第32話 第0次・勢場ヶ原の戦い
「敵軍、天より下れり」ーー来ぬ国の王・クニトラは、自軍を鼓舞して突撃を命じた。
迎え撃つは、ヤマト久米騎兵隊。初陣にして勝利目前──だが、戦場には思わぬ落とし穴が待っていた。
勝敗を分けるのは、兵力か、兵器か。それとも……人の心か。
正始元年十一月某日・未明ーー
久米率いるヤマト軍は金玄基の道案内で山道を抜けた。
眼前に広がる平地、その奥には坂になった扇状地が広がる。
さらにその先の山の上には、来ぬ国軍の野営陣地があるはずだ。
ここは、勢場が原ーー
「……と、この辺りでは呼ばれています」
金玄基は久米の隣から、そう語りかけた。
久米はまだ半信半疑であった。
「暗い内に攻めかかったほうが良いのでは?」
「いいえ、騎兵は平地の方が威力を発揮します。ここで待つのが得策かと」
東の空が薄っすらと白み始めた。
※
辺りが明るくなるにつれ、来ぬ国・野営陣地のどよめきは、大きくなった。
「背後にヤマトがおるぞ……」
「信じられん……いつの間に……」
「退路を断たれた!……我らは帰れるのか?!」
不安が不安を呼ぶ。
陽が高くなるほどに、来ぬ国兵たちの動揺は広がっていった。
タギリヒコは唸った。
ウネビヒコは目を疑った。
クニトラは腕組みをし、悠然と麓のヤマト軍を見つめていた。
やがて、重い口を開いた。
「敵軍ーー天より下れり!」
その言葉に、兵たちは落ち着きを取り戻していった。
ウネビヒコは、クニトラの横顔をじっと見つめながら思った。
(兵が空を飛ぶはずはないが……この人が言うと、不思議と冷静になれる)
タギリヒコが叫んだ。
「なにがヤマトだっ! 叩き斬ってやるっ!」
オォー!オォー!オォー!
来ぬ国の兵たちの鬨の声が大地を揺らした。
クニトラは、しばらく無言のままだった。
やがて、ゆっくりとヤマト軍を指差して、ウネビヒコに尋ねた。
「あれは、何じゃ?」
「我も初めて見ます。四本足なんぞに跨って……あれで戦うつもりでしょうか?」
タギリヒコは吠えた。
「はっは、無理無理! 四本足ごと叩き斬ってやるっ!」
クニトラはタギリヒコに言った。
「よし、タギリ。当たれ」
「はっ!」
タギリヒコは勢いよく飛び出した。
配下の兵たちも、大声を上げながら駆け出した。
※
久米は、金玄基に顔を向けた。
「来ぬ国の兵が下りてきました」
金玄基は応えた。
「騎兵は勢いが命です。息を入れつつ……でも、敵前で止まってはなりません」
「ええ、分かっています。では……行くぞ!」
久米率いる騎兵二十が、一斉に駆け出した。
同時に久米の副将が、剣を引き抜いて叫んだ。
「全軍、前進!」
ヤマトの兵たちは足音を鳴らしながら、整然と歩み始めた。
※
来ぬ国の兵たちは雄叫びを上げながら、山を駆け下りた。
だが、眼前に現れたのは黒い塊——それは動く壁のような集団だった。
馬蹄が地を叩き、槍が突き出される。
その槍は一瞬にして、人体を分離した。
馬は来ぬ国の兵を跳ね飛ばし、あるいは蹴り上げ、踏みつけた。
そして、風のように通り過ぎた。
来ぬ国の兵たちが口々に叫んだ。
「どうすりゃいいんだ?!」
「逃げろ! 隠れろ!」
将の声は埋もれ、混乱が漏れる。
タギリヒコは剣をぶら下げたまま、その場に立ち尽くした。
「……なんだ今のは?!」
※
ウネビヒコは山上からその様子を見て唸った。
「おおっ、部隊が真っ二つに……」
クニトラはまだ、腕組みをしたまま、悠然と戦の様子を眺めている。
だが、その眼光は先程よりも鋭くなっていた。
※
タギリヒコの部隊を突破した久米は、馬首を返した。
「よしっ、一旦停止! 息を入れ直せ!」
振り返ると、自分が通ってきた道がはっきりと見えた。
久米は、自分のしたことに背筋が凍らせた。
(これが……四本足の威力……)
馬が鼻を鳴らして地面を蹴る。息が整ったようだ。
久米は、槍を掲げながら叫んだ。
「もう一度、行くぞ! 突撃!」
※
「タギリヒコ様! 背後から四本足が来ます!」
「ええいっ……叩き斬れっ!」
タギリヒコは眼前に迫るヤマト歩兵隊に背を向けて、後方に走り出した。
「ーーぬおおおおお!」
剣を振り上げ、ヤマト騎兵の一人に躍りかかろうと飛び上がった。
その瞬間ーー
ーードンッ!
跳ね飛ばされ、体が宙を舞った。
時間が止まったかのようだった。
目に飛び込んで来たものは、色だけが広がる世界。
少しくすんだ白と青……。
(あれは……何じゃろう?)タギリヒコが、そう思った瞬間ーー
ーードスッ
衝撃を感じた。だが、痛みは感じなかった。
(大地に叩きつけられた?)
そう思った瞬間、再び時間が流れ始めた。
全身を痛みが襲う。
「ゴフッ……」
タギリヒコは喉の奥に詰まったものを吐き出した。
※
「タギリが……おのれぇ……」
ウネビヒコが駆け出そうとした瞬間、クニトラが制した。
「ーー待て!」
「彦尊! あいつの骨を拾わせて下さい!」
「タギリは死んでおらぬ! 耐えよ……」
「しかし、このままでは……!」
「我も、耐えておる……」
次の瞬間、ヤマト騎兵を凝視するクニトラの目が鋭く光った。
「タギリに退却の合図を鳴らせ!」
※
「はっはっは! 背に翼が生えたようだ!」
久米は堪らず、大声を上げた。
馬上で風を切るたびに、全身の血が沸き立った。
(我は無敵だ。人が虫けらに見える……)
そして、馬の歩を緩め、ヤマトの歩兵隊の前で止まった。
副長が声を上げた。
「隊長! 敵が引いてゆきます!」
「うむ、追撃だ。 我に続けぇ!」
久米は馬首を返して、再び駆け出した。
金玄基は、思わず手を上げた。
「ああっ、馬で山登りは……」
その声は届かなかった。
久米と二十人の騎兵は、逃げる来ぬ国の兵を追った。
逃げ遅れた者に、次々と止めを刺した。
(魏人だからと鼻にかけおって……見ておれよ!)
久米は心底から、そう思った。
だが、坂を登るにつれて……
(あれっ、足が鈍ってきたか……?)
※
ウネビヒコが号令を掛けた。
「弓隊ーー構え!」
クニトラは黙ったまま、久米たちの動きを見据えていた。
タギリヒコの部隊が息を切らせながら自陣を目指す。
ヤマト騎兵は彼らを背から串刺しにする。
その様子を見つめながらも、クニトラはなお無言だった。
(だが……)
久米隊がいよいよ目前に迫った。
その瞬間、クニトラの目は強く光ったーー
「ーー放て!」
次の瞬間、山肌が鳴った。
無数の矢が空を裂き、唸りを上げて降り注いだ。
その矢は、久米たちヤマト騎兵には当たらなかった。
だが、馬が驚いて前足を大きく上げた。
「わっ、こらっ! どうした?! 言うことを聞け!」
久米は手綱を離さずにいることだけで精一杯となった。
先頭の久米の馬が方向を変えると、後ろの馬も次々と反応した。
恐怖は言葉より速く伝わり、群れ全体が一斉に反転した。
クニトラは口元を緩めた。
そして、帰ってゆく久米たちを指差した。
「見よ。 あやつらは、四本足に助けられておるだけじゃ」
その時ーー山頂から冷たい風が吹き下りた。
クニトラは目を細めた。
(……風、来たれり)
クニトラは剣を抜き放つと、自軍を振り返った。
「今だ! 我に続け!」
来ぬ国の兵たちの半数が一斉に山を下り始めた。
ヤマトの歩兵隊も一斉に山を駆け上がった。
両軍は、勢場が原でぶつかり合った。
大地がうなり、空気が裂けた。
※
金玄基は馬上から眺める限り、ヤマト軍は劣勢だった。
(久米さん……どこに……)
目前に来ぬ国の兵が迫る。
その中に、ヤマト兵を大剣の一刀の元になぎ倒した男がいた。
その男が、ゆっくりとこちらを振り返った。
「……黒い甲冑、異様な静けさ……あれが——王!」
この時、金玄基は初めて、来ぬ国の王・クニトラを見た。
クニトラはゆっくりと、こちらに近づいて来た。
尚も数人のヤマト兵が横から飛び掛かった。
だが、まるで最初から見ていたかのように斬り伏せる。
歩みが止まる気配は、全く無かった。
(ここで死ぬかも知れない……!)
金玄基は、そう思った。
その時ーーどこからともなく声が響いた。
「久米様が戻ってきたぞ!」
※
久米の騎兵隊が来ぬ国の後方に取り付くと、状況は一変した。
来ぬ国軍は方向を変え、ヤマト兵をなぎ倒しながら去って行った。
金玄基は、九死に一生を得た……ような心持ちだった。
改めて戦場を眺めると、無数に転がった死体が教えてくれた。
「お前が生きているのは……偶然なんだぞ……」
近くでは、久米が報告を受けていた。
「死傷者、三百余名! 戦える者は、もう残っておりません……!」
久米は、言葉を失ったまま立ち尽くした。
※
クニトラは、沈む陽を背に、一人たたずんでいた。
そこに、ウネビヒコが駆け寄ってきた。
「彦尊。手負いの者が二百余人……」
クニトラは無言で頷いた。
だが、一瞬だけ唇が歪み、強く食いしばった白い歯が覗いた。
ウネビヒコは、次の言葉を詰まらせた。
「死者に、百人隊長が八名……皆、勇敢に戦いました……」
クニトラは目を閉じて天を仰いだ。
そのまま大きく息を吐くと、尋ねた。
「タギリは?」
「タギリヒコは無事です……鼻血が止まりませんが」ウネビヒコは目を細めた。
「……では、退こう……だが」
クニトラは、戦場を振り返った。
「あの四本足は……なんとかせねばならぬ……」
そう呟くクニトラの目は、強い光を放っていた。
お読みくださりありがとうございました。
「日本に初めて騎兵が登場した時、何を思ったのか?」ーー歴史上の合戦をモデルに、そんな想像をしてみました。
次回「第33話 ヤマト・第三幕〜女王の決意〜」舞台はふたたびヤマトへ。いよいよ、神の裁可が下ります。
(木曜20時ごろ更新予定です)




