第231話 死の際
苦しい。体が焼けるように熱い。でも、今にも凍りついてしまいそうなほど寒い。そして、なにより体の内側から刃物で切られているように痛かった。
「ごほっ」
口から何かが零れ落ちる。鉄臭い何か。それを僕は知っている。何度も吐いて、何度も流して、何度も失った体の一部。それを失う度、心が擦り切れそうだった。
「はぁ、ぅ、くっ」
声が漏れる。そのはずなのに耳には聞こえない。感じるのはバクバクと脈打つ心臓。その動きは不規則で、弱々しく、いつ止まってもおかしくなかった。
「ノ、ェ……」
ぐらぐらと揺らぐ視界には赤い水たまりと先の見えない通路。僕はそこに手を伸ばす。伸ばそうとする。でも、届かず、震える手はバチャリと水たまりに沈んだ。
(な、にが……)
今にも途切れてしまいそうな意識を必死に繋ぎとめながら思考を巡らせる。巡らせて、ふと思い浮かんだ。ああ、僕は死ぬ、と。
だって、感じるのだ。前世でも今世でも出会った死神の気配を。
カチカチと鎌の切っ先を地面に擦りつけながら後ろから忍び寄る嫌な奴。僕が何度も帰れと叫んでもしつこく追ってきた面倒な奴。
そんな相手に僕はたった一度だけ負けた。そして、死んだ。それまで何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も追い返したのにたった一回の負けで僕は死んでしまった。
「ッ……」
ふざけるな、と水たまりに沈んだ手に力が入る。その手はすでに血だらけで今にも折れてしまいそうなほど小さい。この世界に産まれて六年ほど経つがまだ僕は子供だ。本来であれば大人に守ってもらいながら大きくなるまで待つ雛鳥だった。
(どう、して……)
でも、また僕は家族と離れ離れになってしまった。今度こそ、家族と一緒に幸せになろうと心に決めたのに。だからこそ、難病だって言われても笑顔で大丈夫って答えられたのに。
金属が擦れる音がする。ゆっくりと瀕死の僕にトドメを刺そうとニタニタ笑いながら近寄ってくる。
「ふ、ざ……」
なんとかそれから逃げようとするがすでに体に力が入らず、ピクリとも動けなかった。これは知っている。前世でも感じた虚しさ。
動きたいのに動けない。
話したいのに話せない。
笑いたいのに笑えない。
そのせいで前世の幼馴染は病室で何度も泣きそうになりながら僕を励ました。励ましてくれた。自分だって辛いのに、遊びに行きたいはずなのに、毎日のように僕のお見舞いに来てくれた。
――負けないで!
――大丈夫!
――今度、一緒に遊ぼう!
――のん君!!
あの子の声が聞こえる。でも、それでも……心臓の鼓動が弱くなっていく。命の灯火が小さくなっていく。
――瀕死状態になって一定時間を超えました。スキル『■■』の効果が発動します。
ごめんね、コンちゃん。僕、転生しても駄目だった。死神から逃げられなかった。
震える手を握りしめ、目から涙が零れる。その涙が赤い水たまりに落ちてぴちゃん、という小さな音を立てた。
「も、ぅ……」
視界が霞んでいく。自分が自分でなくなっていく。少しずつ僕という存在が消えていく。
こんなことが前にもあったような気がする。その時はどうしたんだっけ? それからどうなったんだっけ? あの時は何を――。
――ノン!
「……」
誰かの声が聞こえたような気がした。明るくて、僕のことを一番に考えてくれて、何度も失敗しながら僕を愛してくれた人。
――ノン。
「ぁ……」
また聞こえた。太陽のような笑みを浮かべ、大きな手で僕の頭を撫でてくれた。困った時に相談に乗ってくれた、すごく頼れる人。
――ノン様。
声が、聞こえる。静かに見守り、暇つぶしの会話にも付き合ってくれた。それでいて駄目なものは駄目だと叱ってくれた。そんな優しい人。
――ノン。
微かに声が聞こえた。いきなり現れた僕を保護してくれた精霊。僕のためになるなら、と毎日のように勉強会を開き、知識を与えてくれた、心強い王様。
――ノンくん!
声が聞こえた。僕の修行に付き合ってくれた妖精。たくさんの笑顔と戦い方、貴重な物をくれたおちゃめなもう一人の王様。
――ほーら、ノン。しっかりしなさい。
確かに、声が聞こえた。旅に出て初めて出会った魔法使い。面倒臭がりなのに厄介ごとに首を突っ込むお人好し。その背中に憧れ、無我夢中になって追いかけている途中。まだ全然届かないけど、僕はそんな背中が大好きだった。大切な、師匠。
――ノンくん、助けてッ!
「ノ、エル」
今にも泣きそうな女の子の声が聞こえた。どうして、僕はこんなところで寝ているのだろう。何故、倒れ伏しているのだろう。なんで、あの子を一人にしてしまったのだろう。
王都で出会った小さな女の子。人攫いに遭って、なし崩しに遊んで、襲われて、負けちゃって。
ああ、情けない。盗賊相手なら一人でなんとかなると自惚れていた自分が恥ずかしい。その体たらくがこれ。
「う、ぉ」
でも、どうして、こんなに頑張っているのだろうか。相手は今日、初めて会った子だ。友達になったとしてもここまで僕を駆り立てる何かが――。
――お兄ちゃん!
――心に火が灯りました。スキル『■■』の効果が発動します。
「お、おお」
ああ、そうだ。妹に似ていた。ただ、それだけ。それだけだった。
(でも、僕は――)
あの時――前世で事故に遭った時、助けられなかった妹に似た人が目の前で助けを求めていたから。そんなちっぽけな理由。
「おおおおおおおお!」
最初はそうだったかもしれない。無意識に妹に対する罪滅ぼしのつもりだった。
でも、今は違う。妹に似ていた? 違う! 僕はあの子を――ノエルを助けたいと思った! だから、ここにいる。ここで死神と戦っている。
「た、すけるんだ」
――瀕死状態になって一定時間を超えました。スキル『■■』の効果が発動します。
「助けるんだ」
――強い意志を感知しました。スキル『■■』の効果が発動します。
「絶対に、助けるんだ!」
――死ねない理由を見つけました。スキル『■■』の効果が発動します。
震える体に鞭を打ち、手のひらを地面に叩きつける。バチャリと血だまりが弾け、赤い液体が飛び散った。
相変わらず、視界は歪むし、力は入らない。今にも倒れそうで、後ろから『諦めろ』と囁く奴の声が聞こえる。
それがどうした。
――瀕死状態になって一定時間を超えました。スキル『■■』の効果が発動します。
「う、ごけ……うご、け」
たった一度の敗北で全てが終わる。なら、負けなければいい。ああ、もういいやと満足できるまで抗い続ければいい。僕はいつだってそうしてきた。前世で何度も経験してきた。
――瀕死状態になって一定時間を超えました。スキル『■■』の効果が発動します。
――スキル『■■』が一定回数発動しました。最適なスキルを取得。
「動けええええええ!!」
なら、今回だって勝ってやる。前世よりも大切なものが増えた分、僕は強くなった。
だから、死神。今世の僕から簡単に命を取れると思ったら大間違いだぞ。
――『毒耐性スキル』を取得。
何かが頭の中で響いた瞬間、バチャリ、と水が弾ける音がした。赤い水たまりに立つ小さな足。がくがくと今にも崩れ落ちそうになる膝。それでも、僕は確かに立ち上がった。
「はぁ、ぐっ……」
ふらりと眩暈がしてその場でバランスを崩そうになる。その前に包帯を地面に伸ばしてなんとか踏み止まった。
「ノエ、ル……」
包帯を使ってゆっくりと前に進む。目指すのは奥の部屋。あそこで、ノエルが泣いている。
「絶対に、助けるから」
ふらふら、ふらふらとよろめきながら僕は歩く。あの子が待つ、暗闇の通路の奥に向かって。
感想、レビュー、ブックマーク、高評価よろしくお願いします!




