第29話 台与と大巫女、ときどきイセエビ
伊勢の社では、ヤマト開催の準備が進められていた。
各国の王たちが続々と集う一方で、ひとりの若い巫女・ウエツが揺れ動く。
倭国は今、華やかさと不穏さが交錯する「ヤマト」の時を迎えようとしていた。
伊勢の社では、イセエビとクジャクがヤマト開催の準備に追われていた。
「だが、今回は楽でよいの」
イセエビが呟く。それにクジャクが応じている。
「いつもは阿蘇と香取の大巫女様にお伺いしてから、各国の王に使いを送るんだが」
「今回は御三方ともに、じゃからな」
「手間が省けた」
イセエビは傍らの木箱から木札を取り出した。
「参加の国じゃ。明の国、神つ国、備の国、砂の国、木の国、登の国……」
「あいよ」
「来ぬ国、不参加」
「またか……まあよい。いつか討とう」
「そうじゃな。次じゃ、余の国……」
イセエビの声が止まった。
クジャクは、ちらりとイセエビに目をやった。
「うん? いかがした?」
イセエビはクジャクの目をじっと見つめた。
「……余の国……参加」
その場には一瞬、沈黙が広がった。
クジャクは眼光を鋭くして唸った。
「……一波乱、ありそうじゃな」
※
そこに、一人の若い巫女が静かに近づいてきた。
白衣の袖が揺れ、かすかに香の匂いが漂う。
巫女は膝をそろえて座り、両手をすっと床に置くと、そのまま花のように深々と頭を下げた。
「イセエビ様……」
「お、おう……ウヅか。なんじゃ?」
「木材商人が参っております……」
「またか……追い返せ。 此度は新たな神殿は建てぬ」
「はい……」
巫女はたおやかに一礼すると、ゆっくりと立ち上がり、そして去って行った。
イセエビは、その間木札を見ているふりをした。
やがて、ブルブルッと背筋を震わせた。
「どうした……?」クジャクが尋ねた。
「いや、あの巫女な……」
「最近、阿蘇から参った巫女であろう?」
「ああ……じゃが、他の巫女たちがな……」
イセエビはクジャクの耳元に顔を寄せ、囁いた。
「男ではないか?と……」
再びその場に沈黙が広がった。
クジャクは俯いて首を振った。
「……阿蘇の大巫女様もなあ……」
「お歳を召されたからな……」
イセエビは新たに取り出した木札をじっと見つめた。
※
その頃、当の阿蘇の大巫女はーー
台与らに伴われ、ヤマトの地へと向かう船の中にいた。
「イヨや……もう一度、洛陽の話を聞かせてたもれ」
「はい、大巫女様」
台与は大巫女の隣に腰を下ろした。
「何からお話いたしましょう?」
「そうじゃな……市の話が良いのう」
「(また……?)市のお話は、もう何度も……」
「市の話が良いのじゃ」
「はい。では……」
台与は懸命に、市で見聞きしたことで、まだ話していないことを思い出そうとした。
だが、すぐには出てこなかった。
◇◇◇
最初に洛陽の話をした時ーーもう一年近く前だがーー
阿蘇の大巫女は、話の最後に尋ねた。
「……イヨが、洛陽で見た『夢』は、何じゃ?」
「夢……ですか?」
「もっとも心打たれたこと……かの?」
台与は即座に答えた。
「鹿を……逃がしました……」
「鹿……?」
台与は少しうつむいて答えた。
「鹿は静かに、私を見つめていました。私には……その目が忘れられません」
大巫女はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく笑った。
「イヨや……よきことをしたのう。やはり行かせて良かったわい……」
◇◇◇
(いけない、市の話だった……ええっと……)
台与が小さく唸っていると、大巫女はナカツヒコに尋ねた。
「ナカツヒコ……洛陽では、いくら儲けたのじゃ?」
「使った分と、米も買い戻しましたので、残りは……これくらいにございまする」
ナカツヒコは、広げた左手のひらに右手の指を三本押し当てた。
大巫女は目を細めて呟いた。
「……そうか。やはり、都とやらは、よいの……」
「はい。やはり、人が集まるところに財も集まります」
大巫女は、にやりと笑った。
ナカツヒコも口角を上げ、肩を震わせた。
※
阿蘇の大巫女と台与が談じている頃ーー
駿河の海を行く船の舳先では、香取の大巫女が静かに海を眺めていた。
その傍らに控えるのは、従者の伊支馬である。
「伊支馬……汝が富士を見るのも、これが最後じゃの」
「はっ」
「最後まで役目を果たせ」
「ははーっ」
伊支馬は深々と頭を下げた。
その声には、どこか冷たい風が混じっていた。
※
その頃、来ぬ国の港にはーー
潮の匂いが濃く漂っていた。
琉球の商人たちが積み荷を下ろし、縄を張り直している。
来ぬ国の王・クニトラは黙ってその光景を見つめていた。
隣に控えるアラツヒコが、そこにいた男に声を掛けた。
「ニライ!」
ニライが歩み寄り、深々と頭を下げる。
「彦尊……たった今、商談をまとめたところにございまする」
「米か?」
「はい。昨日は商人たちと山に入り、来年の木を見せました」
「買い手はついたか?」
「はい。大勢つきましてございまする」
クニトラは無言で頷いた。
「琉球に戻ったら、兵も百ほど調達せよ」
「兵、でございますな。すぐに、手配いたしまする」
ニライは深々と一礼すると、また船へと戻っていった。
その後ろ姿を静かに見つめるクニトラに、アラツヒコが尋ねた。
「百ですと……増兵でごわすな」
「うむ」
海を眺めるクニトラの瞳が、夕陽を跳ね返して鋭く光った。
「例の邑をーー獲る」
※
同じ頃、他の国ではーー
明の国の彦尊が、神つ国の彦尊の元を訪れていた。
「……酷い話です。ナギサヒコめ……」
明の国の彦尊は低く唸った。
「我が『親魏倭王印を奪おうとしていた』などと言いがかりをつけるのです……」
「なんと……」
「彦尊。ヤマトでは何卒、よしなにお取りなしを……」
「分かっておる。 そなたに限って、そのようなことあるはずもない」
明の彦尊は両手をつき、深々と頭を下げた。
「ありがとうございまする。よろしくお願いいたしまする」
神つ国の彦尊は、その目を大きく見開いた。
「任せておけ。我らの国を奴らの好きにはさせぬ」
明の彦尊は平伏したまま、にやりと笑った。
※
備の国の彦尊はひとりごちた。
「そろそろ参るか……ヤマト……儲けにはならんのだがな……」
砂の国の彦尊は腹いせに、妻の頬を引っ叩いた。
「くそっ!……またあの大巫女が……ああ、腹立たしい!」
木の国の彦尊は、従者を怒鳴りつけた。
「ーーまだ調べがつかんのか! ヤマトが始まってしまうではないか!」
登の国の彦尊は、上機嫌であった。
「ささ、参ろうぞ。皆もヤマトへ参るのじゃ。ささ、はよう支度いたせ」
※
ウヅは、門前の男に向かって静かに頭を下げた。
その男は怪訝そうな表情のまま、くるっと向きを変えると、足早に遠ざかっていった。
(……伊勢に来ても一緒……)
ウヅは、その男を静かに見送りながら思った。
社殿に戻ると、一人の巫女が声を掛けてきた。
「ウヅ、大お姉様がお呼びよ」
「はい……」
大お姉様とはーーナナキメという名の巫女である。
伊勢の社の巫女たちを取りまとめている。
ウヅにとっては上役であった。
ウヅは巫女の後をしずしずと歩いた。
ナナキメは、すでに広間に腰を下ろして待っていた。
「ウヅ……」
「はい」
ウヅが膝をつこうするとーー
「ーー立ったままで良い」
ナナキメが声を荒げた。
そして、ウヅを睨みながら続けた。
「袴の中を見せなされ」
ウヅは戸惑いのあまり、思わず身を縮こませた。
「えっ……い、いやです」
「見・せ・な・さ・れ!」
ウヅは、足がすくんで動けなくなった。
何をされるのか分からない。ただ恐ろしくて、涙が止まらなかった。
ナナキメは、ウヅを鋭く目で見上げながら言った。
「貴女を、男だと申す者がおります」
「僕は……女子です……」
「な・ら・ば!」
ナナキメは意地悪く目を細め、周りの巫女も息を潜めて見守っていた。
誰も助けてはくれない。
ウヅはただ震えるしかなく、その場に崩れ落ちた。
その時、部屋の奥から明るい声が響いた。
「おやめなされ〜」
ウヅが顔を上げると、そこには伊勢の大巫女の姿があった。
「お、大巫女様……」
「何をなさっているの? 無体な……」大巫女の声は徐々に低くなっていく。
「でも、ウヅが……」
「ーーお黙りなさい!」
大巫女は目を大きくして大姉を見下ろした。
「皆、下がってよろしいのよ?」
「はっ、はい……」
ナナキメをはじめ、その場にいた巫女たちは部屋から去っていった。
大巫女はウヅに歩み寄ると、静かに膝を折った。
そして、目に涙を溜めたウヅをそっと抱き寄せた。
「怖かったでしょう? もう大丈夫よ……」
「大巫女様……」
ウヅは溢れ出る涙を止めることが出来なかった。
温もりに包まれると、張りつめていた心が一気にほどけていった。
(……やっと、信じてもらえた……)
涙が止まらず、胸の奥から嗚咽がこみ上げた。
大巫女は耳元で囁いた。
「泣いてよいのよ……あなたは、ここにいてよいのだから」
その一言は、ウヅの小さな肩を震わせた。
広間は静まり返り、外から吹き込む風の音だけが響いていた。
先ほどまでの冷たい視線は消え、そこにはただ、母が子を抱くような温もりだけがあった。
柱の陰では、イセエビが静かに成り行きを見守っていた。
やがて小さく頷くと、心の内で呟いた。
(大巫女様……ならば、我も追及すまい……)
※
ヤマトの地には、続々と各国の王が集まってきていた。
早くも、己が国の誇りを示そうとする者が現れた。
ある者は舞姫を従えて華やかな舞を披露し、またある者は太鼓を轟かせ祭囃子を奏じた。
槍を突き立てる音が響き、剣舞に汗を散らす兵の姿もある。
それぞれの国が己の力を示し合い、笑みを浮かべながらも、眼差しは鋭く火花を散らした。
この華やかさの裏で各国の思惑が渦巻く……
ーー間もなく、ヤマトの時を迎えようとしていた。
お読みくださりありがとうございました。
大和よりヤマト・開催前の緊迫した空気をお届けしました。
次回「第30話 ヤマト〜波乱の幕開け〜」いよいよ本番、僕まで緊張してきちゃいました。
(月曜20時ごろ更新予定です)




