第57話 羽越の大将〜剣と祈り〜
柵に戻ったウヅに、大巫女はある密命を託す。
それは、「戦の別働」。揺れる心で挑んだ砦の戦い――
その中で、ウヅは剣と祈り、そして「自分自身」を見つけてゆく。
それから、一月後――
ウヅは弥馬獲支とともに、兵を率いて大巫女の待つ柵へと戻った。
大巫女は笑みを浮かべながら、柵に設けた仮屋に二人を迎えた。
弥馬獲支は、大巫女の前に両手をつくと、声を張り上げた。
「越の国の衆は皆、降りましてござりまする。
羽の国との境は奴佳鞮殿にお任せし、戻ってまいりました」
「ご苦労……」
大巫女は静かに尋ねた。
「ウヅは足を引っ張らなんだか?」
弥馬獲支は顔を上げると、大声で笑った。
「引っ張るどころか!
ウヅ殿のご活躍、天晴と申し上げる他なし。
下手な男より、よう働きましてござりまする!」
香取の大巫女は、口元を押さえて横を向くと、小さく呟いた。
「くくく……『下手な男』……そなた、何も存ぜぬのじゃな……」
「は?」
弥馬獲支は目を丸くした。
大巫女は笑ったまま、弥馬獲支を見つめた。
「香取の衆は皆、つわ者……『下手な男』などおるまい、と申したのじゃ」
「ははは! 左様でございましたな!」
ウヅもうつむいて、小さく笑った。
大巫女は、次にウヅを見つめた。
「ウヅもご苦労じゃった」
ウヅは静かに両の手をついた。
弥馬獲支が、大巫女に尋ねた。
「ところで、大巫女様……羽の彦尊は、こちらには現れませなんだか?」
「こちらは変わりなかったぞ」
弥馬獲支は唸った。
「それは……妙ですな。
羽の彦尊は、我らがこの地におりますこと、すでに存じておるはず……」
大巫女は尋ねた。
「彼奴は……来るか?」
弥馬獲支は頷いた。
「おそらくは……」
ウヅは、二人の真剣な眼差しを交互に見つめた。
もうすぐあの男が現れる……。
(今度こそ、決着をつけてやる……)
ウヅは膝に置いた手を固く握りしめた。
※
数日後――
果たして弥馬獲支の予想は当たった。
伝令が声を張った。
「羽の彦尊が軍勢を率いてこちらに向かって参ります! その数、およそ千!」
大巫女はそれに黙って頷くと、弥馬獲支を振り返った。
「来たの……」
「我らは二千。迎え撃ちましょう」
弥馬獲支が即座に答えた。
そこに、ウヅは割って入った。
「ここは、僕に先鋒をお命じ下さい!」
大巫女は片膝をついて控えるウヅをじっと見つめた。
「――ならぬ」
ウヅは思わず顔を上げた。
「何ゆえにございますか?!」
大巫女はゆっくりとウヅの前に膝を折ると、その目を見つめた。
「……そなたには頼みがある。
峠を越えたところに、羽の砦がある。我らが戦をする間、そこを奪え……」
ウヅは二の句を告げず、大巫女の目をじっと見つめた。
他意も含意の色もない眼差しだった。
弥馬獲支が静かに尋ねる。
「別動ですか?」
「うむ」
大巫女はすっくと立ち上がった。
「やってくれるか?……ウヅ」
「はい!」
ウヅは大きく答えた。
ウヅがその場を去ったあと、弥馬獲支は大巫女に尋ねた。
「大事なお役目……ウヅ殿で大丈夫でしょうか?」
大巫女は振り返った。
「やってもらわねばならぬ。それに……
そなたの話では、まだ羽の彦尊には会わせぬが良かろう」
※
ウヅは大巫女の軍と別れると、手勢を率いてひとり山道を進んだ。
もうすぐ夏の頃であったが、風は涼やかだった。
峠を守る味方と合流し、山を下る。
そうして見えてきた砦は……空き家同然だった。
戦の間、ウヅは夢中に剣を振った。
だが、敵が逃げ散ったあとは、その場に立ち尽くし、肩を震わせた。
(大巫女様は……僕を信じていないのだろうか……?)
その時、数人の百人隊長が寄ってきた。
そのうちの一人は、うつむくウヅの肩を力強く叩いた。
皆、口々にウヅを励ました。
「大お手柄ですぞ!」
「大巫女様がいらっしゃるまで、ここを守りきれば、この戦も終わりじゃ!」
ウヅは彼らを振り向いた。
彼らはすでに、自分たちだけで輪になって叫び合っていた。
※
その数日後――
「夜討ちじゃ―!」砦中にその声は轟いた。
ウヅはとっさに剣を取り、表に出る。
柵のあちこちに火矢が打ち込まれ、辺りは昼間のように明るかった。
「そっちに行ったぞ! 追えー!」
その声が響いたかと思うと、ウヅに向かって走ってくる人影があった。
ウヅは剣を構えた。
「羽の彦尊!」
叫ぶと、人影は足を止めた。
「また汝か……巫女のくせに!」
叫びながら向かってくる。
ウヅは相手を見据えて呟いた。
「巫女のくせに、とは言わせません。祈りも剣も、和を守る力です……!」
――キーン!
稽古の動きで、ウヅの剣が相手の胴を払う。
だが、それは相手の鎧に弾かれた。
(――しまった!)
ウヅが振り返ると、羽の彦尊は高々と剣を掲げていた。
その顔には満面、笑みがあった。
まるで、狙った獲物をようやく取った喜びに浸る狩人のようだった。
やがて、その腕が振り下ろされた。
ウヅは、とっさに剣を振った。剣と剣が重なる。
彦尊はさらに剣に力を込めた。
剣先が、徐々にウヅの顔面に迫ってくる。
「汝のその汚い顔を傷ものにしてやろう……」
そう言う彦尊の目は、どこか追われて逃げ場を失った獣のようでもあった。
ウヅは相手の剣を跳ね返そうと、さらに左の腕も添え、自分の剣を必死に支えた。
その時だった――
――ヒュン・ヒュン・ヒュン……!
無数の矢が、羽の彦尊に向かって飛んで来た。
彦尊が腕を振り回し己を庇う。
なんとか避けきると、向きを変えて走り出した。
ウヅはゆっくりと立ち上がった。
振り返ると、剣を手にした大巫女が立っていた。
「――ウヅ! 大事ないか?!」
弓を手にした味方の兵が、ウヅの脇を走りすぎてゆく。
やがて、大巫女とともに数名の兵が走り寄ってきた。
ウヅは剣を下ろして頭を下げた。
「大巫女様……大事ございませぬ……」
大巫女はウヅを抱きしめた。
「ウヅ……ようやった……ようやったぞ」
ウヅの心は宙に浮いた。
目の焦点も定まらない。
だが、鎧越しに温もりを感じたような気がした。
「いっ!」
ウヅは思わず悲鳴を上げた。
よく見ると、左の腕から血が滴っていた。
「引けぇ!」
遠くからあの男の声もする。
(……逃がしてしまった……)
ウヅは傷よりも、悔しさに顔を歪めた。
※
翌日――
大巫女は、ウヅの腕に巻き付けた包帯を縛りがなら、ため息をついた。
「無理をさせてすまなかった……いい女が台無しじゃな……」
「大巫女様まで……」
ウヅは、小さく笑んだ。
「大巫女様……我は、女になるのはやめました……」
「ん?」と、大巫女がウヅの目を見つめた。
ウヅは続けた。
「我は、女でも男でもない。ならば……我は、和の剣になります」
大巫女は、しばらく黙したままウヅを見つめた。
「よう申した。それこそが……ウヅじゃ」
「はい」
大巫女のその言葉の意味を噛み締めながら、ウヅは頭を垂れた。
ウヅの心には、その日の空のように、雲一つなかった。
晴れやかだった。
「僕は……僕ですから……」
その自分自身の小さな呟きに、ウヅは頷いた。
心の底から、そう思えたのだった。
お読みくださりありがとうございました。
「和の剣になります」――なかなか言えないですね。
これを言えることを勇気というのかも知れません。
次回「第58話 羽越の大将〜我、征くべきは〜」
ウヅが征くべき道を定めます。けっこう熱いお話です。
(月曜20時ごろ更新予定です)




