表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/61

第53話 羽越の大将〜血と鏡〜

憧れの大巫女様と共に立つ戦場――。 ウヅの心は、高揚と純粋な献身で満たされていた。

だが、その喜びは、周囲の冷たい視線と、己の身体に現れたある変化によって打ち砕かれる。

「巫女としての理想」と「男としての現実」の間に立たされたウヅ……血と鏡が示す真実とは。


ウヅは、自分が巫女であることに疑問を抱いたことはなかった。


   ◇◇◇


四歳の頃――

ウヅは尋ねた。


「お母さん、お姉ちゃんは巫女になれなかったの?」

「うん。五人とも選ばれなかったわ……ああもう!いい加減、泣き止みなさい!」


ウヅの母は、まだ泣き止まない姉を怒鳴りつけた。

すぐ上の姉は、それでも泣き止まなかった。


その時、ウヅの心の奥底に期するものが湧いた。



その一年後――

ウヅの父は、両手を震わせながら叫んだ。


「ウヅ! なんで、汝が……『巫女選びの儀』に参加するんだ?!」

「え……だって……」


父が何を怒っているのか、ウヅにはさっぱり分からなかった。

母は取りなしてくれた。


「あなた、大丈夫よ。絶対選ばれないわ……男の子なんだから。

 この子の気が済むようにしてあげましょう……」



その当日――

阿蘇の巫女頭は札を読み上げた。


「本年、巫女に選ばれたのは――ウヅ!」


その瞬間、父も母も目を丸くして腰を浮かせた。


   ◇◇◇


六人姉妹の中で唯一人、巫女に選ばれた――

それは自慢でもあった。


そのため、自分が選ばれた理由など考えたこともなかった。


    ※


そして今や、ウヅには――

巫女としての憧れる――目指すべき人があった。


香取の大巫女は、すっくと立ち上がると声を張り上げた。


「出陣は――年明けの春。皆、心してかかれ!」


「ははっ!」一同、揃って平伏する。

ウヅもそれに習った。


大巫女は一瞥し、無駄な動き一つなく社殿を後にする。

まるで、既に次の采配に移っているかのようだった。


その背には、戦の重圧を背負う者の孤独と強さがあった。


(あれこそが、僕の目指す強さだ)


いよいよ、大巫女様と同じ舞台に立つ――。

ウヅの胸は自然と高鳴るのだった。


    ※


香取の空気は、戦一色に染まった――


この日は、香取の宮で立会稽古の会が開かれた。

腕に覚えある東国の強者どもが道場を取り囲み見つめる中、

その子弟たちが各々の腕を競っていた。

皆、鍛錬を積み、自信に満ち溢れた面構えをしている。


ウヅの立会稽古の相手は、弥馬升(みましょう)の息子・コタロウ――


「コタロウ――気合を入れろ!」


弥馬升が声を飛ばす。

コタロウは頷くように首を振りながら、ウヅを鋭く睨んだ。

ウヅは正対しながら思う。


(構えに隙がない――)


だが、ウヅには理想がある。


(あの動き……大巫女様のあの剣さばき……)


ウヅとコタロウは無言で睨み合った。

やがて――


「いざ!」

「とりゃぁぁあああ……!」


コタロウが飛んだ。風が唸る。観衆が静まり返った――



――ドスッ!



ウヅの一閃は、コタロウの胴を捕らえた。


「うっ……ぐっ……」

コタロウは呻きながら、その場に膝をついた。


「そこまで!」


その声に、弥馬升は天を仰いだ。


「ああー! 女に負けるとは……情けないっ!」


なんとか立ち上がり一礼したのち、コタロウは顔を伏せたまま下がった。

すれ違いざま、弥馬升がふたたび声を張った。


「汝の初陣は取りやめじゃ!――鍛え直せ!」


コタロウは顔を赤くして道場を後にした。


ウヅは静かに木剣を収めた。

だが、その心の内は、まるで嵐のように複雑な思いが吹き荒れていた。


(一瞬の違いだった……コタロウ殿は弱くはなかった。

 女に負けたと言うだけで、そんな言われ方を……)


ウヅを称賛する声は、誰からも、一つも上がらない。

その静寂の中で、ウヅは初めて知った。


(『勝つ』ことが、こんなにも寒いこととは……)


それでも、心の奥で小さな灯が消えずに残っていた。


(大巫女様のように――いつか、この理不尽さごと斬れるようになりたい)


ウヅはゆっくりと立ち上がり、木剣を背に結んだ。

その背筋はまだ細く、だが確かに強さを求めていた。


    ※


それから数日経ったある日――


ウヅはいつものように、朝のお務めのため、神殿の入口に立った。

先に来ていた巫女たちに頭を下げる。


「おはようございます!」


すると――

巫女たちは目を丸くして、こちらを見ていた。

ウヅは戸惑いながらも、いつもの仕事をしようと部屋を中へと進む。


……くすくすっ


ウヅが近くを通る度、巫女たちが顔を見合わせる。

こちらを横目でじっと見ながら笑っている。


(……気持ち悪いわね……)


そう思いながらも、神棚を整えようと手を伸ばした。


その時――

鏡に映る自分の顔が目に入った。


唇の端に、うっすらと黒い影が。


「きゃっ!」


思わず声を上げた。

周囲の巫女たちが一斉に爆笑した。


ウヅは居ても立ってもいられなくなり部屋を飛び出した。


    ※


うつむきながら両手で顔を覆い、とにかく急いだ。

そして、自室に飛び込んだ。


戸棚の中を漁る。短刀が目に止まった。


ウヅはそれを両手に握り、しばらくの間、じっと見つめた。

呼吸が浅くなる。

それでも意を決し、ゆっくりと引き抜いた。


まず、左手で入念に顔を擦る。髭を探す……。

(……あった……ここね……)


そして、ゆっくりと顔に短刀を近づけた。


その時だった――



「――やめよ!」



右腕をぐっと強く掴まれる。


振り返り見上げたウヅの目の前に、香取の大巫女が立っていた。


「……大巫女様……」

「よすのじゃ……」


大巫女の目は、怒りでも悲しみでもない。

ただ深く、揺るぎはなかった。


ウヅは手を止め、短刀を床に落とした。


    ※


「……そうか。てっきり死のうとしておったのかと思うたわ」


大巫女は、少しだけ肩の力を抜いた。


ウヅは両の手をつき、頭を下げる。


「ご心配をおかけし、申し訳ございません……」

「そういうことは、鏡を見ながらするものじゃ。

 見ずにやると、顔に深手を負うぞ」


ウヅは顔を上げ、大巫女をじっと見つめた。


「……大巫女様もおヒゲを剃られるのですか?」

「ああ、時々の。だが、そんな大きな刀ではせぬ。

 それようの刃を用いるのじゃ……」


(大巫女様の艶ややかな美しいお顔に、おヒゲ……?)


ウヅは目を丸めた。

見たこともないし、想像もできなかった。


大巫女はふっと笑みを浮かべた。


「まあ、よい。我の部屋に参れ」


そして、ゆっくりと立ち上がった。


    ※


大巫女はウヅに鏡を覗かせた。


「よいか、ウヅ。こういうものでやるのじゃ」


剃刀を鏡に映し、そのままウヅの頬に当てる。

「動くなよ……」


刃がすーっと下りる。

鏡越しに見る自分の顔が、知らない誰かのように思えた。

大巫女の指先が、ウヅの頬を撫でる。


「ほら、きれいになった」

大巫女はにっこりと微笑んだ。


ウヅはしばらくその顔を見つめ、やがて小さく息を吐いた。


「……ありがとうございました」


礼を言った途端、涙が溢れてきた。


「いかがいたした?」

「……とても、不安で……」


「その身は神が授けたもの。

 否むことも、誇ることも要らぬ。ただ、共に在ればよいのじゃ」


ウヅはうつむき、両手で顔を覆った。


「でも、これは(わたし)ではないようで……いえ、僕じゃない」


大巫女は静かに問うた。


「ならば問う。そなたの心は、誰が作りましたか?」



ウヅは黙したまま、大巫女の瞳を見つめた。

しばらくののち、もう一度鏡を覗く。


(これが……僕……?)


それは、生まれて初めて「自分の姿」を見たウヅの、率直な感想だった。



お読みくださりありがとうございました。

髭という日常的な変化が、ウヅの「存在の根源」を揺るがすほどの重みを持つこと。

この一話は、理想と現実、そして自己受容の難しさを描く上で欠かせませんでした。


次回「第54話 羽越の大将〜鎧の女〜」

ウヅ、いよいよ憧れの初陣へ!

そこで目撃するのは、理想の人の「孤独な真実」だった……。

(月曜20時ごろ更新予定です)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ