表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/48

第6話 台与 vs 司馬懿〜襄平の戦い〜【後半戦】

リベンジ成功で台与様と司馬懿の囲碁七番勝負は続く

後のない台与様、対するは本気になった司馬懿。

そして勝敗の行方を左右する、あの人物の影がーー。


ーー仲達!


(……誰ぞ、余を(あざな)で呼ぶ者は……?)



時は景初二年八月某日。

司馬懿は、台与が一手打つ度に、誰かに呼ばれているような気がしていた。


台与と司馬懿の囲碁対決は、この日、五局目を迎えた。

長雨は止み、幕舎の外には清々しい陽光が降り注いでいた。



ーー仲達、仲達!



司馬懿は、思わず顔を上げた。


そこには台与が、澄ました顔で座っていた。

少し不思議そうな顔でこちらを見ている。


傍には、いつも通り司馬昭と、通訳の金玄基(キム・ヒョンギ)がいた。



(……気のせいか……)


司馬懿は気を取り直して盤面に目を落とした。


    ※


対局は中盤に差し掛かっていた。

台与の石は小さく、盤面の隅に点在していた。

表面上は、弱く、意味がないように見えた。



「台与殿、端を固めるのは宜しいが、ちと目が少ないのではないか?」


司馬懿は、台与を諭したつもりであった。

だが、台与は澄まし顔で少しだけ微笑むばかりであった。


(何か考えがありそうじゃな……)


一方、司馬懿は、盤面の中央に大きな模様を築き、圧倒的に優勢であった。


(このまま、押し切れば勝てる……)


中央を制圧する方針を選んだ。


    ※


台与は、この日も司馬懿顔の亀甲を携えていた。

お守り代りに……いや、霊験あらたかと言うべきか。

考えているふりをして、亀甲の紋様と司馬懿の顔を見比べた。


(今日は……司馬懿様には、似てないような気がする……)


亀甲の紋様が、変わっているように見える。

正面から見ると、笑顔に。

左に傾けると、鬼の形相のようにも見える。

右に傾ければ、泣いているようにも見えた。


(誰だろう……会ったことない人かな……?)


台与の疑問は解けなかった。


(……碁とは関係ないし……)


台与は着手した。


    ※


「よく来てくれた、司馬仲達!」


ハッ!……文帝……曹丕(そうひ)様……?

司馬懿は、光の中に吸い込まれていた。


「我が師になって欲しい」


仕官してこの方、そんなことを言われたことは一度も無かった。


「……滅相もござりませぬ……私のような者が……」

「お主がよいのだ、仲達!」

「殿下……」



初めて曹丕に呼ばれた時のことだった。


立太子危うし、不安定な立場の王子……宮中ではそう言われていた。

にもかかわらず、曹丕は屈託のない笑顔を見せて、司馬懿にそう言った。


その司馬懿も、いつクビになるか分からなかった。

学識には自信があった。実務にも、だいぶ慣れた頃だった。

だが、宮廷の風は冷たかった。


曹丕は、そのようなことを一切、気に留めなかった。

立場にも、利害にも囚われない、友のような主従……


    ※


ーーはっ!



(いかん……また昔のことを……)


司馬懿は我に返ると、少し目を擦ってから盤面を見つめた。


ぱちり……(なぜだろう?歳のせいかな……?)


司馬懿は、台与の手番を待つ間、自分が打った手をもう一度見返した。


(大丈夫、打ち間違えてはいない)



台与の右手が、白石を打とうとしているのが見えた。


    ※


「仲達、こっちだ!」



「ああ……殿下、そちらは……!」


司馬懿は、曹丕の鹿狩りに付き合っていた。

ふと猟場の片隅に立つ古い石碑に目を止め、曹丕は駆けて行った。

司馬懿は慌てて後を追った。


「見よ、仲達。」曹丕は苔むした表面に手を置いた。


「この石は幾度となく壊され、削られて、なお民はここに集う」



その眼差しは石碑ではなく、遠い未来を見据えているようだった。

司馬懿は隣で黙ってその横顔を見つめ、胸の奥に静かに刻んだ。


    ※


ーーはっ!


司馬懿は再び我に返った。

盤面を見つめると、いつの間にか台与の石が連携し始めていた。


(いかん、切るべきか?……否、地を固めれば勝てるはず……)


司馬懿は手を打った後、目を瞑り、唸った。


台与の手番だ。碁石を打つ音が甲高く響く。


    ※


ーー仲達、それは!



「……本当に、民の声なのか……?」


司馬懿は、曹丕に決断を迫った。


「魏王ーー玉座に昇り、万民を安んじ賜りますよう」


「しかし、それでは父上と……武王と同じではないか?」


「ご決断を。時勢は、徳者の政を求めておりまする」


否、『私が』天子となった貴方を求めているのですーー


    ※


ーーはっ!


司馬懿は、少し目が乾くのを感じた。


「……台与殿、手番ですぞ」

「えっ?……司馬懿様の……手番です」台与は目を丸くしている。

「む?……そうか……」


ぱちり……。(……今日は本当に具合が悪いのやも知れぬ……)


ぱちりーー


    ※


「……石は……動かず……語る……」


曹丕は最期の時を迎えていた。


「……仲達……叡を……魏を……頼む……」

「ご案じなさりませぬよう。この仲達、身命に代えましても……陛下?」


陛下?!ーー


    ※


ーー陛下!!


「いかがなされましたか、父上?!」


司馬昭の声で我に返ると、司馬懿は脇を抱えられ中腰になっていた。


盤面では、台与の地が完全に繋がっている。

挙句、中央の陣地も崩されてしまっていた。


司馬懿は目を疑った。そして司馬昭に尋ねた。


「……何が起こった?」

「目を見張るような、台与殿の指し回しでございました」


「……信じられぬ……」

「それは……いささか、台与殿に失礼かと……」


司馬懿は、なかなか受け入れられなかった。


    ※


台与たちが解放された後の本営幕舎は、がらんとしていた。


幕舎の外では、司馬懿が手を後ろに組み、立ちすくんでいる。

その目には滝のように涙が流れていた。


(……童に負けて、そんなに悔しいのか……?!)


司馬昭は、目を丸くして父の様子を見つめながら、唖然とするばかりであった。

司馬懿の視線の先には、先の皇帝、文帝曹丕から賜った師旗が掲げられていた。



    ※


次の日ーー


金玄基は、難升米と張政の帳幕に来ていた。苦情を述べるためであった。


「いつになったら、洛陽に向かえるのですか?」

「それが……」


珍しく、張政は言い淀んでいた。


「公孫淵が出撃する気配があるのです……皆様の安全を考えますと……」


今はまだ出発できない、と言うのだった。


「そんな……もう長く足止めです」


難升米は食い下がったが、張政も譲らなかった。


「司馬太尉の厳命なのです……申し訳ござりませぬ」


しばらく口論になったが、司馬懿の命令とあっては動かしようもない。

難升米は肩を落として、自分たちの帳幕に戻って行った。


難升米を見送りながら、張政は金玄基に言った。


「おい、玄基。俺に食ってかかるのは、十年早いぞ」


    ※


それから一週間後ーー


司馬懿は、伝令から報告を受けていた。


「ーー申し上げます!」

「報告せよ」

「ーー敵、動きありません!」

「ご苦労」

「ーーはっ!」


伝令が去ってゆくと、

隣で聞いていた司馬昭が進み出て言った。


「今日も、動きそうにありませぬな……」


司馬懿が振り向くと、

司馬昭は声色を変えた。


「倭の使節が、『洛陽に向かわせて欲しい』と申しております」


「ならぬ」司馬懿は即答した。

「……しかし、大勢既に決しております。補給路も万全……不安はございますまい?」



司馬昭の問いに、司馬懿はその目を鋭く光らせた。


「彼奴等に、見せねばならぬものがある……」


遠くの襄平の城を眺めながら、さらに続けた。


「我が魏の威光を示さねばならぬ……王化のためでもある……」



それはそうと……と司馬昭を向き直ると、司馬懿は言った。


「余は、余の戦を始めよう……台与殿を、呼んで参れ」


    ※



ーーぱちり。



本営幕舎に、碁石の音が響く。


「……今更ながら、台与殿は……」


対局中にもかかわらず、この日は台与も司馬懿もよく喋った。


「お国では、どのようなお立場であろうか?」司馬懿が台与に尋ねた。

「大巫女様にお仕えする巫女です」台与は短く返した。


「大巫女様とは、倭国の女王様のことです」金玄基は司馬昭に耳打ちした。

「……とのことです」司馬昭はそれを司馬懿に耳打ちした。


こうしている間にも、台与も司馬懿も手を止めず、石を打ち続けている。



司馬懿と台与との問答が始まった。


「ほう……倭国には帝も王もないのか?」

「我らの国を治めるのは、神です」

「魏では、神とは天子のことをいう」

「我らの国の神は、全ての人々のために在ります」

「帝王は、乱れし世に秩序をもたらす柱。すなわち、民のためにある」

「……」


それからは、台与も司馬懿もしばらく無言で打ち続けた。



司馬懿は、理想も信念も、もう揺るがない……と自分では思っている。

年齢を経て、柔軟性は既に無くなっていたが、迷いもなかった。

自分は残りの人生を魏のために尽くすのだ……。

それは、先帝の恩に報いるため。ひいては、民のため……そして自分自身のため。

故に、己を捨て、忠を尽くす。それが、天意に沿う、人間の生き方。

もう迷うこともない、我が人生……。



台与は、先ほどから司馬懿の手筋が揺れているのを感じていた。

硬直したり、弱くなったり、迷っている。

膝に置かれた司馬懿顔の亀甲を見ると


(今日は……表情がない……)


まるで仮面のようであった。


「恐れながら、司馬懿様……」


台与はおもむろに口を開いた。

司馬懿が台与に目を向けた。一瞬見合ってからーー



ーーぱちり!(敗れたりっ)



司馬昭が持っていた茶碗を落とした。

金玄基は頬張ったばかりの饅頭を飲み込んでむせた。

「……っ……!」司馬懿は、言葉にならない声を上げ、盤面を見つめていた。



「石は、動かずとも語ります」



台与は微笑みを浮かべながら、深々と一礼した。



司馬懿は卓に手をついて立ち尽くしながら、しばらく台与を見つめていた。

やがて、呟くように


「……ふむ。興味深いことをおっしゃる」


と言うと、目を細めながら、台与から取った白石を盤面に置いた。


    ※


間もなく日が暮れるーー


(……倭の童が、先帝と……曹丕様と同じことを、申した……)


司馬懿は幕舎の前口に立ち尽くし、呆然と、帰ってゆく台与を眺めていた。


「父上……らしくないですな……」


司馬昭が心配そうな顔をして声をかけた。

司馬懿は、司馬昭を振り返って言った。


「昭よ……余は今日、ついに……我が道を見出したのだ」



台与は帳幕へと歩きながら、懐にしまった亀甲をそっと握りしめた。





お読みくださりありがとうございました。

司馬懿ってどういう人だったんだろう?と考えたら、こうなっちゃいました。

次回は、台与様 vs 司馬懿!の最終戦です!

(木曜20時ごろ更新予定です)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ