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閑話

「はぁ……」

 さほど広くない部屋の中、眩い光を放つ水晶と鈍器かと見間違えるほど分厚い本を傍らに浮かせ(・・・)、そっと小さなため息を吐く女性がいた。

 椅子に座っているせいで川のように床に流れてしまっている長い金髪。

 簡易的でありながらどこか神秘的に映る白いワンピース。

 なにより、絶世の美女と言われても過言ではないほど整った美貌。

 きっと、人が彼女を見れば誰しもが『女神』と名称付けるだろう。

(本当に、どうしてこんなことに……)

 事実、彼女は上位存在――『神』と呼ばれる者だった。女の神だから『女神』。あながち先ほどの例えは間違っていないだろう。

 だが、そんな神である女性の表情は優れない。体調不良、というわけではなく、面倒事に巻き込まれたせいで憂鬱な気持ちになっているのだ。

 女性は神と呼ばれる存在であり、世間一般的に言い伝えられている通り、彼女も一つの世界を創造した。だが、彼女が創造したのは『地球』という科学が発展した世界ではなく、『魔法』や『モンスター』が蔓延る、いわゆる『ファンタジー』に該当する世界だ。

 それに加え、神の中には自身が創造した世界をまるで玩具のように扱い、テコ入れを続ける者もいるが、彼女の場合、完全に放任主義だった。つまり、世界を創造し、必要最低限の要素を決めただけで後はその世界の行く末を眺める傍観者に徹底したのである。

 もちろん、世界を創造しただけで満足したわけではなく、彼女が創造した世界の生物たちが唯一神である彼女の手助けを借りず、どのような進化を遂げるのか、観察することにしたのだ。

 その過程で何度も争いが起こった。飢餓が原因で何人もの死人が出た。魔王と呼ばれる存在が生まれ、世界が崩壊しかけた。

 良くないことが起こる度に彼女は涙を流し、何度も手を出そうか悩み、苦しみ――それでも、手を出すことはしなかった。そして、世界の住人たちが自分たちの力だけで問題を解決すると両手を挙げて大喜びする。

 その姿はまるで子供の成長を歯を食いしばりながら見守る母親そのものであった。

 そんな温厚で、慈愛に満ち溢れた女神でさえも顔を歪めてしまうほどの面倒事。それは――『魂の洗浄』である。

 神の仕事には世界の創造やテコ入れ、時には自身の世界が崩壊しそうになった場合、他の世界の神に頼んでその神が管理している世界の住人を移動させたり、と世界を運営していくものが多い。

 その中の一つに魂の洗浄と呼ばれるものがある。

 簡単に説明すれば生命活動を終え、肉体から抜けた魂に付着した汚れ(きおく)(つみ)を洗い流し、前世での生き様を考慮して生まれ変わる世界や種族、才能の有無を決定する。その一連の流れをまとめて『魂の洗浄』と呼ばれていた。

 もちろん、水晶を眺めながら本を捲り、数秒ほど考え込んで水晶を指で軽く叩く彼女も普段から魂の洗浄を行っていた。

 傍観すると決めたものの、魂の洗浄をしなければ前世の記憶を保持したまま、次の生を受けることになってしまうのだから仕方ない。むしろ、彼女が自身の創造した世界に対して行っている数少ない仕事の一つともいえる。その証拠に彼女の動きに迷いはなく、さながら職人のような手つきで次々と魂の洗浄を終えていく。

 しかし、問題は洗浄する魂の対象が自身の創造した世界の住人ではない、ということだ。

 神は世界を創造する。しかし、様々な問題点を考慮し、ほとんどの場合、複数の神が一つの世界を創っていた。それは複数の神が一つの世界を創ることで数多くの恩恵を受けることができるからである。

 神が複数いることにより、その世界は種族や宗教、人々の暮らし、テコ入れに関して多様化し、複雑な進化を遂げる。

 面倒事が起きた時に神たちが手を組み、その問題を解決できるため、世界を存続しやすい。

 なにより、神であっても世界一つを一柱で管理するのはあまりに無謀すぎるため、世界を運営する仕事を分担させるのだ。

 宗教争いや神同士のいがみ合い、複雑化しすぎたあまり、神ですらコントロールできなくなるなど、デメリットも存在するがそれ以上にメリットが多い。

 そもそも一柱で世界を創るとなると作業量が膨大であり、いずれパンクして世界は崩壊する。それがわかっているから、ほとんどの神はそれをしない。

 だが、事実上、神一柱でも世界を創造することは可能であり、彼女はその数少ない神の一柱だった。

 だからこそ、自身の世界では『唯一神』と呼ばれている。他に世界に関与している神がいないのだから。

 ならば、どうしてこの女神は他の世界の魂の洗浄を行っているのか。言ってしまえば、緊急時の助っ人(アルバイト) 。ただそれだけの話である。

 彼女が『唯一神』として自身の世界を運営できるのは傍観者に徹底しているからである。眺めているだけなら仕事はほぼ皆無。時々、溜まった魂を洗い流してやれば終わる。ぶっちゃけ、暇を持て余していた。

 きっと、そんなことを言われたら心優しい彼女であってもむすっと頬を膨らませて怒りを(あら)わ にするだろう。眺めることこそ、彼女にとって世界を運営する仕事であり、誇りであり、楽しみなのだから。

 それでも彼女が自身の世界から目を背け、魂を洗い流しているのはそれだけ緊急を要する招集だったからである。

 彼女も詳しい話はわからないが、複数の世界で同時に大災害や事件、飢餓、崩壊が起き、その世界を担当する神だけでは対処し切れないほどの死者が出てしまったらしい。世界を運営している神といえど、他の世界の運命は把握していない上、神ですら予想外の事態が起こることもしばしば。今回の場合、不運にもそれが複数の世界で同時に起こってしまっただけなのだ。

 肉体から抜け、天界へ続々と集まってくる魂たちはさながら上流を目指して滝を登る大量の魚のようだったと彼女は失礼も承知で思ってしまった。

 そんなこんなで眺めるだけがお仕事の女神は手が空いている数少ない神であり、複数の神から頼みこまれ、渋々魂の洗浄を手伝っているのだ。

「次は……あれ」

 部屋に誰もいないことをいいことにぶつぶつと独り言を呟きながら作業をしていた彼女だったが、突然その手を止める。そして、水晶に映し出された魂を見て首を傾げた。

(この魂、亡くなった日付が随分前……天界(ここ)まで来るのに何故、こんなに時間がかかったのでしょう?)

 確かに天界まで登ってくるのに時間を要する魂は存在する。だが、それは本当に極稀にしか起こらず、ほとんどの場合、死亡してすぐに天界に到着するのだ。『生前の罪が重すぎるから』や『天界までの道のりがわからず、迷子になっていた』など、考えられる原因の全てが憶測に過ぎず、今のところ、天界を管理している神すらその現象が起こる原因は把握していなかった。もちろん、彼女もこの現象を目の当たりにするのは初めてだったため、手が止まったのだ。

(出身は……『地球』。確か、この世界は大変厄介なウイルスが蔓延したばっかりにたくさんの人間が亡くなったはず)

 パラパラと本を捲って魂に関する情報を流し読みする。しかし、やはりこの魂の持ち主が死亡した日付とウイルスが蔓延し始めた日付は年単位で相違していた。そもそもこの魂の持ち主が存在していた世界とウイルスが蔓延する世界はいわゆる並行世界と呼ばれる関係であり、仮にこの魂の持ち主が生存していた場合でもウイルスは蔓延しなかったはずだ。

(本当ならウイルスによって亡くなった人が洗浄対象になるはずですが……何かの拍子にこっちに紛れちゃったのでしょうか)

 天界に登ってくるまでかかった時間。自身のところへ紛れ込んだ原因。それに関していくら考えても答えは出てこない。それに彼女は女神である。たとえ、誤って紛れ込んでしまった魂であっても慈しみを込めて洗浄するのがこの魂の持ち主に対する誠意。そう思って魂をよく見ようと水晶を覗き込み――。




「……………ぁ」




 ――気づけば彼女は涙を流していた。それはまるでポロポロと零れ落ちる美しい宝石のようだった。

(どう、して……)

 おそるおそる震える右手で目元を拭うが、それだけでは決壊したダムは止まらない。その時、ふと床に視線を送るとすでにその部分の色が変わるほど涙で濡れてしまっていた。どうやら、予想以上に呆けていた時間は長かったらしい。あまりの事態に彼女は戸惑いながらもなんとか視線を水晶へと戻す。

「な、んて……」

 そこに映っていたのは思わず目を庇ってしまいそうになるほどの眩しい光だった。いや、そんな簡単な言葉で表現してはならない。

 眩しいはずなのに目が離せない。

 その光に恐怖心を抱きながらもあまりの美しさに感嘆の息が漏れる。

 それでいてどこか儚く、そっと抱きしめてあげたくなる。

 おそらく、例外を除いて不老不死である女神ですらもう二度と同じ存在を見ることはできないだろうと断言できる。

 それほど、水晶の中で漂っている魂は女神にとって衝撃的なものだった。

(これほど澄んだ魂は見たことがない。亡くなった時は13歳!? 死因も事故によって併発した病気による病死。けれど、事故によって家族を亡くし、4年の闘病生活も普通の人間だったら途中で息絶えてもおかしくないほど過酷なもの)

 あまりにも、悲惨な人生だ。誰がどう見たって不幸な子供。

 そのはずなのに、この魂の持ち主は死亡した時、感謝した。

 見るも無残な姿になったはずの彼の傍にいてくれた幼馴染の女の子に。

 ずっと動けない自分のお世話をしてくれた幼馴染の両親に。

 長くても1年、最悪明日死んでもおかしくない、今にも消えそうな命の灯を消さないように懸命に努力してくれた医師や看護師に。

 なにより、これほど過酷な運命を背負わせた神にすら。

 4年にも及ぶ闘病生活で精神が狂ってしまった? いや、そんな形跡はない。むしろ、闘病生活を過ごすにつれ、精神力が目を見開くほど強くなっている。

 諦めるな。生きろ。命に(すが) れ。走り続けろ。

 その姿はまさに絶望を目の当たりにしながらも決して挫けずに戦い続ける希望(ヒーロー)。これまで魂の洗浄を通して様々な生物の生き様を観察していたが、これほどまでに気高く生を駆け抜けた存在を見たことがない。

 観察することが仕事である女神だからこそ、この魂の真の価値を見出すことができた。

 女神は震える手で慎重に水晶に触れ、その美しい魂をこちらへ引き寄せる。水晶から魂が出た瞬間、その光に部屋が昼間のように明るくなった。

(本当に……よく頑張りました。ゆっくり休んでください)

 そして、我が子を褒めるような手つきでそっとその魂を撫でる。気のせいかもしれないが、彼女の手が触れた瞬間、魂は喜ぶように震えたような気がした。

(では、そろそろ休ませてあげましょう。早く、次の世界を選定して洗浄を……)

 せめて、次の生は苦難のない、幸せで溢れたものに――。

 そう思いながら本へと手を伸ばす彼女だったが、不意にその手を止める。

 魂を洗浄する。これまで何千、何万、何億、何兆、それ以上の回数をこなしてきた観察以外の数少ない彼女の仕事。

 そのはずなのに、一向に彼女の手は動かなかった。左手に美しい魂を乗せ、右手を本に伸ばした状態で硬直してしまっている。

「……」

 何度も繰り返された仕事。今までこんなことはなかった。

 だからこそ、彼女は困惑した。言うことの聞かない体に戸惑いを覚えた。

 そして、やっと気づいてしまう。




 この魂の輝きを、失いたくなかった。ただそれだけ。




 魂の洗浄をすればこの魂の輝きも失われる。これほど恐ろしくも美しく、儚くも強い魂を自らの手でなかったことにする行為はあまりにも烏滸(おこ) がましい、と。

 この魂の輝きは失ってはならない。これは、天界に納められている、どの宝物(ほうもつ)よりも価値のあるものだ。それこそ、女神である自身よりも、大切な――。

「……」

 気づけば彼女はその魂を隠すように両手で隠しながら部屋を飛び出していた。現在、ほとんどの神たちは魂の洗浄作業に追われ、先ほどの彼女と同様、部屋に引きこもっている。しかし、その中には休憩と評してサボっている神や女神もちらほらといた。

「ん? ぇ、あ、お、おい! なにやってんだ!」

 そのせいか魂を隠しながら走る彼女とすれ違った神の一柱が異変に気付き、声を荒げる。彼女が魅了された魂は両手で隠してもなお、周囲を明るく照らすほど輝いていた。見つかるのは当たり前である。

「はぁ……はぁ……」

 もちろん、女神もそれを百も承知で部屋を飛び出していたので見つかっても足を止めることなく、ただひたすら目的地へと向かう。

「え? う、嘘!?」

「おい、早くあの女神を止めろ!」

「急いで!」

 騒ぎが騒ぎを呼び、いつしか天界は大混乱に陥っていた。それでも女神は誰にも捕まることなく、走り続けることができていた。彼女とすれ違った神たちはすぐに異変に気付き、女神がしでかそうとしている過ちに体を硬直させるため、必ず出遅れてしまうのだ。そして、その反応こそ、彼女が今、実行しようとしている罪の重さを表している。

(もう、少しッ……)

 すでに息は絶え絶え。両足の感覚はない。いつ倒れてもおかしくないほど疲労している。

 だが、彼女はそれでもなお、魂を抱え、走ることを止めなかった。

「あなた、それをしたらどうなるかわかってるの!?」

 背後から他の女神の悲鳴のような言葉が飛んでくる。その声音には怒りと悲しみ、なにより心配の色が見て取れた。

 神は世界を創造し、その世界を運営するためにある程度、運命を操る。あえて災害を起こして溢れかえった魂を間引くことさえあるのだ。

 しかし、世界を創造する神であってもルールは存在する。

 その一つに『私利私欲のために干渉してはならない』というものがあった。

 もちろん、暇を持て余した神が意図的に異世界の住人を自身の世界へ送り込むこともあるが『神の不祥事で迷惑をかけた魂への償い』など、何かしらの表向きの理由を作る。言い換えれば、ルールの穴を突かなければその神は罰を与えられるということだ。

「ッ……」

 女神は目的の部屋に辿り着くとその部屋にあった物を手当たり次第にドアの前へ移動させ、バリケードを作り、自身の持つ神力をありったけ込めてそれを固めた。これで神であろうとそう簡単にはバリケードを破壊することはできない。

 ドアの向こうから何度もそれを叩く音や神たちの必死の説得の声が響くが彼女は申し訳なさそうな顔をしながらも部屋の中央にある石造りの台へ向かう。その足取りは酔っ払いのように千鳥足であり、顔は真っ青だ。神たちに追われながらの全力疾走に加え、今から行う儀式に必要な神力以外をバリゲートの強化に使用したのだから。

「……」

 石造りの台へ魂を乗せ、彼女はバリケードを作った際に床に散乱した本の一つを手に取り、パラパラと捲る。魂の洗浄や他にも簡単な仕事しかしてこなかった彼女にとって今から行われる儀式は未知の領域。少しでも成功率を上げるために本を流し読みしてやり方をおさらいする。

「すぅ……はぁ……」

 背後から聞こえる騒音(ノイズ)は鳴りやまない。むしろ、ドアの前で神通力を使用しているのかドアの軋む嫌な音が聞こえる。あまり時間は残っていない。ぶっつけ本番の一発勝負。

(大丈夫。大丈夫……だい、じょう、ぶ……)

 何度も自分に言い聞かせ、ぼたぼたと流れ落ちる涙はそのままに彼女は詠唱を開始した。

 ああ、本当に、何をやっているのだろうか。

 詠唱を口ずさみながら女神は今更になって冷静に自分自身を観察する。

 あまりにもこの子の人生が不幸だったから?

 これほどまでに美しく儚い魂の輝きを失いたくなかったから?

 慈悲深き女神として有名なせいで見逃せなかったから?

 いいや、違う。彼女はただ恐れただけだ。この輝きを自らの手で消し去ることを。

 なんと、自分勝手。なんと、浅はかな思考。なんと、(おぞ) ましい自己愛。

(ご、めん……なさい……)

 だからこそ、彼女はそんな情けない自分自身に嫌悪感を抱き、それに巻き込まれる目の前の魂に懺悔した(あやまった) 。もっと、自分の精神が強かったらと後悔しながらその口は止まらない。

(ああ、どうして……こんなことに)

 眩い光を放つ魂を見ながら女神は天を仰いだ。そして、覚悟を決め、今まさに旅立とうとしている魂へと視線を戻す。

 この輝きを保つためには魂の洗浄をせずに次の生へ繋げるしかない。

 すなわち、『転生』である。

 それは前世の記憶を保持したまま、別の肉体へとその魂を無理やり押し込む行為。もちろん、特別な理由がない限り、あってはならない禁忌だ。それでも、彼女はそれを実行する。罪を犯すよりこの魂の輝きを失わせる方が嫌だったから。

(この子は『地球』と呼ばれる科学が発展した世界の出身。『魔法』や『モンスター』が蔓延る私の世界で生き抜くのは厳しいでしょう)

 本当ならもっと穏やかな世界へ旅立たせたかった。だが、魂の行き先は己の創造した世界にしか送ることはできない。

 ならば、少しでもこの子の力になれるよう、全力を尽くす。それが女神にできる最初で最後の罪滅ぼしだった。

(少しでもいい暮らしができるように転生先を指定……なんとか『人間』に設定はできたけれど、それ以外はリソースが少なくて失敗。なら、生き残れるように可能な限りステータスを上昇させて……失敗。前世の行いを基にスキルを形成、失敗ッ!)

 だが、何の準備もなく、始めた儀式だったため、魂に付与する罪滅ぼし(チート)はことごとく弾かれてしまう。なにより、女神には経験が足りな過ぎた。自身が創造した世界を眺めていることしかしてこなかった報いがこの結果。彼女は涙を流しながら己の力不足を悔いる。

 しかし、不運にもすでに儀式は完了した。

 転生先はランダム。

 ステータスの上昇はなし。

 特別なスキルも皆無。

 他に、何かできることはないか。涙を流し、額から汗が滲み、震える手を必死に制御しながら思考回路を巡らせる。

「……どうか」

 詠唱も終わり、数秒後にこの魂は女神が創造した世界へ飛ぶ。それを眺めながら彼女はその場で両膝を付き、懺悔するように両手を組んだ。






「どうか……この子に幸せが訪れますように」






 結局のところ、女神にできたのは今までと変わらず祈ること(神頼み) だけだった。

 心の底から今まさに旅立つ魂へ、祈りを捧げる。

 そんな何の救いにもならない、あまりにも無責任な行い。

 だが、その行為は幸運にもこの時だけは意味を持った。

 今まで己が創造した世界にすら見守るだけで一切干渉しなかった女神が唯一、その魂のためだけに祈った。それはまさに、この魂が女神からの寵愛を受けたことに他ならない。

「ッ……―――!」

 そのおかげだろうか。たった一つ、魂にスキルを付与するためのリソースが捻出され、女神は咄嗟に詠唱を重ねた。

 彼が前世で培った経験、抱いた思い、紡いだ言葉、望んだ未来、決めた覚悟。

 その全てをたった一つのスキルに叩き込み、そのスキル名と効果を確認する前に魂は女神の前から姿を消した。

「……」

 シン、と静まり返った部屋の中、女神は魂があったところをジッと見つめる。いや、おそらくドアの向こうの喧騒はまだ収まっていないのだろう。ただ、女神からそれを知覚する機能がなくなっただけに過ぎない。

 私利私欲のために干渉した神には罰が与えられる。その干渉具合によって与えられる罰の内容は変わるが、女神が犯した罪はあまりにも重く、神にとって最大の罰が与えられることとなった。

(これで、よかった……のでしょうか……)

 少しずつ薄らいでいく意識の中、女神は己の行いを振り返る。きっと、自分がした行いは間違っていた。誰がどう見ても気が狂った女神の蛮行。それは彼女自身、わかっている。

 神は不老不死である。ただし、その条件として神は誰かに観測されていなければならない。名前でも、姿でも、逸話でも、能力でも――一つでも構わないから誰かに認識されている必要がある。誰にも知られていない神など、存在しないのと同じなのだから。

 そのため、自身が創造した世界が崩壊したとしても一定期間の間に新しい世界を創造すれば特に問題はない。また新たな世界で神は神として認識されるのだから。

 もちろん、罰を受ける女神も己が創造した世界に干渉していなかったが、存在そのものは世界の住人から認知されていた。むしろ、唯一神として信仰の対象となるほどに世界の住人にとってなくてはならない存在である。

 では、そんな神に対する最大級の罰とは何か。

 それは名前、姿、逸話、能力など、その対象に関する全てを剥奪されること。

 神は誰かに観測してもらわなければ存在できない。

 そして、罰を与えられる神が全てを剥奪された場合、どうなるか。

(あぁ……消えていく。私の、何もかもが、無へと)

 その答えは今まさに女神が体験している事象そのものである。

 ゆっくりと解かれていく己の存在に不思議と女神は恐怖心を抱くことはなかった。むしろ、罪を背負うことなく、消え去れることに喜びを感じているほどだ。

「でも……もし、我儘を言うのでしたら」

 希薄となった体がその場で崩れ落ちる。それでも、彼女はゆっくりと手を伸ばす。決して、触れることのできない大切なモノへ。

(あの子の、行く末を見守り、たかった……)

 しかし、それはすでに叶わぬ願い。自らの手で手放した欲望。

 ならば、せめてもの手向けとして――もう一度、祈ろう。




「願わくば……よい、生を……」




 こうして、女神■■■は大罪を犯し、彼女の全ては剥奪された。

 他の神からも、『唯一神』として伝えられていた彼女自身が創造した世界からも、決して認識されることのない、無へと還った。

 もちろん、剥奪されただけなので彼女のことを誰かが思い出せば、女神■■■は存在を取り戻すことができるだろう。

 だが、無へと還った存在を思い出すことは果たしてできるのだろうか。

 だって、思い出すための手がかりはどこにも存在していないのだから。




 たった一つを、残して。

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