第20幕 フィオナの世界
クラウスは目の前のフィオナに、もはや別人を見るような思いで立ち尽くした。彼女の表情は蒼白で、恐怖に引き裂かれたように歪んでいた。
「あぁ、また……まただわ! やめて!助けて、誰か……!」
頭を抱え、何かから逃れるように後ずさるフィオナ。その姿に、クラウスは思わず駆け寄って肩をつかんだ。
「フィオナ、しっかりするんだ! 何があった!? 君には、何が“見えて”いる!」
彼女は震えながら、虚ろな瞳でクラウスを見上げ、かすれた声を吐き出した。
「見えてない……聞こえるの……」
「聞こえる……?」
フィオナは首を小さく振りながら、喉の奥から押し殺した叫びを漏らした。
「――神よ……神の声が、聞こえるのよ……ずっと……。女の声で……私に、命令してくるの」
クラウスは言葉を失った。
“神の声”――それは人知を超えた高次の存在か、それとも……彼女の精神が壊れてしまった証なのか。
静かな音楽室に、祈るような、それでいて呪詛のようなフィオナの嗚咽だけが響く。
「……フィオナ。神は……何を言っているんだ?」
問いかけに、彼女は震える声で答えた。
「……“異常検知”とか、“命令を実行しろ”とか、“警告”……そんな言葉。でも、全部が全部……意味なんてわからないの。怖くて、ただ怖くて……」
その様子は、神の啓示を受ける巫女ではなかった。ただ、抗えない力に怯え続ける少女だった。
「君は……逆らえなかったのか?」
クラウスの声に、フィオナは深く頷いた。
「わたしが、あなたを選ばないような言動をすると……すぐに“声”が響いて、すべてがやり直しになるの。――何度繰り返しても、出口なんて見えない……」
フィオナの声は震え、頬には乾ききらない涙の痕が残っている。
「……同じだな」
「え?」
フィオナが目を見開くと、クラウスはゆっくりと頷いた。
「私は“声”こそ聞こえないが……やはり、選び直しをさせられる。まるで、誰かが“正解”を選ばせるまで、抜け出すことを許してくれないかのように」
そう呟いたクラウスの瞳は、深い迷宮に囚われた者のような光を宿していた。
「……クラウス様じゃないなら、誰が……誰がこんなことを?」
「――わからない。だが、その者は明らかにレオノーラの存在を消し、君と私が結ばれることを望んでいる。……心当たりはあるか?」
問いかけに、フィオナはかぶりを振った。
「いるわけないわ……。
私なんて、王太子殿下の妃にはいちばんふさわしくない。容姿も家柄も、気品も――何一つ、叶わないのに。
レオノーラ様がだめなら、リリス様やエリナ様を選ぶべきだった。
それなのに、どうして私なの……?」
「……すまない。わからないんだ」
たった一人の少女の問いかけにすら、答えを返せない――
その事実が、クラウスの胸に冷たい無力感を落とした。
「フィオナ、私は本当に何もわかっていない。
でも……レオノーラを、助けたいんだ。
君の力が必要だ。――頼む、力を貸してくれ」
フィオナは潤んだ瞳でクラウスを見つめ、ゆっくりと、かすかに頷いた。
「君の……いちばん大切なものに、触れてもいいか?」
クラウスの問いに、フィオナは黙って髪飾りに手を伸ばした。
そっとリボンをほどくと、ふわりと甘くてやさしい香りが広がる。
「……わたしが大切にしているのは、このリボンです。
お母さまから貰った入学の祝いなんです。いつも、力をくれました」
「……ありがとう」
クラウスはそっと指先でリボンに触れた。
次の瞬間、まるで記憶の奔流が流れ込む。
幾度も繰り返された断罪の瞬間。
そのたびにフィオナが必死で助けを求め、
それを“別のクラウス”が無視し続ける光景が――焼き付くように、見えた。
「……すまなかった。
君はずっと、一人で、怖かったんだな。
でも、もう違う。君はもう、一人じゃない。私は君を見ている。聞いている。」
リボンをそっとフィオナの手に戻し、クラウスは彼女の目を真っすぐに見つめた。
【Error Code:E-8714】
【異常検知:ループデータに不整合を確認】
【該当ヒロインルート:レオノーラ・ヴァレンティナ・エーデルレーヴェ】
【ステータス:破棄処理中……】
……
【進行フラグ:リセット済】
【強制起動:フィオナ・エルメロワルート】
……
バグ修復率:85%




