第43話 神をめぐる戦い〜戦の燃えさし〜
神つ国の戦が終わり、山にも海にも静けさが戻った。
人は生き、そして誰かが死んだ。
それでも、灯りのついた家には、笑いと泣き声が戻ってくる。
一夜明け――
台与は大殿に向かっていた。
すると、突然、大きな叫び声が聞こえてきた。
「水惟様!」
「我らは貴方の言う通りに戦いました!」
「これは何の拷問ですか?!」
「いいから飲むんだ!」
台与が声のする方に目をやると、水惟が椀を手にして複数の兵士たちを怒鳴りつけていた。
水惟は横目で兵たちを見下ろすと、唸った。
「……我が飲んで見せよう……うっ!不味い……だが癖になる!」
「早く伊都に帰りてえ!」
戦が終わると、いつもこんな調子なのだろうか……?
台与は目を細めた。
その日は、久しぶりに雲の隙間から太陽が覗いていた。
雨の季節が終わるのも近い――
※
その頃、伊勢の社では――
イセエビとクジャクが、大巫女の前に平伏していた。
まず、イセエビが口を開いた。
「神つ国の件、片が付きましてござりまする」
続いて、クジャクが言う。
「ワカヒコは美の国の喪山で討ち取りました。
神つ国のミノル王子は、科の国の豪族らの手で捕らえられました由……」
伊勢の大巫女は、御簾の向こう側から呟いた。
「……ワカヒコを……最期に何か申しておったか?」
「それが……」
クジャクはゆっくりと頭を上げた。
◇◇◇
「――いたぞ! 捕まえろ!」イセエビが叫んだ。
イセエビとクジャクの手勢は、その落ち人をめがけて駆け出した。
ワカヒコはミノルに囁いた。
「ミノル殿、お逃げくだされ。 ここは我が引き受けましょう」
「ワカヒコ殿……かたじけない!」
ミノルが走り出す。
ワカヒコは木の陰に隠れ、矢を射る。
――ヒュン!
――ヒュン・ヒュン!
イセエビらも木の幹に隠れ応戦する。
矢の撃ち合いがしばらく続いた。
やがて――
「ーーうっ!」ワカヒコは矢を受けて倒れた。
「捕えよ!」クジャクが叫んだ。
ワカヒコは仰向けになりながら、イセエビとクジャクを見つめた。
クジャクが怒鳴った。
「観念いたせ! 何故、大巫女様を裏切ったか?!」
「……我は、大巫女様のお近くにいたかった……」
イセエビとクジャクは顔を見合わせた。
その目が離れた隙に、ワカヒコは――
――ブチッ!
自らの胸に刺さった矢を引き抜いた。
血が溢れ出す。
それが地に落ちるまでのほんの一瞬、
すべての音が遠のいた。
クジャクが手を伸ばす。
イセエビも駆け寄ろうとしたが、
その足は動かなかった。
「……それも、叶わぬ……汝らがいては、な」
「何をする?! 止めんか!」
イセエビたちは血を止めようとしたが、
もう、間に合わなかった。
◇◇◇
「……というわけでございます」クジャクは再び頭を下げた。
伊勢の大巫女はゆっくり立ち上がると、社殿の庭を眺めた。
「わたくしには見えておったのに……」
それ以上、言葉は続かなかった。
※
神つ国の大殿には――
懐かしい顔があった。
「久しぶりですね、イヨ……あ、今は台与様でしたね」
その声に、台与は胸が少し震えた。
「……ルナお姉様?」
ルナは微笑んだ。
「もう『お姉様』と呼ぶお立場でもないでしょう?」
「いいえ。呼ばせてください」
台与は頬を赤らめた。
二人は大殿の外に出て、稲佐の浜を見渡した。
風が海から吹き抜け、波がきらめく。
「阿蘇の大巫女様の使いで参ったのです」
ルナは台与の瞳をまっすぐに見つめた。
◇◇◇
その日、阿蘇の大巫女は二人の巫女と相対していた。
そして呟いた。
「イヨが……戻って来ぬ」
ルナが静かに顔を上げると、阿蘇の大巫女は続けた。
「ルナよ、連れ戻してきてくれ。相談ごともあるしの」
「ご相談ごと……霧島の件でしょうか?」
「……うむ。それもある……」
その時、隣りにいる巫女が口を開いた。
「それでしたら、私はヒムカが宜しいかと存じます」
「ミズハもそう思うか。……イヨはなんと申すかのう?」
大巫女のその言葉に、ミズハは目を細くした。
◇◇◇
「……というわけなのですよ」
ルナはくすくすと笑った。
「ヒムカお姉様を……?」
そう呟いた後、台与はしばらく沈黙した。
遠くで波が崩れる音だけが聞こえた。
「私には……分かりません」
台与がそう呟くと、ルナは黙って顔だけを向けた。
「そういうことは、お互いをよく知った上で……と思うのです」
ルナは小さく笑った。
「私も、そう思います」
その夜、二人は火のそばに座り、昔のように神と人の話をした。
「神はなぜ沈黙するのだと思いますか?」
とルナが問うと、
台与は少し考えてから、静かに言った。
「沈黙しているのではなく、人が聴かなくなったのだと思います」
ルナは頷いた。
「それを『聴く』というのなら、あなたこそ、いちばん神に近い人です」
夜風が灯を揺らし、焚き火の火が二人の顔を交互に照らした。
その影は、やがて一つに溶けた。
※
その翌日――
神つ国の大殿には、ヤマトの主だった将たちが顔を揃えた。
台与とルナもその場にいる。
難升米が告げた。
「明の彦尊は手勢と共に国元に戻るそうです……」
都市牛利が難升米をじっと見つめた。
「………………」
「そやね、備ん彦尊は結局来んやったね……」
「何かあったのですか?」
台与は尋ねた。
すると一瞬、難升米は口ごもった。
「実は、備の国は、砂の国から攻撃を受けていたそうです……」
「なんですって?!」
台与は立ち上がった。
◇◇◇
神つ国との戦いが始まって間もなくのこと――
備の彦尊は、剣をかざして高らかに笑った。
「さすがは我が邑じゃ! ちっとの攻撃ではびくともせぬわ!」
その剣が指し示す先には、備の彦尊の館があった。
そこには、砂の国の旗がたなびいている。
そればかりか、木柵の内側には、砂の国の兵がひしめいていた。
周りにいた従者たちは、揃って沈黙した。
「……なんじゃ? おもろうなかったか?」
その呟きには誰も答えない。
備の彦尊は俯いた。
「……皆の者、悪かった。もう二度とヤマトには協力せぬよ……」
◇◇◇
「……ということだそうなのです」
言い終わると、難升米は眉を下げた。
台与は、ルナを見つめた。
「お姉様、私は帰れなくなりました」
ルナは目を細めて頷いた。
「そのようですね。では、私も共にあります。あなたが戻るまで」
そう言うと、次に、難升米に尋ねた。
「それにしても……詳細すぎる報告ですね。カゲマルですか?」
「はい。カゲマルは今も備の彦尊の陣におります」
※
その頃――
金玄基は、久しぶりにアヤメの邑へ戻ってきた。
戦場の泥が乾くころには、家の灯が恋しくなる。
(……アヤメさんは、なんて言うだろう?)
戸口を開けると、アヤメが静かにこちらを見ていた。
赤ん坊を抱いて――
「――生まれたのか?!」
金玄基は思わず叫んだ。
アヤメは静かに頷いた。言葉はない。ただ、その目が全部を語っていた。
ハルエが駆け寄ってきた。
「あんた、女の子だよ!」
金玄基はハルエの顔をじっと見つめた。
はっとして、アヤメを振り向く。
「……ただいま」
「……おかえりなさい」
二人の間に、少しの沈黙が流れた。
「……名前は?」
「まだ……」
「じゃあ、『スミレ』にしよう」
「……?」
「何かと縁のある花の名前だから」
アヤメは、スミレに話しかけた。
「スミレ……スミレちゃん、良かったね」
金玄基はその声を聞きながら、
なぜか胸の奥が温かくなるのを感じていた。
その晩――
金玄基はアヤメに、神つ国で堤を壊した話を聞いてもらった。
「……我のしたことは、まずかっただろうか?」
そう尋ねると、アヤメはウトウトしながら呟いた。
「戦ん話は分からん。ばってん……あんまりよーなかね……」
金玄基は黙ってアヤメを見つめた。
「その堤……いつ壊れるか分からんやったっちゃろ?
ほうっとったら、何も知らん子が山津波に……考えよったとね?」
アヤメは金玄基の胸に顔を埋めながら、小さく呟いた。
「うちは……ひどか人と一緒になったもんたい……」
金玄基は苦笑しながらも、返す言葉を見つけられなかった。
窓の外では、雨が上がったばかりの空に月が出ていた。
お読みくださりありがとうございました。
人が死ぬ話はそろそろ懲りたので、静かな話を書きました。
次回「第44話 次世代の大巫女たち」
あの話はどうなったのか……?蒸し返します!
(月曜20時ごろ更新予定です)




