第8話 鹿ですが、なにか?
洛陽に到着した台与様たち。
しかし、ここでも文化と習慣の壁が立ちはだかるーー。
鹿と鹿と鹿にまつわる物語……その結末やいかに?
景初二年十一月某日ーー
襄平での長逗留と七十余日の長旅の末に、ようやく洛陽の城門が遠く見えてきた。
間もなく冬の訪れを告げる寒風が枯れ葉を散らす。
そのうちのいくつかは時折、金玄基の顔面を襲った。
※
金玄基には、帯方郡を出発して以来、気になっていたことがあった。
だが、様々な出来事が次々と起こり、未だに誰にも聞けていなかった。
(今日は思い切って聞いてみよう)
金玄基は決意を固めると、難升米の軽車の傍に駒を進めた。
「難升米殿……あの檻の中の生き物は、なんですか?」
「鹿たい。天子への貢物たいーー」
ーーえっ!?
「……では……生口十とは……?」
「あれたい」
(……なるほど……確かに生きた口だし……)
金玄基は理由も聞いて、さらに得心した。
倭では特別な生き物なのだそうだ。
そうだったのか。そういうことがーー
「ーー無い!」
張政に断言された。
その一方で、
「だが、養鹿設備のある宿を確保してある」
と言い切っていた。
張政によれば、動物を貢ぎ物にする国もあるので、洛陽には専用の宿があるそうだ。
(……さすが、仕事人……)金玄基は改めて感心した。
※
「ふんふんふふーん……」
先ほどから時々、ナカツヒコの鼻歌が聞こえてくる。
隣の席から台与が話しかけている声も聞こえてきた。
「……ナカツヒコ、ご機嫌なのね」
「ええ、我のホームグラウンドですから」
「……今なんて言ったの?」
※
張政が確保したという宿舎に着くと、さっそく不都合があった。
宿の主人は困り顔で、牛用の設備だと言うのだ。
試しに、都市牛利が鹿を繋いでみた。目を見張るほどの手際の良さだった。
「………………」
「……大きすぎると?……仕方なかね……」
難升米は、とりあえず、そこに繋いでおく決断をした。
檻から出してやったというのに、しかしーー
鹿たちは恨めしそうな目でこちらを見ていた……ように金玄基には感じられた。
あるいは、怯えたような目を向ける鹿もいる。
難升米や台与、あろうことか、いつも世話していた都市牛利に対しても同様であった。
金玄基は迷った。
鹿のくせに生意気だ、と思うべきなのか。
無理もない、と唸るべきなのか。
するとーー
「あら」
牛舎の影から、青草を抱えた一人の若い女性が現れた。
胡人だろうか。褐色がかった肌に色鮮やかな刺繍入りの白い衣をまとい、頭には薄布。
銀色の耳飾りが時折、光を跳ね返して目を刺した。
その声と同時に、鹿たちは耳を立て、琥珀色の瞳に見つめられると、一斉にその足元へとかけ寄っていった。
(……なんだ、これは……)金玄基は思わず息をのんだ。
横にいた台与もまた、呆然とその光景を見ていた。
※
とにかく、洛陽では仕事の予定がたくさんあった。
しばらくは、忙しくなりそうだった。
もう、張政には頼れない。すぐに帯方郡に帰らなければならなかったからだ。
金玄基は責任の重さを感じたが、同時にやりがいも感じ、いささか高揚していた。
さっそく難升米と共に役所へ出向いた。
朝貢の申請をするためだ。
窓口に出向くと、そこの役人は恰幅のいい体を椅子に預けてふんぞり返っていた。
難升米を見ると、姿勢を正して応対した。その際、椅子が軋むような高い音がした。
金玄基は難升米と役人との通訳をしつつ、台帳に必要事項を記入していくーー
「ーーおい、そなた。さっそく誤字しておるぞ」
「えっ……どこでしょう?」
「生口十『頭』ってなんじゃ?……『人』であろう?」
「いいえ。鹿なので……」
「……鹿?」
役人は「鹿などいらぬ」と続けた。
ここで、難升米と役人の間に一悶着あった。
難升米は、剣を履いていれば抜かんばかりの剣幕であった。
金玄基は必死に、そのやりとりを通訳した。
「……分かりました。では、とりあえず受付ます」
だが、その役人は、後で上役の者に確かめる……と条件をつけた。
「……お分かりいただければ、何よりに存じます」
難升米は、最後には息を切らしていたが、その場は収まった。
役人は息を切らしながら、また椅子にもれかかると、金玄基を睨むように見上げて
「……で?……何かないのか?……ほれ」
と、金玄基に左の掌を差し出した。
金玄基が亜然としていると、さらに怒ったように「ほれ!」と言った。
先ほどまで難升米に圧倒されていたから、八つ当たりされているのだろう……
金玄基は何が何だか最後まで分からず、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。
「ああ、疲れたばい……」役所から宿舎への帰り道、難升米はひとりごちた。
「まったく……理不尽な話です……」隣を歩く金玄基も難升米に同意した。
※
その頃ーー
台与は、宿舎の正面の壁に見入っていた。
そこには、掛け軸が垂れ下がり
君子和而不同
小人同而不和
と書いてあった。
その字を見ていると、朝日に照らされたような心持ちになった。
「……ナカツヒコ、あれはどういう意味なの?」
台与は、掛け軸を指差しながら、ナカツヒコに尋ねた。
荷物を整理していたナカツヒコが振り返って、歩み寄ってきた。
そして、しばらくの間、台与の指さす掛け軸を眺めた。
「ふーん……なるほど。これはですねぇ……」
ナカツヒコは顎を摩りながら呟くと、台与に微笑みかけながら言った。
「『天子は、お前さんの言うことなんか容易に聞き入れないから、覚悟しとけよ?』
……て、書いてあります」
「ええっ……そんな意味なの?」
台与は首をかしげた。ナカツヒコがニカッと笑って見せたので
(うう……聞く相手を間違えたかも……)肩を落としもした。
その時、部屋の外から誰かが「失礼いたします」と言う声が聞こえた。
台与は慌てて上座の椅子に座り、客に入室を促した。
※
金玄基は難升米と共に宿舎に戻った。
部屋の入口まで来ると、中には裴世春が来ていた。
台与と対面していたので、二人で入室を控え、部屋の入口に立ち止まった。
「これはこれは……台与殿にございますな」
裴世春は丁寧に拱手礼を取りつつ、口上を述べ始めた。
だが、口元はわずかに引きつっている。
「尚書郎・裴世春、司馬太尉の命を受け、
お着替えの御品をお届けに参りました……」
そして、きびすを返すと、手ずから包みを差し出した。
だが、その指先がかすかに震えていることに、金玄基は気付いた。
「……まこと、身に余る光栄。恐れながら、御身には少々大きいかと存じますが……」
もののついでに余計なことを言う世春……だが、そのまま様子を見守った。
「台与殿。ご滞在中、何か不便などございましたら、司馬太尉までお申し付けを……」
自分ではなく司馬太尉と言う世春……どこかで会ったことがあるような無いような。
「それでは、これにて失礼仕ります」
裴世春は背筋を正して一礼すると、逃げるように部屋を去ろうとした。
その時、ちょうど金玄基と鉢合わせた。
「おお……裴世春氏!」
金玄基は呼びかけてみた。
裴世春は立ち止まり、難升米に無言で深々と一礼した。
難升米が通り過ぎると、世春は眉間に皺を寄せて、金玄基に凄むように言った。
「おい……その呼び方はやめろ……」
金玄基はニンマリと笑みを浮かべた。
ようやく思い出した。幼いころ、同じ郡城の学堂で経書を習っていたあの少年である。
「……コホン……貢物が目録通りか確認しに参った……案内いたせ」
裴世春がそう言うので物品を見せてから、牛舎に案内した。
世春はややしばらく中を無言で眺めていた。
「……うむ……目録通りだな……」
「よろしいでしょうか?」
「……でも、鹿はいらないだろう……」と、最後には唸った。
この時、鹿たちはじっとこちらを見ていた。その目はどこか恨めしそうに思えた。
※
一行が洛陽に到着してから十余日が過ぎたーー
だが、全く音沙汰がない。
朝貢の儀の日程が通知されるはずなのだが、一向に来なかった。
金玄基が一行が宿泊する部屋を訪れると、難升米に食ってかかられた。
「魏ん連中は、こげん仕事が遅かとや?」
「いや……そこまででは……ないような」
答えようがない質問を矢継ぎ早に受けた。
しどろもどろになっているところに、ナカツヒコが割り込んできた。
「役人にちゃんと握らせたかい?……賄賂……」
ーー賄賂!?
(『ほれ』……て、そういう意味だったのか……)
金玄基は深く後悔した。そして、正直に白状した。
ああも公然と言われると、それとは気づけない。
「あーあ……こりゃ不味いな……」
ナカツヒコはそう言うと懐から銀貨を二枚取り出し、しばらくじっと見つめていた。
「……今から持ってく?」
「……それで足りるのですか?」
「いや、もっと用意するけどさ……」
そう言うナカツヒコは、しかし、あまり乗り気ではなさそうに見えた。
……そうだ!
「裴世春に何とかしてもらいましょう」金玄基が言うと
「そういう仕事する?あいつ……」ナカツヒコの言は的を射ていた。
どうする?!ーー
「ーー卜しましょう!」
台与の提案で、満場一致となった。
他の良策は、誰も思い浮かばなかった。
ふと外に目をやると、牛舎の鹿たちがこちらを見ている。
何故だか分からなかったが、金玄基には、その目が冷たく笑っているように見えた。
ーーまるで、これからの行く末を知っているかのように。
お読みくださりありがとうございました。
生口として鹿を持って行ったら、何が起こるかと考えたら、こうなっちゃいました。
次回も鹿、そしてまた鹿。洛陽での物語は、ますます混迷を深めていきます。
(木曜20時ごろ更新予定です)




