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第26話 明太子テスト

金玄基・リターンズ!

船から海に落ちて辿り着いたのは謎の家、そして謎の人々……

金玄基に再び試練が降りかかる


「ん……ここは……?」



金玄基(キム・ヒョンギ)は知らない家で目を覚ました。


ちらりと横を見ると、女が一人、膝を折って座っている。

倭人だろうか。袖のない麻の貫頭衣を纏い、腰帯を締めているだけの簡素な服装だ。

顔を見たが、何処かで会った記憶がない。


彼女は足元に置いたたらいに布を浸していたが、手を止めてこちらをちらりと見た。


「あ……気づかれたとですか?」


金玄基は起き上がろうとしたが、全身が鉛のように重い。


隣の女が手を添えてくれたので、ようやく上体を起こすことができた。


(……どうして、こうなったんだろう?)


囲炉裏の向こうでは、麻衣を着た男が胡座をかいていた。

黙って杯を傾けながら、こちらをじっと見ている。


「汝は、浜辺で倒れとったっちゃよ」


低い声だったが、睨みというより素朴な好奇心が混じっていた。

金玄基は、手をじっと見つめながら記憶を辿った。


「……嵐に遭いました。 すごく高い波で……船底に跳ね飛ばされるようにして海へ……浮いてた木箱にしがみつきました……それから……」


徐々に思い出されてくる。

波は体ごと大きく揺さぶり、顔にしぶきを浴びせる。

船も、間近に迫っていた対馬の山々もどんどんと遠ざかっていき、しばらくすると波間に消えた。

それよりも、波に飲まれないようにすることで必死だった。

だが、その後のことは思い出せなかった。


顔を上げて横を向くと、女はもういなかった。

代わりに、囲炉裏の男が目を丸くしてこちらを見ていた。


「汝はこの国んもんか? 変な服ば着とるけん、異国人かと思うたばい」


「ええっと……帯方郡から来ました……」

「どこね、そら?」

「名は金玄基と申します」

「なんね、やっぱ異国人か……」


金玄基は、背筋に寒気がするのを覚えた。

ようやく気づいたが、何も着ていなかった。


    ※


「あんたん服ね、まだ乾かんとよ!」


そう言ったのは先程とはまた別の女だ。

この家に帰ってきた時には「ハルエさん」と呼ばれていた。

褌だけは乾いたようで、早速それを履き、今は麻の袈裟衣を借りて着ている。

全く倭人と同じ装いであった。


囲炉裏の上では小鍋がぐつぐつと煮え、干し魚と大根の匂いが漂っていた。

金玄基の前には木椀が置かれ、雑穀飯と塩気の強い菜っ葉。


囲炉裏にいた男は、自分で酒を継ぎ足しながら、まだ椀をすすっている。

この家の長老のようだ。

大人からも子供からも「じいちゃん」と呼ばれていた。


その右隣には、初老の女が座っている。

やはり「ばあちゃん」と呼ばれていた。


子供たちは、ばあちゃんとハルエさんの間に挟まるようにちょこんと座っている。

一人は男の子で、ハルエさんが「マサカド」と呼んでいた。

もう一人はまだ小さな女の子で、「チドリ」と呼ばれると振り向いていた。

どちらも雑穀飯を静かに食べながら、こちらをじっと見ている。


この家の主はハルエさんの隣に座り、黙って椀をすすりながらこちらを横目で睨んでいる。

じいちゃんからは「タケノオ」と呼ばれていた。



先ほど枕元にいた女が、金玄基に椀を差し出して微笑んだ。


「熱かけん、気ぃつけてね」


だが、目が合った瞬間、すぐ逸らした。

そして、右隣に座ると、ようやく自分の椀に小鍋の中のものをよそった。


金玄基は差し出された椀をすすったが、あまり味がない。

粥だろうか。

自分だけ違うものだったが、起き上がったばかりなのを気遣ってくれているのだろう。

この家の人達の心の温かさが腹の奥に染みわたり、返って旨味すら感じた。



ハルエさんがひたすら喋っていた。

ばあちゃんが「うん、うん」と相槌を打つ。

それ以外には誰も言葉を交わさなかった。だが、賑やかなひとときだった。



しばらくすると、ハルエさんがこちらを向いた。


「でも、あんた、よかったっちゃね、起きらるうごとなって!」

「ええ……本当に、ありがとうございました」


お礼を言うと、じいちゃんがおもむろに呟いた。


「こん子がずっと看よったとよ」

「ずっと、じゃなかよ……」


隣の女は、そう言うと目を伏せながら椀をすすった。


(そうだ、この人にもお礼を言わなければ)


そう思って、金玄基は尋ねた。


「お陰で命を永らえることができました。ありがとうございました……ええっと、あのその……お名前は?」


この女だけ、家族から名前で呼ばれるのを聞いていなかった。



その女は答えないどころか、固まったまま動く気配すらない。

自分の椀を両手で抱えたまま身を縮こませている。

顔を真っ赤にして、下を向き、どこか一点を見つめていた。


(怒らせてしまったのだろうか……?)


金玄基が周りの人を見回すと、一人残らず目を丸くして固まったままこちらを見ていた。

子供たちまでもが手を止めている。


(何か、まずいことを言ってしまったのだろうか?!)


金玄基は、だんだん全身が固まっていくような感覚を覚えた。


その時、ハルエさんが大声を上げた。


「あはは!あははは!……この人、いきなり名前ば聞きよった〜!……あはははは!」


ハルエさんが腹を抱えて笑うと、家族中からも大きな笑い声が起こった。


ただ、男二人だけは、眉間にしわを寄せた。

特に、じいちゃんは鬼のような形相でこちらを睨んでいる。


金玄基は吸いこまれるようにその目を見入った。

その時、タケノオの左手が金玄基の襟を掴んだ。


「汝! 我ん妹を……!」


振り向くと、すでに振り上げられた右の拳が、まさに振り下ろされようとしていたーー



「ーー待て!」



じいちゃんが低く唸る声がタケノオを制した。

タケノオの手はゆっくりと離れていった。


(妹さんだったのか……しかし……何故)そんなに怒るのか、分からなかった。


ホッとしたのも束の間。

じいちゃんは自分の前にあった皿をつまみ上げると、それを差し出した。


「汝……これば食うてみらんね……」


金玄基は、恐る恐るその皿を受け取った。

その上には、丸くて柔らかそうな赤いものがあった。

よく見ると表面が何かの粘液で滑っている。

海の生き物か、あるいは何かの内臓か、と思った。


気がつけば、ハルエさんたちの笑い声も止まっていた。

彼女らもまた、固唾を飲んでこちらを見ていた。

タケノオの妹さんは俯いたまま、こちらを横目でちらりと見た。



その瞬間、もうすぐ会えるはずだった張政の顔が思い浮かんだ。


「いいか、玄基。人生にはな、勝負の時が三回あるんだ。いつあるかは知らん」


何故だか、ふと、その言葉が脳裏をよぎった。


(今が、その時か……)


金玄基は、腹をくくった。



皿の上のプニプニしたものを指でつまみ上げ、口に運ぶ。


「……しょっぱ!」しかし、声を殺した。


いや、むしろ味のない粥をすすった後の濃い塩味が、舌を濡らした。

半分に噛み切ると、中から小さな粒が流れ出てきた。

それを噛み潰すと、ぷちぷちと音を立てて割れ、さらにとろりとした汁が流れ出てきた。

飲み込み、噛み潰し、また飲み込む。

魚臭さが口いっぱいに広がったが、不思議な旨味とこの食感が堪らなかった。


じいちゃんは、まばたきひとつせずにこちらを見据えていた。


「……どげんね?」


金玄基も、ここは負けてはならじと目を見開いた。


「美味いっす……」

「なにぃ……?!」


じいちゃんの目は更に大きくなり、こめかみの辺りがピクピクと震えだした。

金玄基も更に大きく頷いた。


「美味いっす」


しばし、囲炉裏端には焚き火の音だけが響いた。



「合・格・たいっ」


じいちゃんは目を怒らせたまま低く唸った。


「こら、たらん卵たい」


そして、皿を取り上げると、残ったそれを一気に平らげた。

その瞬間、ハルエさんたちから拍手が沸き起こった。


    ※


次の日の朝ーー


金玄基は、じいちゃんと共に船の上にいた。


「ああ、そやなか。網はこげん投げるっちゃ……うーん、うーん……」


金玄基は懸命にやったつもりであったが、じいちゃんは終始唸っていた。


「汝……セイゴしか取れんやないか。 まあ、根性は認めちゃるばい」


    ※


その次の日、金玄基はタケノオに連れられて、邑の堀端にいた。


「この堀ん壁ば削るっちゃ、ここからあそこまでたい! 昼んうちにやれ!」


タケノオが指差す先は、三十間くらい先か。だいぶ遠かった。

ああでもない、こうでもないと怒声を浴びながら、金玄基はひたすら掘った。


腰をシビれさせながら、昼前にはあと一間ほどのところまで到達した。


「遅かばい! 今日は、もうよか!」


そう怒るタケノオと共に、金玄基は家路に着いた。


    ※


家に戻ると、ハルエさんが声をかけてきた。


「ちぃっとあんた、水汲んできて!」

「あ……はい」


桶を受け取り、水汲み場を探した。


(おそらく、昼食の飲用水だろう)


そう思い、なるべくきれいな水を汲んで帰ると、ハルエさんは呟いた。


「あら、きれいな水たい。 洗いもんには勿体なか〜」


昼食の支度は、既に終わっていた。


    ※


「鬼の国の兵よ、俺が斬る! 待てえぃ!」


マサカドが木の槍を振り回しながら、こちらに向かってくる。

金玄基は、必死に逃げる……振りをした。


その後もハルエさんにこき使われ、今は子供たちの遊び相手、いわゆる子守をしている。

少し離れた所では小さな木の人形を抱えたチドリが、時折、走る兄を見つめていた。


「おじさん、ずるいよ! 少しはやられろ!」

「ひぃぃぃぃ、お助けを〜!」


金玄基はけっこう手を抜いているつもりだったが、槍はなかなか当たらなかった。


    ※


子供たちの手を引いて家に戻ると、あの娘ーーずっと看病してくれていた(ひと)が家から出てきた。

手には桶を抱えている。


「水ですか? 汲んできますよ」


金玄基は手を差し出しながら言った。

娘は目を丸くして立ち止まっていたが、おもむろに桶を手渡した。


「あの……今度は飲み水やけん……」


それだけ言うと、小走りに家の中へと戻っていった。


金玄基は先程と同じ場所で水を汲み、家に戻った。


「あら、早かっちゃね! 助かるば〜ほんと」


そう言ったのはハルエさんだった。

その娘は竈門に向かったまま、こちらを振り向きもしなかった。



その日の夜、その娘は煎じ薬を持ってきた。


「……どうぞ」


それだけ言うと、その娘はこちらをじっと見つめていた。

金玄基は微笑みながら受け取ると、それを口に含んだーー


「ーー苦っ!」しかし、そこは声を殺した。


まだ病み上がりと思って気を遣ってくれたのだろう。

よく味わうと、疲れた体にしみるようで、後味も爽やかだ。

いつの間にか無くなってしまった。

自然と顔がほころび、息をついた。

すると、その娘は何も言わずにすっと立ち上がり、家の奥へと歩いていった。



やがて、金玄基の一張羅の長衣を手に携えて戻ってきた。


「ほころんどったけん……縫うといたばい」

「おお、ありがとう!」


自然と笑顔になった。

その娘はやはり、じっとこちらを見つめていたが、今度は少し顔が赤いようだった。


(ずいぶん純真な人なんだな……同じ歳くらいに見えるけど……)


金玄基はそう思った。


    ※


こうして、家族中から試練を与えられた金玄基ではあったが、不合格だったのだろうか。

肝心の答えーー


この娘の名前は、まだ聞けていない。



お読みくださりありがとうございました。

古代には無かったと思いますが、博多の明太子ってほんとに美味いですよね。それで、こうなっちゃいました。


次回「第27話 明太子テスト・追試験」やっぱり、赤点でしたか……

(木曜20時ごろ更新予定です)

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