第50話 備の国救援〜神もまた流される〜
瀬戸内では――西から理の風が吹く。
そして、東からも――
二つの風はやがてぶつかり、炎となった。
炎のあとに残るのは、理か、人か――?
その晩、水惟は、燃え残った焚き火を見つめながら呟いた。
「理なき今……何のために戦うのだろう、我らは……?」
都市牛利がちらりと水惟を見る。
久米は黙したまま項垂れた。
台与もまた、沈黙の中で炎を見つめていた。
火の色は弱く、風が吹けば消えそうだった。
そのとき、ルナが静かに口を開いた。
「理は死にました。
でも、貴女が意思を示すとき、それが『次の理』となるのです」
台与はルナの顔を見つめ、目を閉じてゆっくりと頷いた。
都市牛利が薪を焚べる。火は再び辺りを照らす。
(理も情も、そのようなものであるかも知れない……)
台与は、炎の揺らめきを静かに見つめ続けた。
※
数日後――
物見の兵の声が響いた。
「水惟様、狼煙です! 来ぬ国・水軍、接近中……!」
「来たか!」
水惟は立ち上がった。
そして、兵の一人を指差して叫んだ。
「汝、台与様に伝令!
敵船見ゆの哨報に接し、我が船団は直ちに出撃、これを撃滅せんとす!」
――「了解しました!」
「待て!」
走り出そうとするその兵を呼び止めて、水惟は顎をこすった。
「追加で……そうだな……」
※
その伝令は台与の前に跪き、水惟からの連絡を伝えると、最後にこう叫んだ。
「……本日天気、晴朗なれども波高し!」
台与は一瞬、その伝令をじっと見つめた。
そして呟いた。
「それは見れば分かります。健闘を祈ります」
ルナは隣からその横顔を見つめ、小さく笑んだ。
「水惟は、自分を奮い立たせるために言っているのです」
だが、ふと口を閉じ、台与の横顔を見た。
燃えるような朝の光が、彼女の頬を照らしている。
「でも、私たちまで高揚してしまえば……大事を見誤ることになりますね」
台与は頷き、立ち上がった。
遠く、西の海へと進んでいく水惟の船団が見える。
白い帆が、光を受けてゆっくりと揺れていた。
※
「敵船団、見えました!」
隣にいる兵の叫び声に、水惟は無言で頷いた。
「旗を振れ!」
「手旗信号、送ります! 『これより先は我らが海、進路を変更せよ』」
潮風が強まり、波頭が白く砕けた。
水惟はそのまま、来ぬ国の船団を睨んだ。
(……潮は逆向きか。だが、流れを読めば勝てる……)
隣の兵が再び叫んだ。
「敵、手旗信号。解読します!
『我ら、理を示す者なり。 汝の要求に応じず!』」
水惟は小さく笑った。
「理を示す、か……。ならば、我らは『流れ』を示そう」
そして振り返り、声を張った。
「対馬の海で鍛えた我らの腕――見せてやれ!」
――オオオオオ!
ヤマト兵たちは一斉に鬨の声を上げ、帆を張った。
船は海面を裂いた。
※
来ぬ国の将・ウネビヒコは、船首に立って海面を睨みつけた。
陽光が波に反射し、険しい頬を眩しく照らす。
「戦を請うておきながら、迎え撃つ気概もないのか。
我らが来たるを存じおろうに……」
その声には怒りよりも、明らかな嘲りが混じっていた。
目の奥には揺るがぬ確信、喉元の笑みが薄く光る。
ウネビヒコは短く笑うと、振る舞うように指を上げた。
「全船、攻撃態勢! 隊列を乱さず進め!
――奴らを踏み潰せ!」
――ウオオオオオ!
来ぬ国の兵たちの声が甲板を震わせる。
その命令は鼓舞となり、兵たちの士気を一気に上げた。
帆がはためき、船首が海を裂き始める。
潮が返すように逆巻き、両軍の距離が静かに詰まっていった。
ウネビヒコは一瞬だけ海を見下ろし、遠くに見える白帆に眉を吊り上げた。
その目には、勝利への確信だけが光っていた。
※
来ぬ国の船団が勢いよく向かってくる。
水惟は手を目一杯広げ、叫んだ。
「分隊を左右に展開! 本体は速度を落とせ!」
その指示が伝わると、水惟の左右分隊は敵船団の脇を包むように進んだ。
やがて、再び水惟は叫んだ。
「今だ! 矢を射かけよ――攻撃開始!」
来ぬ国の船団の船足が鈍った――
三方向から矢を受け、
木盾をかざすも、脇からも矢が飛んでくる。視界が狭まる。
小船は寄りそおうとし、互いに進路も狭めた。
※
来ぬ国の兵たちが口々に叫ぶ。
「ーーうわあ!」
「……くそう……!」
「あちっ! アチチ!」
ウネビヒコは身を屈めた。
「くそう、矢が左右から……だが、崩されるな! 敵将は目の前だ!」
様々な声が絶えず届く。
「ウネビヒコ様、敵船が近づいてきます!」
「どちらに射返しますか?!」
ウネビヒコは歯噛みした。
次の瞬間、彼の視界は副官の太ももに覆われた。
※
水惟が腕組みをして笑う。
「ふん、狗奴国の水軍に潮が読めるか。見よう見まねじゃ――」
――その時だった。
海風の中、甲高い声が響く。
「西北風,轉三分,第二列船,起帆!」
声は、海にこだました。
水惟の頬を、海風が打った。
「……誰だ、あの声は……?」
※
ウネビヒコは差し伸べられた手を掴むと、呟いた。
「蘇鵬殿……」
「提督,嚟啦,入船艙啦」
「ウネビヒコ様、さあ船室へ」通訳の男が、その手を引き上げる。
蘇鵬はウネビヒコの背中を押すと、右手を差して船団を指示した。
「全速前進! 向右舷嘅敵人放箭!」
「右舷の敵に射掛けつつ、全速前進!」
※
水惟の隣にいる兵が叫ぶ。
「敵、全速力でこちらに向かってきます!」
水惟は振り向いた。
「本隊は後退! 敵をおびき寄せろ!」
すぐに前を向き、低く唸った。
「さあ、鬼さん。こちらですよ……」
※
その間、水惟の左分隊では――
「――うわあ!」
「打て、打て! 打ち返せ!」
「火が着いた――消せ!」
「敵が乗り込んできたぞ!」
「――うおおおおお!!」
兵たちは叫びながら剣をふるい、ひたすらに矢を射た。
※
「水惟様! 左右の分隊との距離が離れました。連絡が取れません!」
波が交差し、風向きが変わる。
ヤマトの火矢がすべて逸れる。
右分隊は潮流に乗り、敵の背を狙って迂回を始めていた。
水惟は眼前に迫る船団を睨みながら、呟いた。
「……彼らを信じよう。我らはこのまま後退だ!」
※
蘇鵬は敵の船を指差して叫んだ。
「集中攻擊嗰艘船! 對細隻嘅船就用整艘船撞佢!」
「あの船を集中的に狙え! 小船には体当りして転覆させろ!」
来ぬ国の兵が放つ矢が、その船に降り注ぐ。
だが、来ぬ国の船団も、背後から矢を受けてながらだった。
「攞盾牌嘅保護弓手! 全速衝出去!」
「盾で射手を守れ! 船足を緩めるな!」
その海には、まるで矢が雨となって落ちてきているかのようであった。
※
左分隊が来ぬ国の船団に隠れ――
水惟は叫んだ。
「――しまった! 前進だ、左分隊を救え!」
「風、逆向きです!」兵が叫ぶ。
「間もなく変わる! 急げ!」
水惟は左分隊がいる辺りを指差しながら、声を張り上げた。
やがて、敵の船団が通り過ぎる――
あとには燃え盛る船、動かなくなった船、そして兵の鎧が数多浮いていた。
(左分隊が……全滅?!)水惟は凝視した。
その時だった――
東からのそよ風が、水惟の頬を撫でた。
海が息をするように、波は低く唸る。
水惟は声を張り上げた。
「潮目が変わったぞ! 追撃だ! 帆を目一杯、上げろ!」
※
その時――
蘇鵬は低く唸った。
「水流變咗……真係難行嘅海呀……」
だが、すぐに振り返り、短く叫んだ。
「全隊撤退! 唔好理敵人! 過海去!」
「係! 全速返航!」
舵が切られ、船体が大きく軋む。
来ぬ国の船団は、潮の流れに逆らいながら南へと離れていった。
※
水惟が右分隊と合流した。
再び追撃を開始する頃には、敵の水軍は陸に上がろうとしていた。
視線の先、陸の丘には黒い旗が揺れていた。
水惟は両手で船縁を叩いた。
「……逃がしたか……!」
海は血と油を呑み込み、ただ白い泡が揺れている。
風が波を裂き、焦げた帆布がひとつ、音もなく海に沈んでいった。
(理は沈んだ……いや、流れを変えただけだ)
水惟は潮の匂いを胸いっぱいに吸い込み、遠く霞む水平線を見つめた。
「敵、手旗信号! 解読します!」兵の声が響く。
「……『貴軍、被害甚大。停戦せよ!』……とのことです!」
水惟は眉を吊り上げ、短く笑った。
「そっちもだろうが……」
しばし沈黙。波の音だけが残る。
やがて、水惟は静かに口を開いた。
「……『海に残る者を救けたいなら、協力する』と返せ」
「はっ! 伝えます!」
その後、両軍の船がゆるやかに接近し始めた。
破れた帆の陰で、敵味方を問わず、手が海へと伸びていく。
――戦の火が消えた海の上で、
ほんのわずかに、『新しい理』が息をしはじめていた。
※
クニトラは、その様子を眺めながら呟いた。
「これでは……海は渡れぬな……」
ウネビヒコは両の手をついた。
「……申し訳ございませぬ。我の失態により、彦尊の『理を示す戦い』が……」
「――よい。汝はようした。理を掲げたのは我、戦を選んだのは天じゃ」
そう言うと振り返り、ムラオサを見つめた。
「さて、いかがいたそう?」
「それならば……」
ムラオサは一歩進み出て、深々と頭を下げた。
※
台与は、その対岸から同じ海を見つめて、たたずんでいた。
おもむろに、ルナが口を開く。
「……終わりましたね」
台与は静かに言った。
「これで、しばらく海の戦はないでしょう。ですが……」
「……ですが?」
ルナが尋ねると、台与は目を閉じた。
「新たな理は、このようにして作るほかないのでしょうか……?」
ルナは小さく笑った。
「いいえ。ほら、あれを……」
ルナの指差す先には、白い旗を掲げた船が一艘、こちらへ近づいてくる。
白旗は海風を受けてたなびき、夕陽の色を映している。
やがて、船首に立つ男がこちらに気づき、深々と頭を下げた。
船はゆっくりと進み、まもなく岸に辿り着くこうとしていた。
台与は、その船を鋭く見つめた。
「……あの船が、理を乗せていることを祈ります」
ルナは静かに頷いた。
台与は一歩、砂を踏みしめた。
その背に、ルナが続き、さらに都市牛利と久米も続く。
やがて、船からは来ぬ国の紋章を掲げた男が下り立った。
お読みくださりありがとうございました。
この時代に手旗信号は無かったでしょう!
AIにはだいぶ怒られましたが……、説得しました。
戦争には、それをあたかも良いものかのように見せてしまう「仕掛け」があるのです。
それを散りばめてみました。
次回「第51話 備の国救援〜和の調停〜」
平和が来そうなタイトルですが、one Battle after another……
え?先日見た映画のタイトルです。
(木曜20時ごろ更新予定です)




