第4話 獣耳
すっかり濡れてしまった母親ですが、『ちょっと待っててね』と言った後、部屋を出ていきます。さすがに濡れたままだとノンと遊べないからでしょう。
「……」
誰もいなくなった部屋で彼は先ほど見た水球を思い出します。魔法を使う前に母親は何かを呟いていました。もしかしたら、水球を生み出す呪文を唱えたのかもしれません。
「――――」
「―――――――……」
まだ使えない魔法に思いを馳せていると母親が戻ってきたのか、部屋の扉が開きます。ですが、何故か話し声が聞こえました。片方は母親のものですが、もう一方に聞き覚えはありません。まだベビーベッドから見えない位置で話しているので声の主がどんな人物なのかノンからは見えませんでした。
「――――?」
「――――――……――――」
「――……」
話し方から察するに聞き覚えのない声の主に母親は怒られているようです。確かに水球がノンに当たっていれば風邪を引いていたかもしれません。そのことを指摘されているのでしょう。
「ノン、――……」
ベビーベッドの近くまで来た母親は半泣きになりながらノンに話しかけます。自身の軽率な行動を謝っているのでしょう。
(気にしなくていいよ。もっと見せて欲しいな)
「きゃっきゃっ」
きっと、話せたのならそう言っていたでしょう。しかし、ノンはまだ離せない幼子。そのため、笑うことで答えました。
「~~~~! ノン、―――――!!」
「……はぁ」
それを見た彼女は感激したようでノンを抱き上げ、優しく抱きしめます。視界が物理的に高くなったおかげで彼はため息を吐いたもう一人の声の主を見ることができました。
(み、耳!?)
その人物はクラシックなメイド服を着た女性でした。おそらく、母親よりも年は上ですがそれでも若く見えます。
そして、なにより注目すべき点は彼女の頭に獣のような耳があることです。前世で見た狐のそれによく似ていました。そう、彼が前世でよく読んだ物語に出てくる獣の特徴を持った人――獣人です。
「あーあー」
魔法と同じ未知の存在にノンは自然と手を伸ばしてしまいます。もしかしたら、彼は興味のある物に手を伸ばしてしまう癖があるのでしょうか。
「? ――?」
まさか自分に手を伸ばされると思わなかったようで獣人の女性はキョトンとした後、優しく微笑みます。そして、そっと近づいてきて彼に指を差し出しました。ノンの手は反射的にそれを掴みます。
「ノン――、―――――」
(あれ、名前、少しだけ長かった?)
獣人の女性が彼の名前を呼びますが、いつもと違う呼び方に驚いてしまいました。やはり、『ノン』が愛称で本当の名前を略したものなのでしょうか。
「―――? ―――――」
「――――――」
「――――! ――――」
「ノン――、――――――――」
母親が二人の交流を見て獣人の女性に話しかけ、会話が続きます。話している内容はわかりませんが、おそらく獣人の女性の様子を見るに彼女はこの家の使用人なのでしょう。
(使用人がいるってことはやっぱり裕福な家なのかな?)
母親が身に着けている衣服は簡素でありながらも清潔感があることから決して貧困な家ではないと思っていましたが、想像以上に裕福な家庭に産まれたようです。
「――――――」
ノンの手を優しく掴み、指を離した獣人の女性は母親に何かを告げた後、床の掃除を始めました。この部屋に来たのは掃除をするためだったようです。
「―――――」
埃から逃げるように母親はノンを抱っこしたまま、窓際へ移動して窓を開けました。残念ながら角度的に窓の外はあまり見えませんが今は使用人の獣人の方が大事なので彼はジッと彼女を観察し続けます。
(そういえば、まだお父さんに会ってないや)
ご機嫌そうに尻尾――ふっさふさの黄金色のそれを揺らしながら掃除する彼女を見ながら今更ながら父親の存在を思い出しました。彼にとって初めての転生。世界のことや母親、魔法のことに気を取られ、すっかり頭から抜けていたようです。
仕事で忙しいのか。それとも、母親しかいない家庭なのか。
その答えを知るのは意外にも早く、この日の夜の出来事でした。
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