第44話 次世代の大巫女たち
戦のあとには、いつも風が吹く。
それは嘆きの声にも、希望の声にも聞こえる。
神々の沈黙のなかで、次の世代が歩きはじめようとしていた。
台与は難升米に向かって言った。
「我らが知らぬうちに軍を動かす……
それが『連合』の形なら、すでに戦は始まっているのです」
「それはそうなのですが……台与様が行かれるのですか?」
難升米は、そう問うた。
都市牛利は、腕組みをして天を仰いだ。
「………………」
「え? ならば、我も参ろう……って?……うーん……」
難升米はさらに呟いた。
「我は、代官が来るまで神つ国を守っておらねばならぬし……」
久米が口を開いた。
「我も参りましょう」
水惟は笑わずに言った。
「我らは一度、伊都に戻りますが、船団を率いて備の国に向かいます」
台与は、難升米の背後の神棚を見つめた。
そこに供えられた出雲聖剣は、ただ静かに、時を待っていた。
※
その頃、香取の宮では――
――カーン・コーン・カチッ!
香取の大巫女とウヅが立ち会い稽古をしていた。
その様子を見つめる巫女たちが囁く。
「ウヅ……この数ヶ月で強くなったわね……」
「今日は大巫女様を圧倒してるわ……」
香取の大巫女はウヅの打ち込む木剣を、すんでのところで受け止めていた。
だが、その足は一歩、また一歩と下がってゆく。
ウヅは大きく振りかぶり、気合を込めた。
「はああああっ!」
そして、体を引きながら木剣を振り下ろした――
――カツーン!
ウヅの木剣が、香取の大巫女の胴を捕らえた。
(……あら? 今、木箱のようなものを打った感覚が……)
香取の大巫女は脇腹を押さえ片膝をついていた。
だが、しばらくするとキッと顔を上げてウヅを睨んだ。
そのままゆっくりと立ち上がる。
「……お、大巫女様、お待ちください……」
ウヅの言葉を聞いているのか、いないのか、
香取の大巫女はじっと睨んだまま、ウヅにゆっくりと歩み寄る。
やがて――
――バシッ!バシ・バシ・バシッ!……
滅多矢鱈に打ち込む。ウヅは必死に受けた。
香取の大巫女は、打ち込むたびに胸の前をかばうように腕を引いた。
ウヅは、それが癖かと思った。
やがて片膝をついた。
「……参りました」
ウヅがそう言って両手をつくと、香取の大巫女は大きく息を吐いたが、
黙したまま、その場を足早に去っていった。
その後、ウヅが大巫女の部屋に行ってみると、
大巫女は小箱を静かに見つめていた。
その中には、薄く巻かれた紅い紐が見えた。
大巫女は、それをそっと指で押さえると、蓋を閉じた。
「……失礼いたします。大巫女様、先ほどは……」ウヅが言いかけると
「ウヅ……先ほどは悪かった。許せ」大巫女は呟いた。
そして、手にしていた小箱を棚の引き出しにそっとしまった。
ほんの一瞬だけ、唇が震えた。
さらに袖口を目に押し当ててから、ウヅのいる方を向いた。
「……もうそなたとの立ち会いでは、大事な物を懐に入れておいてはなりませんね」
香取の大巫女は静かに笑い、目を伏せた。
※
その頃――
金玄基は、スミレを見つめてにやにやしていた。
その視線に気づいたアヤメが囁いた。
「……抱いてみる?」
「うんうん」
アヤメがスミレをそっと手渡す。
金玄基はスミレに話しかけた。
「お父さんですよ〜」
スミレは黙したままじっと金玄基を見つめていた。
(……誰この人……怖い?)
横からアヤメがスミレに話しかけ、そしてにっこりと笑った。
「お父さんよ……」
「ばぶ……ばぶ……(お母さんが笑ってる……なら、ぶっても大丈夫か!)」
スミレは金玄基の顔に右手を伸ばした。
だが、なかなか触れることができない。
金玄基はスミレの顔に自分の顔を寄せた。
「かわいい〜」
「うええ〜〜〜〜〜ん(顔擦り付けてきた……! 怖いよ〜!)」
アヤメはスミレをそっと抱き寄せた。
「泣いてしもうたがね……おお、よしよし」
「あわわ……わふ……(もう安心〜)」
スミレは笑った。
金玄基は感心している。
「アヤメさんは子守が上手なんだね……」
「慣れとるけんね」
アヤメはそう言うと、スミレをやさしく抱えた。
その時――
家の外から、タケノオの大きな声が響いた。
「けん、ヤマトと糧ば取引すっとはやめろ! みんなで作ったもんやろーが!」
近所の住人が口々に叫んだ。
「自分ん家の余った分ば渡しよるだけたい!」
「汝んとこには義弟ん軍役ん報酬が来るけん、よかばいな!」
「ヤマトは今も戦いよるっちゃ! 協力すっとが筋やろーが?!」
やがて、タケノオが入口のむしろをまくり上げ、家に入ってきた。
金玄基と目が合う。
だが、すぐに向きを変え、部屋の奥でうずくまってしまった。
その後ろ姿は、金玄基の胸の奥に沈んだ。
家の外では、雨のような声がまだ止まなかった。
金玄基は、赤子の寝息に耳を澄ませた。
※
数日後、阿蘇の社では――
阿蘇の大巫女が、ミズハを前にして、ひとりごちた。
「イヨは、戻らぬそうじゃ……」
ミズハは先ほどから細めていた目を伏せると、静かに尋ねた。
「大巫女様……私には何が足りないのですか? いつも、イヨ、イヨと……」
阿蘇の大巫女はくぐもった声で呟いた。
「それを問うな……汝もかわいい我の弟子じゃ……」
ミズハは目を丸くして顔を上げた。
大巫女は湯呑みを手にしたまま、目を伏せていた。
その姿には悲しみが滲んでいた。
やがて、大巫女は小さく言った。
「ヒムカを呼んで参れ」
その声には、どこか祈るような響きがあった。
※
別の一室では――
ヒムカが子供たちを前にして、神話の絵が書かれた板をめくった。
「……しましたとさ。これで、おしまい」
「おねーさま、どうして神様は、そんなことしたの?」
「続きを聞かせて!」
巫女の卵たちは口々に声を上げる。
ヒムカは手にした板を脇に置きながら、にっこりと笑った。
「続きは明日ね! 今日はもうお昼寝しましょ!」
「はーい!」
子供巫女たちは元気な声を上げると、部屋の隅にある枕を取りに走る。
そこへ――
ミズハが現れた。
「ヒムカ、大巫女様がお呼びよ」
「大巫女様が……?」
ヒムカはゆっくりと立ち上がった。
※
「私が……霧島の……?」
ヒムカは大巫女の前で両手をつきながら、身を縮こませた。
大巫女はヒムカをじっと見て、静かに言った。
「うむ。そなたには辛い役目となろうが……頼みたい」
ヒムカは震えながら答えた。
「私に務まるでしょうか……?」
大巫女は目を閉じて呟いた。
「もし、どうしても辛くなったら……帰っておいで……」
大巫女の存念は変わらない――
そう思ったヒムカは、深々と頭を下げた。
その目から一粒、涙がこぼれた。
ヒムカが去った後も、阿蘇の大巫女は縁側に出て、その後姿を見つめていた。
そして、傍らに寄り添うミズハに呟いた。
「これまで霧島には、何度も弟子を送り出したが……いつも辛い……」
ミズハは大巫女の顔を覗き込んだ。
外では、山の風がゆるやかに吹いていた。
それが別れの言葉のように思えた。
※
一方、来ぬ国では――
備の彦尊の使者が訪れていた。
来ぬ国の王・クニトラは、大殿の広間の上座にて、ゆったりと腰を下ろしている。
その両脇をアラツヒコ、タギリヒコ、ウネビヒコの三将が固めている。
使者は平伏したまま、言葉を締めくくった。
「……と、このような次第。明らかな和睦違反にて、何卒我らにお力を……」
「――できぬ」
クニトラは即座に返した。
使者は目を丸くして顔を上げた。
「何ゆえにございまするか?」
クニトラは大きくため息をついた。
代わりに、ウネビヒコが答えた。
「先日、新たな王の使者が参ってな……」
「新たな……王?」使者が呟く。
「うむ、跡目を継いだ挨拶というてな……」
「跡目を……継いだ……?」
「だが、前王の側近が承知せず、兵を挙げた……と聞いておる。
それに手を焼いておる、とも……」
「それは……真のことではございませぬ!」
ウネビヒコは目を閉じて唸った。
「我らとしては、どちらの言い分が真なのか……分からぬのだ」
「そんな!」
使者は叫んだ。
クニトラは、静かに告げた。
「ご使者殿。おって返答いたすゆえ、しばし別室にてお待ちあれ」
備の国の使者は深々と頭を下げたのち、部屋を出ていった。
大殿の広間には、しばらく沈黙が広がった。
クニトラは唸った。
「砂の彦尊に、かような知恵があったとは……」
アラツヒコは太く呟いた。
「誰ぞん入れ知恵でごわっどな」
※
その時、明の国では――
「へぇぇーーーーーーっくしょい!」
くしゃみをする明の彦尊の声が響いていた。
※
タギリヒコは膝を叩いた。
「許せねぇ……叩き斬ってやる!」
ウネビヒコも唸った。
「和睦の条件が、易しすぎましたな……」
クニトラは唇の端を上げた。
「……戦は、まだ終わっておらぬか……」
※
正始二年九月某日――
金玄基は、アヤメの肩に手を置いて呟いた。
「……行ってきます……」
アヤメは黙ったまま、じっと見つめていた。
その後ろでは、スミレを抱いたハルエが心配そうにこちらを見ていた。
金玄基は目を伏せるとアヤメから手を放し、くるっと向きを変えて歩き出した。
邑の住人たちが、口々に声を掛けてくる。
「よっ、頑張れや!」
「頼んだばい、我らの英雄さ!」
「我らのために!」
子供たちまでもが激励を飛ばす。
「行ってらっしゃーい!」
「ようけ頑張ってきてね!」
「我も大きゅうなったらヤマトの兵隊さんになるっちゃけん!」
金玄基は一瞬立ち止まり、そう言った子をじっと見つめた。
その子は満面の笑みを向けていた。
その時――
「――あなた!」
アヤメが叫んだ。そして次には、小さく呟いた。
「……元気で」
金玄基は無言で頷くと、また邑の門へと歩みを進めた。
お読みくださりありがとうございました。
台与様への推し活もここまで来ると……もう止まりませんね!
次回「第45話 備の国救援〜砂上の王〜」
男女差別主義者と戦います!
(木曜20時ごろ更新予定です)




