第1話 開始・死神の物語②
『ティアちゃん! ティアちゃん!』
――えっ!?
その声に反応し顔を上げる。
周りを見渡せば、そこはいつもの教室の風景。
わたしはその教室の窓際の一席に座っている。
どうやらわたしは眠ってしまっていたようだ。
一限目から妙に眠たかったのだが、とうとう耐えきれず襲いかかる睡魔に負けてしまっていたらしい。
となりの席にはわたしと同じ年の女の子が座っている。わたしの名前を呼んだのはきっとこの子だろう。
茶色の髪で何もいじっていないショートヘアに橙色のカチューシャ。端の方には小さく花の絵が描かれている。そして指定された制服を崩さず着こなしている、そんな普通の姿の娘。名前はレンという。
「ティアちゃん、前、前! 寝てたから先生が怒ってるよ」
見ると教室の前にはメガネを掛けた厳格そうな数学教師、グラッツ先生が立っている。
あ、やばい。わたしのこと睨んでる……
「パーシス君。私の授業がつまらないのならいつでも出ていってかまわないのだよ」
グラッツ先生の表情は特に変わらない。怒っているわけではないのかな? であれば何事もなく終わりそう?
ううん、そのポーカーフェイスに騙されてはだめ。よく見ると右手に持つチョークが真っ二つに割れていた。
「い、いえ! そんなことはありません! もう大丈夫ですのでどうぞ授業を続けて下さい!」
「……そうか。以後、気を付けるように」
そう言うと先生は再び黒板に数式を書き始めた。
……ふぅ。
数人の『やっちまったな』みたいな意味を持つであろう視線がわたしの胸を貫いた。でも、今はそんなこと無視しておこう。
「ありがとう。レンちゃん」
「いえ、いえ」
礼を言ってからわたしは改めて授業に集中しなおす。
ノートの一部が涎で濡れていたことはわたしだけの秘密だ。
◇
月曜日の四限はグラッツ先生担当の数学の授業。この授業では毎回最後に小テストをする。
この後は昼休みで大抵の人は食堂に行って昼食をとっている。だから、いつも食堂は混雑しているのだ。
そこで先生は小テストを終えた人から教室を出ていってもいいことにしてくれているのだった。
という訳で、わたしはテスト開始五分で終わらせて、すぐに食堂に向かうことにした。
隣で俯くレンちゃんはテストに苦戦しているようだった。
というか目が死んでいた。そんなに難しかっただろうか?
やはり友達として待っておくべきなのだろうか。
けれど、今わたしはお腹の音が鳴るのを押さえつけるので必死なのですよ。
ごめんね、レンちゃん。わたしは先に行かせてもらうよ。
そう心の内で呟きながら教室をあとにした。
さすがにまだ休み時間に入っていないからか、廊下に人はほとんど歩いていなかった。
歩いているとしてもそれは生徒ではなく教師である大人の人たち。なので少し前まではよく授業を抜け出したと勘違いされて(こう思われるのも仕方がないが)注意されていた。
最近はそういうことも無くなったけれど、もしかすると顔を覚えられたのだろうか?
なんだか恥ずかしいな。しかし、どうあっても無駄な説明を毎週しなくてすんだのはありがたいことだった。
「――あれ?」
不意に廊下の窓から外を見渡すといかにも古そうな建物が目に入る。
その建物は森の奥にあって建物の下の方は木々によって隠れてしまっている。だから正確にはわからないけれど、おそらく四階建てくらいだろう。
あれは何だったかな、と思ったところで「ぐう」とお腹の音が鳴る。
これ以上空腹を我慢することはできないと判断したわたしは、その建物の正体より食事を優先することにした。
そこまで気にかけることはないだろう、と一人で納得してからすぐに食堂に向かったのだった。
◇
教室から食堂までは五分もかからない距離だ。
食堂に到着したわたしは店員のおばさんに注文をしにカウンターまで行く。
やはり時間が時間。人っ子一人いない。注文するために待つ時間は皆無だった。
「すいません。カルボナーラを一つお願いします」
「カルボナーラね。毎度毎度それだけでいいのかい?」
と訊かれる。わたしはあまり食べるほうではなかったので「はい」と答えた。
「はいよ」と店員さんの返事。続けて「そんなんじゃあいつまで経っても大きくならないよ」と言われた。
わたしのどこを見てそんなことを言ったのだろうか。わたしはそこまで小さくない。むしろ身長は平均より高いくらいのはずだけど。
「……」
そこで、わたしは何かに気づいたかのように胸に手を当てる。
決して大きいとは言えない控えめな胸部。
……まさかこっちのこと?
そっかそっか、おばさまの言おうとしていることに気付けてよかったよ~。
……じゃないんだよ。余計なお世話だし。
食べて大きくなるなら誰も苦労しないよ。
しばらくすると注文したカルボナーラが出来上がったらしくカウンターまで運ばれてきた。それを受け取りテーブルへと向かう。
ちなみにカルボナーラはわたしの好物のひとつである。一時期昼食は毎日カルボナーラという暴挙を成し遂げたのだが、やはりそれは健康上良くないと注意されたこともあり今では週二回にとどめている。
さて、それは誰に言われたんだったか。
『おまえ、それ体に悪いだろ。いくら朝食と夕食に気をつかっているからって、ちょっと止めた方がいいんじゃないか? ていうか馬鹿だろ』
――ニコルちゃんでした。
そういえばニコルちゃんは元気にしているのだろうか。違うクラスだからまだ会ってないな。
わたしはテーブルにつき「いただきます」と手を合わせてからカルボナーラを食べ始める。
周りに生徒は一人もいない。いるとすれば食堂の店員さんだけだ。
なんだか食堂を貸し切りしているような気分になる。
「……」
フォークを持つ手が止まる。
なんだろう。このむずむずした感覚は。
もちろんカルボナーラが美味しいからという理由だけではない。
「いつものことだからわかっていたけど――」
静かすぎる。
食堂でこの静かさではさすがに食欲がなくなってくる。
すると、静けさを打ち破るかのようにチャイムの音が鳴り響いた。
昼休み開始の合図だった。
チャイムが鳴り終わると、とたんに周りがざわつき始める。
授業の終わりと同時に大勢の生徒がやって来て、気が付けば空いているテーブルはほとんど埋まってしまった。
すると「ティアちゃん!」とわたしのところに向かってくる人影が一つ。
レンちゃんだった。この学園で特に仲の良い友達二人の内の一人だったりする。ちなみにもう一人はニコルちゃん。
そんな親友たちの前では能力者としてのわたしを出さないように心掛けている。普通の人でないとばれてはいけない。というのはもちろんだけど、やっぱり……わたしはこの幸せな時間を絶対に壊したくなかったから。




