第3話 呪われた通訳
雇われ通訳・金玄基は呪われた。
失業か?ーーそして台与の前に司馬懿率いる魏の大軍が立ちはだかる。
旅は、ただの護衛行では終わらなくなった――。
金玄基は、呪われてしまった。
「通訳さんの通訳は、一生、誰にも通じなくなーるー……ってね!」
台与は意地悪い笑みを浮かべながら、金玄基に向かって言った。
一行は、元々戦闘用だった軽車二両に分乗して進んでいた。
少し前には、難升米と都市牛利が乗る軽車がガタガタと進んで行く。
◇◇◇
出陣が決まった翌日、金玄基が上司の張政と二人で、城の倉庫の奥から引っ張り出してきた二輪の小さな馬車だった。荷台は低く、座席は板張り。長旅には少し窮屈そうに見える。
埃を被っていたのでピカピカに磨き上げた。
比較的傷んでいない部品を選び、組み直した。車輪と車軸、台座には特に気を使った。
油を差し直し、試乗もした。金玄基が張政と同乗すると、潰れてしまった軽車もあった。
所々ささくれ立っていたので、のみで削った。
「どうだ?俺の『のみ』さばき。お前のおかげで職人の域に達しておろう」
張政はいつも、金玄基が木簡に作った誤字をのみで削って消してくれるのだ。
それがあまりに頻繁だと怒られた。漢字は本当に難しい。
張政の作業は実に的確で素早かった。金玄基が失敗した部分も綺麗に仕上げてくれた。
突貫修理ではあったが、汗と涙の自信作なのであった。
その軽車の脇を、金玄基は馬でゆっくり並走していた。
◇◇◇
それで、昨晩はーー
「宿舎の庭先でカエルをお焼きになっていらっしゃったのですか?」
「ええ!」台与は胸を張ってうなずいたが、すぐに目を丸くした。
「えっ、見てたの?」
どうやら、見られると効きめがなくなるらしい。
寝ていたら、鼻をつく臭いに飛び起きたのだ。
庭の方から流れてきたので見に行ってみたのだが、あれが呪術だったのか。
「ふーん……じゃ、ダメかも」
台与は口を尖らせ、膨れっ面になった。
「いけませんよ、台与様」
台与の隣に座っているナカツヒコが、やさしくたしなめた。
「……人を呪わば穴二つ……と言いましてね。」
「ナカツヒコ。それって、いつできたことわざ?」
※
金玄基が前方に目をやると、先を行く軽車では、難升米と都市牛利が話をしていた。
「あー、しゃべりづらかねぇ……」
「……………………」
軽車がガタンと揺れる。難升米が荷箱に尻をぶつけて、眉をしかめていた。
「こら、歩いた方が速かっちゃないと?」
「……………………」
金玄基は少し心配になったので、声をかけようと思い、難升米の軽車に馬を寄せた。
「難升米どの、だいじょ……」
「もうなんなんね?なんもしとらんやろーが!」
張政が率いる護衛兵は、使節団を護送しながら、陸路を遼東郡に向かって進んでいる。
ふと視線を感じて前方を見ると、その張政が振り返り、こちらを横目で見ていた。
やがてーー
「ぷっ。」
とだけ言って肩を震わせながら、張政は前方に視線を戻した。
※
「この辺りで休憩いたしましょう」
張政は部隊を止めた。軽車に揺られていた一行も少し休めると、続々と降りていた。
金玄基は張政の傍に座り、昼食の団子を頬張っていると
「おい、勘違いするなよ?」と張政は言った。
「お主の通訳が通じぬのは『呪い』のせいなどではないぞ?」
金玄基は深々と頭を垂れた。
※
「ーー遅い!」
その老人は劉夏を一喝した。
黒の革靴に、刺繍入りの黒の長衣。その肩には白の外套を羽織り、白髪の上には墨黒の冠を戴き、その下から覗いた眼光は、刃のごとく鋭い。
背後には、長剣を履き、重厚な甲冑で全身を固めた将軍を五人控えさせていた。
劉夏は平伏したまま身動きできないようすだった。
ここは、襄平城付近。
劉夏が到着した時には、既に戦は終わっていた。
「申し訳ござりませぬ。遅参の罪、この劉夏……」と言い掛けたところをーー
「ーーいや、遠路大義である」
と遮った。
「なあに、余は五丈原で諸葛孔明を打ち破ったのじゃ。公孫淵など一日あれば十分よ」
自画自賛である。だが、誰も止められない。
ーーあっはっはっはっはーー
五将軍が一斉に高笑いをする。その声は見事なまでに揃い、まるで一人が五つの声色を同時に使っているかのように響いた。シンクロナイズド高笑いとでも称すべきか。
劉夏も震えていた。
「あとは兵糧攻めじゃ……だがのう、四万しか兵を連れて来なんだ」
そう言うと、老人は劉夏の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。
「そちの援軍を当てにしておったのだ」
劉夏は顔をこわばらせ、小さくうなずいた。
老人はたたみ掛ける様に続けた。
「早速で済まぬが、襄平の東に布陣し、そちの軍旗を高々と掲げよ。それだけでよい。
さすれば、公孫淵は北門より討って出て、東北の方角に逃げるであろう。」
※
日が暮れる……。
遼東郡に入って、しばらく経った。
両脇に山が迫って道は細くなり、辺りも薄暗くなってきた。
台与は胸の奥にざらつくような嫌な気配を覚え、小声で呟いた。
「……この道は、よくない」
金玄基に聞こえたのか、張政のところへ馬を進めて行った。
しかし、張政はどこか疑うような目を向けてきた。
「そうは言ってもな……」ここまで来ると、別の道は山道しかない……
「軽車を引いて山道を行け……と?」
こう返され、すごすごと戻ってきた。
このまま進むことになったと伝えられたが、台与の胸には重いものがのしかかった。
「そうですか……」
その時ーー
「ーー止まれ!」
どこから発せられたのか、張政の耳に部隊に静止を命じる声が届いた。
張政は声の主を探し、即座に青ざめた。
いつの間にか、数千人規模の軍隊に包囲されていたのだった。
「ーー円陣防御!」
張政は瞬時に号令を発した。
護衛兵たちは軽車や将の元に集まり、素早く円陣を作った。
兵たちが口々に叫んでいた
「あの旗はーー魏軍だ!」
「いや!ーー公孫淵軍かもしれん!」
しかし、夕暮れで辺りは薄暗く、相手の旗はよく見えなかった。
向こうからは、こちらの旗が見えているのだろうか?
魏軍も公孫淵軍も元は友軍だった。ただでさえ紛らわしいのだ。
「鼓をならせ!角笛を吹け!」
ドンドドンドドン……ドンドドンドドン……
ブオオオオ……ブオオオオ……
兵たちが鳴り物を鳴らし始めた。どちらも「我々は魏軍だ!」の意味だ。
通常、友軍なら鼓や角笛で応えてくれるーーはずだった!
ところが、相手からの応答はなかった。包囲は徐々に狭まってきた。
さらに前方からは、出立からして将軍クラスであろうか、指揮官と思われる武将が、こちらに向かって来る。
(逃げるしかないか……!)
張政が、総員全速後退……と号令しようとした、まさにその時……。
後方からしゃしゃり出て来た男がいた。裴世春であった。
「司馬昭様ーー!」
どこで見分けたのか、裴世春は相手に呼びかけた。
「ーー味方だ、攻撃停止!」
司馬昭の声が響いた。そして、ゆっくりとこちらへ向かって来た。
「なんだ、世春か。首尾よく行ったようじゃな」
「はっ。楽浪郡は奇襲にて太守を拘束。帯方郡は……」
「もう参陣しておる。ようやった、世春」
「ありがたきお言葉。なれど、この世春の策と手腕にかかりますれば……」
「ーーでは、そちらは張政殿か?」
裴世春は司馬昭に話しかけていたが、まったく相手にされず、それでもなお笑みを浮かべていた。
「これも策略のうち」とでも言いたげな様子だった。
張政は、司馬昭の元にゆっくりと駒を進めると、馬上から拱手礼を取った。
「帯方郡の下官・張政、倭国の使者を護衛し、洛陽に向かっております。」
「おお……父が待ってござる。我が本陣にご案内致す。」
四方から包囲軍の刀や矛を収める音が聞こえ始めた。
護衛兵もほっとして、盾を下ろした。
台与の話す声が、張政にも届いた。
「……やっぱり、旗は怖いですね」
「……旗だけじゃありませんよ」金玄基が続けた。
「台与様……そろそろ呪いを解いてください……」
(だから呪いのせいではないと言うに……)
張政は言葉の意味を測りかねて、眉をひそめた。
※
こうしてーー
一行は司馬昭の部隊にも守られながら、魏軍本陣に辿り着いた。
到着すると、松明の影の中から、ひときわ穏やかな声が陣中に響いた。
「倭国のご使者殿、ようこそお越しくだされました。
このたびは遠路はるばるのご足労、恐悦至極に存じます」
その声は、どこか周囲の空気を一変させる何かを孕んでいるような響きだった。
「余は魏国太尉・司馬懿、字を仲達と申す」
彼は魏軍全体を統べる総司令官、まさにこの戦場の主であった。
難升米が慌てて司馬懿の前に進み出ようとしていた。
司馬懿は一拍置いてから、長い口上を述べ始めた。
「今宵は、ささやかではございますが幕を設けてございます。
道中のお疲れを、どうか癒やされませ。
ただ、当地はまだ戦の余燼がくすぶっており、
軍中と申せども、万が一もぬかりなきよう警戒を厳としております。
恐れながら、しばしの間、陣内にてご滞在願いたく存じます。
我が軍は、すでに各所の安全確保にあたっておりますゆえ、
時を待たずして、道は再び清らかとなりましょう。
どうぞ、ご不便などございましたら、何なりとお申しつけくだされ」
難升米は深く頭を垂れ、静かに応じた。
「倭国より参上いたしました、難升米と申します。
太尉殿のご配慮、まことにありがたく存じます」
※
台与は、その場に立ちつくしたまま、目を離せなかった。
胸の奥で、何かがざわめいている。
それは言葉になる前に形を失い、ただ息の端に残った。
司馬懿がふと、こちらをチラリと見た。
すぐそばにいた金玄基にも聞こえなかったはずの想いを、
まるで読み取ったかのような眼差しだった。
その刹那、背筋に冷たいものが走った。
(この人でしたか……あの怨のうねりの源は……)
声にならず、胸の奥に沈んだままだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
朝貢使節と魏軍が鉢合わせていたら、何が起こるかと考えたら、こうなっちゃいました。
次回はいよいよ、台与様 vs 司馬懿!孔明の分まで頑張って下さい――。
(月曜20時ごろ更新予定です)




