第36話 神をめぐる戦い〜その始まり〜
神は沈黙し、人は迷う。
それでも歩みを止めぬ者がいた。
――沈黙は、終わりではなく始まりである。
台与は、金玄基と共に神棚を整えていた。
右手には、神つ国の山々が連なる。
尾根には軍旗がたなびき、頂は狼煙を上げていた。
ヤマト軍の攻撃を待ち構える軍団の人影もちらちらと見える。
空には黒い雲が走り、冷たい風が身を凍らせる。
春の訪れは、まだ遠く感じられた。
「では、始めましょう」
そう呟くと、台与は神棚に向かい、榊をかざして祈った。
この時はまだ、神が応えてくれると信じていた。
※
その頃、阿蘇の社には――
賓客が訪れていた。
その客は、阿蘇の大巫女の前で両手をつくと軽く頭を下げながら、にっこりと笑った。
「阿蘇の大巫女様にはお変わりもなく……」
阿蘇の大巫女の顔もほころんでいる。
「霧島の大巫女、よう参った。久方ぶりじゃの……もう何年になるか?」
「あれ以来でございますから、もう三十年以上にはなるかと」
「そうか……お互い、歳を取るわけじゃの」
「あら、お姉様。まだお若くいらっしゃいますわ」
「……世辞を言うでない。クニトラ殿も息災と聞く……もしや、その話か?」
霧島の大巫女は、薄く笑った。
「はい。息子クニトラもいい歳になりましたので、私はそろそろ身を引こうかと」
「……ふむ。霧島は代々、阿蘇より大巫女を迎える定めゆえの」
二人を取り巻く巫女たちが、隣合う者同士、顔を見合わせてざわめいた。
阿蘇の大巫女が彼女らをちらりと見やると、巫女たちは口をつぐんだ。
「分かった。良き者がおるゆえ、近々向かわせよう」
「ありがとうございます、お姉様。よろしくお願いいたします」
そう言うと、霧島の大巫女はにっこりと笑い、再び両手をついた。
阿蘇の大巫女も目を細めた。
だが、次の瞬間、その眼光は鋭くなった。
「……クニトラ殿にお伝えあれ。ヤマトへの狼藉は許さぬ、とな」
霧島の大巫女は顔を上げると、口角を上げ、目を光らせた。
「あら。我が王家は神の流れを汲む名門……そのようなこと、致しませぬとも……」
二人の大巫女は、そのまま微動だにせず、お互いを見つめ合った。
やがて、阿蘇の大巫女が口を大きく開けた。
「そうじゃったのう!」
「そうですとも! ふふふ……」
霧島の大巫女は袖で口元を抑えて笑った。
二人の笑い声が、阿蘇の社の高殿に静かに響いた。
※
香取では――
「……いたたたた……」
ウヅは、しおれた花のように、その場に崩れ落ちた。
その姿を見つめながら、香取の大巫女は尚も木剣を構えた。
「立て! 立つのじゃ、ウヅ!」
「大巫女様……やはり僕には……」
ウヅは尚も立とうとはしない。
大巫女に魅せられ、武術に励み始めたウヅだったが、立ち合うとこんな調子だった。
それを見ていた巫女たちは囁き合った。
「私たちよりは強くなったけどね……」
「毎日寒稽古してるんでしょ? それでも、だからね……」
「大巫女様がお強すぎるんだわ……」
香取の大巫女は静かに木剣を下ろした。
「ウヅ。そなたに出来ぬと申すのなら、無理は言わぬ。だが……」
ウヅが顔を上げると、香取の大巫女はさっとウヅの鼻先に木剣を突きつけた。
「弱々しいことは女子の証ではないぞ」
ウヅはそのまま黙って香取の大巫女を見つめた。
(……お美しい……)
ウヅは、落とした木刀に手を伸ばすと、ゆっくりと立ち上がった。
「大巫女様、お願いします!」
「では、参る!」
――バシーン!
……カランコロン……
ウヅの木剣は再び床を転がった。
修練の日々は続く……。
※
台与は手にした亀甲をじっと見つめた。
(……今年は雨が多い……)
卜の結果を判じると、傍らを見やった。
視線の先では軍議が始まっていた。
開口一番はナギサヒコであった。
「状況を説明せよ」
「では、ご説明いたす」
そう応じたのは明の彦尊。ここまでは言葉通りに道案内をしてきた。
「我らは今この辺り。敵が籠もる山の向こうが、かの葦原中国にござる」
その場の全員が、卓上の盤面を見入っている。
明の彦尊は続ける。
「備の彦尊が、こちらからこの道を通って攻める手筈となっておる」
「敵の裏から攻めるんじゃな?」ナギサヒコが呟くと
「さよう。挟み撃ちにござる」
そう言う明の彦尊を、難升米はちらりと見やった。
都市牛利は腕組みをしてじっと盤面を見つめている。
久米は少し離れた所から、軍議を聞いていた。
「備の彦尊は、よく動きましたな」難升米が明の彦尊に尋ねると
「我が説得いたしたわ」明の彦尊は得意げに答えた。
◇◇◇
「いやあ、ヤマトが神つ国を手に入れたら、もう備の剣など……売れんでしょうな……」
「なぜじゃ?!」
明の彦尊がそう言うと、備の彦尊はすっくと立ち上がった。
だが、すぐに座り直して尋ねた。
「そうか……そうじゃな……拙いぞ。明の彦尊、なにか良い知恵はないか?」
「それはもう、我らと共に出兵するのです。そして、備の剣の方が強い、と示すのです」
「我の国の剣は、神つ国の剣などに負けてはおらぬぞ?」
「もちろんです……が、世間は思い込みが激しいもので、そうとは存じませぬ」
「むむむ……」
「これは絶好の機会ですぞ、彦殿……」
備の彦尊がヤマト連合の要請に応じて出兵を決めたのは、この数日後であった。
◇◇◇
明の彦尊は難升米に向かってにんまりと笑った。
都市牛利が明の彦尊をギロリと睨んだ。
難升米はじっと見つめた後、無言で頷いた。
ナギサヒコが台与に目を向けた。
「して、卜の結果は?」
「今年は長雨となるそうです」
台与は歩み寄りながら答えた。
ナギサヒコは目を丸くしていた。
「戦の勝敗を尋ねておる」
「それには……神は答えませんでした。おそらく、迷っておいでなのです」
「神が迷う? はっ、そんなはずは無い」
ナギサヒコは鼻を鳴らすと、台与から目を逸らして立ち上がった。
そして、敵陣の方に向かって数歩歩むと、立ち止まってその山を眺めた。
「……まあ良い、始めようか。攻撃じゃあ!」
正始二年三月某日――
神は沈黙したまま、春は来なかった。
――ヤマトと神つ国の戦は、こうして始まった。
※
ヤマトの兵が駆けて来る様子を山上から見つめながら、神つ国のタケルは呟いた。
「来たな、ヤマトめ……目にもの見せてやろう」
そして、ヤマト兵が山の麓を登り始めるのを見届けると、手にした剣を高々と掲げ叫んだ。
「今だっ、石を落とせ!」
神つ国の兵たちが、木の丸太を使って大岩を動かそうとする。
あらかじめ用意してあった大きめの石を両手で持ち上げ、それを斜面に落とす兵もいた。
石は音を立てて斜面を転がり、山肌を跳ねる度に勢いを増していった。
――ゴロンゴロン
集団で斜面をよじ登るヤマト兵は、とっさに避けられなかった。
「うわあ!」
「石が来るぞ、避けろ!」
「ぐふっ!」
「おわあああっ、こっち来た!」
まともに受けた者は斜面を転がり落ちる。
悲鳴が上がる。無言で倒れる者もいた。
そうした様子がヤマトの兵士たちを怯えさせた。
難升米は、ナギサヒコの隣でこの様子を見つめていた。
「被害……甚大です」
ナギサヒコは眉間に皺を寄せ、両の手を固く握りながら唸った。
「使える石など、数が知れておろう。攻め続けよ!」
「はっ」
難升米は指揮官を横目で見た。そう答えるほかなかった。
※
山の上にいるタケルは、にやりと笑うと鼻を鳴らした。
「ふふふ……懲りない奴らだ」
確かに石はもう無い。
だが、秘策はまだあった。
「戦は始まったばかりだ、鉄の矢じりはまだ使うなよ? 弓隊、用意!」
再び近づいてくるヤマト兵を見ながら吠えた。
「――放て!」
神つ国の陣から、光を跳ね返すものが一斉に飛び出した。
※
「ぐわ!」
「うっ!」
ヤマトの兵たちが悲鳴を上げて倒れてゆく。
輝く矢じりはヤマト兵の目を射抜いた。
だが、鎧に当たった矢は衝撃だけを残して地面に落ちた。
「つららだ! 氷の矢が降って来る!」
兵の一人が上げた声は正確な状況を伝達していたが、聞く者には衝撃を与えた。
難升米は呟いた。
「ナギサヒコ様……味方が混乱しています」
ナギサヒコは歯噛みした。
「だらしない奴らだ……矢とていつまでも続くものではない。攻め続けよ!」
難升米は叫んだ。
「――攻撃を続けよ!」
――わああああああ!
ヤマトの兵たちは鬨の声を上げながら、再び山上を目指して駆け出した。
※
タケルは麓を見下ろしながら、高らかに笑った。
「はっはっは! 氷の矢じりなら、まだまだあるぞ!」
そして、近くにいた兵の一人を呼びつけた。
「おい、汝。 風穴に行ってミノルに伝えよ。 予備を寄越せ、とな」
「はい!」
伝令が走っていくと、タケルは隣りにいたワカヒコに問いかけた。
「いかがでござる、氷の矢じりは?」
「我の弓には、ちと軽いですな……ですが、慣れれば正確に射抜けます」
ワカヒコは自分の弓を絞りながら答えた。
タケルは薄く笑った。
「貴方の弓は強弓だからな。鉄の矢じりのも使ってくだされ」
「いやいや……雑魚にはもったいない。ナギサヒコでも来れば、別ですが」
そう言うと、ワカヒコはにやりと笑った。
その隣から、ホヒが声を上げた。
「ヤマトが中腹まで来ました!」
タケルはにやりと笑った。
「では、そろそろ参ろうか……者ども、剣を抜け! 神つ国の強さ、見せてやれ!」
オオーッ!
神つ国の陣も鬨の声を上げた。
タケルが出雲聖剣を引き抜いた。剣は神々しく光輝いた。
それを、高々と掲げると、タケルは吠えた。
「――行くぞ!」
そして、飛ぶように斜面を駆け下りていった。
※
神つ国の剣兵たちが一斉に尾根に姿を現した。
かと思うと、一斉に山を駆け下りてきた。
戦況を見つめながら、難升米は思った。
(あの剣が光ってる奴……強かねぇ……触れることすらできんたい……)
そして、隣のナギサヒコをじっと見つめて言った。
「味方が、押されています!」
ナギサヒコは怒筋を立てながら唸った。
「むむむ……なんと情けない奴らよ……撤退じゃ!」
難升米は大声で叫んだ。
「てったーい! 撤退せよ!」
※
タケルは逃げるヤマト兵の襟元をつかんで引き寄せると、その背に剣を突き立てた。
「剣はこうやって使うもんだ! 覚えたか、ヤマト?!」
ヤマト兵の悲鳴が響く。
「わあああ!」
「……うぐっ!」
「引けっ! 引けー!」
「……あうっ!」
ヤマトの兵たちは槍も剣も投げ捨て、ひた走りに去っていった。
タケルは剣を掲げて叫んだ。
「止まれ! もうよかろう! 大勝利だ!」
神つ国の兵たちが一斉に大声を上げた。
――えい、えい、おう!
――えい、えい、おう!
――えい、えい、おおう!
タケルは剣を掲げながら、ヤマトの陣を眺めた。
「はっはっは! ヤマトめ、思い知ったか?!」
※
タケルが見つめる先に、台与はいた。
戦場の様子をじっと見つめていた。
台与は呟いた。
「これが……神の意思なのでしょうか……」
だが、その声は、先ほどから降り出した雨の音に消えた。
その後ろではナギサヒコが吠えていた。
「明日は火攻めだ! あの山を燃やせ!」
「はっ」
難升米が深々と頭を下げた。
台与は、天を見上げながら亀甲にそっと触れた。
――まだ、沈黙は答えではない。
お読みくださりありがとうございました。
年明けそうそう負け、というヤマト……不景気すぎる。
次回「第37話 神をめぐる戦い〜舌戦〜」
もう台与様しか頼れる人はいないっ
(木曜20時ごろ更新予定です)




