第52話 和のゆくえ
金玄基は思い知った。泣く子と何とかには勝てぬ――。
台与はヒムカと香取に思いを馳せる。
その香取では、新たな戦いが始まろうとしていた……。
その日、スミレは朝から泣いていた。
「おぎゃあああああ〜!うええええええ〜!(また知らない人がいる〜!)」
「おお、おお、よしよし……いい子だね〜」
金玄基は、そのスミレを盛んにあやしていた。
やや持て余してもいた。
アヤメが笑みを浮かべながら近づいてくる。
そして、そっとスミレを受け取る。
それでも、スミレはしばらく泣いていた。
金玄基は囲炉裏に座り込んだ。
ほっと息を吐く。
ふと見上げると、スミレを抱えながらアヤメがゆっくりと膝を折った。
スミレが指を咥えてこちらを見ている。
ようやく泣き止んだようだ。
「そういえば、昨日は……聞かれたことに答えてませんでしたね」
金玄基が呟く。アヤメがちらりとこちらを見る。
「……もういいたい」
「でも……なぜ急に?」
すると、アヤメは顔を曇らせた。
「……兄ちゃんね、こん邑ん長ば下りるこつなったとよ」
「……いつ?」
「うん……あなたのおらん間たい」
◇◇◇
「なあ、タケノオ。もう『ヤマト、ヤマト』っち目くじら立てるのはやめんね」
ある会合の日の夜、焚き火を囲んで村人たちは口々に言った。
「そやたい。ヤマトはもう仲間みたかもんたい」
「ヤマトの人ら、ちゃんと礼ば言うとよ?塩ば渡しゃ、頭ば下げて帰ってくとよ」
「あげんな人らば敵にはできんばい」
「俺ん直した鍬ば見て『すげぇ』っち。あげんふうに褒められたとは、初めてたい」
タケノオは唸った。
「……汝ら……こん邑ん誇り、忘れてしもうたとや……?」
「誇り……?」
そのうちの一人が口を開いた。
「ばってん、ヤマトは悪か人らじゃなかと」
タケノオは、その村人の目をじっと見つめた。
やがて、他の村人の顔に目を移す。
目に笑みを浮かべている者は、誰もいなかった。
そして、ゆっくりと呟いた。
「……分かった。なら、汝らん好きにしたらよか。ばってん、我は長ば下りるばい」
◇◇◇
「……変わってしまったのは、この邑も一緒……か……」
金玄基はアヤメの話を黙って聞いた後、ひとりごちた。
アヤメは静かに続けた。
「邑ん人たちゃ大手ば振って、ヤマトん兵たちと取引しよると。
なんかいろいろ、よかもんと交換しよるみたいやね」
「ふうん……」
戦の度に、この邑はヤマトに染まってゆく――
金玄基は思った。
(タケノオさん……悔しいだろうな……)
だが、それを止める言葉を、もう持ってはいない……そうも思った。
そして、その無力感の中で、台与の言葉を思い出した。
(『和とは、共に在る勇気』……理解されるだろうか?全ての者が持ち得ない理を……)
※
その頃、台与は船の上にいた。
隣にはルナもいる。
二人は同じ景色を見ながら、伊勢に向かっていた。
遠く砂の国の陸には、来ぬ国の兵たちがうごめいていた。
何かを片付けたり、破壊された港に土や石を運んだりしている。
その様子を眺めていたのだが――
ふと思い出し、ルナに尋ねた。
「……そういえば、霧島のお話はどうなったでしょう?」
ルナは静かに返した。
「さあ……? 台与様が『帰らない』と仰ったので、供の者に言伝ましたよ。
もう大巫女様のお耳にも届いてるのではないかしら……?」
「では、ヒムカお姉様が……」
台与は手を組んでうつむいた。
※
霧島の社のはずれ――。
囲炉裏の火が丸く灯り、子どもたちが輪になって座っている。
ヒムカは木板絵巻を胸に抱え、静かに口を開いた。
「むかしむかし、日向の山々の奥で、火の神さまが人に火を授けられた――。
火はひとの腹を温め、闇を退けるもの。けれど、怒りで振るうな。怒りは腹だけを焦がす……」
子どもたちは目を輝かせ、火のはぜる音に合わせて小さく笑った。
「ヒムカさま、また聞かせて!」
読み終えると、子どもたちは弾けるように立ち上がり、外の夜風へ散っていった。
火は小さく痩せ、木板の彩色に温い光が貼りつく。
「……何をしていたのです?」
ヒムカがその声に振り返ると、柱の影に霧島の大巫女が立っていた。
白衣の袖は微動だにせず、ただ焔を映す瞳だけが揺れている。
「神の話を、子らに……」
霧島の大巫女は、ため息をついた。
そして、ヒムカをじっと見つめる。
「そのようなこと、『霧島の大巫女』になる者のすることではありません」
「……そう、なのですか」
一言ではあった。
けれど、その一打で、ヒムカの指先はかすかに震えた。
木板の角を押さえる指に、火の粉がふっと触れ、
絵具がほんの少しだけ白く乾いた跡を残す。
ヒムカは慌てず、袖でやさしく払った。
木板は膝の上に戻り、焔はまた丸く落ち着いた。
(来ぬ国では――王の血をつなぐために、神に仕える者が選ばれる。
わたしも、その一人……。
けれど私は、神のために産むより、まず人を育てたい。
火を渡すように、言葉を渡してゆきたい)
木板をそっと包み、紐で結わえる。
(火は、怒りで振るわない――さっき、子らにそう語ったばかりだもの)
「彦尊は……まだ戻られぬのですか」
戸口のところで、若い巫女が会釈した。
「はい。砂の国におられると。戦の後の取りなしに、ご多用だとか」
ヒムカは小さく息を吸い、夜の高みに目をやった。
「ならば――神の座ではなく、人のもとへ向かわれたのですね」
森の上を風が渡り、梢の影が畳に揺れた。
火はさらに低くなり、けれど消えない。
(和するとは、従うことではない。耐えて、なお心を曲げぬこと――)
木板絵巻を胸に抱き直し、ヒムカは一歩、火に近づいた。
「明日は、海の神さまの話をいたしましょう。
怒りで波を立てるのではなく、舟を浜へ戻す道の、あの話を。
——あの子らの笑い声が、また聞こえるように」
彼女の声は焔よりも静かで、焔よりも温かかった。
外で虫の音が満ち、遠くで犬が一声だけ吠える。
星の光が、霧島の森を淡く縁取り、夜はやさしく深まっていった。
※
伊勢の社に到着した台与は――
「この剣は、伊勢にてお祀り頂きたく……」
そう言って、伊勢の大巫女に出雲聖剣を差し出した。
大巫女は静かに笑った。
「……分かったわ、お祀りしましょう。それにしても……大変だったわね」
台与は小さく首を振った。
「神つ国では雨続きだったと聞くわ……そうだ!」
大巫女は両手を合わせた。
「雨雲の中から見つけし……『天叢雲剣』と名付けましょう!」
そう言うと、天叢雲剣を両手で抱え上げ、神棚に供えた。
台与は座したまま、その様子を静かに見つめた。
「天叢雲剣……」
神前に落ち着くと、その剣はふたたび淡く光り始めた。
まるで、これからの時代を見守るように——。
※
その頃、香取の宮では――
ウヅがひとり、社殿の傍らで木剣を振るっていた。
香取の大巫女は――今ここにはいない。
「早く大巫女様のように——強く、美しくなりたい……」
ウヅは木剣を振るう度、そう念じ、時々口をついて出てきた。
(僕は、大巫女様のような女になりたい……)
武術に励めば近づけるような気がしていた。
だから、一日も欠かしたことはない。
表がざわざわとしだした。
「大巫女様のお戻りじゃ!」
宮の従者や巫女たちが、一斉に参道に集まる。
ウヅも手を止めて、そのまま走り出した。
甲冑を着た兵士たちが鳥居の前に姿を現す。
しばらくすると、大巫女を乗せた輿も到着し、そこでゆっくりと止まった。
大巫女は駆け寄る従者たちに無言で頷きながら、ゆっくりと近づいてくる。
やがて、立ち止まり、ウヅと目を合わせた。
「ウヅ、さっそく軍議じゃ。そなたも参れ」
そう言うと、大巫女はまた歩き出した。
「はいっ」
ウヅは深々と頭を下げ、そう返したものの、
頭を上げると、大巫女の背を見つめた。
(いつもより、お疲れのような……)
無理もない――
香取は、このところ出征続きであった。
ウヅは急いで社殿へと向かった。
社殿の大部屋に、主だった者が集まった。
ウヅが着座した時にも、さらに数名の武将が入室してきた。
「皆、そろうたか?」
大巫女が問う。
一同無言で頷くと、大巫女は声を張り上げた。
「此度の一連の戦、羽の国の彦尊が裏で糸を引いておる」
そして、弥馬升に顔を向けた。
「……そうじゃな、弥馬升?」
「ははーっ。確かな筋からの報せにございまする」
弥馬獲支も続けて声を上げた。
「越の国との境におります奴佳鞮殿からも、
そのような報せが届きましてございまする」
大巫女は、それに無言で頷いた。
「羽の国を討つ!
これ以上、振り回されてはおれぬ
香取の名にかけて、此度は決する!」
――ははーっ
一同、平伏した。
もちろんウヅも……しかし、ウヅには分からないことがあった。
(僕は、なぜ呼ばれたのかしら……?)
その時、大巫女がウヅの方を向いた。
「ウヅ、そなたも出陣じゃ。我と共に参れ」
「ははっ!」
ウヅは頭を下げなおした。
だが、その胸の奥では、何かが燃え上がるのを感じていた。
それが火なのか、光なのか、ウヅにはまだ分からない――。
お読みくださりありがとうございました。
戦争がない話は、書く方も楽で、良いですね。
次回「第53話 羽越の大将〜血と鏡〜」
いよいよです!美少女(?)戦士・ウヅの戦いが始まります!
(木曜20時ごろ更新予定です)




