第19話 水行二十日
魏の使節船は関門海峡を抜け、豊後水道から宇和海へと南下。
瀬戸内海では小競り合い、鰹のたたきに舌鼓、大巫女の出自を探ろうする輩も――。
金玄基は方角に悩みつつ、台与様の言葉に救われます。
正始元年四月某日ーー
魏の使節船は関門海峡を抜けた。
金玄基の目に、また開けた海が戻った。
鬼のような形相で倭人の船乗りに指示を与えていたナカツヒコも、穏やかな表情に戻った。
「ではこれにて、舵はお返しいたします」
梯儁と裴世春は興奮している。
「まさに、海の函谷関ですな!」
「函谷関は通さないための関……この海峡は通るための関……ふむう……!」
裴世春は、一つ吟じるようだ。
「山断潮奔急 (山は断たれ、潮は奔り急ぐ)
舟行関若関 (舟の行くさまはまさに関を越えるが如し)
倭門函谷比 (倭の門は函谷に比すべく)
万里一橋間 (万里の道をこの一橋に託す)
……」
そして、にやりと笑いながら、顎髭をさすった。
その様子を見ていた台与は、一瞬きょとんとした。
だがすぐに、右手の袖で口を隠すと、くすくすと笑いを漏らした。
「……可笑しいでしょう? どこもかしこも函谷関なんですよ……」
金玄基が囁くと、台与は何も言わなかったが、ふるふると首を横に振った。
※
クニトラとその従者たちは岸辺に立ち、西の海を行く魏船を眺めていた。
辺りには船から落ちた者、岸に上がった直後に討たれた者たちの遺体が横たわっている。
ウネビヒコが、腕を組んだまま呟く。
「……魏の使いか。今度はどこへ参るのか……
異国と通じるは乱を招きましょうな」
隣でタギリヒコが鼻を鳴らす。
「それもいいだろう……
我の国に入ってくるなら、皆まとめて斬ってくれる!」
クニトラは黙って魏船を見つめていたが、ふっと鼻で笑った。
「ーー構うな」
短く吐き捨てると、すぐさま背を翻し、邑の方へ歩き出す。
駆け寄って来た兵士に、左手に吊り下げていた首を渡すと、二人を振り返った。
「それより、賢者に会いに参るぞ」
※
何日か経ったーー
魏船は寄港地に立ち寄りながら、南に向かって航海を続けている。
ある時、梯儁が金玄基に訪ねた。
「金玄基、船の方角は変わらぬか?」
「はっ、今のところは」
「うむ……変わったら知らせよ」
「ははっ」
しかし、金玄基は不安になったので、恐れながら……と聞き返した。
「なにっ? 方角は如何にして知ればよいか、じゃと……?」
梯儁は呆れたような顔をしていたが、丁寧に教えてくれた。
「船首に右肩を、船尾に左肩を向けよ。
右手を船首に伸ばし、左手を日輪の昇る方に差せ。
日の出の位置が真東じゃ。その角度で方角が分かるのじゃ」
「ご教示、ありがとうございまする」金玄基は平伏した。
以来、金玄基は横を向いて船底にどかりと座り、両手をピンと伸ばすことが多くなった。
ある時、ナカツヒコが話しかけてきた。理由を話すと、ナカツヒコは笑った。
「まだしばらく南に行きますよ……
本当はすぐ東に向かったほうが速かったんだけど」
「えっ?! 何故です」
「うーん……あの海は、静かに見えて牙があるんです。
風を読めないと、島にぶつかるし……潮に逆らえば、永遠にたどり着けない。
海に見せかけた迷宮……ですかね」
ナカツヒコは「……それに……」と眉をへの字にして続けた。
※
ナカツヒコの言葉通りにーー
瀬戸内海では群島を巡る『備の国』と『砂の国』との戦闘が続いていた。
「ーー猪のフンどもを島から追い落とせ!」
と叫ぶのは、砂の彦尊ーー砂の国の王である。
この男の口癖は
「我が国の〇〇な男たちよ!」と自国の男たちを励ます一方、
「女の言葉に、男の国が従うものか!」と毛嫌いする。
この戦も、きっかけはそれだった。
砂の彦尊は備の彦尊に日頃から
「女(大巫女)などに媚びへつらって、甘い汁を吸っている奴」
「良い土地に生まれ落ちただけの男」
「鉄が採れて、船が着く、というだけの軟弱な国(の王)」
その他にも様々な呼び名を付け、ことごとく蔑んでいた。
要するに、備の国そのものを奪いたいだけなのである。
一方の、備の彦尊は居館で戦況報告を聞いた後、ひとりごちた。
「『ヤマト連合』などに参加しても、なんの儲けにもならぬ……」
事実、隣国から言いがかりをつけられ、紛争が絶えない。
しかし、彼の気がかりは紛争そのものではなく、それに伴う出費であった。
援軍を乞えば来るには来るが、軍兵のための兵糧と、返礼費用が惜しい。
その上、ヤマト連合に参加する国同士の戦では、相手を滅ぼしてくれる訳でもない。
このため、近年は自前で対処しようとしている。
この紛争が長引く原因の一つでもあった。
そんな彼がヤマト連合に参加したきっかけは
「神だの国だのどうでもいい。飯をくれそうなやつに従うのさ」
ただ、自国の豊かさは彼の自慢でもあった。
※
魏船は岬を回り、登の国の港に停泊した。
その晩、藁火で炙った香ばしい香りが宿舎に漂っていた。
「ささ、召し上がれ、魏の殿方よ」
その国の王ーー登の彦尊は竹の皿をそっと差し出した。
「これぞ我らが『海の祈り』──鰹のたたきにございます!」
「おお……これは見事な……」ひとくち食べて、梯儁は唸った。
しかし、裴世春の顔は浮かない。
「……また魚か……」
「なかなかの珍味ぞ、世春殿」
裴世春は出されたうちの一切れを嫌々ながら口に運ぶ。
そして、漢詩を一つ吟じた。
「海味嫌多日 (海の魚料理にはもう飽いたと思っていたが)
焼新意自清 (炙りたての新しい味は、思わず心を澄ませるほど美しい)
膾炙驚口舌 (この口舌を驚かせる膾炙!)
南邦有異情 (南の国には、また格別の情趣があるものだ)
……」
詠い終わると、たちまち箸を走らせた。
「そうじゃろう!」
登の彦尊は満足そうに手を叩いた。
金玄基もあっという間に自分の分を平らげてしまった。
近くにいる台与が残さないかと期待したが、その台与も全て平らげてしまった。
梯儁と裴世春が饗しに感謝の意を伝えると、登の彦尊は言った。
「この岬に貴殿らが泊まること、我が大巫女様はすでにお告げにて知っておられました。
『東の海より、書を携えし使い来たる』と……まさしく、そのままにございます」
そして、恭しく頭を垂れ、少し声をうわずらせながら
「ああ、神とは……まことに畏れ多いもの。
こうしてお迎えできたのも、皆……」
と目を輝かせていた。
この後、登の彦尊の勧めもあって酒も進み、使節団一行はいささか酔った。
※
その翌日ーー
金玄基はいつものように船底に座り、方位を測っていた。
だが、左手で太陽を差そうとすると、どうしても肘が曲がってしまう。
(首を右に回すと、だいぶまっすぐに……ああ、だめだ……)
苦労していると、裴世春が寄ってきた。
「金玄基! 何をしておるか?」
「おお、裴世春氏……」
「だから、その呼び方は……」
金玄基が理由を説明すると裴世春は鼻で笑った。
「……それはおかしい。よいか、金玄基。 天子は、あちらにおわすのだ」
と、右手のひらで船尾を差した。
「天子は南面す。臣下は北面す。故に、天子はいつも臣の北側におわす」
「は……はい……」
「だから、天子から離れていく方向は、すべて南なのだ」
金玄基がよく分からない理屈だ、と答えると
「天子の東に夷狄がいるなんて、そんなこと公文書に書けるか……何も知らんのだな」
これだから出世も叶わぬのだ、と笑いながら去って行った。
※
その船を、山の奥に立つ居館から眺める男がいた。
木の国の彦尊ーーである。
「ちっ……何が魏だ、何が大巫女だ……成り上がりめが……」
彼は、名門の生まれである。
そのため、何でも自分の血筋と比較する癖があった。
「だいたいヤマトとは何なのじゃ……大巫女はどこの出なんじゃ……?」
と、ひとりごちていた。
そこに従者の一人が寄ってきた。
「彦尊、お呼びでしょうか?」
「うむ……調べはついたか?」
「も……申し訳ございませぬ。大巫女様の出自を調べ上げるなど、恐れ多きことにて……」
「ーーやるのだ! 痴れ者め!」
「はっ……ははっ」
従者はすごすごと下がって行った。
「ふっ……今に鼻を空かしてやる……」
そう呟くと、木の彦尊は不敵な笑みを浮かべた。
※
ここ数日、金玄基は両手を広げながら、ひとりごちることが多い。
「南は、南……日輪は東……けれども、東は南……うーん……つまり……?」
ある時、金玄基はひらめいた。
「 北
|
西ー十ー南
|
南
こういうことか!」
見るに見かねたのか、台与が話しかけてきた。
「……東でも、南でも……どちらでもよいのではありませんか?
ほら、港が見えてきましたよ」
この後、船は投馬国の港に入った。
お読みくださりありがとうございました。
「水行二十日」の意味を考えたら、こうなっちゃいました。
次回「第20話 瀬戸内の嵐」、瀬戸内の抗争が止まりません!
(月曜20時ごろ更新予定です)




