第54話 羽越の大将〜鎧の女〜
ウヅは不安を抱えていた――だが、戦は待ってくれない。
そこで大巫女の存在感に圧倒されるウヅ……
しかし、ちょっとした隙に香取の大巫女は――
間もなく年が明けようとしていた――
香取の宮に、急報がもたらされた。
「なに……また現れたと……?」
香取の大巫女は低く唸り、すっくと立ち上がった。
「――出陣じゃ! 此度は、白河には近づけさせぬ!」
居並ぶ従者らは「ははっ!」と応じ一斉に頭を下げると、すぐに社殿を後にした。
その場には、立ち上がったままの大巫女と、ウヅだけが残った。
大巫女はそのままウヅを見下ろした。
「ウヅ、初陣が早うなった。心づもりは良いか?」
ウヅの肩は震えていた。
だがすぐに、気を取り直し、両の手をついた。
「はい。必ずやお役に立ってみせます」
(――ウソ! お役に立ちたいけど、戦場で剣が振れるかどうかも……)
大巫女は静かに頷くと、優しい声になった。
「……案ずるな。我の側におればよい」
ウヅは大巫女を見上げ、もう一度頭を下げた。
「はい……必ずや、大巫女様を……お守りいたします」
剣術の自信はあった。
だが、自信がないのは、その声だった。最近出しにくいのだ。
それと……
(戦場に、剃刀は持っていけるのかしら……?)
そう思うと、気はそぞろなのであった。
※
「……大巫女様はまたご出陣か……」
「今年は年を越せるのかのう……?」
軍勢を見送る衆の口々から声が漏れる。
その中を輿に乗って進む大巫女は、ただ黙って前だけを見据えていた。
その傍らを歩むウヅは、ちらりと大巫女を見上げた。
大巫女は尋ねた。
「……なんじゃ?」
「……いえ、何でもありません……」
ウヅはそう答え、すぐに前を向いた。
だが、民のその声は胸の奥に深く沈んでいた。
大巫女は前を見据え直して、低く言った。
「案ずるな。我らは負けぬ……」
ウヅはもう一度、大巫女をちらりと見上げた。
(大巫女様はすごい……そう言い切れる強さが、僕にはまだない……)
冬の風が、目元に凍みた。
ウヅの思いとは裏腹に、軍勢は力強く、粛々と突き進んでゆくのだった。
※
こうして、辿り着いた先では――
雪がちらついていた。
敵の軍勢は、はや川向こうに陣取り、こちらの様子を伺っていた。
弥馬獲支は大巫女の前に片膝をつき、右手を差し向けた。
「ここは、『人取の渡し』と呼ばれる場所にござりまする」
大巫女は立ったまま、黙って頷いた。
周囲の従者たちがざわめいた。
ウヅの心中も同様だった。
(人取の……なんて不吉な……)
だが、大巫女はにかっと笑うと、声を張り上げた。
「ならば――この地で敵を取って喰らおうか!」
その声に周囲の者は揃って顔を上げた。
次の瞬間、「おう!」高々と拳を掲げ、次々に声を上げた。
周囲はみるみる活気に溢れていった。
ウヅは目を見張って呟いた。
「凶が吉に変わった……。これが、大巫女様のお力……」
やはり目指すべきは、香取の大巫女の立ち姿だ――
ウヅの胸にも、熱いものがこみ上げてきた。
大巫女はウヅの肩を軽く叩き、まるで畑仕事でも話すように言った。
「フッ……案ずるな、ウヅ。うまからずともほめて食うべし。
この地に客に来たと思えば、何の苦もないのだ」
――はっはっは!
強者どもが笑う。
弥馬獲支も声を張り上げた。
「まもなく敵が出迎えに参ろうぞ。さっそく我らも――ご挨拶じゃ!」
――オオー!
こうして戦は始まった――
※
戦の間中、雪はさらに強くなり、降り続けた。
伝令が駆け込んでくると、弥馬獲支が素早く指示を返した。
大巫女は黙したまま渡し口を見つめた。
視線の先では、一進一退の戦闘が続いていた。
だが、大巫女は右手の大刀を地に突き立て直立したまま、微動だにしない。
その姿は、まるでそこに軍神がいるかのようであった。
ウヅは焚き火を絶やさぬよう気を配る。
戦の様子も気になったが、大巫女の様子も、気になった。
だが、それはいつ見ても変わらなかった。
その表情が変わったのは、夕刻に差し掛かり、
何度目かの伝令が駆け込んできた時のことだった。
「敵、大攻勢! 百名ほどが渡し口を越えてきます!」
その時、大巫女はわずかに口元を上げた。
「越えさせて囲い込め! 囲って袋叩きにせよ!」
「はっ!」
弥馬獲支が振り返り、頷いた。
「その敵を叩いたら、攻勢に転じましょう」
その言葉に大巫女は無言で頷いた。
味方の軍勢が一箇所に集中し、その塊はみるみる間に小さくなっていく。
だが、次の伝令が駆けてきた時、大巫女の表情はわずかに歪んだ。
「羽の彦尊の兵が引いてゆきます!」
大巫女は目を閉じてうつむいた。
大刀の石突が文字通り真下の石を叩き「キン!」と音を立てた。
「ご苦労! 皆、これへ戻れ。引き上げじゃ!」
「はっ!」
伝令が戻ってゆくと、弥馬獲支は振り返った。
「……また取り逃しましたな」
「うむ。……じゃが、この雪で深追いはできぬ」
大巫女はくるっと背を向け、静かに言った。
そして、ようやく大刀を下ろすと、蓑にかかった雪を払った。
※
大巫女の軍勢は、帰途はゆっくりと進んだ。
斥候が邑を見つけて来ると、わざわざその近くを通る。
すると、邑の長が数名の伴を連れ、挨拶に来た。
いくつかの邑の代表がまとまって来ることもあった。
ある時は邑へ招かれ、鍋汁を振る舞われた。
大巫女は決まって、その者たちとは言葉を交わさず、ただ無言で頷いてみせた。
ウヅは大巫女と二人きりになった時、何気なくその理由を尋ねた。
大巫女はギロリと目を向けた。
「ウヅ、これも戦じゃ。こうしたことが、次の戦で役に立つのじゃ」
ウヅは大巫女の瞳をじっと見つめた。
(戦が終わっても気を抜かず、戦っていらっしゃる……)
大巫女の底知れない芯の強さに、魅せられるウヅであった。
山間の道を抜け、香取の領域に入ると、大巫女は軍を止めた。
「我はこの山の神に祈りを捧げて参る。汝らはここで、しばし休んでおれ」
弥馬獲支は「はっ!」と応じ、軍に休憩を命じた。
ウヅは伴をしようと後に続いたところ、
大巫女は「そなたも休んでおれ」と振り返って言った。
その日、空には雲一つなかった。
風もなく、穏やかな陽の光が辺りを照らしていた。
兵たちはどっかと地べたに腰を下ろすと、口々に行軍中の苦労を語り合った。
将たちの輪の傍らに、ウヅも剣をおいて腰を下ろした。
そして、静かに太陽の温もりを浴びる。
寒さで固まった体がほぐれてゆくような心地よさを感じた。
そうして半刻ほど経っただろうか――
「大巫女様は、遅いのう……」将の一人が口にした。
「ウヅ殿、ちと見てきてくれぬか」別の将がウヅに顔を向ける。
「はい」
ウヅは剣を手に取って立ち上がり、大巫女が向かった山へ向かった。
だが、社殿に至ると、そこの巫女は目を丸くした。
「大巫女様なら、もうだいぶ前にお戻りになられましたが……」
ウヅの背筋がピンッと伸びた。
巫女に礼を言い、もと来た道を走った。そして、脇道を見つけては駆け込む。
「大巫女さまー!」声を上げながら走った。
やがて、大巫女を見つけた。
だが――
大巫女は地べたに座り、ぐったりと木にもたれていた。
その傍らには、大巫女の鎧が無造作に置かれている。
「大巫女様!」ウヅは叫びながら走った。
依然、大巫女が動く気配は、ない。
(大巫女様が、何者かに討たれてしまった?!……まさか!)
何故、無理にでもついて行かなかったの――
ウヅは悔やんだ。
側に駆け寄ると――
大巫女は、すぅすぅと寝息を立てていた。
安らかな寝顔だった。
まるで、天女が空から舞い降りて、日向ぼっこをしているかのようだった。
時々、むにゃむにゃと小さく呟く。
やがて、「フッ」と息を吐き、口角を上げた。
かと思えば、急に泣いたような顔をした。
目を閉じたまま――
今まで一度も見たことがない、大巫女の姿だった。
ウヅは安堵した。
その一方で、全身の力が抜けていった。
(……大巫女様も、戦っていらっしゃったのね……)
そう思った途端、ウヅの目には涙が溢れた。
お読みくださりありがとうございました。
この話で目指したのは、虚構でのみ作り出せる矛盾した真実……「泣ける居眠り」です。
次回「第55話 羽越の大将〜鏡合わせの敵〜」
ウヅの人生を大きく左右する難敵が現れます!
(木曜20時ごろ更新予定です)




