第59話 羽越の大将〜試練の雪〜
大巫女の言葉に支えられ、「和の剣」として立ち上がったウヅ。
その覚醒を試すかのように、自然の「理」、人の「情」が牙を剥く。
雪深き山中――そこは、性別も肩書きも意味をなさぬ、ただ意志のみが試される場所だった。
香取の大巫女は邑に戻ると、元のとおり武将に戻った。
「香取の弥馬升には、こちらの様子を知らせた。
あとは、我らが羽の彦尊を捕らえるのみじゃ」
「ははーっ」
一同、揃って平伏した。
「弥馬獲支は、これより北を探せ。奴佳鞮は西じゃ」
「はっ!」
こうして二人の武将は兵を率いて邑を後にしていった。
あとに残ったウヅは、邑の再建を指揮したり、大巫女の雑用をこなしたりして過ごした。
※
それから、一月、二月……三月が経った。
その間、邑には毎日のように、各地から伝令が来ては走り去った。
だが、羽の彦尊の行方は知れなかった。
大巫女は、弥馬獲支と奴佳鞮を呼び戻した。
数日後、二人は戻ってきた。
ウヅは大巫女の隣に座り、卓を囲む三人を見つめていた。
まず大巫女が口を開いた。
「これが地図じゃ。バツ印は、羽の彦尊が現れたところじゃ」
「いずこにおるのか……皆目、見当がつきませぬな」弥馬獲支が呟く。
「散兵か……」奴佳鞮も唸った。
大巫女は頷き、二人を交互に見つめた。
「このところ、糧道への襲撃も増えておる。そこで、ウヅに護衛させることにした」
両将がウヅに目を向ける。ウヅは静かに頭を垂れた。
大巫女は二人に尋ねた。
「そなたらからは、何かあるか?」
弥馬獲支と奴佳鞮はお互いに見つめ合った。
やがて、弥馬獲支から切り出した。
「そう言えば……羽の彦尊も見えませなんだが、民の姿も見かけませなんだ」
奴佳鞮も続いた。
「我はしばしば、焼かれた民家を目にしました。ですが、殺された様子はないのです」
大巫女は唸った。
「民の住処を奪っておると……追われた民は?」
その時、ウヅは口を開いた。
「我は、輸送中には、民の群れは見かけませんでした」
「我もじゃ」奴佳鞮が頷いた。
弥馬獲支が思い出したように言った。
「羽の国は、まだまだ北に地続きにござれば、そちらの方やも?」
その場の全員が弥馬獲支を見つめた。
大巫女は告げた。
「北に重点をおこう。民の集まるところに、彦尊もおるやも知れぬ」
※
それから、さらに一月が経った。
山の端には薄っすらと白いものがかかる。
風が冷たく身を刺す。
邑にも雪がちらつくようになると、
ウヅは兵糧に加えて稲わらを運ぶことが多くなった。
兵たちは、それで蓑や笠を作ったり、繕ったりした。
ある日、邑に戻ったウヅを、珍しく大巫女が外に出て出迎えた。
「陣中を見回っておったのじゃ」さらに続けて呟いた。
「これやも知れぬな……」
「何がでございますか?」ウヅが尋ねると
「羽の彦尊の狙いじゃ。雪に閉ざされれば、我らは大軍……たちまち飢えてしまう」
大巫女は思いつめたような表情を浮かべた。
「ウヅ、次は護衛を増やす。沢の砦の兵糧は、あらかた運び込もう」
「分かりました」
ウヅは頭を下げて言った。
※
そして、その日――
ウヅは自ら輸送隊の先頭に立ち、雪を踏みしめて道を切り拓いていた。
吹きすさぶ風が、木々の間を縫って唸る。
一歩進むたび、足元が沈み、兵たちは何度も転びながら進んでいた。
道は狭く、両脇は崖か林。荷車もつかえて動かなくなることが多くなった。
「ウヅ殿、前より風が強うなりました」
「……はい。全員、止まらず進んでください」
寒風に顔を打たれ、頬は切れるように痛い。
だが、迷いはなかった。
(これは、試されているだけだ……)
この任務は、物資を届けるだけではない――
戦に勝つために必要な、「和を守る力」そのものだ。
「我は、和の剣……」
そう呟き、ウヅは自らに言い聞かせる。
※
その夜は、谷間の木立の中に野営した。
凍えた兵たちが火を囲み、濡れた草履を脱いで火にかざしている。
湯も飯も、十分にはない。
ウヅは自ら一巡して、全員の様子を確かめた。
すると、後方から兵が一人、息を切らして駆け込んできた。
「襲撃です!羽の残党が……!」
ウヅは即座に剣を抜いた。
しかし、焦りはなかった。
「全員、荷車を囲んで守って!」
林の中から、闇に紛れた敵兵が矢を放ってくる。
だが、ウヅは見抜いた。
(風が強い……この角度なら、あの丘の上……)
「五人、右の丘へ! 僕と来てください!」
走りながら、雪を巻き上げて進む。
白い世界の中、足は深く沈んだ。
辿り着くと、敵の足跡だけが残っていた。
ウヅは再び陣へと戻った。
凍えきった兵たちは、だれからともなく拍手を送った。
ウヅは、ただ静かに頷いた。
(……僕は、もう迷わない)
月が、雪原にかすかな光を落としていた。
※
次の日――
雪がすべてを覆い尽くしていた。山道も、木の根も、兵の足跡さえも。
風が吹けば、ただ白く舞う。
木々は押し黙り、空も曇り、時が止まったかのようであった。
その中を、ウヅが率いる部隊は一列になって進んだ。
荷駄を抱えた兵たちは、黙々と雪を踏みしめていた。
「……ウヅ殿、もう二里以上、進みました」
「荷車が、また動かなくなりました」
報告の声は、凍てついた空気にかき消されそうになる。
「動けなくなった者を残してきました。凍え死ぬのも時間の問題かと……」
ウヅは足を止めた。前を向いたまま静かに答える。
「わかりました。雪庇を掘って、火を焚いて。交代で温めてください」
部隊は整然として見える。
雪深い道なき道を進む隊列に、叫ぶ声も、混乱もない。
(それは、寒さのせいだ……)
ウヅは隊列を返り見ながら思った。
だが、兵たちは不思議と心を預けてくれる。それはウヅにとって救いだった。
(風が変わった……)
ウヅは、道の向こうの谷に顔を向けた。
雪面に浮かんだ微細な亀裂。その先の斜面の一部が、ごくわずかに盛り上がっている。
「止まって!」
振り返らず、短く叫んだ。
次の瞬間――
ゴゴゴ……ッ!
小さな雪崩が谷をなだれ落ちた。
もしあと三歩、進んでいれば……数人は飲み込まれていただろうか。
背後で、兵の一人が呟いた。
「巫女殿の……勘か……」
ウヅは息を吐き、何事もなかったように振り返った。
「道を変えます。こちらへ」
だれも逆らわなかった。
この極寒の山中では「女だ男だ」が意味をなすことはなかった。
そこにあるのはただ、雪という理。
そして、意志をもって進む者のみだった。
※
邑に辿り着いたウヅは、大巫女以下総出での出迎えを受けた。
弥馬獲支と奴佳鞮は、ただただ無言で頷いていた。
大巫女がウヅを労った。
だが、弥馬獲支は苦笑いを浮かべた。
「これでしばらく兵糧の心配はございませぬな。あとは……」
「いかがなさったのですか?」
ウヅのその問いに、大巫女は指差して答えた。
「あれじゃ。雪の重みで兵舎がひとつ、潰れてしまった……」
見ると、こんもりと盛り上がった雪の間から木の柱が覗いている。
「我らはこの地の勝手を知らぬ。急がねばならぬやも知れぬ……」
ウヅは言った。
「ならば、僕にお任せ下さい。思うところがございます」
大巫女と二人の将は互いに見合った。
やがて、大巫女が口を開いた。
「雪の中での立ち話では済むまい。その話、中で聞かせよ」
三人は振り返ると、先に館へと歩みだした。
ウヅは一歩踏み出してから、背後を振り返った。
降りしきる雪に霞むその向こうには、黒く大きな影があった。
夏の間も白いものを被っていたその霊峰は今、装いを新たにしてたたずんでいた。
ウヅは、その山をじっと見つめた。
前から呼ばれているような気がしていた。
だが、今のウヅには確信に近いものがあった。
お読みくださりありがとうございました。
雪は残酷ですが、平等でもあります。「理不尽の中で、自分を信じ続けた」人のお話でした。
次回「第60話 羽越の大将〜僕の名は〜」
いよいよ物語はひとつの頂に辿り着きます。
(月曜20時ごろ更新予定です)




