表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/61

第55話 羽越の大将〜鏡合わせの敵〜

香取の軍勢、いざ決戦へ。だが、ウヅの心には大きな虚無があった。

その空虚さを一瞬で満たしたのは生涯の宿敵「羽の彦尊」。

彼の言葉は、ウヅの最も奥深い場所をえぐり、理想の自分を打ち砕く――


正始三年三月某日。香取の宮――


そこでは、香取の大巫女を前に、弥馬獲支(みまかくき)とウヅが顔を揃えていた。

弥馬獲支は頭を下げたまま言った。


「越の国に、羽の彦尊が現れました」

「そうか……」


大巫女は短くそう答えた。

弥馬獲支は、にやりとして顔を上げた。


「越は奴佳鞮(なかてい)殿が防いでおりまするゆえ、我らは彼の地に参りましょう」

「念には念……援軍を送ろう。じゃが……」


大巫女も、にやりと笑った。


「いよいよじゃな……」

「はっ。仮造りではございまするが、柵も出来てございまする」


大巫女は頷くと、ウヅに顔を向けた。


「ウヅ、此度は決戦じゃ。心してかかれ……」

「はい」


ウヅはそう答えると頭を下げた。

「彼の地」とは何処なのか、知らなかった。

心は幾分、以前よりは軽かった。

だが、どこかぽっかりと、大きな穴が空いているような気もしていた。



この数日後――

香取の軍勢は、ふたたび北へと向かった。


    ※


大巫女たちが「彼の地」と呼ぶ地に着くと、

弥馬獲支は、周囲を取り囲む山々を指差した。


「あの山を越えれば、羽の国に至りまする。

 西には大河あり、越の国に至りまする」


大巫女は黙って頷き、次に尋ねた。


「羽の彦尊に知られる前に、彼奴の根城を攻めようか?」


弥馬獲支は立ったまま頭を下げた。


「当地には、まだ雪が残っておりましょうゆえ、深入りは危険。されど……」


大巫女は黙したまま続きを待った。


「越の国に出て、彼奴らの退路を脅かすは、一興かと」


大巫女はにやりと笑った。


「柵の守りは、我に任せよ。弥馬獲支、ウヅ、頼んだぞ」

「はっ」


弥馬獲支は声を張り上げた。

ウヅは急に名を呼ばれて、はっとした。

急ぎ、頭を下げる。


「はい、お任せ下さい!」


大巫女は目を細めた。


「ウヅ、気負うでない。弥馬獲支の申すこと、よく聞くのじゃぞ」

「はい!」

「……では参ろうか。ウヅ殿は巫女じゃが、剣も触れるし頼もしい」


弥馬獲支は目を細めて歩き出した。

ウヅは大巫女に無言で頷いてみせると、弥馬獲支の後を追った。


    ※


「奴佳鞮殿の部隊が、羽の彦尊の軍勢を追ってこちらに参りまする!」


斥候の報を受け、弥馬獲支は頷いた。

そして、ウヅを振り向いた。


「我らは、この地にて待ち伏せいたそう。

 ウヅ殿……さっそく大お手柄やも知れませぬぞ?」


ウヅは頷いた。

命じられたのは、五十人ほどの別動隊の先導。

自身にとって、初の隊長役でもあった。


その嬉しさもあり、ウヅの心は弾んだ。

この上、唆されてしまっては、その気にもなってしまう。


(まだ見ぬ羽の彦尊……だが、僕が討ち取ってみせる!)

(手柄は要らない。ただ、大巫女様のために……)


ウヅの気持ちは、時間が経てば経つほど、はやってゆく。

その時、伝令が叫んだ。


「羽の軍勢、見えました! 我らを避けて、北へ逃がれてゆきます!」


弥馬獲支は唸った。


「むむ……追うぞ! ウヅ殿は向こうに行け、先回りするのじゃ!」

「はい!」


ウヅは手を上げると、手勢と共に駆け出した。

山道をひたすら駆けた。


    ※


羽の彦尊を追うこと数日――


ウヅは手勢とともに山林の中を進んでいた。

兵の一人がウヅに告げた。


「この隘路を越えるともう羽の国にござる」


ウヅは頷いて、先の山道を眺めた。

辺りの残雪は固くなっていたが、踏めば足形を刻んだ。

だが、敵の足跡らしきものは見当たらない。


「敵はまだ通っておらぬ。ここで待ち伏せよう」


ウヅが近くの兵を振り返った、その時……

斥候が一人走ってくるのが見えた。


「背後から、敵兵数十名。まとまってこちらに来ます!」


ウヅは無言で手を上げ、それをゆっくりと下ろした。

手勢の兵が一斉に伏せた。


その男は、兵を率いて現れた。

甲冑に身を包んだ男が、ときどき後続を振り返りながら、ゆっくりと近づいてくる。

だが、急に立ち止まった。


(こちらの足跡に気づいたか――)

ウヅは右手を上げて立ち上がった。

手勢の兵が一斉に立ち上がる。敵兵らも一斉に身構えた。


だが、その男はウヅを見て静かに笑った。


「ははは……ヤマトは女子が小隊を率いるか……我も舐められたものだな」


屈強な体躯。獣のような面構え。


「羽の国の彦尊か?」ウヅは戸惑いながら尋ねた。

「小娘相手に名乗ってものう……」その男が低く唸る。


ウヅは静かに一歩、歩を進めた。


「我は香取の巫女――ウヅ。ここは通さぬ!」


彦尊は一瞬、黙ってウヅの顔を見つめた。

その眼が、侮蔑と嘲笑に満ちてゆく。


「巫女? 偽りを申すな。女にしては肩が太い。声も低い……」


その時、ウヅの背に冷たいものが走った。


「そうか、汝……『なり損ない』か……」


ウヅの顔が引きつる。剣を抜く手が止まる。

怒りで手が震えた。剣がカタカタと音を立てる。

香取の名を背負う者として、屈辱は受けない――そう思い、一気に抜いた。


「お黙りなされ。汝に言われる筋合いはない」

「ほら見ろ。剣を取れば、無様なものよ」


彦尊は剣を抜いた。


「美しさも、しとやかさも無い。何もかも中途半端な……奇妙なもの」


ウヅは踏み込んだ。

剣術では引けを取らない。訓練は積んだ。


(あの剣さばき……大巫女様のように!)


振り抜いた一閃は、彦尊の脇を切り裂いた。だが、それで終わらなかった。


「はっ!見苦しい。女のくせに力任せか!剣を飾りおって!」


彦尊の罵声が、ウヅの耳を打つ。


「その太い腕、もう隠すな。どう見ても、男の腕だろうが!」


心が揺らいだ。自分でも触れたくない場所を――えぐるような声。


(やめろ……聞きたくない……)


「女になりたいのか、男でいたいのか。どっちつかずの腑抜けめ!」


その一言で、ウヅの中の何かが壊れた。


「うるさいっ!」


感情のままに斬りかかる。

狙いを忘れ、間合いも狂い、足運びも……稽古のようにいかない。


剣の音が風を切った。


彦尊はそれを嘲笑いながら受け流すと、木剣のようにあしらい――


「これが、汝の『理想の女』か? 笑わせるな!」


ウヅの剣を弾き飛ばし、地面に叩き伏せた。



羽の彦尊は背を向けて走り出した。

ウヅの視界を泥が遮る。兜の中からも滴ってくる。


(……何も見えない!)


ウヅは兜を脱いで頭を振った。

足元の水たまりに映る、泥に塗れた自分の姿。


(……これが、僕?)


理想とした「強く、美しい巫女の剣士」の姿ではない。

そこには、言葉に操られ、感情に飲まれた、未熟な戦士の姿があった。

剣はもう、手にはなかった。


「あっはっはぁ! その汚れた顔を洗って出直して来い!」


羽の彦尊の大声が響く。

その後、弥馬獲支の軍が追ってきたが、羽の彦尊の姿はすでに遠くにあった。

弥馬獲支が寄ってきて、ウヅの肩に手を置いた。


「無事であったか。取り逃がしたが……まあ、何よりじゃ」


ウヅは大きく息をしながら、無言で頷いた。

取り逃がしたというより、あわや討たれていた――

ウヅにとっては、敗北だった。


    ※


陣に戻ったウヅは、天幕の中で一人うずくまった。

そこに、弥馬獲支が湯を湛えた木桶を持ってやって来た。


「ははは、ウヅ殿。戦場ではよくあること、気落ちなさいますな」


そう言って足元に木桶を置くと、さらに続けた。


「とにかく、体についた泥を落としなされ。せっかくの美女が台無しですぞ!」


弥馬獲支が大きく笑った。

そして、顔を寄せ、小さく尋ねた。


「それともウヅ殿も、我らと風呂に……入りませんよな?」


ウヅは黙って頷いた。

弥馬獲支は静かな笑顔になった。


「我も初めはそうでした。次があれば良しとせねば……」


そう言うと天幕を後にした。

ウヅは、その少し冷めた湯に布を浸し、身を清めながら呟いた。


「僕は一体、何を守るために戦ったのだろう?」


布についた土を洗い落としながら、また呟く。


「あの男の言葉を否定するためだけに……僕は剣を振るったの?」


身をひと拭きする度に、ウヅの心は重く沈んでゆくのだった。


お読みくださりありがとうございました。

これは言葉による戦いです。剣より鋭く相手をえぐっていると思います。


次回「第56話 羽越の大将〜戦場の静寂〜」

屈辱的な敗北を喫したウヅ。試練はまだ続きます。

(月曜20時ごろ更新予定です)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ