第18話 死の海峡
魏の使節団がやってきて、色めき立つ倭国。
神つ国からの異議、明の国の陰謀、そして来ぬ国の影――。
関門海峡に集う思惑の渦……魏船は果たして無事に抜けられるのか。
翌日の朝、通訳・金玄基は目を覚ますと、宿坊の裏側へと歩いた。
そこには、木で作られた鳥小屋があり、中には三本足のカラスがいた。
(……不思議な生き物がいるものだ……)
金玄基はそのカラスをじっと見つめていると
「カー! カー!」カラスは威嚇するように金玄基に向かって鳴いた。
「通訳さん、何をなさっているのです?」
声がする方を振り返ると、神殿の縁に台与が立っていた。
「台与様……おはようございます。 もっとよく見たくて」
金玄基がカラスを指差しながら答えると、台与は縁を降りて歩み寄ってきた。
「大巫女様が愛でていらっしゃるのです。八咫烏と呼んでいます」
台与はカラスを見つめながら呟いた。
金玄基はさらに尋ねた。
「昨日頂いたのは、このカラスが産んだ子だとか……?」
「ええ、そうです」
「二本足でしたが……」
「そう。この子から生まれるのは二本足ばかり……この子もまた、孤独な存在なのです」
金玄基は、あの威厳に満ちた大巫女の意外な一面を知った気がした。
「そうでしたか……」
「でも……」台与は真剣な眼差しで、金玄基を振り返った。
「大巫女様がカラスを下さるのは、親愛の証なのですよ」
※
部屋に戻って、この話をすると、梯儁は頷いた。
「……それで、烏を賜った、という訳か……?!……むぅ……」
カラスはその頭上に止まり、冠をつつく。
なんとも持て余す賜り物であった。
「……女王より賜りし物とあらば、粗略にも扱えませぬな……ああっ!」
裴世春が憮然としながら部屋の窓を開けると、カラスは空の彼方へと飛び去って行った。
※
魏の使節が阿蘇の社を出立して数日後ーー
ナギサヒコは神つ国から来たという神官と相対していた。
白衣をまとった神官が大幣を高々と掲げると、紙垂がざわめく風に鳴った。
その声は澄んでいたが、言葉は重く響いた。
「彦殿、よく聞き給え。我が王・神つ彦尊は申される。
ーー魏の親魏倭王印による王位など、我らが神は認めぬ。
国を治むるは、神の御心のみ。
その御心を背き、異国の器をもって王を称するは、天地の理に悖るぞ」
神官はそれ以上言葉を飾らず、大幣を胸の前に下ろすと、沈黙を守った。
その声音には、まるで天地の理を告げるのは自分たちだと言わんばかりの、揺るぎない確信が宿っていた。
ナギサヒコは、肩肘を張り直した。
「神つ彦尊のお言葉、しかと承りました。
大巫女様は、誰よりも神を畏れておられます。
異国の器を笠に着て国を治めようなど、つゆほどもお考えではござらぬ。
されど、これは魏の詔を伝えるためのしるし。
大巫女様がそれを受けられたのも、我の国の安寧を祈ってのこと。
どうか、その御心を疑われませぬよう」
言い終わると、神官の目をじっと見てから頷いてみせた。
だが、沈黙したままの神官の瞳には、なお消えぬ威圧の気配が残っていた。
二人はそれ以上の言葉を発さず、姿勢もそのままで、しばらく睨み合った。
その場に居合わせた者たちも、互いに目を合わせようとせず、息をひそめた。
ナギサヒコもまた、胸の奥に冷たいものを感じていた。
出雲がこのまま声を荒らげれば、武力衝突にさえ至るやもしれぬ――。
※
同じ頃ーー
関門海峡にほど近い港では、軍船が所狭しと停泊し、出港の号令を待っていた。
ずらりと並んだ帆が陽を受けて白く輝き、海面を埋め尽くしている。
「見よ、この陣容を。余の国の兵も我に応じ、海を塞ぐは容易い」
明の国の王ーーこの船団の軍配者は悠然と両手を後ろに組み、高らかに笑った。
「親魏倭王印……我が領民の犠牲で得られた宝よ。大巫女が持つは筋違い」
その口ぶりは、まるで大義を背負う正当な王者そのものだった。
「奴らに恥をかかせてやろう……はっはっは!」
そこに、余の彦尊が歩み寄ってきた。
「おう、彦殿。こちらでござったか」
「彦殿、此度はご協力感謝いたす」
周囲の兵も気勢を上げ、海風に鬨の声が響いた。
「この海は操船も潮読みも難しい。我らが塞げば、奴らは袋の鼠よ」
「さすがは彦殿」
「そなたも共に、この国に号令をかける覇業に加わるがよい」
「われらが力を合わせれば、誰一人抗えまい……」
二人の王は顔を突き合わせて囁き合うと、「くっくっく」と同時に笑った。
※
その数日後ーー
魏の使節団は奴国の港、奴津にいた。
台与もいる。阿蘇の大巫女の配慮で、着いて来てくれた。
末盧国にあった船は、ナカツヒコの手の者により、この港に回って来ていた。
ナカツヒコは梯儁に、これから進む航路を説明している。
「しばらくは、我ら倭人に船をお任せください。慣れていないと難しい海ですので」
まず、見た目には穏やかなこの港自体が難所なのだそうだ。
もう一つ、この先の海峡が非常に狭く、さらに曲がりくねっているという。
風と潮とを上手く掴まないと岸に激突する、という。まるで脅し文句のように聞こえた。
だが、ナカツヒコが言うことだ。本当のことなのだろう。
「難所を通過するまでの間です。それを越えたら、舵はお返しいたします」
「では、お任せいたそう」
梯儁は頷いた。
裴世春は黙って聞いていたが、ナカツヒコに短く尋ねた。
「自信の程は……?」裴世春の顔は苦々しい。
「裴様、我らは毎日そこを通っているのです。お任せください」
ナカツヒコはわずかに笑みを浮かべて答えた。
一時的にでも、魏船を倭人の手に委ねることに、一抹の抵抗感があるのだろうか。
だが、それはーー
(下らない自尊心だ……)金玄基は思った。
「ようしーー出港だ!」
ナカツヒコが指揮し、倭人の船乗りが操る船は、何事もなく奴津の港を出た。
梯儁は眉をひそめ、「どの辺りが難所だったのであろうか……?」と疑った。
金玄基は、このままずっとナカツヒコが操船してくれればいいのに、と思った。
船は港を出ると、東に進路を取った。
背中にあたる潮風が心地よい。
ふと岸の方を見ると、遠くの山の上から煙が上がっているのが見えた。
(なんだか狼煙みたいだな……なんだろう?)
金玄基は周囲を見渡したが、誰も何も言い出さない。
(……ただの炊煙かな……)
煙のことは気にしないことにした。
※
「彦尊、狼煙です! 敵の船が奴津を出ました!」
明の彦尊は、山上からのその声を聞くと、すっくと立ち上がった。
「ようし、我らもーー出港じゃ!」
その号令と共に、岸にいた兵たちは一斉に自分の船に乗り込んでゆく。
明の彦尊も船に乗り込むと、その顔に満面の笑みを浮かべ、右手を高々と上げた。
号令をかけようとした、まさにその時ーー
南の方角から強く、熱い風が吹きつけた。
※
金玄基は青ざめた。
自分の乗るーーナカツヒコが操る船が、海から聳り立つ岩肌に激突していく……かのように見える。
梯儁もそう思ったのか、慌ててナカツヒコの元に駆け寄った。
「ナカツヒコ殿! これは一体……?!」
ナカツヒコは船檣の根本から、帆を束ねている倭人に声をかけていた。
だが、梯儁の方を向き直ると、落ち着いた口調で言った。
「狭い所ですのでそう見えますが、この先も海が続いています。ご安心ください」
梯儁はそう聞いてもまだ落ち着かない様子で、船が進む先を見つめた。
岸壁と見えたその奥にも、確かに海が続いているのが見えてきた。
だが、その先はいよいよ行き止まりのようにも見える。
「この海は蛇矛のごとき形状でして……これでお分かり頂けましょうか?」
ナカツヒコは梯儁ににこやかな笑顔を向けた。
と、その時ーー
強く熱い向かい風を受けて、船はいくぶん速度を落とした。
「なんだ、この風は……?」
ナカツヒコは腕を目の前にかざし、風を避けた。
「ですが、岸から風が吹いてくるということは……」
「この先には確かに海の道がある、ということですな」
裴世春が二人の会話に割って入って来た。
まるで自分は最初から知っていた、とでも言わんばかりであった。
※
海峡の南側では、偵察兵の悲鳴が響いた。
「南の水道に大船団! 『来ぬ国』の旗印です!」
その声に、誰もが息を呑んだ。
「なにっ……来ぬ国だと?! なぜ今ここに……!」
明の彦尊の笑みが崩れた。
「彦殿、御免! 急ぎ戻る!」
「ああっ、彦殿!」明の彦尊の声は波にかき消された。
来ぬ国の矛先を一身に受けることとなったため、目の前の脅威に向き直らざるを得ない。
余の彦尊は船団を慌ててまとめ、自国へと戻って行った。
明の彦尊の元には数隻の小船のみが残った。
「ちっ……! 我らも引き上げじゃあ!」
明の彦尊は歯噛みしたが、どうすることもできなかった。
※
来ぬ国の王・クニトラは高々と掲げたその大刀を振り下ろした。
「ーー踏み潰せ!」
来ぬ国の兵たちが一斉に駆け出した。
目前の集落には、女子供と老人。
武装した兵はわずか。その兵も一度の矢に射抜かれ、地に倒れた。
邑を取り囲む木柵は一気に倒され、その内側が瞬く間に来ぬ国の兵で埋め尽くされた。
クニトラは、その様子を悠然と眺めていた。
しばらく後、一人の兵士が駆け戻り、クニトラの前に跪いた。
「制圧しました!」
クニトラは黙したまま、その兵士を見下ろした。
しばし沈黙した後、不意に左手にある海を見やる。そして、静かに呟いた。
「そこか……」
海の向こうから、こちらに向けて船団が進んでくるのが見えた。
クニトラはその伝令を向き直り、最後は声を荒げた。
「兵は速やかに邑を出よ。敵を迎え討て。一人も陸に上げるな!」
「はっ!」
その兵士が集落に戻っていくのを、しばし眺めた後、隣にいたタギリヒコを見やった。
「タギリ、そなたの出番じゃ。ーー行け!」
タギリヒコは「はっ!」と叫ぶと、手勢を率いて海岸に駆けて行った。
お読みくださりありがとうございました。
変な国名がいっぱい出て来ますが、本作を支える名脇役たちのご紹介です。まだまだ沸きます。
次回「第19話 水行二十日」、辿り着く場所は果たして……?
(木曜20時ごろ更新予定です)




