第58話 羽越の大将〜我、征くべきは〜
羽の彦尊の本拠へと進軍する香取の軍。だが、邑は燃え落ちた。
そして、香取の大巫女は兵を「ある地」へと導く。
ウヅは己と、大巫女と、そして「自分の道」と静かに向き合う――
正始三年七月某日――
香取の大巫女は軍勢を率い、羽の彦尊の本拠に迫った。
ウヅも弥馬獲支と並び、その隣りを進む。
途中、越の国から来た奴佳鞮の一軍も合流した。
総勢三千となった兵は高台に陣取り、遠く敵の邑を眺めていた。
夜、その方角に大火がおこった。
ウヅは陣中に立ちつくし、その紅炎を見つめていた。
香取の大巫女も、手にした大刀を地に突き立て、黙したまま見つめている。
弥馬獲支と奴佳鞮は、その脇に立った。
皆、黙ってその火を見つめていた。
翌朝、燃える邑を見に行った斥候が戻った。
「邑は、焼け野原でございました。
人の姿はなく、一人残らず逃げ去ったようにござりまする!」
大巫女は黙って頷いた。
「ご苦労!」と弥馬獲支が声を張り、その斥候を労う。
奴佳鞮は唸った。
「羽の彦尊め……降れば良いものを……」
弥馬獲支は尋ねた。
「大巫女様、いかがいたしましょう?」
大巫女は少し間を置いてから、静かに答えた。
「邑に入ろう。焼け出された民の中には、戻ってくる者もおるやも知れぬ」
「承知いたしました。全軍に指図いたします」
弥馬獲支はさっと頭を下げると、奴佳鞮とともに天幕を出ていった。
さっそく、兵たちを指示する大声が、天幕の内にいたウヅの耳にも届いた。
大巫女はゆっくりと床几に腰を下ろした。
「ウヅよ。己の国を焼く……そのような者の申すことに、真があると思うか?」
ウヅは答えられず、黙っていた。
だが、心の中に刺さっていたものは、静かに外れていくような気がした。
※
焼けた邑を眺めながら、大巫女は静かに告げた。
「ここまで参ったからには、征かねばならぬ地がある」
弥馬獲支は即座に応じた。
「さようにござりまする。
兵には傷んだ者、病む者も多うござれば、その者らも連れてまいりましょう」
その言葉に、大巫女は頷いた。奴佳鞮も頷いていた。
ウヅは首を傾げた。
(傷病兵を連れて出兵?……どこへ?)
こうして、一部の兵を残し、向かった先は――
地獄のような風景が広がっていた。
山が両脇に迫り、その谷間を流れる川は煙を立ち上げている。
周囲の岩は黄色く染まり、ウヅがこれまで嗅いだことのない気が立ち込めていた。
ウヅの目は、自然と丸くなった。
大巫女は石に腰掛け、大刀を片手にぞろぞろと歩んでゆく兵らを眺めている。
弥馬獲支と奴佳鞮が大声を張り上げる。
「ゆっくり浸かって、英気を養うのじゃ!」
「ここの高湯は、怪我にも病にも効く! 傷口もようく浸すが良いぞ!」
やがて二人は、大巫女の元に戻ってきた。
「ウヅ殿も行かれよ。腕の傷にも効きますぞ」弥馬獲支が言う。
「でも……」ウヅは戸惑った。
「女湯もありますゆえ……」奴佳鞮はにっこりと笑った。
「行って参れ」大巫女がウヅを見上げて言った。
「では……」と言うと、ウヅも高湯へと向かった。
ウヅが離れてゆくと、二人の武将は薄く笑いながら大巫女を見つめた。
弥馬獲支が尋ねた。
「大巫女様は、参られませぬのか?」
「我はよい」
「そんな……大巫女様もお好きでしょう?」
「さよう。お疲れもございましょう。痩せ我慢はいけませぬ」と、奴佳鞮も続く。
大巫女は二人を交互にじっと睨んだ。
「そなたら……何を企んでおる?」
「ちと、お耳を拝借……」
弥馬獲支は大巫女の耳に手を当てて、何事か囁いた。
大巫女はすっくと立ち上がった。
「そういうことなら、我も行って参る」
「それがよろしゅうございまする」
弥馬獲支と奴佳鞮は揃って頭を下げた。
※
「良かった……大巫女様が入らんのでは、我らも入れぬでのう……」
弥馬獲支は湯に足を差し込むと、吐き出すよう言った。
奴佳鞮は湯の中に寝そべり、岩に頭を置いて目を閉じた。
「ここまで来て入らぬのでは、死んでも死にきれぬ……」
「この数年、戦続きじゃったからのう……沁みるのう……」
「うむ……汝も苦労じゃったのう……Zzz……」
「……汝こそ……Zzz……」
二人はそのまま目を閉じて、しばらくは動かなかった。
※
ウヅは湯に沈みながら、遠くの景色を眺めていた。
ゆったりと湯に浸かる兵たちの姿が眼下にあった。
だが、その様子を見るのは気が引けた。
「ウヅ……一人か」
その声に振り返る。大巫女が湯に片足を入れていた。
ウヅはさっと目を逸らした。
だが、大巫女はウヅの近くに歩み寄ってきた。
そこで腰を落とすと、軽く握った両の拳を高々と掲げた。
「ううぅぅぅん……生き返るぅ……」
次には、すっと手を下ろし、縁の石に肘をついた。
ウヅは尋ねた。
「大巫女様は……あの、その……平気なのですか? 僕と一緒で……」
「なにを……生娘じゃあるまいに……」
大巫女は肘に顎をかけて寝そべっていた。
ウヅは一瞬、首を傾げたが、そのまま黙した。
「……いかがいたした?」
「はい。その……羽の彦尊は、僕を『汚い顔だ』と申しました……」
「それはの……」大巫女は、ぽつりと言った。
「そなたに惚れておる」
「ごほっ!……けほっ!……」ウヅは思わず咳き込んだ。
「大事ないか、ウヅ?」
大巫女はウヅを横目で見て言った。
「じゃが、あの男はダメじゃ。絶対にいかんぞ」
「心得ております……」
ウヅは赤くなって頷いた。
大巫女は、ふっと息を吐いた。
「以前、弥馬升がの、『ウヅを息子の嫁に……』と申し出たのじゃ」
「……コタロウ殿の?!」
ウヅは思わず振り向いた。
大巫女は続けた。
「じゃが、断った。香取の大巫女を継がせることになるやも知れぬ……とな」
「僕に?!」ウヅは目を丸くした。
「うん。ふふふ……」
香取の大巫女は座り直すと、両手で湯をすくった。
それを、バシャッと自分の顔に当てる。
「あ〜あ……この地の大巫女になりたい……。そうして毎日、ここへ参るのじゃ……」
「あ、あの……大巫女様……?」
「ああ……でも、大巫女は嫌じゃな……普通の巫女が良い……」
「大巫女様?!」
「うーん……なれど、今さら誰かの下につくのも嫌じゃ……ウヅ、代わってくれぬか?」
「大巫女様!!」
「……冗談じゃ……」
大巫女は静かに笑った。
ウヅは意を決して尋ねた。
「大巫女様は何ゆえ、香取の大巫女様を志されたのですか?」
「うん?志してなどおらぬ……阿蘇の大巫女様が『行け』と仰ったからじゃ……」
そう答えると、大巫女は目を開けた。
ウヅは続きを待った。
だが、大巫女は黙したまま、じっと遠くを眺めていた。
◇◇◇
香取の大巫女が『香取の大巫女』になった日――
そこは阿蘇の社のほど近く、人気のない森の中にたたずむ、小さな祠だった。
阿蘇の大巫女は、静かに襖を開けると、居並ぶ二人の巫女を見下ろした。
「タマヨリ、フツ、息災じゃったか?」
フツとタマヨリは深々と頭を下げた。
まず、フツが口を開いた。
「本日は、恥を忍んでまいりました……」
阿蘇の大巫女は、フツの傍らに置かれた籠を見て尋ねた。
「その子は?」
「私が産みました。本日お越し願いましたのは、お暇を賜りたく……」
「大変なことになったのじゃ」
そう言って、阿蘇の大巫女はフツの言葉を遮った。
続けて、二人の巫女に告げた。
「伊勢の大巫女様がお亡くなりになられた。……タマヨリ」
「はい」
「そなたは大巫女として、伊勢へ参れ」
「えっ……私が?!」タマヨリは目を丸くした。
阿蘇の大巫女は頷いた。
「そなたじゃ……そして、フツ」
「はい」
「そなたは、香取に行って欲しい」
「カトリ……?」
「うむ。この度、東国の王らもヤマトに加わることとなったのじゃ」
フツは黙したまま目を伏せた。初めて聞く地名だった。
阿蘇の大巫女はさらに続けた。
「その子は、我に預けよ。いずれ巫女にいたす。……悪いようにはせぬ」
フツは手をついたまま、しばらく考えた。
それから数日後、フツはタマヨリとともに奴津を発った。
香取の大巫女が阿蘇から着任したのは、その一月後だった。
◇◇◇
大巫女はまだ、黙したまま目を閉じている。
その間も、ウヅは大巫女を見つめ続けていた。
(大巫女様が物思いにふけっていらっしゃる。よほどのお言いつけだったのね……)
大巫女は、おもむろに口を開いた。
「……その時はな、『我が道は、これ他なし』と思うたのじゃ」
(――やはり!)
その静かな一言は、ウヅの胸に重く響いた。
ウヅはひとり頷きながら、もう一つ尋ねた。
「大巫女様には、元から武術の嗜みがおありだったのですか?」
「少しはな……じゃが、香取の者どもは強うて強うて……」
大巫女は膝を抱えて目元まで湯に沈むと、ぶくぶくと言って、また浮き上がった。
「……今のウヅのほうが、よほど強かろうぞ」
「大巫女様……もう、お赦しください……」
「ふふふ……」
ウヅはうつむいた。
大巫女は小さく笑った。
その後、二人は静かに、山の間から覗く空を眺めた。
夏の陽光が注ぐその中を、小さな鳥が数羽、群れながら駆けて行く。
その行く先を、二人の巫女はいつまでも見つめていた。
お読みくださりありがとうございました。
戦の中での成長譚も良いのですが、こういう話も大事じゃないかな?と思っております。
次回「第59話 羽越の大将〜試練の雪〜」
覚醒したウヅに新たな試練が立ちはだかります。
(木曜20時ごろ更新予定です)




