第42話 神をめぐる戦い〜神、ふたたび語る時〜
戦は終わった。神も人も、勝ち負けを失い、ただ静かに立ち尽くす。
だが、この国にはまだ、語る者がいる。神を見た兎、人を見た魚、そして――
神と人の間に立った少女。
水惟は船の上から釣り糸を垂れていた。
「あーあ……また魚かあ……」
「隊長、引いてますぞ」隣にいた兵が声を掛けた。
水惟は釣り上げた獲物をじっと見つめた。
そして、釣り針を外すと――
――チャポン……
同じ兵が再び尋ねる。
「隊長……逃がすのですか?」
「あの魚は虫がいるから、やめたほうがいい」水惟はそっけない。
「我らは今の、だいぶ食べましたが?」
水惟は、その兵士の顔をじっと見つめた。
「陸に上がったら、ドクダミ探そうね……」
その呟きが終わるか終わらないうちに、遠くで地鳴りがした。
水平線の向こうから、砂煙が上がる。
「援軍が来た! 四本足だ!」
遠くから、騎兵の一人がこちらを見つめて叫んだ。
「水惟! 待たせた!」久米の声だ――。
水惟は顔を上げ、にやりと笑った。
「やっと来たか、久米!……遅いよ」
※
ミノルとワカヒコは、突然現れた騎兵部隊に目を丸くした。
各所に分けた部隊が次々と撃破され、兵は散り散りになって逃げてゆく。
「何だあの四本足は……!?」
「ミノル殿、こっちに来ますぞ! 早く!」
二人は必死に走った。
泥を蹴り、枝を掻き分け、転びそうになりながらも走る。
「ワカヒコ殿、ここから先は我らの国ではない!」
「命あってのものだねですぞ! とにかく隠れて!」
二人は叫び合いながら森の中へ消えた。
背後では、馬蹄の音が地鳴りのように響いていた。
※
その頃――
金玄基は無言で泥をすくっていた。
手の感覚がなくなるほど冷たい。
掘っても掘っても、泥の下からは何も出てこない。
(……戦は、これで終わったのだろうか……)
金玄基から話を聞いたのち、言った。
◇◇◇
「……そう言うことでしたか……」
台与は、高台から埋まった谷間をしばらく眺めていた。
言葉を探すように沈黙し、やがて振り返る。
「戦は終わりました。皆と手分けして、埋まった方々を助け出しなさい」
◇◇◇
タケルはすぐに見つかった。
居場所は、出雲聖剣が教えてくれた。
兵の一人が足元を指差す。そこだけ、地面が淡く光っていた。
掘り返すと、光る剣が――息のないタケルと共に現れた。
他にも数名の兵が、互いに抱き合うように倒れていた。
◇◇◇
台与は、馬上から金玄基を見下ろした。
少しの沈黙ののち、低く呟く。
「先ほどのことは、誰にも言わないほうがいいでしょう」
金玄基はその言葉の意味を問わなかった。
ただ、静かに頷いた。
※
数日後――
明の彦尊は、山上の陣から葦原中国を眺めていた。
無言のまま、じっと立ちつくしている。
だが、その表情だけは時折険しくなった。
(……ヤマトがもう少し消耗してくれれば……)
◇◇◇
山上の陣に呼ばれてやって来た明の彦尊に、難升米は告げた。
「この陣はお任せいたす。我らは船で稲佐の浜に上陸する」
(ここは……最前線ではないか……)明の彦尊が目を細めると、難升米は察したのか
「大丈夫。川が増水しているので、敵も攻めては来られません」
言うが早いか、難升米はさっさと山を降りていった。
◇◇◇
明の彦尊はひとりごちた。
「……神つ国も、この程度だったか……」
難升米と都市牛利がいると思われる船団が沖合に現れた。
さらに東からは、ヤマトの旗を掲げた一団が、神つ国の本殿に進んできていた。
明の彦尊は、眉をひそめて舌打ちした。
「……別の策を考えねば……」
※
台与と水惟の部隊は、神つ国の大殿を素通りして、稲佐の浜に至った。
難升米の船団もまもなく上陸を開始しそうだ。
神つ国の兵は、そこにはいなかった。
浜辺の裏の山間部に身を潜めていると見えた。
難升米と都市牛利が船を降りてきた。
「台与様!」
「…………!」
二人は台与に駆け寄ってきた。
「ご無事で何よりでした」
台与は馬から降りると、二人に向かってにっこりと笑った。
「難升米、都市牛利……また会えましたね」
そう言うと、台与は兵の一人を見やり、出雲聖剣を都市牛利に渡した。
難升米は無言で頷くと、大声で叫んだ。
「神つ国の兵らよ! これが見えるか?!」
都市牛利が出雲聖剣を抜き、高く掲げた。
そして、剣を浜に突き立てた。
すると――
よろめくように、山からコトシロが現れた。
「やはり……出雲聖剣。タケルは……弟は、死んだのか……?」
台与は静かに目を閉じた。
神と人の境が、いまひとつ、溶けていくように思えた。
コトシロは、台与たちの前に跪くと両手をついた。
神つ国の兵たちも彼に続いた。
※
その後――
神つ国の大殿に入った台与たちは、神つ国の彦尊と面会した。
神つ彦尊は膝を折り、恭順の姿勢を示した。
だが、台与は、彦尊を指差し一喝した。
「貴方が神を見誤らなければ、多くの方が死なずに済みました」
台与の声が、広い殿内に響いた。
誰も、言葉を返せなかった。
「私は貴方を許せません!」台与はそう言おうとしたが――
言葉を飲み込んだ。
大殿の脇から、白い兎が現れたからだった。
台与はつい、その思いがけぬ来訪者に目が向いた。
その兎は、ぴょこぴょこと台与の指先に飛んで来た。
そして、その場で台与を見上げると、背を伸ばして立ち上がった。
まるで、台与から神つ彦尊を庇うかのように――
――聞いてしまった!
台与は言葉を失った。
◇◇◇
兎は立ち上がって、台与に言った。
「わたしは、この方に助けて頂きました。
この方は、わたしを裁かず、ただ手を差し伸べてくださいました。
それを、神と呼ばずして、何を神と申しましょう」
その声を聞いた瞬間、
台与は息を呑んだ。
神が、ふたたび語られたのだ。
◇◇◇
台与の声がしなくなり、神つ国の従者たちが一斉に顔を上げた。
「台与様……?」難升米も一歩進み出て声を掛ける。
だが、台与は何も答えず、兎を指差したまま立ち尽くしていた。
神つ国の彦尊は、兎の背をじっと見つめていた。
「……失礼……しばしのご猶予を」
そう呟くと、兎を抱き上げ、立ち上がった。
そして、台与の脇を通り抜け、大殿の外に歩み出ようとする。
久米が目配せをすると、二人の兵士が神つ彦尊の後に続いた。
神つ彦尊は、歩みながら呟いた。
「兎よ、我も神に仕える者。そなたの命乞いなど要らぬ……」
そう言うと神つ彦尊は、兎を草むらに投げ捨てた。
兎は地面に足をつき振り返って彦尊を見上げていた。
神つ彦尊は、自分の後をつけてきた兵の一人に笑いかけた。
「勝手をしたな。戻るといたそう……」
そう言うと、またゆっくりと歩きだし――
「――かっ!」
と叫ぶと、兵の腰から剣を抜き取った。
剣は舞いながら、陽の光を鋭く跳ね返した。
その場にいる全員が、顔を青くした。
ヤマト兵は即座に神つ彦尊を取り囲み、矢を向けた。
台与も、主だったヤマトの将も皆、神つ彦尊に釘付けとなった。
神つ彦尊は、にやりと笑った。
「安物を使うておるのう……出雲の剣とは段違いじゃ……」
そして、自らの首筋に剣先を当てた。
「叶うことなら……出雲の剣で死にたかった……」
――バシュッ!
そして、血を吹き出しながら、その場にぱたりと倒れた。
しばらくの間、沈黙が広がった。
誰も声を発しなかった。
雨のしずくが、屋根から落ちる音だけが響いていた。
兎はひょこひょこと戻ってきて、神つ彦尊の背に手を置いた。
そのままじっと動かなかった。
台与は目を伏せた。
ヤマトの諸将たちは、ただ黙って神つ彦尊を見つめ続けた。
後の話となるが――
この兎は巣に戻ると、この日の話を家族に聞かせた。
兎の妻も子供も、目が腫れるまで泣き明かした。
それ以来、この兎の子孫で白い毛並みを持つものは目が赤い――
とか、そうでないとか。
お読みくださりありがとうございました。
安定の「そうではないに決まってるだろ!」シリーズ・第二弾!
ギャグ要素が無さすぎてウサギに喋らせてみたのですが……リカバー出来ませんでした。
次回「第43話 神をめぐる戦い〜次なる戦い〜」
人と神、そして人と人――物語は次の舞台へ。
(木曜20時ごろ更新予定です)




