第53話 羽越の大将〜血と鏡〜
憧れの大巫女様と共に立つ戦場――。 ウヅの心は、高揚と純粋な献身で満たされていた。
だが、その喜びは、周囲の冷たい視線と、己の身体に現れたある変化によって打ち砕かれる。
「巫女としての理想」と「男としての現実」の間に立たされたウヅ……血と鏡が示す真実とは。
ウヅは、自分が巫女であることに疑問を抱いたことはなかった。
◇◇◇
四歳の頃――
ウヅは尋ねた。
「お母さん、お姉ちゃんは巫女になれなかったの?」
「うん。五人とも選ばれなかったわ……ああもう!いい加減、泣き止みなさい!」
ウヅの母は、まだ泣き止まない姉を怒鳴りつけた。
すぐ上の姉は、それでも泣き止まなかった。
その時、ウヅの心の奥底に期するものが湧いた。
その一年後――
ウヅの父は、両手を震わせながら叫んだ。
「ウヅ! なんで、汝が……『巫女選びの儀』に参加するんだ?!」
「え……だって……」
父が何を怒っているのか、ウヅにはさっぱり分からなかった。
母は取りなしてくれた。
「あなた、大丈夫よ。絶対選ばれないわ……男の子なんだから。
この子の気が済むようにしてあげましょう……」
その当日――
阿蘇の巫女頭は札を読み上げた。
「本年、巫女に選ばれたのは――ウヅ!」
その瞬間、父も母も目を丸くして腰を浮かせた。
◇◇◇
六人姉妹の中で唯一人、巫女に選ばれた――
それは自慢でもあった。
そのため、自分が選ばれた理由など考えたこともなかった。
※
そして今や、ウヅには――
巫女としての憧れる――目指すべき人があった。
香取の大巫女は、すっくと立ち上がると声を張り上げた。
「出陣は――年明けの春。皆、心してかかれ!」
「ははっ!」一同、揃って平伏する。
ウヅもそれに習った。
大巫女は一瞥し、無駄な動き一つなく社殿を後にする。
まるで、既に次の采配に移っているかのようだった。
その背には、戦の重圧を背負う者の孤独と強さがあった。
(あれこそが、僕の目指す強さだ)
いよいよ、大巫女様と同じ舞台に立つ――。
ウヅの胸は自然と高鳴るのだった。
※
香取の空気は、戦一色に染まった――
この日は、香取の宮で立会稽古の会が開かれた。
腕に覚えある東国の強者どもが道場を取り囲み見つめる中、
その子弟たちが各々の腕を競っていた。
皆、鍛錬を積み、自信に満ち溢れた面構えをしている。
ウヅの立会稽古の相手は、弥馬升の息子・コタロウ――
「コタロウ――気合を入れろ!」
弥馬升が声を飛ばす。
コタロウは頷くように首を振りながら、ウヅを鋭く睨んだ。
ウヅは正対しながら思う。
(構えに隙がない――)
だが、ウヅには理想がある。
(あの動き……大巫女様のあの剣さばき……)
ウヅとコタロウは無言で睨み合った。
やがて――
「いざ!」
「とりゃぁぁあああ……!」
コタロウが飛んだ。風が唸る。観衆が静まり返った――
――ドスッ!
ウヅの一閃は、コタロウの胴を捕らえた。
「うっ……ぐっ……」
コタロウは呻きながら、その場に膝をついた。
「そこまで!」
その声に、弥馬升は天を仰いだ。
「ああー! 女に負けるとは……情けないっ!」
なんとか立ち上がり一礼したのち、コタロウは顔を伏せたまま下がった。
すれ違いざま、弥馬升がふたたび声を張った。
「汝の初陣は取りやめじゃ!――鍛え直せ!」
コタロウは顔を赤くして道場を後にした。
ウヅは静かに木剣を収めた。
だが、その心の内は、まるで嵐のように複雑な思いが吹き荒れていた。
(一瞬の違いだった……コタロウ殿は弱くはなかった。
女に負けたと言うだけで、そんな言われ方を……)
ウヅを称賛する声は、誰からも、一つも上がらない。
その静寂の中で、ウヅは初めて知った。
(『勝つ』ことが、こんなにも寒いこととは……)
それでも、心の奥で小さな灯が消えずに残っていた。
(大巫女様のように――いつか、この理不尽さごと斬れるようになりたい)
ウヅはゆっくりと立ち上がり、木剣を背に結んだ。
その背筋はまだ細く、だが確かに強さを求めていた。
※
それから数日経ったある日――
ウヅはいつものように、朝のお務めのため、神殿の入口に立った。
先に来ていた巫女たちに頭を下げる。
「おはようございます!」
すると――
巫女たちは目を丸くして、こちらを見ていた。
ウヅは戸惑いながらも、いつもの仕事をしようと部屋を中へと進む。
……くすくすっ
ウヅが近くを通る度、巫女たちが顔を見合わせる。
こちらを横目でじっと見ながら笑っている。
(……気持ち悪いわね……)
そう思いながらも、神棚を整えようと手を伸ばした。
その時――
鏡に映る自分の顔が目に入った。
唇の端に、うっすらと黒い影が。
「きゃっ!」
思わず声を上げた。
周囲の巫女たちが一斉に爆笑した。
ウヅは居ても立ってもいられなくなり部屋を飛び出した。
※
うつむきながら両手で顔を覆い、とにかく急いだ。
そして、自室に飛び込んだ。
戸棚の中を漁る。短刀が目に止まった。
ウヅはそれを両手に握り、しばらくの間、じっと見つめた。
呼吸が浅くなる。
それでも意を決し、ゆっくりと引き抜いた。
まず、左手で入念に顔を擦る。髭を探す……。
(……あった……ここね……)
そして、ゆっくりと顔に短刀を近づけた。
その時だった――
「――やめよ!」
右腕をぐっと強く掴まれる。
振り返り見上げたウヅの目の前に、香取の大巫女が立っていた。
「……大巫女様……」
「よすのじゃ……」
大巫女の目は、怒りでも悲しみでもない。
ただ深く、揺るぎはなかった。
ウヅは手を止め、短刀を床に落とした。
※
「……そうか。てっきり死のうとしておったのかと思うたわ」
大巫女は、少しだけ肩の力を抜いた。
ウヅは両の手をつき、頭を下げる。
「ご心配をおかけし、申し訳ございません……」
「そういうことは、鏡を見ながらするものじゃ。
見ずにやると、顔に深手を負うぞ」
ウヅは顔を上げ、大巫女をじっと見つめた。
「……大巫女様もおヒゲを剃られるのですか?」
「ああ、時々の。だが、そんな大きな刀ではせぬ。
それようの刃を用いるのじゃ……」
(大巫女様の艶ややかな美しいお顔に、おヒゲ……?)
ウヅは目を丸めた。
見たこともないし、想像もできなかった。
大巫女はふっと笑みを浮かべた。
「まあ、よい。我の部屋に参れ」
そして、ゆっくりと立ち上がった。
※
大巫女はウヅに鏡を覗かせた。
「よいか、ウヅ。こういうものでやるのじゃ」
剃刀を鏡に映し、そのままウヅの頬に当てる。
「動くなよ……」
刃がすーっと下りる。
鏡越しに見る自分の顔が、知らない誰かのように思えた。
大巫女の指先が、ウヅの頬を撫でる。
「ほら、きれいになった」
大巫女はにっこりと微笑んだ。
ウヅはしばらくその顔を見つめ、やがて小さく息を吐いた。
「……ありがとうございました」
礼を言った途端、涙が溢れてきた。
「いかがいたした?」
「……とても、不安で……」
「その身は神が授けたもの。
否むことも、誇ることも要らぬ。ただ、共に在ればよいのじゃ」
ウヅはうつむき、両手で顔を覆った。
「でも、これは僕ではないようで……いえ、僕じゃない」
大巫女は静かに問うた。
「ならば問う。そなたの心は、誰が作りましたか?」
ウヅは黙したまま、大巫女の瞳を見つめた。
しばらくののち、もう一度鏡を覗く。
(これが……僕……?)
それは、生まれて初めて「自分の姿」を見たウヅの、率直な感想だった。
お読みくださりありがとうございました。
髭という日常的な変化が、ウヅの「存在の根源」を揺るがすほどの重みを持つこと。
この一話は、理想と現実、そして自己受容の難しさを描く上で欠かせませんでした。
次回「第54話 羽越の大将〜鎧の女〜」
ウヅ、いよいよ憧れの初陣へ!
そこで目撃するのは、理想の人の「孤独な真実」だった……。
(月曜20時ごろ更新予定です)




