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前話

 ピ、ピ、ピと一定のリズムで音を刻む電子機器が視界の端に映る。だが、僕の脳が認識しているのはその電子機器ではなく、窓の外でシンシンと降り続ける雪だった。雪を見たのは何年ぶり――いや、初めてかもしれない。代わり映えのしない部屋にいるせいで脳みそに備わっているメモリー媒体に埃が被ってしまっているのだろう。

「……ねぇ」

「んー? 何ー?」

 ベッドに腰掛けてスマホを弄っていたサイドポニーの女の子――幼馴染のコンちゃんに声をかけると彼女はスマホから目を離さずに意識をこちらに向けた。窓から視線を外し、僕に背中を向けているコンちゃんを見ると平気そうにしているが少しだけ体が震えていることに気付く。

「今日って、何日だっけ?」

「12月24日。クリスマスイブだよ」

「ふーん……ホワイトクリスマスだね」

「え? 雪、降ってるの?」

 ここに来る時は降っていなかったのか意外そうに声を漏らしながらコンちゃんが窓――こちらを振り返り、すぐにハッとして顔を背ける。だが、もう遅い。僕の網膜には彼女の頬に流れている涙が焼き付いてしまったのだから。

「……もう、こんな日まで来なくてもいいのに。友達に遊びに行こうって誘われたんでしょう?」

「べ、別に……いいでしょ。こんな日、なんだから」

 今の会話で泣き顔が見られたことを察したのか今まで頑なに僕の方を見ようとしなかったコンちゃんはそっとため息を吐いた後、こちらに顔を向けた。僕にばれてしまうから涙を拭えなかったようで彼女の顔はすでにくしゃくしゃになってしまっている。

「ねぇ、コンちゃん」

「ん?」

「僕ね……そろそろ限界なんだと思う」

「ッ……そんなこと!」

 僕の言葉を聞いたコンちゃんが声を荒げ、ここが病室であることを思い出し、すぐに言葉を(つぐ)む 。昔のように説教されずに済んでホッとしたような、それでいて久しぶりに説教をされてみたかったなぁ、と残念に思う気持ちがせめぎ合い、不思議と笑みが零れてしまった。それが(しゃく) に障ったのか彼女は目を吊り上げてベッドに両手を叩きつけた。

「な、なんでそんな顔するの!? さっきの言葉、意味わかってるの!?」

「わかってるよ。全部、わかってる……逆にここまで生き続けられたのが奇跡だったんだ」

 3年前、僕は事故に遭った。両親と僕、妹の4人で遊園地に遊びに行った帰り道、対向車線を走っていたダンプカーがこちらの車線にはみ出して僕たちが乗っていた車と正面から激突。僕たちの車は大破し、ダンプカーは激突した衝撃でガードレールを飛び出し、そのまま地面に落ちて大爆発を起こした。生存者は運よく開けていた窓から投げ出された僕だけ。それも病院に搬送された時点でいつ死んでもおかしくない――いいや、生きている方がおかしいと言われるほど重症だった。唯一よかったのは僕以外の家族は皆、即死だったことか。

 大手術を乗り越え、奇跡的に一命を取り留めた僕だったが余命は最高でも1年。最悪、明日死んでも不思議ではないと言われたらしい。その時の僕はまだ眠っていたので詳しい話はよくわからないが家族ぐるみで仲の良かったコンちゃんの両親が聞いたそうだ。

「なら、もっと頑張ってよ! のん君(・・・) ならまだっ」

「うーん……僕も諦めたわけじゃないんだ。でも、何となくわかっちゃうの。もうそろそろなんだって」

 事故に遭ってから僕は何度も死にそうになった。数秒前までは平気だったのに呼吸をしただけで容態が急変してしまったこともあった。我ながらよく3年も生きていられたものだと感心してしまう。今だってこうやって会話出来ていること自体、珍しい。普段はもっと言葉が途切れ途切れになってしまう。今日は調子がいいみたい。

 でも、死にそうになる度に夢の中で『諦めるな!』、『生きるんだ!』と僕を応援する“僕”の声が聞こえた。何度も、何度も、何度も。その声を聞いていると自然と勇気が湧いてきた。“死”に抵抗する恐怖と戦おうと思えた。だから、僕は今まで生きて来られた。もちろん、こんな僕を3年もの間、支えてくれたコンちゃんやコンちゃんママ、コンちゃんパパのおかげでもある。感謝してもし切れない。僕が死んだらホケンキンというお金をコンちゃん家族に渡すようにベンゴシさんに内緒でお願いしておいたから少しは恩返しできるかな?

「のん、君……」

「最後まで頑張るよ。みんながここまで繋いでくれた命なんだもん。簡単に手放すもんか……ただ、次が来たらちょっとやばいんだ。だから、言っておきたいの」

 ポロポロと涙を零すコンちゃんの手を握り、痛む体に鞭を打って体を起こした。咄嗟に僕の体を支えようとした彼女だったが手を握られているせいか、はたまた動揺しているからか上手く体を動かすことできず、おろおろするばかり。チラリと病室の扉の方を見ればコンちゃんママとコンちゃんパパが息を殺して僕たちを見守っていた。コンちゃんは僕に意識を集中しているからか後ろに両親がいることに気付いていない。

「言って、おきたい?」

「コンちゃん、好きだよ。大好き」

「ッ――わ、私も」

「ううん、それは駄目。駄目だよ、コンちゃん」

 彼女の言葉を遮るように僕は首を横に振る。それ以上、言わせてしまったら彼女は僕に囚われてしまう。それだけは駄目だ。僕はもういなくなってしまう。大切な人がいなくなってしまう悲しみを知っている僕としては彼女にこの苦しみを味わってほしくなかった。

「僕は、もういなくなっちゃうから駄目」

「そんな……ずるい、ずるいよぉ。言わせてよぉ……」

「言わせないよ。だって、これからコンちゃんは前に進むんだもん。置いてかれちゃう僕なんかを見てちゃダメ」

 その時、扉の近くで立っていたコンちゃんママが両手で顔を覆い、コンちゃんパパが彼女の肩を支えた。ごめんなさい、最期まで迷惑をかけちゃって。でも、これだけは言わないと駄目だ。3人が僕や僕の家族に縛り付けられないようにするためには言わなければならない。

「だから、お願い。前に進んで。時々、振り返るのはいいけど……後ろに戻って来ちゃダメ」

「やだ……やだよ。そんなこと言わないでよ、のん君!」

「ううん、言うよ。そうじゃないと安心して戦えないんだから。だから、僕のために聞いて」

「……うん」

「なら、約束して。前に進むって」

「……う、ん」

 頷いたコンちゃんに僕は彼女の手を離し、懸命に動かして小指を差し出した。彼女も震えながらもしっかりと小指を突き出し、優しく小指と小指を絡める。

「ゆーびきーりげーんまーん、うーそついたらはーりせんぼん、のーます。ゆーびきった」

 約束を交わし、僕は彼女に笑顔を向けた。それにつられたのかずっと悲しげに泣いていた彼女もにへらと笑みを零す。

「じゃあ……行ってきます、コンちゃん」

「……行ってらっしゃい、のん君」

 ポスッとベッドに倒れ込み、遠くなる意識の中、コンちゃんの顔を見る。きっと彼女も直感で悟ったのだろう。とめどなく流れる涙を拭いながら無理矢理、笑顔を浮かべていた。

(あぁ……よかった)

 最期に見る光景がコンちゃんの笑顔でよかった。大好きな女の子の笑顔を見ながら逝ける僕はきっと恵まれているのだ。ここまで命を繋いでくれた神様に感謝しないと。

「あり、がと――」

 擦れる声で言葉を紡いだ僕はそのまま意識を手放した。




 当時、余命1年足らずと言われていたにもかかわらず“4年間”、何度も死にそうになりながらも彼は今日まで懸命に生きた。最期の戦いなど医師がありえないと驚愕するほど長い期間、戦い続けた。その期間、丁度1年。いつ死んでもおかしくない状況の中、何度、呼吸が止まっても、心臓が鼓動を止めても彼は驚異の生命力で息を吹き返し、死から逃れ続けた。

 しかし、彼が昏睡状態になったクリスマスイブから丁度1年後のクリスマスイブ。彼の身元引受人となった北崎(キタザキ) 家に見守られながら彼は息を引き取った。

 享年13歳。

 その日も1年前と同様、シンシンと静かに雪が降る夜だった。

新シリーズの始まりです!


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