第22話 水行十日、陸行一月
投馬国から出港した魏船から仰ぎ見る富士。その姿に、台与の心は揺れる。
一方、九州では遂にヤマト連合と来ぬ国が激突ーーかと思われた。
そんな中、金玄基ら魏の使節団は、ついに「邪馬台国(?)」に辿り着いた。
正始元年六月某日ーー
ナカツヒコは梯儁の問いに応えた。
「ここから香取の宮までは、船で行けば十日ほど、陸を行けば一ヶ月ほどです」
それを聞いた梯儁と裴世春は瞬時に口を揃えた。
「では、船で参ろう」
こうして、魏の使節船は投馬国を出港した。
金玄基は、いつものように船底で両手を広げながら、ひとりごちた。
「南は南……東は南……でも、今日は本当に南……」
ナカツヒコは魏の船乗りに水先案内をしている。
「このまま進みますと、例の黒い潮が見えます。またそれに乗ってください……」
その日のうちに、船は進路を変えた。
「東だから南……」その時もまた、金玄基はひとりごちた。
※
数日後ーー
一行は左手に、天まで届こうかという高山を見た。
山頂からは煙が上がっていたが、その高嶺はわずかに薄っすらと白い。
左右対称に広がった裾野は見る者を魅了した。
裴世春が、その山を眺めながら、一つ吟じた。
「舟乗黒潮去 (舟は黒潮に乗りて去り)
回渦避且行 (渦を回り避けて且つ行く)
遠望霊岳立 (遠く望めば霊岳立ち)
女王何未逢 (女王は何ぞ未だ逢わざる)
……」
春の日差しは初夏に変わり、気づけば帯方郡を発って三月が経っていた。
裴世春は、いつものようには笑わず、ただ黙って顎を擦り続けていた。
台与もまた、その霊山を見上げ、立ち尽くしていた。
そこへナカツヒコが寄ってきて、台与の肩に手を置いた。
台与は一瞬、左右を見渡し、そして声を落とした。
「……ナカツヒコ。香取の大巫女様は、私のお母様なの?」
ナカツヒコは絶句した。思いがけない言葉だったようだ。
そして、台与の目をじっと見つめた。
「……そんなことを、誰が?」
「伊勢の大巫女様から、伺いました」
ナカツヒコは遠くを睨んだ。
「そうですか……」
「ねえ、どうなの?」
「そうだ、とは言えません……」
「じゃあ、違うの?」
ナカツヒコはしばらく無言だった。
だが、意を決したように呟いた。
「違う、とも言えません」
最後の方は聞こえないほど小さな声で、口だけが動いていた。
ナカツヒコが普段からよくやる、ずるい答え方だ。
だが、今の台与には笑えなかった。
聞いてはいけないことなのだ。それは分かっていた。
この国のためか、ナカツヒコのためか、まだ見ぬ母のためか。
あるいは、台与自身のためなのかも知れない。
きっと、富士のような人なのだ。
気高くも、人を寄せつけない。少なくとも私は近づけないのだ。
(でも、もしかしたら……)
台与の心は揺れた。
※
その頃、難升米と都市牛利は入江にたたずんでいた。
背後には、伊都国から率いてきた兵が控えている。
二人の見つめる先には、豊後水道を渡って近づいてくる、来ぬ国の船団があった。
難升米は右手に持った剣を掲げ、兵たちを振り返りながら叫んだ。
「戦闘、用意!」
都市牛利が剣を抜く。剣兵たちもそれに習った。弓兵は弦に矢をあてがった。
そして、次の号令を待った。
※
その様子を見ていた来ぬ国の王・クニトラは船上で呟いた。
「ヤマトか……」
「二千ほどかと……勝負になりもす」
後ろに控えるアラツヒコが、すぐに相手の兵数を見積もった。
クニトラは振り返ると、鼻で大きく息を吐いた。
「まずは、我が参ろう」
※
難升米は、海上をじっと見つめた。
一艘の船だけが入江に入ってくる。
しばらくすると、浜に乗り上げ、将二名と数名の兵が降りてきた。
難升米は一瞬目を丸めたが、剣を下げて一礼した。
クニトラは無言で応じた。
「彦尊、いずこへ参られます?」
「我の国に戻るところじゃ」
「明の国より知らせを得て参りました。問い正したき儀がございます」
「なんなりと……」アラツヒコがクニトラを庇うように進み出て言った。
「余の国を滅ぼされたと聞き及びましたが?」難升米が問うと
「余の国は、滅んでなどおらぬ」クニトラは表情を変えない。
「疑うなら行って確かめよ」アラツヒコが口を添えた。
「では、何ゆえに征かれましたか?」
「賊を討って参った。おばば様のためにな」
「大巫女様とお呼びください」難升米は上目遣いに唸ったが
「我の国では先代より、そう呼んでおる」クニトラは引かない。
アラツヒコが声を荒げた。
「余の彦尊は、魏とやらの使者を襲撃しようと企てておった。ゆえに討ったのだ!」
クニトラが静かに続いた。
「いけなかったか?」
難升米は剣を鞘に納めた。
その話は初耳だった。おそらく伊都国王も知らない。
「そのお話、こちらで確かめまして、再度お目にかかりまする」
「うむ」
「その上で、次の『ヤマト』にてご説明頂くことになるかと存じまする」
クニトラは鼻を鳴らした。
「我らは、ヤマトには参らぬ」
難升米はクニトラをじっと見つめた。
「それ故、我らは汝らの国を『来ぬ国』と呼んでおりまする」と、難升米が言うと
「好きに呼べばよかろう。我は気にせぬ」クニトラは返した。
しばし二人は、互いに睨み合った。
だが、すぐにクニトラが沈黙を破った。
「では、この入江に船団を入れても良いか?」
難升米は、低く唸った。
「……どうぞ」
浜辺に伊都国兵が武器を収める音が響く中、クニトラは踵を返し、乗ってきた船へと歩を進めた。
そして、一歩後ろをゆくアラツヒコに囁いた。
「上手くいったな」
「はっ。元より存じちょいもはんこつにございもすが……」
二人は顔を見合わせ、にやりと笑った。
※
その数日後ーー
金玄基は、いつものようにひとりごちた。
「ん、北に向いたぞ……でも、天子から遠ざかってるから……南?」
魏の使節船は、半島を避けて、右手には海に浮かんだ大きな山を見ていた。
その島の浜辺に、四つの小さな人影が見える。
子供だろうか。
彼らは大きく手を振ったり、船を追いかけるように走ったりしていた。
台与は微笑みながら、彼らに小さく手を振った。
おそらく彼らには、台与の仕草も姿も見えない。
だが、そうすることでいくらか気が紛れる。
台与はなるべく、目先のこととは無関係なことをしていたかった。
潮にも天候にも恵まれ、その日のうちに浦賀水道を抜けた。
そして、品川の港に入った。
はや夕暮れを迎えていたが、港には四名の倭の官人が迎えに来ていた。
伊支馬は、この辺りの長と名乗った。
彼は自らが名乗った後、その次官たちを紹介した。
弥馬升
弥馬獲支
奴佳鞮
いずれも恰幅の良い男たちで、魏でいう大人の風格を帯びていた。
「お出迎え、痛み入る。某は正使・梯儁、これなるは副使・裴世春にござる」
梯儁と裴世春が拱手礼で応じると、伊支馬はにっこりと笑った。
だが、そのほぼ閉じた目と最大まで上がった口角は、どこか作り笑いのようにも見えた。
伊支馬に案内され、魏の使節団一行は宿舎に到着した。
そこは、港近くの高台にあった。
「おお、あれは……」
部屋から遠くを眺めていた裴世春が、不意に呟いた。
その指差す先には、大きな集落が見える。
「投馬国のより大きいのう……」梯儁は呟いた。
「彼の地が五万戸とのこと。なれば、七万はありましょうな」裴世春が唸る。
「明日、行ってみましょうか?」金玄基が尋ねると
「そうしよう」
二人は口を揃えた。
※
翌日、つまり陸行一日目ーー
梯儁と裴世春、そして金玄基の三名は、朝から集落が見えた方向に歩き始めた。
「おい、金玄基。 誰か捕まえて、ここがどこか尋ねよ」裴世春が言う。
「え……伊支馬殿に聞けば宜しいのでは?」金玄基が聞き返すと
「あいつの言うことは、よく分からぬ」
「それに、正直な庶民が良い。 倭の官人は真実を言っていると思えぬ」
梯儁までもが、こう付け足した。
その後、金玄基は道行く倭人の一人に声をかけた。
この辺りの住人だろう、特に身分がありそうには見えない。
二人の条件通りの人物だ。
「すみません……ここはどこでしょう?」
「なんでえ、迷いもんかい? この辺りは山手ってんだ」
ーーなんと!?
三人は声を揃えて、彼を見つめた。
「あ……聞こえねぇのかい? やまてだ、や・ま・てぇ!」
ーー邪馬台!?
「ちげぇよ……やぁ・まぁ・てぇ!」
ーー邪馬台じゃないか!
ーーどう聞いても邪馬台じゃ!
ーーもう一回、お願いします!!
そのやり取りは何度か続いた。
裴世春は梯儁の手を取った。
梯儁も金玄基に片手を伸ばすと、満面の笑みを浮かべた。
三人は手を取り合い、涙を流しながら輪になって踊った。
二、三周した頃、その倭人は叫びながら去って行った。
「てやんでぃ、べらぼうめ! おととい来やがれ!!」
裴世春は笑い泣きをしながら尋ねた。
「おい、今なんと申しておった?」
「訛がすごくて、全く聞き取れませんでした」金玄基は涙を浮かべながら答えた。
「良かろうぞ……良かろうぞ……」梯儁も涙を流している。
「よしっ、一つ吟じて進ぜよう」
裴世春の漢詩が始まった。
「山手道途広 (やまてのみちは広く)
王居疑是処 (王の居かと疑わし)
喜涙共相舞 (喜びの涙に共に舞い)
遂至邪馬台 (ついに邪馬台に至る)
……」
だが、梯儁が止めた。
「待て、ぬか喜びやも知れぬ。女王の居館を見てからにしよう」
「梯儁殿の仰せ、ごもっとも。さらに探ってからでも遅くはありませぬな」
そう返す裴世春の目には、しかし疑念の影はなかった。
もし「違う」と言われても、もはやその言葉すら信じないであろう。
金玄基にはそう思えたし、梯儁や裴世春も、その様子から同様であるように見えた。
※
後年の話になるがーー
裴世春は晩年、隠居先にて陳寿の訪問を受けた。
その際「それはその地のごく一部の地名だったのではないのか?」と問われ、こう答えた。
「確かなことは、あの時、我らが『ここが邪馬台国だ』と確信した、という事実だ」
そして、二人は「歴史とは確信の物語なのだ」という見解で一致したという。
お読みくださりありがとうございました。
東京では「山の手」というのに「山手線」というのは何故だろう?と考えたら、こうなっちゃいました。
次回「第23話 邪馬台国へ Take 3」、気を取り直して仕切り直しです!
(木曜20時ごろ更新予定です)




