距離で接する彼は、決して相手をとことんまでは寄せ付けなかった。
それが気が付けばこの様である。
一体自分は出会ってから彼に何を仕出かしてしまったのだろうか。思い出そうとするが、彼女にはとんと思い浮かぶ事はなかった。
彼の意外な一面を目撃してしまい彼に目を付けられた事もなければ、彼と2人で事件に当たり意外な一面を見せた事もない。
だからこそ分からない。一体シャロンという人間のどこがオズワルドの琴線に触れたのか。
渋面の少女と蕩けるような微笑を浮かべた青年の取り合わせは、道行く人々の目を引いた。
だがそれも、2人の座っている場所に1人の男がやってくるまでだった。
「シャロン、オズワルド、良かったここにいたのか」
2人の元へと走ってきた男を見て、シャロンの眉間に皺が寄った。
激しく嫌な予感がした。
今日はようやくもぎ取ってきた休日だというのに、同僚がシャロンに一体何の用だというのだ。
「どうしたんだ」
「それが、魔法書の貸し出し期限を守らなかった生徒が原因で、王都魔法学院の一室から植物が大量発生しているらしいんだ」
オズワルドの疑問に答えた形となった同僚の言葉の内容に、しかもある単語が聞こえてきた事に、シャロンは視線を泳がせた。
「だが外に出ているシャロンを捕まえるよりも、他の司書を頼った方が早かったのではないのか」
「……それが、他の司書達は、他の書籍が起こした騒ぎに掛かりきりになってしまってるんだ」
予想が当たった事に、シャロンの視線は彷徨う。
だがそれもしばらくすれば、彼女は席を立ち上がり彼等から離れようとして。そして同じく席を立っていた同僚に首根っこを掴まれた。
「シャロン、どこに行くんだ?」
「だって私ようやく取れた休暇なんですよ? あの館長と交渉して、今日一日取るのにどれだけ頑張ったか……っ。それを約束も守れないようなお馬鹿ちゃんの為に潰すなんて嫌です」
あの曲者から休暇一日を取るためにどれだけの労力を払ったかを思い出して、シャロンは身震いをする。
日中は図書館内を駆けずり回り、夜間は時に徹夜をしてまで書類を仕上げた。それだけ頑張ったご褒美としてもらえたものを、期限を守れなかった一個人の為に潰しても良いと思えるほど、シャロンは出来た人間ではなかった。
だが敵も然る者だった。
「シャロン、オレ達、司書の心得は?」
「……我等公正であれ、無私であれ。我等法を知り、格を学ぶ者。我等知の番人。己を持て、強く在れ、正道を歩め」
司書という職種に就いている者は全員、この一節を頭の中に叩き込まれている。そこに例外はいない。
当然覚えている為、苦々しい顔で一節を唱えたシャロンに同僚は肩を竦めた。
「『それを覚えているのなら、どうしなければいけないか分かっているよね』、って館長が」
曲者からの伝言に、今度こそはっきりと呻いたシャロンは肩を落ち込ませた。
心得に反する者はクビであると、伝言は遠まわしに伝えていた。
この話にお付き合いいただけたら幸いです。