第230話 終わり
「ッ――」
迫るナイフを見たノンは無意識にもしもの時のためにフリーにしていた包帯を全力で地面に叩きつけました。そのあまりの威力に地面が割れ、周辺に破片が飛び散ります。そして、その反動を利用してナイフを避け、男の頭上を飛び越えました。
「ノエちゃん!」
そのまま地面に落ちそうになったノエルに抱き着き、二人で地面をゴロゴロと転がります。彼女が頭を打たないようにしっかりと守ったのはさすがとしか言いようがありません。
「ノ、ンくん?」
動きが止まった後、ノエルは彼の胸に抱かれながらその名前を呼びます。宙に投げ出されながらノンと男のやり取りを見ていました。怖くて目を閉じてもおかしくないのに彼女は自分でも動けるように怖いのを我慢して状況を観察していたのです。
「……」
名前を呼ばれたノンは何も答えず、ノエルを抱えながら立ち上がり、そっと彼女の胸を押して自分から遠ざけます。どうしたのだろう、と首を傾げた直後、隣に立つ彼の口の端から赤い線が伸びました。
「ごぼっ」
そして、おびただしいほどの赤。びちゃびちゃと少しだけ粘り気のある液体が彼の足元に落ち、広がっていきます。そして、そのままノンはその水溜りに崩れ落ちました。
「……え?」
ノエルは最初、何が起こっているのかわかりませんでした。何度も助けてくれたノンが、大人相手でも真正面からぶつかり合い、倒した彼が――血の海に沈んでいる。目の前に広がる光景に声を漏らすこともできません。
「……けけ、終わったな。ぐっ」
そんな彼らを見てリーダーの男は掠れた声で笑い、いきなり痛みをこらえるように体を丸めます。その拍子に手に持っていた紫色のナイフが音を立てて地面に落ちました。腕輪を使った肉体強化にもデメリットがあったらしく、骨が折れていることもあり、奴もそれなりに無茶をしていたようです。それから数秒ほどもがき苦しんだ後、脂汗を滲ませながらゆっくりとノンとノエルに近づいてきました。
「俺に立てつくからこうなるんだ」
「ひっ」
そう言いながら足で地面に倒れるノンの体を動かします。うつ伏せから仰向けになった彼の顔を見てノエルは小さく悲鳴を上げました。そう、ノンの顔の右側が紫色に変色していたのです。そして、頬に小さな切り傷が付いていました。
「ヒュドラの毒刃。どうだ? 死ぬ方が楽なほど苦しいだろ」
「ヒュ、ドラ……」
男の言葉に彼女は震える声で言葉を漏らしました。ヒュドラ。ドラゴンですらもがき苦しむほどの猛毒を持つと言われる災害級の魔物です。今まで討伐された例は数件ほど。そんなヒュドラの牙を削って作られたのが男の持っていたあのナイフ――『ヒュドラの毒刃』でした。
先ほどの攻防でナイフが彼の頬を掠めたのでしょう。たったそれだけでノンは毒に倒れ、瀕死となってしまったのです。
「そんな、それじゃノンくんは」
もちろん、もはや伝説となっている魔物の毒に効く血清などこの場にあるわけもなく、ノンが助かる見込みはありません。その事実に気づいたノエルは倒れ伏すノンを見下ろしながら茫然としてしまいます。
「かひゅ」
仰向けになったせいで喉に詰まっていた血の塊が彼の口から溢れます。まだ息はある。でも、ただでさえ強力なヒュドラの毒を大人よりも体の弱い子供が受けてしまったのです。彼の命は数分と経たずに散ってしまうでしょう。
「じゃあ、邪魔者もいなくなったし……仕事を終わらせようかね」
「……」
ふらふらとしながらノエルに近づいてくる男。しかし、それでもノエルはノンから目を離せず、とうとう捕まってしまい、引きずられるように奥の部屋へと連れていかれてしまいました。
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