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第1話 やらかした通訳

雇われ通訳・金玄基キム・ヒョンギは盛大に誤訳を披露。

しかし、それは歴史の扉を開いた瞬間だった?

そこから使節団の珍道中が始まる――

金玄基(キム・ヒョンギ)は、またしてもやらかしてしまった。


時は景初(けいしょ)二年六月。ここ帯方郡(たいほうぐん)の来賓用宿舎の一室には、四人の倭人と一人の馬鹿者がいた。

不機嫌そうな男。

固い表情を崩さない男。

ニヤニヤしている男。

そしてご機嫌斜めな少女。

珍妙な取り合わせだが、れっきとした国賓だ。

そして、彼らをこの部屋まで案内してきた金玄基は……


(長旅で疲れているのだろう……)


くらいにしか思っていなかった。



ーーこのところ……


帯方郡は慌ただしかった。

数日前、太守の劉夏(りゅうか)の元に燕王(えんおう)を自称した公孫淵(こうそんえん)から命令書が届いていた。


ーー全軍で襄平(じょうへい)に来い


「ぺらイチでそんなこと言われてものう……」

劉夏は太守の間で独りごちていた。

その隣では建中校尉(けんちゅうこうい)梯儁(ていしゅん)が唸っている。

さらにその傍には塞曹掾史(さいそうえいし)張政(ちょうせい)が控えていた。



そこに、間の悪い男が入って来た。


「張政様、本国より太守様への伝令が参りました。」

「通せ」


張政が即答すると、伝令が駆け込んできた。伝令は劉夏の前に跪き拱手礼を取ると


「申し上げます!呉軍艦隊、長江河口付近に集結!楼船十数隻、蒙船は無数!」


と言い、また駆けて出て行った。



ーー大艦隊じゃないか



その場にいた一同が驚いた。帯方郡には哨戒用の小型船が十余隻あるのみだった。

梯儁は早速近くの者を呼び、港を封鎖する準備をするよう指示した。



そこに再び、間の悪い男が入って来た。


「張政様、司馬懿様の使者という方が参っております。いかが致しましょう?」


張政は即答せず、一度、劉夏と梯儁の方を見た。劉夏が無言で頷いた。


「お通しいたせ」


青緑の長衣に身を包んだ男が太守の間に入って来た。男は劉夏の前に歩み出て拱手礼を取ると、うやうやしく言った。


「お初にお目に掛かります。私は尚書郎(しょうしょろう)の裴世春と申しまする」

「帯方郡太守、劉夏にございます」


この度、勅命により逆賊・公孫淵を討つため司馬懿自ら出兵することとなった。

ついては、帯方郡も出兵しろ、との命であった。


劉夏は即座に「諾。」と応じた。

この返事には、梯儁も張政も内心驚いたが、すぐに気づいた。公孫淵からも出陣しろと来ているのだから、どのみち出兵なのだ。ただ、呉軍をどうするのか。


(ははあ……逃げる気だな?)


裴世春は、一瞬意外そうな顔をしたが、にこやかに微笑んで言った。


「おお。ご快諾、感謝申し上げまする」

「なんの……私は魏の臣でございますゆえな」

「劉夏殿は、まこと忠臣の鑑にござりまする。よろしくお願い申し上げまする」


裴世春は世辞を言うと、続けて畳み掛けた。


「して、兵数はいかほど?」


劉夏は、梯儁と相談の上で決めたいと答え、裴世春を太守の間から追い出した。

裴世春がいなくなると


ーーどうする?


軍議を再開した。状況は刻々と変わっていた。



そこに三度、間の悪い男が入って来た。


「張政様」

「今度は何だ?」

「港に倭船が現れました」



ーーいい加減にせぬか!



劉夏は金玄基を一喝した。

金玄基がすっかりひるんでしまったのを見た張政は


「お許しくだされ。ここは下官・張政が対応いたしますゆえ……失礼いたします」


憤懣やる方ない劉夏に一礼すると、金玄基を伴って太守の間を後にした。




「我らは倭の使者でござる。入港許可、願う!」

「どこの誰だか言え!」

「だ・か・らーー!」


港の入口では、倭の使者と名乗る者と物見の兵が大声で言い争いをしている。

しかし、お互いに言葉が分からないので、会話が噛み合っていなかった。


(攻撃してくる様子はないな)


張政は金玄基を伴って小船に乗り込むと、倭船の近くに船をすすめた。



「倭の使者の方ですね、お名前をお伺いします!」


金玄基は小船の上から倭語で尋ねた。こんな時のために雇われている。


「我は、倭の大夫にござる!」

「倭の大夫様ですね!……で、お名前は……?」


だが、返事はなかった。


「ちゃんと聞こえてるのか?」張政はいぶかしがった。


金玄基はさらに大声をあげ同じことを尋ねた。いささか喉が痛くなった。

しばらくすると、返事が返ってきた。


「私は、倭の大夫でござる!」

「はい!それは分かりました。あなたのお名前は?!」


倭の大夫はなかなか名前を答えてくれないのであった。



「おーい!」明るい声が響いた。聞き覚えのある、懐かしい声だった。

「あっ、ナカツヒコさん!」


ーー”ナカトコ”?!


その名前は、張政にも何度か聞かされて覚えがあった。


「あの『布と魚と呪文を売る』という男か?!」



「我の国の使者を案内して来た。港に入れてくれ。」


ナカツヒコはそう言ったが、金玄基は張政の言葉を通訳した。


「一応、お役目です。お名前を伺わないと許可できません!」




辺りが一瞬、静寂に包まれた。

すると、倭船の上から倭人同士の話し声が聞こえて来た。


「おい、名前ば言えっち言いよるばい……」

「そげんこつ、できるかいな。こっぱずかしか……」


後世の日本では、女性の名を口にすることをはばかる風習があった。この時代は、男女問わず名乗りを避ける慣習があったのかも知れない。


「トシグリ、なんとかしてくれんね?」


倭の大夫は、隣にいた大男に泣きついた。


「………………」


その男は無言でうなづくと、船の先端に立った。

大きな体躯は、そびえ立つ山のように見えた。

港の警備兵に緊張が走った。ある部隊は先走り、弓に矢をつがえ始めた。


「………………」


その男は無言で突っ立っていた。武器は手にしていないから襲ってくる気は無いようだ。

しかし、何も言わない。ただ、こちらを見下ろすだけだった。



もう喉が痛くなってきた。警備兵もピリピリしているし、射かけたりしたら大変だ。早く名前を言ってくれ。

ーーそうだ、倭の方言なら通じるかも知れない



「なんしよう、前さん?!名前ば言いんしゃい!」



場の空気が変わった。凍りついたようになったと言うべきか。

倭人たちはびっくりして、金玄基を見つめていた。


ーーおおっ、通じた


(異国人が倭語をしゃべったので驚いてるぞ!)

金玄基は自分自身に少なからず感動していた。


隣の張政が再び尋ねた。


「玄基、知り合いだったのか?」


不意の質問にナカツヒコのことかと思い、ええ、と答えると、張政は叫んだ。



「倭国大夫・難升米殿、入港を許可します!」



警備兵は一斉に弓を下げ、通常体制に戻っていった。

いろいろあったが、倭国船は何事もなく入港したのだった。




倭船が港に着岸し、倭人たちが岸壁に下りて来た。

張政と金玄基は彼らを出迎え


「難升米殿、都市牛利殿。どうぞ、こちらへ……」


と促した。



張政の後を歩きながら、難升米はナカツヒコに小声でささやいた。


「難升米って……我んことか?」

「まあ……魏の名前じゃと思えばよかろうたい」


ナカツヒコがそう言っていたが、張政には伝えなかった。


(……これは、またやらかしてしまったかも知れない……)



お読みくださりありがとうございました。

こんな頓狂な通訳がいたら、何が起こるかと考えたら、こうなっちゃいました。

次回は、さらに盛大な誤訳が……

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