第5章:日追町という実験室
私はいま、自分の部屋に座っている。
……それは本当に自分の部屋なのか。
壁の角度、空気の湿度、ベッドの位置──すべて一致している。けれど、決定的に違うものが一つあった。
窓が、ない。
どこにも。壁の裏にも、カーテンの影にも。
私は最初からこの部屋に、空を見ることを許されていなかった。
部屋の扉を開けると、そこには再び資料館の通路が続いていた。
出ることはできなかった。私の部屋は、展示物として完全に内包されていたのだ。
歩き出すと、周囲の光が変化した。照明が低くなり、展示室が連続的に並んでいた。
それらの部屋には、すべて“誰かの記録”が飾られていた。ノート、録音機、私物のような家具。
その一つひとつに、見覚えがあった。否、私はそれぞれの記録に心当たりがあった。
まるで、私の人生の可能性がすべてここに分割され、保存されているようだった。
この資料館は──あるいはこの町は──人間の“記録可能性”そのものを保存するための施設なのではないか。
住民の名前がすべて「日追」だったのは、固有性を剥ぎ取る過程で、最後に残った“型番”のような記号だったのではないか。
最奥の部屋にたどり着いたとき、私は一枚の扉の前に立った。
そこには、こう書かれていた。
> 「展示完了:日追涼」
> 「記録統合:済」
> 「転送:可能」
扉はすでに開いていた。
中に足を踏み入れると、そこは小さなシアタールームだった。
スクリーンには、一冊のノートの表紙が映されていた。
それは私のノートだった。
ページが自動でめくられていく。
映し出された文は、すべて私がこの数日で記した文章だった。
が、次の瞬間、私は愕然とした。
文章は、 “私がこれから書こうと思っていた内容”に変わっていたのだ。
思考の予測。記録の先取り。
この施設は、未来の記録すらも先回りして展示している。
映像のラスト。
画面がブラックアウトし、白い文字が浮かび上がった。
> 「この映像は、記録対象“日追涼”の記憶に基づいて編集されました」
私は席を立とうとしたが、身体が重かった。
椅子が、私の背中と腰を優しく固定していた。
振り返ると、劇場の背後にはガラスの仕切りがあり、その向こうに誰かが立っていた。
その人物はメモを取りながら、こちらを観察していた。
私の目と、その目が合った。
私だった。
──展示の一部としての、私。
──それを観察する側としての、私。
その二重写しの瞬間に、私は“この町の構造”を理解した。
日追町は、記録のための実験室である。
外から来た人間を、内部に取り込み、生活をトレースし、記憶を複製し、そして“展示”として保存する。
そのすべては、見せるためではない。
見る者すらも、最終的に展示対象となるためなのだ。
私は今、ここに座って、この文章を記録している。
しかし、それはもう読まれることを前提とした文章ではない。
これは、次に展示される者が読む文章なのだ。
だから、もしこの文章をあなたが読んでいるとしたら──
その時点で、あなたもここに来てしまっているのかもしれない。
あなたの家の窓の位置を、確認してみてほしい。
昨日と同じだっただろうか? そこにあったはずの風景が、ほんの少しだけ、変わってはいなかっただろうか?
そして──最後に一つだけ、お願いがある。
記録を、続けてほしい。
私がそうしたように。
誰かが記録しない限り、この町は“無”へと沈む。
だが記録し続ければ、あなたの存在はここに保存される。
“戻ってきた”者として。
記録者:日追涼