第25話 さらば、倭国
魏の使節団一行は帰国の途についた。侏儒国で出会った子供たちの姿を胸に刻みながら、台与は自らの歩む道を思う。
倭国は、確実に変わり始めていた。
正始元年七月下旬ーー
香取を出港した魏の使節船は、今は再び投馬国の港に停泊している。
皆、船を降り、めいめいが思い思いに過ごしていた。
潮風が運んでくる磯の匂いが食欲をそそる。
金玄基は、伊勢の大巫女から頂いた生牡蠣の味を思い出した。
(あれは美味かった……もう一度食べたかった……)
近くにいたナカツヒコに、伊勢の次席侍従・クジャクが声をかけた。
「ナカツヒコ殿!」
「おお、クジャク。伊支馬殿と話してきたぞ」
「どうだった?」
「『国益を最優先に検討していく』ってさ」
「ほーん……まあ、それより……」
クジャクは首を傾げながら言った。
「瀬戸内が通れるようになったぞ」
「本当か?! やったあ」ナカツヒコはそう言うと、金玄基を振り返った。
「良かったですね、玄基さん。 十日早く帰れますよ!」
だが、金玄基が応答しようとした時には、すでにクジャクの方を向き直っていた。
「やっぱり備の国が勝っただろ?」
「いや、備の国も砂の国も両方壊滅だ」
「……なんだって?」
「来ぬ国が来たらしい」
「なんだと……あいつらが瀬戸内に?」
「そうらしい。これから大巫女様ともご相談するんだが……」
(狗奴国……倭国の中にも敵がいるんだな……)
聞いても良い話だったのだろうか?とも思った。
だが、金玄基は船に戻った後、この話を走り書きした。
※
台与は、途中、寄港した島での出来事に思いを馳せていた。
◇◇◇
桟橋に降りると、転がるように走る子供が四人、こちらへ向かってきた。
彼らは、桟橋の根元まで来て、魏船から降りてくる者の顔を一つ一つ追っていた。
台与はゆっくりと彼らに歩み寄った。
「どなたか、お探しですか?」
すると、子供たちは、背の高い順に言った。
「お前じゃねえよ!」彼はおそらく長兄だろう。
「父ちゃんと母ちゃんだ!」次に背が高い、男の子だ。
「『ハヤブ』と『クズハ』っていうの……」女の子はこの子だけだった。
「なあ、乗ってねえ?!」一番小さい男の子が言った。
台与はハッとした。
その名前には聞き覚えがあったからだった。
(イサヨイお姉様と一緒だった……)
そこに、ちょうどナカツヒコが通りかかったので、呼び止めた。
訳を話すと、ナカツヒコは彼らの目線に合わせてしゃがみ込んだ。
「お父さんとお母さんは……亡くなった。もう帰って来ないんだよ」
子供たちはきょとんとしていたが、口々に言葉を発した。
「嘘つけ!」
「意味がわからないぞ!」
「ねえ、亡くなったってなあに?」
「父ちゃんも母ちゃんも『すぐ帰る』って言ってた!」
ナカツヒコが目を細めながら、持っていた団子を一つ、長兄に手渡した。
すると、彼は
「なんだこれは?! こんなものいるか!」
と言って、それを妹に手渡した。
その後ナカツヒコが次々に団子を手渡した。
長兄は受け取った端から弟たちへと渡していき、最後の一つを自分がかじった。
他の弟と妹は、もらうそばから団子をかじっていた。
だが、食べ終わるとしょんぼりとして俯いた。
「父ちゃん……」
「母ちゃん……」
「帰って来ないの……?」
長兄が一人、声を張った。
「おれっちも、もう大人だ! お前たちくらい食わせてやるぞ、ついて来い!」
そう言うと、元来た方へと駆け出した。
弟妹たちも揃って兄の後を追った。
そして彼らは、近くの岩場によじ登ると、全員で釣り糸を垂れた。
◇◇◇
台与の目には、彼らの姿が焼き付いて離れない。
そういう自分も母と別れてきたばかりだ。
だが、自分の母は生きている。
(あの子達に比べれば、寂しくなんかないんだ)
そう思うと、胸の奥に沈んだものが浮いてくるような気がした。
※
それから十日ほどでーー
魏の使節団一行は瀬戸内海を経由して末廬国に寄港した。
梯儁は、桟橋に下りると大きく伸びをした。
「今日が最後のアワビか……思い返せば、危険な旅じゃった……」
真意を知らない航海士たちは皆、不服そうな顔色を浮かべた。
船旅では終始、大きな危険はなかったからだ。
裴世春は青い顔をしていた。やや船酔い気味のようだ。
「明日でやっと洛陽に帰れる……とんでもないド田舎であったわ……」
その脇を荷物を抱えた倭人たちがすり抜けてゆく。
漢語が分からないからだろうか、誰も咎める様子はなかった。
だが、陸に足をつけて落ち着いたからだろうか。
しばらくすると、にやりと笑った。
「だが、これでワシも昇進……かのう?」
その翌日となる正始元年八月某日ーー
海面は陽を受けてきらきらと輝き、沖は鏡のように穏やかだった。
沖には網を広げている舟も幾つかあった。
潮風には妙な湿り気も混じっていた。
小さな波が時折大きくなり、桟橋を叩く音が耳に残る。
壱岐の島影は霞の中で揺れ、まるで遠ざかってゆくように見えた。
金玄基は、船の後方にそびえる山々を眺めながら思った。
(倭国もこれで見納めか……また来ることは、もうないだろうな……)
このおよそ半年間の経験は、とても貴重なものに思えた。
魏の使節団を乗せた船は、帯方郡へと出航した。
※
数日後、阿蘇の社ではーー
「……ようやっと帰りおったか」
「はい」
阿蘇の大巫女は、隣りにいた伊都国王・ナギサヒコに尋ねた。
「じゃが……香取の大巫女は何故、あの金印を返さぬ?」
「……ご使者殿に気を使われたのではありますまいか」
「ちょっと見せてやっただけなのに……生意気な……」
しばらく間を置いてから、ナギサヒコは言った。
「香取の大巫女様は『次のヤマトに持参する』と仰っているそうです」
阿蘇の大巫女は深くため息をついた。
「ならば、ヤマトを開かねばならぬな……」
その大巫女を横目で見ながら、ナギサヒコも呟いた。
「しかし、大巫女様……ヤマトを開く理由が『親魏倭王印を返せ』だけでは、諸国の王が納得いたしますまい。他の理由を作りませぬと……」
※
同じ頃、伊勢の社ではーー
伊勢の大巫女とイセエビ、クジャクの三名は、瀬戸内での紛争の善後策を話し合っていた。
伊勢の大巫女は、干した小海老をつまみながら呟いた。
「来ぬ国が解決してくれたのなら、宜しいのでありませぬか?」
「良くはありますまい。他国への示しがつきませぬ」すかさずイセエビが答えた。
「そうかて、各々の問題は各々で解決する取り決めじゃ」クジャクがイセエビに言った。
「そう言って手を拱いていたら、瀬戸内が来ぬ国の海になってしまったではないか」
イセエビとクジャクのとりとめもない議論は、この後もしばらく続いた。
伊勢の大巫女は、ため息をついた。
「阿蘇の大巫女様がなんとかなされば宜しかったのよ……」
クジャクは顎に手を当てた。
「あの辺りは、どちらの領分なのでしょうな……?」
「ちょうど中間だしな……」イセエビも唸った。
伊勢の大巫女は、イセエビの分もつまみながら呟いた。
「瀬戸内が来ぬ国の海になるくらいなら……早ようヤマトを開いて、網でも仕掛けたほうがよろしいですわ〜」
イセエビは、伊勢の大巫女を見つめた。
「ヤマトは一昨年やったばかりですぞ」
「しかし、決めるなら早いほうが良かろう」
そう言うとクジャクは小海老の皿を引き寄せた。
※
時同じくして、香取の宮ではーー
香取の大巫女が、いつものように木の大刀を振るっていると、
「大巫女様……」
呼び掛ける声があった。
大巫女が手を止めて振り向くと、そこには伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳鞮の四名が、両手をついて跪いていた。
まず、伊支馬がおもむろに口を開いた。
「我は……職を辞することと致しました」
「なにっ?!」大巫女は伊支馬の顔をじっと見つめた。
伊支馬は静かな口調で話し始めた。
「かねてより『地位に恋々とするものではない』と申し上げて参りました。
魏国との交渉も一つの区切りがついた今こそがしかるべき時であると考えました次第……」
大巫女は、ゆっくり伊支馬と正対すると、尋ねた。
「それは、明日の評定で決めるのではなかったのか?」
「まだやり遂げなければならないことがある中で、身を引くは苦渋の決断……。
なれど、このまま意思確認に進んでは我の国に決定的な分断を生みかねないと考えました。
それは決して我の本意ではございませぬ」
そして、伊支馬は深々と頭を下げた。
「先の遠征も失敗したばかりじゃ。今そなたに辞められては困る」
香取の大巫女がそう言うと、弥馬升が割って入った。
「その責任は、我にございまする。 従いまして、我も辞任いたしまする。
なれど、当面は務めさせていただきまする」
大巫女は、今度は弥馬升に尋ねた。
「そなたは、辞めるのか? 辞めぬのか? どちらじゃ?」
「辞めると言ったのに辞めないじゃないか、というご批判もございましょうが、そこは忍んでいかざるを得ませぬ……」
香取の大巫女は、目を閉じて天を仰いだ。
「弥馬獲支、そなたの存念や如何に?」
弥馬獲支は、平伏したまま答えた。
「伊支馬殿をしっかり支えきれなかったことは、大変重く責任を受け止めておりまする。
ただ、魏国とは非常に難しい交渉となる中で、ある面で我の国は突出して、しっかり交渉していたと存じまする」
香取の大巫女はさらに尋ねた。
「奴佳鞮……そなたも辞めるのか?」
「我は、気を引き締めて残りの任期を全ういたしまする」
奴佳鞮は軽く頭を下げた。
「……そうか。 皆、ご苦労であった」
香取の大巫女が労うと、伊支馬ら四名は揃って社殿を後にした。
大巫女はじっと彼らの後ろ姿を見つめた。
その時、大勢の群衆が参道に詰め寄せて、口々に叫び声を上げた。
「伊支馬、辞めるな!」
「伊支馬、辞めろ!」
「汝は『言葉が通じる』奴だった!」
「毎回ぶれるから信用できないんだよ!」
「責任とって辞めるより戦争の不安をなくせ!」
「伊支馬あああああああああああ!」
様々な怒号が飛び交う中、伊支馬はにっこりと笑いながら、軽く手を振るだけだった。
そして、何も言わずに去って行った。
その様子を社殿から見つめながら、香取の大巫女は呟いた。
「これは……ヤマトを開かねばなるまい……」
※
こうして、三人の大巫女が同時にヤマト開催を発議した。
人々はざわめいた。
前代未聞、まさに異例の事態であった。
お読みくださりありがとうございました。
侏儒国のくだりって、どうして魏志倭人伝に採用されたんだろう?と考えたら、こうなっちゃいました。
次回「第26話 明太子テスト」えっ、なんのテスト……?
(月曜20時ごろ更新予定です)




