第19.01話 水行二十日 deleted scenes
この話は【第19話 水行二十日】に収録できなかったNGシーン集です。
本編の筋立てとは直接関わりありません。「没シーン」をまとめました。
また、登場する名称や描写は創作上のものであり、実在の法人・団体・商品等とは一切関係ありません。
ーー第19話:scene : 9 - cut : 1 - take : 3 deletedーー
正始元年五月某日ーー
投馬国の港に入った船は、接岸地点を確認するまでの間、しばらく港内に停泊していた。
するとーー
ーーゴン!
まるで誰かが船底を下から叩いたような重たい音が聞こえてきた。
梯儁と裴世春は驚いた様子で、周囲を見渡していた。
金玄基も周りを見たが、変わった様子はなかった。
(何事だ……?)
すると、船尾の方から女の声が聞こえた。
「いた〜い……」
三人は急ぎ、船尾へ走った。
船のすぐ足元に、倭人の女がいる。
彼女は右手で自分の頭をさすりながら、顔だけを水面に出していた。
「大丈夫ですか?!」金玄基は船の上から声をかけたが、その女はーー
「ーーんにしてんだよ、バーロー!」
と叫ぶと、再び海に潜っていった。
(……なんだったんだ……?)
金玄基は呆然と、波紋だけ残る海面を見つめた。
すると不意に、裴世春が叫んだ。
「ーー見よ、あれを!」
裴世春の指差す先には、倭人の女が五、六人立っていた。
彼女たちは皆、腰に籠をぶら下げているほかは何も着ていない。
「古の殷の紂王は『酒池肉林』を築いたという……決まりだ」
裴世春は顎に指を当て、眼光鋭く倭人たちを睨んだ。
「え……何がです?」金玄基は、本当に分からなかった。
「ここに倭の王城があるのだ……すなわち、ここが邪馬台国だ!」
「待たれよ、裴殿」
梯儁は裴世春を向き直り、岸壁の倭人たちを指差しながら言った。
「……女王国に酒池肉林とは、矛盾してはおらぬか?」
「まずいですな……司馬懿様が『女王国だ』と仰っております故……」
裴世春は倭人たちを眺めながら、親指と人差し指で顎を掴んだ。
その倭人たちは船から離れた場所にいたが、こちらを見て何やら叫んでいる。
だが、何を言っているのかは分からなかった。
そこに、船室にいた台与が駆けて来た。
「御三方、何をなさっておいでですか?! じろじろ見るものではございませぬ!」
※
ーー第19話:10 - 1 - 15 deletedーー
魏の使節船はようやく、投馬国の港に接岸した。
桟橋の隣には、それと同じくらい大きな建物が横たわっていた。
梯儁は、髭をこすりながら唸った。
「なに……水族館……?」
その様子を見ていたナカツヒコが梯儁の隣に歩み寄った。
「よろしければ、中へ参りましょう」
こうして魏国の使節団一行は、水族館の門をくぐった。
裴世春は入るや否や、眉をひそめて言った。
「なんじゃ……平日とはいえ、人影もまばらじゃな……」
「かつて我が来た時は、もう少し多かったのですが……」
ナカツヒコも辺りを見渡しながら呟いた。
「こちらは猟虎と申しまする。
倭国では当館が初めて繁殖に成功しました」
ナカツヒコがその生き物に右手をかざすと、裴世春が唸った。
「嘗て、楚の屈原は石を抱いて汨羅江に入水した、と申すに……
こやつ、石を抱いて水に浮いておる。我を愚弄しておるのか……」
梯儁は目を丸くしている。
「戦の役に立つのか?」
「……そういう時代もございましたが、今はもう……」
「では、何の役に立つのか?」
そこにいる全員が、ナカツヒコの説明に耳をそばだてた。
「猟虎は、北の海にある巨大昆布の森に暮らしておりまする。
ところが、昨今の陽気の変わりようにて、この森が減っておりまする。
海胆が大量発生し、昆布を食べてしまうのでございまする。
ですが、この猟虎は海胆を好んで食しまする。
それ故、巨大昆布の森を維持する役目を期待されておりまする」
金玄基は、すかさず右手を上げた。
「その森があると、何が良いのですか?」
「巨大昆布は二酸化炭素の吸収効率と酸素生成効率が高い、とされておりまする。
熱気をこもらせる気の削減に繋がる可能性がございまする」
ナカツヒコの説明に、全員が無言で頷いた。
梯儁も裴世春も、そして金玄基も、昨今の夏の暑さには辟易としていたからであった。
台与は目を輝かせて呟いた。
「きっと、神の使いに違いありません……」
だが、裴世春だけはナカツヒコに食って掛かった。
「お主はそれを、排出権取引に使おうと言うのか?」
「……滅相もないことで……」
「……?」
「……!」
……
その質疑は永遠に続くかのように、金玄基には思えた。
※
ーー第19話:11 - 1 - 9 deletedーー
一行は港を離れ、伊勢の大巫女の社へと歩を進めた。
ひとつ峠を越えると、金玄基が頓狂な声を上げた。
「あれは何ですか?!」
指差す山の頂に、高い建物がそびえ立っている。
ナカツヒコは見上げて言った。
「あれは|第六天魔王の城《安土城の模造天守(原寸大)》にございまする」
「第六天魔王?! 武人として捨て置けぬ」
「魔王とはいえ王は王……やはり、ここが邪馬台国であったか!」
「何があるのですか?!」
その場の誰もが口々に声を上げた。
ナカツヒコは肩をすくめ、静かに言った。
「……いろいろございます。よろしければ、参りましょう」
こうして魏国の使節団一行は、第六天魔王の城に向かった。
裴世春は入るや否や、眉をひそめて言った。
「なんじゃ……中は工事中ではないか……」
「改修工事とのことにございまする。ですが、外観は自由に撮影できまする」
梯儁は口角を上げた。
「それは良い! 金玄基よ、一つ頼むぞ」
梯儁と裴世春は第六天魔王の城の前に立った。
金玄基は幅広の木簡を取り出すと、二人の立ち姿と城を描き留めてゆく。
「……いかがじゃ? うーん、もう少し見目良く描いてはくれぬか?」
「金玄基! 全然似ておらぬ。もっと目を大きくしてだな……」
金玄基は、筆と小刀を交互に使い分けながら、二人の要望に応えるよう努めた。
梯儁は出来上がった木簡をまじまじと眺めた。
「あとは画帖とやらに上げるだけじゃな……」
「梯儁殿はその前に号を作らねばなりますまい?」
裴世春がにやりと笑う。
梯儁は眉をひそめた。
「世春殿はお持ちなのか?」
「当然のことにございまするとも……」
「むぅ……いつの間に……」
台与が遠くを指差した。
「あっ、あそこに行ってみましょう!」
その先には、森の木と木の間に木を渡した道がある。
一行は、一斉に駆け出した。
だが、すぐに肩を落とした。
「この服装では入れないとな……」
梯儁も裴世春も、そして金玄基も長衣を纏っている。
台与は白地の小袖に淡い紅の袴。
それ故、係員に制止されたのであった。
その時、ナカツヒコが駆け寄ってきた。
「貸衣装もあるようでございまするが……」
しかし、梯儁は背筋を伸ばして言った。
「いや、仮にも一国の使者が正装を崩すわけには参りませぬ。お気遣い御無用に……」
その日は園内をくまなく巡った。早や夕日が傾く。
梯儁が一同に向かって言った。
「致し方ない。今宵はどこかに一泊しよう」
間髪置かず意見を述べたのは、裴世春であった。
「ここがよろしいのでは? 一部読めませぬが『倭』の字がございまする」
(その字だけが頼りか……)金玄基は呆れた。
だが、そういう自分も浪馬文字は分からない。
「おお……なかなか良さそうじゃな」梯儁は同意した。
台与はひとり首を傾げた。
「宿の場所は……志摩?」
こうして魏の使節団一行は、再び海辺に戻ったのであった。
※
ーー第19話:12 - 3 - 3 deletedーー
魏の使節団一行は、川の手前の大鳥居の前で、二人の倭人から出迎えを受けた。
「我の名はイセエビと申します」
「我はクジャクと申します」
共に伊勢の大巫女の側近だという。
梯儁と裴世春は軽い拱手礼を取って応じた。
だが、イセエビは重い口調で言った。
「生憎ですが、大巫女様はただ今お化粧直しの最中にございますれば、あちらにてお待ち頂きたく……」
と、右手で真横を差した。
一同が左を向くと、木陰の向こうに市が見える。
「承知いたした。しばらく待たせて頂きまする」
梯儁は応じた。
裴世春は市の入口に立つや否や、眉をひそめて言った。
「なんじゃ……伊勢うどんの看板ばかりが目に付くではないか」
「……あんまりです!」
台与がすかさず異議を唱えた。
しばらく台与と裴世春との間に一悶着あった。
だが、最後には額から汗を流しながら、裴世春が唸った。
「台与殿がそこまで仰るのなら、一度試してみようではありませぬか……」
こうして一行は、伊勢うどんの店に入った。
(話には聞いていたが……初めてだな、伊勢うどん……)
金玄基は、うどんが出てくるのを待った。
やがて、うどんが運ばれてきた。
まず一同が驚いたのは、奇なる車台がひとりで運んできたことだった。
その車台は一行の席の脇にすっと止まるとピカピカと光った。
梯儁は目を丸くした。
「そなた……何故わしの注文を知っておる?」
裴世春は金玄基を睨みつけた。
「金玄基! これは『早く取れ』と申しておるのではないのか?」
(まだ収まらない、て感じだな……)
金玄基はすっくと立ち上がると、車台が乗せてきたうどんを席に並べた。
すると関心なことに、注文の品を全て取り上げられた車台は、ひとりでに帰って行った。
金玄基はその後ろ姿を呆然として見つめた。
「では、頂きましょう!」
台与は両手を合わせながら言った。
そのうどんを口に運ぶと、一瞬ぬたっとした食感が伝わる。
だが、二口目三口目と続いていくと返って喉を通りやすく、飽きも来ない。
飲み込むと、腹の中で柔らかく溶けてゆくようにすら感じられた。
(これなら、いくらでもいけそうだ……!)
これも食する者のことを考え抜いた、ひとつの帰結であるように、金玄基には思えた。
「うーん……」裴世春は椀を抱えながら唸っている。
「もうないのか……?」梯儁には足りなかったようだ。
「おかわりでしたら、向こうで食券をお願いします」近くを通った店員の声が聞こえる。
「五銖銭は使えるかな……?」梯儁は立ち上がった。
「いかがでしたか、裴世春殿?」台与がにやりと笑い、尋ねた。
裴世春はしばらく黙ったまま台与を睨んでいた。
だが、やがて低く唸った。
「なかなかですな……此の度は私が三舎退きましょう」
そして、最後のひとつまみを口に運んだ。
「腹が膨れてもう歩けぬ……」梯儁はだいぶおかわりをしていた。
まだこの横町の半分も歩いていなかったが、早や観念するほかない。
梯儁は店先の空いている席に腰掛けると、ひとりごちた。
「……この国は危険じゃ……食の誘惑に勝てぬ者は滅ぶ……」
その時、金玄基は気づいた。
「梯儁様……そちらも伊勢うどんの店先ですが……」しかし、言い終わらないうちに
「いらっしゃいませ! 何名様でしょうか?」店から出てきた者が尋ねた。
一同は慌てて立ち上がった。
※
ーー第19話:13 - 5 - 13 deletedーー
台与は、川のせせらぎに耳を澄ませながら目を細めた。
「やはり伊勢に参ったら、ここに来ないと損をしたような気になります」
そして、ゆっくりと畳の座敷に腰を下ろした。
「私も、最初からここが気になっておりました」裴世春が呟く。
「梯儁様、大丈夫なのですか?」金玄基は尋ねた。
「なあに、『甘い物は別腹』と申すであろう」梯儁は苦しそうに両手を腹に当てた。
ずいぶん並んだが、ようやく席に着くことが出来た。
一行は、静かにその時を待った。
朱塗りのかまどから湯気が立ち昇り、番茶の香ばしい薫りが店内に漂う。
その時は来たーー
四人の元に、盆が運ばれてくる。
二切れの餅が盛られた皿と、その傍らにはほうじ茶、箸も添えられている。
餅はきめ細やかな餡にくるまれ、さらにその餡には三つの筋がある。
その下からわずかに覗く餅の白が、まるで眼前の清流に映る小石のように見えた。
金玄基はその餅を、しばらくじっと見つめていた。
「召し上がらないのですか?」台与が尋ねた。
「いいえ……でも、ずっと見ていたい……そんな気になります」
裴世春が横目でちらりとこちらを見た。
やがて餅の皿に両手を添え、目の高さまで持ち上げると、静かに呟いた。
「味はもちろんのこと、見た目でも楽しませる……これが倭人の心なのですな」
台与はちらりと裴世春を見やってから、目を伏せて静かに微笑んだ。
「台与殿。この店は、いつ頃からあるのですか?」
「今からマイナス一四六四年前、と聞き及んでございます」
「ほほう……」
裴世春は目を細め、一つ吟じた。
「清流映白餅 (清流は白餅を映し)
丹餡画三痕 (丹き餡は三筋を描く)
一口甘如夢 (一口すれば甘さ夢のごとく)
伊勢心永存 (伊勢の心は永く存す)
……」
そして、皿を静かに盆に戻すと、再び餅を口に運んだ。
台与がこちらを見つめて微笑んだ。
「もう貴方一人になりましたよ、金玄基」
金玄基にはまだ未練があったが、慌てて一つを口に運んだ。
その味は、まるで清流が舌に溶けていくようであった。
遠くの方から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
確か……伊勢の大巫女の従者、イセエビとクジャク……。
「おい、大巫女様は見つかったか?!」
「……まだじゃ……どちらへ行かれたんじゃろう?」
「次はあちらを探せ。我は向こうへ行く!」
「おう!」
やがて、その声も風に乗って消えた。
金玄基の口内に、また一つ、五十鈴川が流れた。
お読みくださりありがとうございました。
倭国編では重たい展開が続くため、ついついこういう話ばかり考えてしまいます。
本編とは違う気軽さをお楽しみいただければ幸いです。




