閑話1 その頃
「……」
ノンがいなくなってから一か月後、子供部屋に置かれているベッドの上でエフィーナは膝を抱えていた。その目は真っ赤に腫れ、つい先ほどまで泣いていたのがすぐにわかる。肌は荒れ、髪もぼさぼさ。その姿をノンが見たら精神病棟に入院しているうつ病患者のようだと思うだろう。
「……ノン」
一か月前、五歳になる息子は自宅の庭で行方不明になった。魔力とは違う力の残滓に最初は『精霊隠し』だと喜んだが、次の日になっても、その次の日になっても――一週経っても最愛の息子は帰って来なかった。
(もっと……私がしっかりしてたら……)
『精霊隠し』は精霊が気に入った子供を精霊の国へ連れて行ってしまう現象。そして、次の日に連れていかれた子供は玩具やギフトを貰ってひょっこり帰って来る。それが世間の認識だった。
魔法使いだったエフィーナは魔力とは違う力を感じ、すぐに息子が『精霊隠し』にあったとわかり、大喜びした。ノンは『魔漏症候群』を患っており、大好きな魔法が使えない体質だったからである。
精霊の国で楽しい経験をし、玩具やギフトを貰って帰って来る。もしかしたら、精霊の国でなら『魔漏症候群』を治せるかもしれない。聡明なノンならきっとそれを望む。そんなことばかりを考え、彼女はその日の夜、眠ることができなかった。
だって、これでやっとノンは普通の子供のように外を駆け、魔法を使い、楽しい人生を送れるのだから。
だが、結果はこの有様。愛していた息子は帰って来ず、すでに一日過ぎているため、行方を捜すには遅すぎた。『精霊隠し』にあったはずなのに帰って来ないと憲兵に訴えかけてもそもそも『精霊隠し』にあった証拠がなく、人攫いに襲われたと処理されてしまい、通常の捜索しかしてもらえなかったのである。
「……」
それから一か月、エフィーナは毎日、この広い街の中を駆けずり回り、ノンを探し続けた。夫であるジェラルドも職の立場を利用して捜索隊を編成。彼らと共に周辺の森や洞窟を探した。常に冷静である獣人のルルーカでさえも焦った形相でエフィーナと一緒に街を走り回った。家族全員でノンの無事を祈りながら彼の行方を捜し続けたのである。
それでもノンは見つからなかった。無理をしすぎたせいでエフィーナが体調を崩したところで捜索は一度中断。闇雲に探しても駄目だと結論付け、ジェラルドが方法を考え付くまで休んでいるように、と彼女を子供部屋へと押し込めた。
「……」
しかし、愛する息子が行方不明な状況で休めるわけもなく、エフィーナはベッドの上で項垂れているしかなかった。頬は痩せこけ、今にも倒れてしまいそうなのにノンが見つかっていないのに倒れるわけにはいかないと気力だけで意識を保っている状態である。
「奥様」
その時、扉の向こうから親友であり、従者でもあるルルーカの声がした。エフィーナは光の宿っていない瞳をそちらへ向けると同時に返事も待たずにルルーカが部屋に入ってくる。すでにエフィーナには返事をする元気もなく、ルルーカもそれを知っていたからだ。
「奥様、お話があります」
部屋に入ってきた彼女はどこか覚悟を決めたような表情を浮かべていた。まるで、今から戦地へ赴く兵士のようである。
「ルー?」
親友の様子がおかしいことに気づき、エフィーナは掠れた声で彼女の名前を呼んだ。嫌な予感がする。冒険者をやっていた頃からこの直感に助けられてきた彼女はなにか悪いことが起こりそうだと身構えた。
「お暇をいただきたく思います」
「ッ……何を、言って!?」
従者を辞めたいと言ったルルーカに近づこうとし、ベッドから転げ落ちそうになる。それをルルーカが素早く受けとめ、事なきを得た。
「ルー、何を言ってるの? どうして、そんな急に……」
「きっと、ノン様はこの街にはいません。だからこそ、精霊の国へ行こうと思います」
「ッ!? 自分が何を言ってるかわかってるの!?」
ルルーカの言葉にエフィーナは声を荒げた。精霊の国はどこにあるかわからない幻の国だと言われている。精霊王の存在は確認されているので実在はするだろう。しかし、何も情報のない状態で探しに行くのはあまりに無謀だった。
「『精霊隠し』にあったかもわからないのにどうして……」
「私は奥様の実力を知っております。あなた様が間違えるはずがありません」
「ッ――」
それを聞いた瞬間、エフィーナの頭に金槌で殴られたような衝撃が走った。そう、それこそ彼女が自分を責めていた最大の理由だったからだ。
『精霊隠し』だと決めつけず、すぐに憲兵に相談すればノンが行方不明にならずに済んだのではないか。息子が大変な目に遭っているにもかかわらず、浮かれて眠れない夜を過ごした自分が恥ずかしい。もっと、もっと自分がしっかりノンを見ていればこんなことにはならなかったのに。
この一か月間、そう考えなかった日はない。むしろ、日を追うごとに自分を責める声が大きくなっていく。もしかしたら、ジェラルドやルルーカも心の中では自分を攻めているかもしれない。そして、大切な夫や親友を疑ってしまう自分がますます嫌いになっていく。そんな悪循環を繰り返し、彼女は体調を崩したのである。
「だからこそ、精霊の国に行き、ノン様へ会いに行きます」
しかし、ルルーカは一度もエフィーナを疑っていなかった。だからこそ、精霊の国に行き、ノンを迎えに行こうとしているのである。
「ルルーカ……」
「もし、ノン様が帰ってきた時のため、奥様はこの家で待っていてください。私が必ずノン様を連れて帰ってきますので」
「おい、ちょっと待て」
そんな二人の会話に口を挟んできたのは子供部屋の扉から呆れた表情を浮かべているジェラルドだった。
「旦那様、邪魔しないでいただけますでしょうか? 私は本気です」
「いいから落ち着け。さすがに何も情報がない状態で精霊の国に行くのは無理だ」
「ですが!」
「だから、まずは情報収集しよう。幸い、半年後くらいには種王会議があるからな」
種王会議。それは一年に一度、各種族の代表が集まって情報を交換する会議である。ジェラルドはその会議で情報を集めるつもりのようだ。
「種王会議……しかし、魔族の侵攻で人間の代表は参加できないのでは?」
「ああ、だが、人王と交流のある種族は参加するだろ? そこで精霊の国がどこにあるか聞いてもらう。幸い、精霊王と仲のいい妖精王は毎年、会議に参加してるみたいだから何かしらの情報は得られるだろ。さっき、王様からも許可をもらった」
ジェラルドは本気で自分の権力を最大限に活かし、ノンを探すつもりだった。少し時間はあったが、やっと種王会議で情報収集できる機会を得たのである。
「……そう上手くいくでしょうか」
現在、人間たちは魔族の侵攻を受けている。そのため、流通網が麻痺しているところがあり、今から連絡を取っても間に合うかわからなかった。それをルルーカは危惧しているのである。
「そうだな……確実性はない。こっちからの連絡が届かない可能性だってあるし、協力してくれないかもしれない。だが、闇雲に探すよりも確実だ。なにより、精霊王は子供が大好きだと噂されてる。ノンを大切に保護してくれてるはずだ」
「じぇ、ジェード」
ジェラルドが時間をかけてでも確実に情報を得る機会を作ったのはノンが『精霊隠し』にあったと信じていたからだ。精霊王ならノンを保護してくれている。ノンの安全が保障されているのなら確実性を取った方がいい。それが彼の判断だった。
「だから、エフィ。今は休め。そんな姿をノンに見せたら悲しむぞ」
「ッ……うん、うん!」
エフィーナの目からとめどなく涙が流れる。彼らは自分を疑ってなどいなかった。それが嬉しくて、少しでも疑ってしまった自分が恥ずかしくて、なにより、ノンは生きている。そう信じられそうで、生きる気力が湧いてきた。
(ノン、もう少し待っててね……)
幼い息子をすぐに迎えに行けない苦しみは続く。それでも、生きて会うためにエフィーナはルルーカに支えながらも立ち上がったのである。
まさか、幼いはずの息子がたった一年で力をつけ、精霊の国を出ておうちに帰るための冒険に出るとは知らずに。
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