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第10話 洛陽の落陽

天子は倒れ、天使は名も告げず去りぬ……。

もう八方塞がり……そこに倭国の親書を狙う怪しい影が……。

どうする?!通訳・金玄基ーー。


庭先では、台与と謎の少年が焚き火を囲んで会話をしている。

連れ帰ろうとした裴世春を「ならば迎えをよこせ」と一喝した少年は、車が来るのを待っていた。


金玄基(キム・ヒョンギ)と難升米と都市牛利は、部屋に戻って白湯を飲みながら、庭先で話す二人を見つめていた。

金玄基はふと思った。


(台与様は……いつ漢語を覚えたのだろう?……)


そう言えば、襄平では司馬懿様と散々やり合っていたし、その時覚えたのかも知れない。

金玄基はふと気づいた。


(......てことは俺……クビ?……あ、そゆこと?)



そこに、ナカツヒコが大きな袋を抱えて帰ってきた。

だが、眉はへの字だった。


「おおい、作ってきたぜ……あーあ……」


(賄賂の……用意してくれたのか……)金玄基は申し訳なく思った。


難升米も気づいたようで、吐き捨てるように言った。


「……でも、使わんかもよ。天子がお倒れになったっちゅうばい……」

「……なんだよ、それ……」


ナカツヒコは目を丸くしていたが、どこか嬉しそうに見えた。




「……それで、鹿なの? いいね、そういうの!」


少年は、台与の話を熱心に聞いていた。


「天子は、鹿はお好きだと思うよ。よく狩りに行くし!」


それを聞いていた鹿たちがピーンと耳を立て、一斉に少年の方を向いた。

その目はどこか怯えに揺れているようだった。


「……でもね……仔鹿は狩らないんだって」


少年がそう言うと鹿たちは身を乗り出して話の続きを待っている……かのように、金玄基には見えた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ドドドッドドドッドドドッ……ヒヒーン!


「陛下! あちらです!」

廷臣の一人が前方を指差して言った。


曹叡は馬上で矢をつがえ、弓を絞った。その先には鹿の親子がいる。

親鹿は仔鹿を庇うように体を横たえ、仔鹿は母鹿に寄り添うように隠れていた。


「……やめた」

曹叡は弓を下ろした。


「陛下……獲物は狩ってこそ、では?」

廷臣の一人がそう問うと、曹叡はこう返した。


「時に仁は獣にも及ぶべし」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「仁……」台与が呟いた。


「うん……天子はよく『仁』て仰るんだ……」


少年は、足元の火を見つめながら、そう言った。

その瞳は穏やかで、まるで遠くの景色を眺めている時のようだった。



ポッカポッカ……カツッ……フー、ブルブル……


宿舎の外壁ごしに、馬車が止まる音が聞こえた。


「今度うちにおいでよ。迎えをよこす!」


少年は台与にそう言い残すと、役人風の男たち数名と共に去って行った。


ーーそうだ!

少年は去り際に、金玄基を指差して言った。


「栗はそなたにやろう!」



少年が帰った後も、金玄基は呆然と立ち尽くした。

焚き火の赤い残り火だけが、そこに少年がいたことを証すように揺れていた。


その隣で、台与が思い出したように声を上げた。


「あ……お名前、聞いてなかった……!」



数日後ーー


金玄基は栗をかじった。

そろそろ飽きてはいたが、食べ物を捨てるのは自尊心が許さない。

ましてや自腹を切っているのだから尚更である。

味はともかく、皮が割れる瞬間のカリッという音がとても心地よく……


「金玄基! 難升米殿は……こちらでしたか……」


そこに、裴世春が来た。


「これはこれは、難升米殿にございますな……ご機嫌麗しゅう」


裴世春は難升米を見つけると軽く拱手礼を取りながら、形式ばった口調で言った。


「さて、倭国よりの親書の件……誠に恐縮ながら、これを尚書省にて一旦お預かり致すこととなりました」


それを聞いて、金玄基は栗を噛んだまま裴世春に見入った。

裴世春は少し声を沈めて


「……もちろん、正規の取り扱いにてございます。皇帝陛下のお目通しに先立ち、尚書省にて確認を行うのが、恒例の作法ゆえ……いえ、けして……決して、他省の所管ではございませぬ」


などと言った。

普段と違い、どこか歯切れが悪いように思えた。


難升米が一瞬こちらを見た。

金玄基は首を傾げて見せた。

だが、栗を咥えたままだったせいで声を出せず、

難升米は「わかりました」と親書を取りに行き、

気づけば、もう裴世春の手に渡ってしまっていた。


「コホン……それでは……確かに、お預かり仕ると致しまする」


そう言って去ろうとする裴世春を呼び止めた。


「裴世春氏!」


裴世春はこちらをギロリと睨んだが、そのまま去ってしまった。


(……尚書省が先に預かるのが恒例?……本当か?)


金玄基は腑に落ちぬ思いを抱えたまま、固く焼けた栗を噛み砕いた。




その日の夕方ーー


宮殿東宮の一角に、裴世春はいた。

部屋は蝋燭が一本灯るだけで、ほとんど闇に沈んでいた。


裴世春は、うやうやしく拱手礼をとって言った。


「お言い付け通り、持って参りました……こちらにござりまする」


裴世春は持っていた包みを差し出すと、数歩後退りして再び拱手礼をとった。

時折揺れる薄明かりが、机の上に散らかった木の駒や絵札を照らした。


「……大義であった、裴世春」

「これでもう、あることないこと言いふらすのはお止めくだされ」

「あることあることであろう」


二人の会話は手短に終わった。




同じ頃ーー


金玄基は、歯に挟まった栗の皮を取り出すことに腐心していた。

それも引っ掛かっていたが、昼間の親書の行方も気になっていた。


(……尚書省が……うーん……にしても楊枝、無いかな……)


静かな夕食の時間だった。

難升米と都市牛利は、黙々と出されたものを口にしていた。

そのすぐ隣では、台与とナカツヒコが他愛もない話をしている。


「……諸葛孔明って悪い人なの?」

「えっ、どうして?」

「あの子の御義父様をさんざん苦しめたんですって」

「我は大好きですけどね……たくさん儲けさせてもらいましたから」


台与は首を傾げていた。


「人は見る方向によって、全く違って見えるものなのですよ」


ナカツヒコはそう言って、台与に笑いかけた。


「でも、司馬懿様は、諸葛孔明に勝ったのでしょう?」

「勝ったように見えるけど、あれは……」


台与とナカツヒコの会話は、尽きることがなかった。




その日は夜も更けてーー


曹叡は、青竹の若い匂いで目を覚ました。

匂いの主は、包みを抱えて傍に立っていた。養子の曹芳(そうほう)であった。


「おお、芳。参っておったか」

「陛下、お加減はいかがでしょうか?」

「あまり良くない……が、何じゃ?」

「ご覧いただきたいものがございます」


曹芳は包みから、まだ若い竹で編まれた竹簡と木簡を取り出した。


「それは……?」

「まずは、こちらをご覧くださりませ」曹芳はまず木簡を差し出した。

「……見せよ」


曹叡は体を起こすと、曹芳が差し出した木簡に目を通した。


「ほう、花言葉……スミレが添えてあるのか?」

「はい。干花ゆえ色あせておりませぬ」


曹芳は竹簡を差し出した。

しかし、曹叡は受け取らなかった。さらに手にした木簡を曹芳に返し


「……芳よ、もう、余計な真似はするな……」


と言って、再び横になった。

だが、その寝顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。


曹芳はうやうやしく一礼し、竹簡と木簡をしまった包みを抱えて寝所を後にした。

その頬には、安堵の色が浮かんでいた。


曹叡はその後ろ姿を横目で見届けると


「……遠き夷にも、朕を慕う心ありや……ならば信を示さねばなるまい……」


と呟き、短く微笑んだ。



景初三年一月一日。

曹叡は帰らぬ人となった。




「あー……難升米殿……おられるかな?」

先日、難升米と散々やり合った受付の役人が、鼻にかけた声で宿舎を訪ねてきた。

廊下を歩くたび、ギシギシと壁を揺らす。


難升米と金玄基が出迎えると、役人はふんぞり返って背を逸らし、妙に芝居がかった間を置いて告げた。


「あー……誠に遺憾ながら……我が魏国は喪に服することと相成りました。

つきましては……朝貢の儀、期を定めず、後日改めて……と」



お読みくださりありがとうございました。

台与様と曹芳様のトップ会談が実現したら、何が起こるかと考えたら、こうなっちゃいました。

次回は、洛陽で繰り広げられる古代ビジネスの最前線(?)をお届けします

(木曜20時ごろ更新予定です)

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