第3章:住民たちの共通点
資料館から出たとき、空気の密度が変わっていた。
いや、出たのかどうか、今となっては確信が持てない。ただ、私は気づけば外に立っていた。だが“さっきの町”とはどこか違っていた。
舗装された道は同じだった。電柱も、家々の配置も変わっていなかった。けれど、人がいた。
老人が一人、通りの端で草むしりをしていた。私は駆け寄り、声をかけた。
「すみません、このあたりに戦争資料館って……」
そのとき、老人の表情が凍った。草を持ったまま、顔をこちらに向けたが、瞳に焦点がなかった。
口元は笑っていた。いや、“笑顔の形をしている”だけだった。
「日追町は安全です」
そう呟くと、また無言で草をむしり始めた。
私は他の住民にも声をかけた。洗濯物を干す主婦、郵便受けに手を入れていたサラリーマン風の男、そして、通学途中の小学生。
全員が、まったく同じ口調と間で「日追町は安全です」と答えた。
不自然さは一様だった。個性というものがまるで欠如していた。返答のテンポ、声の高さ、言葉の区切りまでもが同じだった。それは誰かに仕込まれた返答のようであり、むしろそれを演じる訓練をされたようなものに思えた。
私はこの町の住民名簿を探すことにした。役所の出張所らしき建物が町の中央にあった。
驚いたことに、無人だったが、扉は開いていた。資料棚には、色褪せた町内会の名簿が一冊だけ置かれていた。
ページをめくる。目を疑った。全員の名字が「日追」だった。
日追達夫
日追花子
日追勇太
日追明日香
……?
最後のページには、異常な記載があった。
“日追涼”と、私の名前が印刷されていたのだ。
驚いて裏返すと、そこには小さな付箋が貼られていた。手書きの文字で、こう記されていた。
> 「新しい住民は、名を返上すること」
> 「外部名は定着しません」
> 「住民は外に帰れません」
私は逃げるようにその場を後にした。
資料館を訪れたことで、自分が住民として登録されたというのか。だが、そんな馬鹿な話が──
町の公園に立ち寄ったとき、子供たちが聞き慣れない歌を歌っていた。
彼らは小さな輪になって、手を取り合っていた。
その童歌の音階は妙に規則的で、感情のない電子音のように聞こえた。
私は鳥肌を感じながらも、最後まで耳を傾けた。
歌の終わり、ひとりの子供がこちらを見て笑った。
その顔は、資料館の展示に映っていた“兵士”の顔とまったく同じだった。
私は歩道をふらつきながら進んだ。町の中心には、小さな石碑があった。
碑文は風化して読みづらかったが、近づいて触れると、指先で文字が感じられた。
> 「帰属を忘れるな」
> 「記録は内側で続く」
> 「住む者は、記される者」
私は無意識に名札を確認した。
胸ポケットに、紙のような感触があった。引き抜くと、それは住民票だった。
「日追 涼」
「居住地:日追町二丁目十三番地」
「登録日:初回来訪日と一致」
「役割:記録維持」
この時点で、私は記録を取りに来た人間ではなかった。
私は、“記録を守る者”として最初から仕組まれていたのかもしれない。
だが、誰が? 何のために?
そして、もし私が“戻ってきた”のだとしたら──
では一度、私はこの町を“出た”ことがあるというのか?
私は資料館へと再び戻る決意をした。
なぜなら、私の記憶の中に資料館を去った記憶が存在していなかったからだ。