第38話 神をめぐる戦い〜戦場の若者たち〜
新しい風が吹いた。
ナギサヒコが去り、スイが現れ、難升米が走り、そして台与は——泣いた。
戦と慈悲のあいだにあるものを、どうか見届けてください。
伊都国の若き水軍指揮官は、薄っすらと笑った表情を少しも変えなかった。
「では、ナギサヒコ王はお預りします」
「よろしく」と言いながら、難升米は頷いた。
台与は、難升米に尋ねた。
「こちらは……?」
「兵糧を運んできた水軍の隊長たい。あだ名は『潮音の水惟』」
水惟は胸に手を当て、会釈した。
「水惟です。海のことならお任せ下さい、台与様」
――海?!
台与は、先日の卜のことを思い出した。そして、ふと思った。
(この人は必要な人かもしれない)
そう思い、水惟にこれからの計画を聞いてもらった。
水惟は台与の話を聞く間も、その穏やかな表情を変えなかった。
だが、
「ああ、それは中海のほうですね。
我は初めから『どうしてそこを突かないんだろう?』って思ってたんですよ」
と、言うことは辛辣だった。
難升米が目を細めた。
「兵力の問題たい」
「伊都の兵の半数で来てるんでしょ?」
返しも鋭い。
「では、ナギサヒコ王を送り届けたら、兵を乗せて戻ってきますよ」
そう言うと、水惟はにっこりと笑った。
※
その傍らを、担架に乗せられたナギサヒコが通り過ぎていった。
それは、その日の昼前の出来事だった。
◇◇◇
ナギサヒコは後ろ手を組み、兵たちに向かって言った。
「……ということで、台与殿に同行する決死隊を五百名、募る!
我こそは、と思う勇者は手を上げよ!」
ナギサヒコは目を細め、兵たちを横目で見つめた。
手を挙げる者など誰もいない、と思っていた。
だが、ヤマト兵のほぼ全員が手を上げた。
ナギサヒコは、まるで腰が砕けたかのようにその場に崩れ落ちた。
そして地面につく寸前を、都市牛利に救われた。
その時、難升米も遅れて駆け寄った。
「今朝もうなされとったし、王には休んでもろうたがよか。昼には補給も来るけん」
担架に寝かされたナギサヒコは呟いた。
「すまんな、難升米。軍はそなたに任せる」
◇◇◇
かくして、ナギサヒコは伊都国に帰還することとなった。
※
難升米は、こんもりと盛られた小山の上に立ち、兵たちを見下ろした。
そして、自らの剣を引き抜くと、それを高々と掲げた。
「ナギサヒコ王に代わり全軍の指揮を預かることになった――難升米である!」
そして、眼光鋭く兵たちを見つめると、手にした剣を横に払った。
「今日から戦闘があった日は、飯を二倍にする! その代わり走ってもらうぞ!」
――おおおおおおお!
ヤマトの兵たちは、この一言で一気に士気を取り戻した。
※
難升米率いるヤマト兵は、タケルが守る山の麓に押し寄せた。
「ははっ……何度来ても同じだ。 弓隊、構えよ! ――放て!」
タケルはヤマト兵に無数の矢を浴びせる。
だが、今度のヤマト兵は、頭の上に木の盾をかざすと、その場で足を止めた。
「……いつもと違う……打ち方、止め!」
神つ国軍の矢が止まった。
難升米は叫んだ。
「退却! たいきゃーく!」
ヤマト兵は逃げるように去っていった。
タケルは大声で笑った。
「あっはっは……ヤマトには、もはや戦意はないぞ!」
そこに伝令が走ってきた。
「尾根の登り口から都市牛利隊が来ます!」
「ようし、我が行こう」
タケルが走り出そうとすると、近くにいた物見の兵が叫んだ。
「ヤマト軍がゆっくり戻ってきます!」
タケルが振り向くと、先ほど逃げていったのとは別の部隊のようだった。
入れ替り攻めるつもりのようだ。
「むむっ……(どうすれば……奴ら、退いたように見せかけて……別動か?)」
その時、ホヒが口を開いた。
「ここは我らにお任せあれ。タケル殿は都市牛利をお願いいたす。あれは豪の者です」
「うむ……では、お願いする」
少し間があったがタケルはそう言うと、尾根に向かって走った。
だが――
「都市牛利は、見えたと思ったら、すぐに引きました!」
尾根を守っていた兵の一人はそう言って、背筋を伸ばした。
タケルは唸った。
「むむむ……我を愚弄するか……」
難升米は大声を上げた。
「第二陣、退却! 全力で走れ!」
そして、今度は自分も走り出した。
(台与が遠くに行くまで、奴らの目を我らに引きつけねば……)
難升米は叫んだ。
「盾に矢が十本ある者は、飯大盛りだ! さあ、急げ!」
※
ヤマトの陣営に活気が戻った。
兵たちの口数も自然と増えた。
「あーあ、我は九本だったよ……穴なら十あるんだけどなあ……」
そこに難升米が通りがかった。
「なら大盛りでいいぞ!」
「ホントですか? やったあ!」
「まじかよ……」別の兵士が呟く。
別の集団では、こんな声が。
「我の盾、大きくしようかな……」
「汝、それはずるだぞ」
難升米はその兵を見つめた。
「別に構わんぞ! ただし、持って走れる大きさにしろよ?」
「あ……ありがとうございます!」
「ありなのか……」
正面を向き直ると、都市牛利が剣の素振りをしていた。
難升米が歩み寄ると剣を止め、横目でじっと難升米を見つめた。
「……え? 今晩夜襲する? 良いけど……兵糧、保つかのう……?」
※
数日後――
タケルは酒を片手に焚き火を見つめながら、呟いた。
「今日も右へ左へ走ったが、一人も斬らなんだ……」
傍らのワカヒコはタケルを見つめた。
「明日はタケル殿は、尾根口にいらしたら如何でござろう?」
「さよう。都市牛利には貴方しか対抗できぬ。ここは我らで守りますゆえ……」
ホヒも続いた。
タケルは二人を見つめて呟いた。
「ありがたい。そうさせてもらおう……」
しかし、その翌日――
難升米は剣を振りかざして叫んだ。
「神つ国のタケルは、ここにはおらぬぞ! ――攻めて攻めて攻めまくれ!」
難升米は神つ国陣に正面から猛攻撃をかけた。
ワカヒコとホヒの弓隊は押された。
だが、タケルが戻ってきた時には、難升米は逃げるように去っていった。
難升米は後ろを振り返りながら叫んだ。
「はっはっは! ヤマトの力、これからも見せてやるぞ!」
タケルは、難升米の背中を睨みながら唸った。
「はあはあ……はっ……はは……負け惜しみではないか……」
※
その間に――
台与は山道を進み続けていたが、ようやく人里が点在する所まで来た。
「この辺りで、一旦休みましょう」
隣を行く金玄基に馬上から話しかけた。
その金玄基は、自分の背中に神つ国の神官を乗せ、腰に掴ませている。
その神官は呟いた。
「助かります。四本足は揺れて揺れて……」
言うが速いか、ひょいっと飛び降りた。
金玄基は、台与に尋ねた。
「あと少しで山道を抜けます。先を急いでもよろしいのでは?」
すると、台与は背後に目を流した。
「馬に乗る私はまだ平気です。ですが、徒士の兵たちはぬかるみを歩いてきました」
台与は足場を見つけて馬を寄せると、ひょいっと飛び降りた。
一行は、山の斜面に腰掛けて一息入れた。
そこへ――
神官の姿があったからだろうか。
人里から数名の住人が、小さな握り飯をのせたざるをもって出てきた。
「どうぞ、召し上がってくだされ。まだございますから」
金玄基は、それをぺろりと口に入れた。
空腹にしみた。
ちらりと隣の台与に目をやった。
台与は目をつぶり、大事そうに食べていた。
だが、しばらくすると、その目から涙が流れ落ちた。
(やはり強がりを言ってもまだ子供……この行軍は辛かったのだろう……)
金玄基がそう思っていると、
台与はおもむろに呟いた。
「……おいしい……」
金玄基は台与を見入った。
台与は続けた。
「国を支えているものはなにか……これを食べて改めて分かりました」
目からは涙が溢れていたが、その顔には笑みがあった。
金玄基は、思わず台与に向かって膝を折り、両手をついて頭を下げた。
近くにいた数人も同じようにしている気配を感じた。
泣いたように笑っている石地蔵は、この時の台与の表情がモデルとなっている――
とか、そうでないとか。
お読みくださりありがとうございました。
「そうではないに決まってるだろ!」シリーズ・第一弾をお届けしました。急遽思いつきました。
次回「第39話 神をめぐる戦い〜祈りの山〜」
戦場で祈る人々とは?ピンチ入り前のひと休み回です。
(木曜20時ごろ更新予定です)




