第2話 やらかした通訳 Take 2
雇われ通訳・金玄基は誤訳を連発
止められないのか?!
真意が伝わらない倭の使節団から悲鳴が……
金玄基には、通訳の仕事など滅多に無かった。
ーー塞曹掾史付き属吏・通訳使・金玄基
これが、彼が名乗りに使う時の言い回しである。
一見立派だが、その意味は
張政の個人雇い通訳……すなわち、無官であった。
普段の仕事は、通行証の発行であった。
木簡に
<申請者氏名>
右の者に
帯方郡……<行先>間
の通行を許可する
帯方郡太守 <太守名(今なら劉夏)>
と記入する。
その上で太守の印をもらいに行く。
太守名の上に押印してもらったら申請者に渡す、という簡単なお仕事であった。
すなわち……
(相手の氏名と行先以外はテンプレだな……)
この事に気づいてからというもの、宛名と行先のない通行証を書き溜めるのが、彼の日課であった。
「重大な職務違反なんだぞ……バレたらな!」
一度、張政に怒られた。しかし、その後は見て見ぬふりをしてくれた。
そこそこ信用されているようであった。
そんな男が今、倭国と魏国の橋渡しをしようとしている。
※
「こちらへどうぞ」
張政は難升米たちを賓客の間に通すと、机を隔てて相対した。
金玄基は張政の左側に座った。
「太守にご面会いただく前に、こちらでご用件を伺いたく存じます」
張政が切り出すと、難升米は口上を述べた。
「この度は、倭真津日高見姫尊の命により……」
ーー長い!
「……す、すみません……もう一度お願いします」
口を挟んだのは金玄基であった。
難升米は訝しそうな顔をしたが、もう一度
「やまとまつひたかみのひめみことの……」
と言いかけたところを、再び金玄基に止められた。
「すみません。それはお名前ですか?」
「ええ、御名前です」
「どこからどこまでがお名前ですか?」
その質問は、難升米にとっては頓珍漢でしかなかった。
「……全部です」
難升米は困っていた。金玄基も困ってしまった。
隣で涼しい表情をしている張政も、おそらく聞き取れていなかった。
「張政様……どうしましょう?」
「全て聞き取れ」
張政はこともなげに言った。
「あんまり何度も言うのは失礼なので……後ほど姫尊からの親書をご覧ください」
難升米は溜まりかねて言った。
(おっ。今、ひ……みこ……って言ったな)
金玄基は聞き取れた気になっていた。
※
「続けてください」
張政が促すと、
「魏の天子にご拝謁を賜りたく、親書と貢物を持って参りました」
難升米はようやく用件を言い終え、竹簡の親書を差し出した。
「ほう、竹簡……改めさせていただきます」
当時、木簡は一般的であったが、竹簡は廃れて久しかった。
金玄基は張政の脇から書簡を覗き込んだ。
まだ若い竹の香りがする。丹念に削られた表面には美しい字が並んでいる。
署名と思しき傍には、スミレの押し花が添えられていた。
だが、並んだ漢字をそのまま読んでも意味が通らない。
(……これは?)
万葉仮名で書かれた書簡だった。
「玄基、読めるか?」張政が小声で尋ねた。
「これは……音で読むのです。」金玄基も声を潜めて答えた。
「……本当か?」
「ええ……(た、たぶん)」
「音ってことは……倭語か?」
「……そうです」
「これを天子にご覧いただく……と?」
「……まずいですね」
「お主……この親書を翻訳せい」
「はっ」
(……ナカツヒコさんにも協力してもらおう……)
金玄基は顔を上げて辺りを見回したが……いない。
公式の場に出るのは遠慮したのだろうか。
※
その頃ーー
ナカツヒコは、市場の片隅の目立たない場所にある薄暗い小屋の中にいた。
日中にもかかわらず、蝋燭を手にしたやくざ者に囲まれている。
刃物を手にした者、酒を片手にくぃっと飲み干す男、入墨をした者、山賊風の男、下半身だけ鎧を着た落武者……。
危険な匂いが漂う中、土間に敷かれたむしろにどっかりと座り、大小の石を盛んに転がしていた。
……魏(司馬懿)が勝つか?燕(公孫淵)が勝つか……?
「ーーさあ、はったはった!」
「司馬懿に百両!」
「俺は公孫淵に……全部……!」
司馬懿!
公孫淵!
司馬懿!司馬懿!……怒声が入り乱れる。
掛け声が入るたび、石を動かして倍率を計算し直す。
「おい……情勢、教えろよ?」
「司馬懿一倍二分、公孫淵六倍だね」
「……そうじゃねえ、戦の形勢だよ」
「そいつはアイツに聞いて来なーーさあさあ!燕方ないか、燕方ないか?」
※
太守の間ではーー
太守・劉夏と建中校尉・梯儁は、取り留めもない軍議を続けていた。
派兵は決定したものの、二人の意見はすれ違っていた。
梯儁は帯方郡の防衛に万全を期す献策をした。
「そこは、なんとかならぬか……?」
劉夏は腑に落ちなかった。
昨年みたく、公孫淵が勝つかも知れない……その場合には、申し開きができるような作戦が好ましい。
劉夏にとって帯方郡はどうでも良かった。単に生き残りたかった。
※
「金玄基!何をやっておるか?!」
そう怒鳴りながら作業部屋に入って来たのは、裴世春であった。
返事を待たされ暇のようだった。
「ははーっ、尚書郎様」
うやうやしくお辞儀をしたが、正直なところ鬱陶しい。
「ふむ。……や……ま……と……なんだそれは?」
「倭国からの親書です」
「ほう……で、終わったのか?」
「あと少しで……」
「どこが分からぬのだ?」
裴世春とは初対面だったが、随分と馴れ馴れしい。何処かで会ったのだろうか?
「いえ、特段……」
と言いかけたところ、木簡を盗み見た裴世春は遮って
「先方の肩書きが無いではないか。これはな……」
ーー『邪馬台国の女王・卑弥呼』
と書いてある、と自信満々に言うのだった。そして長々と講釈を垂れ始めた。
「古い書物に『邪馬台国』という名があってだな……これはそれだ(たぶん)」
「は、はい……」
「倭にあるという女王の国だ。それやこれや、うんぬんかんぬん……」
金玄基は親切心から教えてくれているのだと思い、しばらく黙って聞いていた。
しかし、最後に
「金玄基!わかったか?通訳とて、ただ話すだけでは務まらぬのだ。もっと、知に励め!」
と言い放つと、高らかに笑いながら作業部屋を出ていった。
金玄基は呆然としながら裴世春の後ろ姿を見送った。
遠くから役人の声が聞こえた。
「裴様ーー!いずこにおわしますーー?!裴様ーー!」
※
ーーばかもの!
親書の翻訳文を読み上げ終わると、劉夏は金玄基を一喝した。
「この戦時に、たったそれだけの貢物を護送せいと申すか?!」
劉夏は怒り心頭の様子であった。
「……こちらが原本にございまする」
張政が劉夏に親書を差し出して見せた。
劉夏はしばらく黙って見ていたが、親書に挟まれていた小さな押し花に目を止めた。
紫色の花弁が、遠い春の野の香りをわずかに留めていた。
「……これは何じゃ?印の代わりか?」
その問いには、その場にいる者は誰も答えられなかった。
ーー申し上げても宜しいでしょうか。
それは金玄基の声だった。
「申せ。」張政は言った。
金玄基は気を取り直して一歩前に進み出て言った。
「これは倭国女王の忠義と誠意の証と存じます。
スミレの花言葉は――誠実、忠実。変わらぬ心を表す花です」
太守の間の空気が微かに変わった。
劉夏の視線はしばらく花に釘付けであったが、腑に落ちたようにつぶやいた。
「ワシは……忘れていたやも知れぬ」
軍議は、司馬懿に従い、兵一万を出兵させることと決まった。
裴世春が呼ばれ、その旨伝えられた。
裴世春は再び残念そうにした後、深々と頭を下げた。
張政には兵一千が与えられ、倭国の使者を洛陽まで護衛する命が下った。
張政は、口の端をわずかに上げて言った。
「玄基よ……お主、花の通訳ならできるんだな」
金玄基は少しむっとして、声を落とした。
「普通の通訳もできますけど?」
「……そうか?」
張政の笑みは、真顔の奥でほんの少しだけ温かかった。
※
こんなことがあった後だけに……。
その後の倭の使者と劉夏の面会は滞りなく終わろうとしていた。
「ところで……、難升米どの」
劉夏が尋ねた。
難升米は「はい。」と応え、劉夏の言葉を待っていたが
「……いえ、やはり結構です、何でもありません……おい、玄基」
「はっ。(おおっ、太守様が俺の名前を呼んだぞ……!)」
「あれなる童女は何者じゃ?付き人か?……ちと聞いてみてくれ」
先ほどから難升米と都市牛利の傍にいる少女……外交儀礼の場には少し場違いな出席者が、劉夏もやはり気になるようであった。
「そちらの女の子はどなたですか?」金玄基は難升米に尋ねた。
「これなるは斎女にございまする」
「とよ……め(これは倭人の謙譲表現だ。名前の最後に『め』を付けるんだ)」
「姫尊に将来を見込まれておりまして、この度、我らと同行することとなりました」
(ひみ……こ様は女王だから、身分は高そうだな……どうしよ?
そのままの言い方で伝えない方が………いいな……たぶん)
金玄基は劉夏の方を向き直った。
「太守様。台与様と仰り、卑しい者ではございません。
倭の女王様に見込まれてのご同行とのことです」
劉夏はにこやかに少女を見やった。
「おお……それほどの重責を、お若くして担われるとは。見上げたものですな、台与殿」
理想的な通訳ができた……金玄基は内心、自画自賛であった。
しかし、台与と呼ばれたその少女は、目をまん丸くし、次の瞬間、じっと金玄基を見つめ返した。
※
このような経緯でーー
台与は頬を膨らまし、ぷんぷんなのであった。
「どういうことなのですか?」
……でも、あの時の会話も張政が記録していたのを見ていた。
後の祭りです、とは流石に言えず
「魏では、とても響きのいいお名前ですよ。」と答えるのが精一杯だった。
「道中は安全。けど、行く先々で不運に見舞われる……っていう、出立前の卜。当たりましたねえ? ねっ、台与様!」
ナカツヒコが台与を揶揄う。
「おっ……ナカツヒコまでっ!」
大事な名前なのに、ちゃんと呼んでもらえない。
そんなふうに思ったのだろうか。台与はぷるぷると肩を震わせたかと思うと――泣き出してしまった。
難升米は、どこか浮かない顔をしていた。
「やっぱり、我らと魏は分かり合えんのとやろうかのう?」
「………………」
都市牛利は終始、無言、無表情であった。
ナカツヒコはニヤニヤしていた。
台与は涙を拭いながら、金玄基に言った。
「……名は魂。名を歪めれば、魂も歪む。そう教わりました」
「……呪われる……?」
このとき、まだ彼女はただの少女だった。だが、それはほんの束の間のことだった。
ーーあの漢が現れるまでは。
お読みくださりありがとうございました。
こんな頓狂な通訳がいたら、何が起こるかと考えたら、こうなっちゃいました。
次回は、少しお灸を据えようと思います……
(木曜20時ごろ更新予定です)




