第28話 ヤマト発進
囚われた金玄基の処遇はーー?
台与は一計を案じて邑を取り込む。
ヤマトは後顧の憂いを断ち、前進し始めるのであった。
正始元年十月某日ーー
金玄基は、難升米のすぐ後ろを歩いていた。
どこへ行くのかは分からない。
難升米が馬上から、隣を歩く騎兵に呟いた。
「久米……脅かし過ぎたい。あれじゃ交渉にならんばい」
「すみません……少々、気が逸りました……」
久米と呼ばれたその騎兵は、そう答えた後は真っ直ぐに前を向いた。
鎧兜は一般兵と同じものを身につけている。
(馬に乗っているということは、武将なのだろうか?)金玄基は思った。
騎兵と言っても、周りを見渡す限り、彼と難升米しかいない。
やはり、倭国内では特別な人物なのかも知れない。
(あれ? でも倭国には、馬はいなかったはず……)
遅ればせながら気づいた。
眼の前のこの光景には、謎が多かった。
難升米はもう、金玄基のことは忘れてしまっているようだった。
自分が思っていた以上に関係性が希薄だった。
この事実を受け入れることは、非常に情けなかった。
だが、兵を引いてくれた。アヤメさんは無事だ。
この結果には満足だ。
そう思ったのは束の間だった。
難升米の部隊は、早くもヤマトの陣地に着いてしまったのだ。
まだ数刻ほどしか歩いていないのにーー
これでは、ヤマトはいつでも邑を攻撃できる。
※
ヤマトの陣地から、大将らしき男がこちらへ歩み出てきた。
倭国風の鎧兜を身に着けていたが、その下からは白い絹の袖が揺れている。
特徴的なのは、兜の下に木の面を被っていることだった。
「どうだった、四本足の調子は?」
難升米は入陣する前に馬を降り、徒士になって手綱を引き始めた。
「駄目たい……使いもんにならんばい」
久米も馬を降りて、その大将に告げた。
「気まぐれですね……走ったかと思えば、すぐ止まってしまいます」
「うーん……慣れれば難しくないんだけどな……」
恐ろしい格好なのに、言葉遣いはずいぶんと柔らかい武将だ。
その大将はこちらを見ながら、難升米に尋ねた。
「あれ……どうしたの?」
「通訳があの邑におったけん、連れてきたっちゃ」難升米が答えた。
(難升米さん……覚えていたのか!? ひどすぎないか、この人?)
金玄基にとって、この日は厄日だったのかも知れない。
※
陣の中に入ると、更に見知った人がいた。
(あれは、台与様!……伊都国王も!)
彼らは、建築中の社殿を見上げて、何やら立ち話をしていた。
(ということは、都市牛利さんも……いた!)
並々ならぬ顔ぶれだ。
(ヤマトはあの邑を本気で攻略する気なのだ)金玄基は思った。
この後、ヤマトの兵士は陣内の空き地に杭を打ち込み、そこに括りつけられた。
先ほどの大将が、ナギサヒコに歩み寄った。
「ナギサヒコ王!」
「おお、ナカツヒコか……なにっ……それはまずかろう?」
ナギサヒコの声が断片的に聞こえてくる間、台与がこちらを振り向いた。
やがて三人揃って近寄ってきた。
「……帯方郡に送り返さねばならぬのではないか?」
「筋を通せば、そうなのですが……」
二人は、自分の処遇について話していたようだ。
面を被った大将の中身がナカツヒコだと判明した今、近寄られても怖くはなかった。
だが、背筋がゾクゾクした。
帯方郡に送り返されたら、正式に……
「処刑だと思うんですよね」
ナカツヒコが代わりに言ってくれた。
台与が目を丸くしている。
「えっ、処刑?!」
「ええ」
ナギサヒコが、こちらを見つめたままナカツヒコに言った。
「しかし、それは向こうが決めることだ。我らは我らのすべきことをすればよい」
ナカツヒコは顎をさすりながら言い返した。
「死体を運ぶために、船を出すのは危険です。人手も足りません」
(まだ生きてるよっ!)金玄基はお面の大将を睨みながら思った。
その間も台与は、黙ったままこちらを見つめていた。
「ううむ……」
ナギサヒコは唸った。
やがて、思い立ったように金玄基に尋ねた。
「そなた、あの邑の者どもを説得してきてはくれぬか? 急が迫っておるのじゃ」
「急……?」
「うむ。来ぬ国という空き巣泥棒がいてな、我らの留守にあの邑を襲うやも知れぬのだ」
「……なんですって?」
答えはとっさには出なかった。
だが、タケノオやアヤメさんの家族、軍隊相手に立ち向かった邑の人々の顔は、すぐに思い浮かんだ。
「説得できる自信は、ありません……」
「うーむ……」ナギサヒコは深くため息をついた。
「では、あの邑には返せぬな……」
その時、台与が静かに口を開いた。
「では、私が参りましょう」
一瞬、辺りの空気が張りつめた。
金玄基は縄に繋がれたまま、思わず顔を上げた。
ナギサヒコは一瞬だけ目を細めたが、すぐに声を整えた。
「……よかろう。だが、護衛はつけねばならぬ」
その返答に、台与は静かに頷いた。
※
翌日、台与は三人の巫女と数名の衛兵と共に、邑の入口に立った。
邑の住人たちが、こちらに気づいてざわめいていた。
台与は近くにいる住人に呼びかけた。
「此の度は、お話があって参りました。タケノオ殿はおいでですか?」
門の陰から、屈強な男が現れた。
台与には、誰であるかを問うまでもなかった。邑を束ねる者――タケノオ。
険しい眼差しがこちらを射抜いた。
「子供をよこすとは……ヤマトは我らを侮っているのか?」
その声に邑の人々がどよめく。
だが、巫女装束に身を包む自分を目にすると、ざわめきは次第に収まっていった。
タケノオは腕を組んだまま、しばらく黙していた。
やがて唇を開き、低く告げる。
「……話は聞こう。ただし、この門の前でだ。中には入れん」
「酒宴のお誘いでございます」
台与はゆっくりと笹の葉を差し出した。
そして、背後の丘を手で示しながら告げた。
「今宵、あの旗の立つ所で催します。よろしければお運びください」
タケノオは眉をひそめ、笹の葉をしばし睨みつけていた。
「……酒などでたぶらかすつもりか?」
その声音には猜疑が滲んでいたが、背後の邑人たちの間にざわめきが広がる。
「宴……?」
「話し合いということか?」
ざわつきを聞きながら、台与は静かに頷いた。
「血を流すより、盃を交わす方が良いと存じます」
タケノオは笹の葉から台与の顔へと視線を戻した。
険しい表情のままだったが、すぐに拒絶の言葉は出なかった。
「それでは、お待ちしております」
台与は軽く頭を下げ、背を向けた。
背後でなおざわつく声を聞きながら、歩みを崩すことなく陣へと戻っていった。
※
その日、夕陽がまだ辺りを薄く照らす中、タケノオは七名の住人を引き連れて現れた。
「おお……あんなところにお社が……」
「……いつの間に」
住人たちは口々に驚きを漏らす。
その中にただ一人、陣営のある方をじっと見つめる女の姿があった。
台与はその女をじっと見つめた。
(あの人が、アヤメさん……)
盃を掲げたナギサヒコの声が響いた。
「タケノオ、よう来た。 皆も、席へ」
その左手には難升米とナカツヒコが並び、同じように盃を掲げていた。
巫女たちが席を勧め、酒を注ぐ。
邑の住人たちは注がれるままに酒を口にし、膳に手をつける中、アヤメだけは一口も口をつけようとしなかった。
タケノオはぐいと飲み干すと、すぐにナギサヒコに建築中の社について尋ねた。
「あれは、どういうことか……?」
ナギサヒコは答えず、無言で酒を注ぎ足した。
その仕草は淡々としていたが、かえって言葉よりも重く響いた。
「来ぬ国が、この地を狙っておる……」
タケノオは注がれた酒に手をつけず、ナギサヒコをじっと見つめた。
ナギサヒコは盃をあおりながら更に続けた。
「余の国では男は皆殺し、女は皆連れ去られたとか……」
それは聞き及んでいた話とは違っていた。だが、台与は表情を変えず黙していた。
ナギサヒコは、横目でタケノオを穿った。
「我らは、この地を奴らの好き勝手にはさせぬ」
その言葉に住人たちがざわめき立つ。
だが、タケノオは眉間にしわを寄せ、押し殺すような声で問い返した。
「……我らの暮らしはどうなる?」
「汝らは、今まで通りでよい……ただ」
ナギサヒコは鋭く目を細めた。
「あちらに柵を作ることを認めよ」
重苦しい沈黙が流れた。
柵とは軍が常駐できる固定陣地のことである。そんな物ができてしまうとーー
隣にいた者がタケノオに耳打ちした。すると、住人たちは次々に声を上げた。
「今まで通り暮らせるなら、悪い話じゃない」
「そうだ、あそこには田畑もないし」
「なんの問題もなかろう」
彼らの言うことに、タケノオは言葉を失った。
その時、宴の場に蹄の音が響き渡り、頓狂な声が飛んだ。
「久米殿、お上手です!」
「玄基さんの言う通りだ! 言うことをよう聞くようになった!」
二頭の馬が茜色の残光の中を駆け抜けていく。
アヤメはその影を追っていた。
タケノオは盃を一息にあおると、唸るように言った。
「……義弟は無事のようだな。今の話、邑に帰って皆と相談したい」
「うむ……ようようお考えあれ」
ナギサヒコは目を細め、再びタケノオの盃に酒を注いだ。
※
「アヤメさん……ですね?」
台与はアヤメの前に膝を折り、手にした瓶子を差し出した。
アヤメは小さく首を振り、右手を翳して呟いた。
「私は……結構です」
台与は瓶子を傍らに置き、まっすぐに見つめた。
「ひとつ……お願いがございます。先に預からせていただいた旦那様のことですが……」
すかさず、難升米が口を挟んだ。
「玄基殿には、四本足の乗り方を教わっております」
台与は頷き、言葉を継いだ。
「旦那様のお力、ヤマトのためにお貸し頂けないでしょうか?」
アヤメは黙ってこちらを見つめた。
その瞳には、悲しみと諦めとが揺れていた。
そこで、タケノオが低く割って入った。
「……そのことも、邑に帰って家族と相談したい」
「何卒、色よいお返事を……」
台与は両手をついて深々と頭を下げた。
※
その夜、邑の者はそれぞれの家で過ごした。
アヤメは囲炉裏の前で、ただ黙って炎を見つめ続けた。
すぐ隣から「大丈夫よ」というハルエの声が届いた。
アヤメはにっこりと微笑んで見せたが、言葉は出なかった。
翌日の夕暮れ、再び邑の広場に火が焚かれた。
邑の者たちは一人残らず集められ、輪を作った。
中央に立つタケノオが重々しく口を開いた。
「昨夜の話、皆の意見を聞きたい」
「ヤマトに守られるなら悪いことじゃない」
「田畑もそのままなら変わらん」
次々と声が上がり、やがて「そうだ、そうだ」と同調のざわめきが広がっていった。
タケノオが低く口を開いた。
「だが、ヤマトが来ぬ国に勝てるとは限らんぞ」
「何を言う?」
「少しは頼りになるだろう」
「仕事に打ち込めるようになれば万々歳じゃ」
皆、口々に呟いた。
ただ一人、アヤメの父だけが反対のことを言った。
はじめは大きかったその声も、多数を前に小さくなっていった。
最後にひとこと
「婿を取られて黙っているわけにいかん! 次はお前の息子かも知れんのだぞ!」
と叫んだが
「汝は、身内一人のために邑の者を犠牲にするのか?!」
と詰め寄られ、ついに言葉は潰えた。
その渦のような輪の中で、アヤメは一人、俯いたまま口を閉ざした。
皆の言うことももっともだ、と思った。
だが、本心から「そうだ」とは言えなかった。
自分でも、どうしたら良いのか分からなかった。
そうしていると、隣の老女がアヤメの肩に手を置いて、静かに囁いた。
「皆のためだよ……」
アヤメは顔を上げた。
皆の視線が押し寄せてきた。
焚き火を囲む沈黙が、肩に重くのしかかった。
アヤメは目に涙が浮かんでくるのを堪えながら、必死に声を絞り出した。
「……分かりました。夫を……預けます」
その瞬間、広場に安堵の吐息が広がった。
だが、アヤメの胸の奥には、深い影が落ちていた。
※
その翌日ーー
タケノオがヤマトの陣地を訪れ、そして帰って行った。
台与は、その様子を黙って見つめていた。
ナギサヒコの不敵な笑い声が響いた。
「ふっふっふ……これで我らも、心置きなくヤマトに参れるわ」
そして、ナギサヒコは久米を呼んだ。
「久米、この地の守りは汝に任せる。 ふふっ……誰も来んとは思うがな」
「はっ」
久米は深々と頭を下げた。
ナギサヒコは、台与を見下ろして唸った。
「……まだ子供かと思っていたが……やりおるのう」
台与は、一瞬ナギサヒコと目を合わせてから、静かに頭を下げた。
(これで良かったのだろうか……?)
そんな思いが脳裏をよぎったが、今できることはこれしかないと信じる自分もいた。
お読みくださりありがとうございました。
どこかで聞いたような論理を集めて金玄基を取り戻しました。アヤメさん、ごめんなさい。
次回「第29話 台与と大巫女、ときどきイセエビ」お騒がせお婆さんが何やら企みます。
(木曜20時ごろ更新予定です)




