第273話 技量
結局、ノンはグレイクの事情を聞き出すことなく、その日を終えました。彼に対する信頼の証としてノンが寝ながらでも白いドームを維持できることを話したぐらいでしょう。もちろん、それを聞いたグレイクはもう何も言わずに受け入れてくれました。色々と諦めたとも言います。
「ふわぁ」
早朝、いつもの時間に起きたノンは日課のお祈りを済ませて白いドームを出ました。目の前には肉が切り分けられたシスイールの死体。それなりの量を取ったのにまだその姿は健在であり、あとで死体を燃やさなければ肉が腐って周囲の環境に悪影響を与えてしまうでしょう。
「ん?」
その時、ノンの魔力感知に反応がありました。場所は近くの森の中。この二日ですっかり覚えてしまったグレイクのそれです。白いドームを出る時にチラッと彼が寝ていた場所を見ましたが寝袋がなくなっていたことを思い出しました。
「……」
顔を洗う前にグレイクに挨拶をしよう。そう考えたノンは木の根で転ばないようにゆっくりと彼の魔力に近づいてきます。
「えっ」
そして、グレイクの姿を見つけ、目を見開いてしまいました。彼の周囲には木に吊るした矢が無数にあり、それに向かって彼が弓に番えた矢を向けていたからです。彼は相当、集中しているのでしょう。離れたところで見ているノンは彼から漏れる気迫に少しだけ鳥肌が立ちました。
「ッ――」
パシュ、という微かな音と共にグレイクは矢を放ちました。それは木に吊るされた矢に命中し、吊るされていた矢が地面へと落下します。しかし、それだけでは終わらず、落ちそうになったその矢を素早い動きで拾った彼はそのまま弓に番えて次の吊るされた矢へと射りました。
矢を放ち、矢を落として、矢を拾い、また放つ。それをひたすら繰り返すグレイクにノンは言葉を失ってしまいます。きっと、これは彼なりの鍛錬の一つなのでしょう。
しかし、問題はその圧倒的な技量です。ただでさえ、当てるのが困難な細い矢は木に吊るされることでゆらゆらと揺れ、狙いを定めることすら難しいでしょう。そんな的に当てるだけでなく、落としたそれを拾いに行く速度と反射神経。それを番えてから放つまでの短い時間。そして、それを繰り返す集中力。
「すごい……」
まさに神業としかいいようのないその光景にノンは生唾を飲み込みました。正直、グレイクを舐めていたとしか言いようがありません。それだけノンの予想以上にグレイクの弓の腕は高かったのです。
「……」
全ての的を落としたグレイクは弓と矢を消して空を見上げました。雨はすっかり上がり、空は青い顔を覗かせています。フードで顔を隠している彼が何を考えているのか、ノンにはわかりません。でも、その背中がとても寂しそうに見えたのは気のせいでしょうか。
「……ノン」
「ッ……あ、あの」
どうやら、ノンが見ていることに気づいていたようで低い声で呼ばれてしまいました。ノンはおそるおそる茂みから顔を出すとグレイクは矢を吊るすために使っていた細い紐を回収し始めます。
「早起きなんだな」
「あ、えっと……朝食を作ろうと思って」
「それはオレがやる。眠たかったらまだ寝てたらいい」
「いえいえ! いつものことなので大丈夫ですよ!」
「……」
朝に弱いアレッサの代わりに朝食を作っているノンはすっかり早起きが得意になりました。そんな彼にグレイクは何も言わずに紐の回収を終え、ノンの隣を通り過ぎて白いドームの方へと向かい始めました。もちろん、ノンもここにいる理由はないので彼の後を追いかける形で森の中を歩きます。
「……昨日は助かった」
しばらく無言で歩き続けていましたが、グレイクは唐突に感謝の言葉を口にしました。
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