第2話 出逢い・漆黒の少年①
白銀の大地に燃え盛る業火。
あらゆる物を破壊する。
あらゆる者を飲み込んでいく。
あらゆるモノを奪っていく。
力のない自分は見ていることしかできない。
これが悪夢であればどれほど幸福だったことだろう。
ああ――なんて酷い、現実だ。
◇
「なんでこうなるの!」
現在八時四十五分。わたしは女子寮の正面玄関から飛び出した。そして全力疾走する。
昨日はあの奇妙な出来事が気になって全然寝付けなかったのだ。その結果、寝坊してしまった。
朝起きてすぐに時計を確認すると針は八時半を示していた。
そりゃ見間違いだって思いたかった。でも間違いじゃなかった。
まさか解除していたアラームの再設定を忘れていただなんて。
ちなみに普段は七時に起きている。つまり一時間半の寝坊というわけだ。
一限目の授業が始まる時間は九時。残された時間は三十分。
真っ直ぐ走ればなんとか間に合うだろう。代わりに朝食は抜きになってしまうが遅刻するより幾分ましだ。
朝礼? はてさて、何のことやら。
授業の準備は昨日の晩に済ましている。なのでその分の時間を短縮できたことだけは僅かながらの救いだった。
寮から校舎までは一直線でなく途中で一つ直角の曲り角がある。その道に従って走れば十分もかからず到着できるだろう。
だがそれではだめだ。少しだけでもいいから息を整える時間を作りたい。息を切らして教室に入るのは恥ずかしいから。
そこでわたしのとった行動がこれ。
道を脇に逸れて木々の間をすり抜けていくという近道。文字通り目的地まで真っ直ぐ走ることだった。
当然、地面が走りやすく舗装されているなんて都合のいいことはない。あくまで自然のままに残されているため、木の根が剥き出している所もある。
しかし、それらが進行を阻むことはない。前方にそびえる無数の木々も、足下を狂わす木の根も、わたしにとって障害にすらならない。その二つを軽やかに避けながら直進する。
この調子だと思ったより早く着きそうだ。
しかし、このように上手く事が運んでいる時こそ魔の手が襲いかかるのである。
ははは。わたしの進撃を止める者は誰もいない!
そんな感じでたかを括っていた、その瞬間だった。
ゴンッ! と鈍い音が脳内に響く。
「ふぎゃあ!!」
顔面から何かにぶつかったらしくその反動で勢いよく地面に倒れてしまう。
そして条件反射の如く鼻を押さえた。じわじわと襲いかかる鈍痛に涙を抑えることができなかった。
「痛い。痛い。痛い……」
何度もその言葉を繰り返してからやっと痛みが治まった。
鼻から手を退けて手のひらを確認すると「ふぅ」と安堵の息をもらす。どうやらわたしの鼻は想像以上に丈夫らしい。
手についているのは涙と大量の鼻水だけ。運がいいのか鼻血が流れてくることはなかったのでした。
「よがっだ、ぢはででにゃい」
立ち上がりお尻に付いてしまった土を払う。そうしてからようやく何にぶつかったのか確認を始める。
すると目の前に「うぅ……」と喉を押さえて咳き込みながら苦しそうに唸る人がいた。
真っ先にわたし目に入った特徴は髪の色。漆黒の髪だった。
昨日レンちゃんが言っていた銀髪ほどではないにせよこの学園ではグラッツ先生以外であまり見ない珍しい髪の色だった。
この人も外国の人なのだろうか。俯いているため顔は見えない。この学園の男子用の制服を着ているので男の人であることは間違いないだろう。
喉を押さえているのはわたしの頭の位置が丁度あの男子生徒の首と同じ高さにあったからだろうか。
気遣うような声で「大丈夫ですか?」と声をかける。わたしの声に気が付いた男子生徒は落ち着きを取り戻してからふう、と一息吐いてから顔をあげた。
一瞬、心臓が高鳴った。
胸をギュッと押さえる。
何だろう。この感覚は。
とても綺麗だった、と言えばいいのだろうか。
その人の姿は、目の前の彼の存在は、いずれわたしを狂わせてしまいそうな予感がした。
そんなわたしとはうって変わって彼は驚いたように目を丸くしていた。その表情を見て焦り「あ、ごめんなさい。謝るのが先ですよね」と頭を深く下げた。
対して男子生徒は「いやいや、俺は大丈夫だから謝らなくていい」と言ってくれる。
軽い気持ちではないが、なら良かったと胸を撫で下ろした。しかし、上目遣いで表情を探ってみると彼は怪訝な目でわたしを見ている。
「――それより君は」
声をかけられる。
ああやばい。顔が火照ってきた。赤くなってないか心配だ。
一旦落ち着こう。深呼吸をしよう。こういう時は深呼吸をするのがいいってニコルちゃんが言ってた。大きく三回繰り返す。たぶん変な人だと思われただろうが今はどうでもいい。
「この学園の高等部の生徒です」
こんな返答の仕方で大丈夫だっただろうか?
いやいや、大丈夫じゃないって。
服装をみれば誰だってわかるじゃん。
「えっと、そういう意味で訊いたんじゃないんだけどな。まあいいか」
と言って先程の怪訝そうな表情は解かれた。続けて彼は言う。
「時間は大丈夫なのか? あと五分で一限目がはじまるぞ」
嘘!?
腕時計を確認すれば示している時間はすでに八時五十五分だった。
「急がなきゃ。えっと……あ、あなたも急がないと」
名前が分からないのであなたで代用。
「俺はいいよ。もう少しここにいる。君は先に行くといい」
と優しく微笑んでそう言った。
ようするにサボりですか。
サボりはいけないんですよ、とは口にはできない。
残念ながらわたしは初対面の人に注意できるほど外交的な性格じゃなかった。
「……そうですか。では、お先に失礼します」
と丁寧にお辞儀をし、走って校舎まで向かった。
教室に着く頃には息が荒くなっているだろう。
走ってきたことがばれてしまうな。
これも仕方がない。諦めが肝心だ。
それにしてもあの人は誰だったんだろう。
ただの不良さんか?
そんな風には見えなかったけど。
次第に心臓の鼓動も元に戻ってきた。
顔の火照りぐあいも収まってくれたようだ。
でもアーネストさん以外の男の人、特に同年代の男子と面と向かって話すのは能力者のあの人を除いてこの学園に来てから初めてな気がする。
「――あれ?」
ふとさっきの出来事を思い返す。
立ち止まり振り返る。
何かがおかしい。
わたしはたしか前を見て走っていたはず。
ならどうして勢いよく正面衝突してしまったのだろう。普通なら条件反射のように急停止や息を呑むくらいしてもよかっただろうに。
「うーん……」
嫌な予感はするけれど、それも気のせいかもしれない。
きっと昨日の死神の話と奇妙な出来事のせいだ、と無理やり納得させた。
結局、昇降口付近に到着したのは授業開始の二分前。間に合ったと言える時間ではなかった。
教室に入るまでに荒くなっている呼吸だけでも整えておきたかったが、それをする暇も与えてくれなさそうだ。近道しようとしたはずが、逆に時間がかかってしまった。
この朝に再度得られた教訓はくしくもあの有名な諺だった。
――急がば回れ。




