第1章:資料館への入口
その日、東京の空は妙に霞んでいた。色を失った煙のような薄雲が地表すれすれを流れていて、ビル群の縁を曖昧にぼかしていた。スマートフォンの地図アプリを開くと、私の現在地は“T区日追町二丁目”と表示されていた。しかし紙の地図──区が配布していた、10年ほど前の詳細図にはその名はなかった。
何かが更新されたのか、あるいは削除されたのか、判断がつかなかった。ただ、私の胸には鈍い確信があった。この場所は、人為的に“何か”を上書きされている。まるで、誰かが意図的にここに“町”を再設計したような、不自然な清潔さと均衡が、住宅の並びに宿っていた。
道は異様なほど整っていた。新設された舗装道は真っすぐに伸びており、すべての家が南向きで、隣家との間隔も等間隔だった。街灯は同一モデル、植栽も均一に剪定され、目立つ広告や看板も一つとしてなかった。風景には違和感しかなかったのに、それでも私は不思議と安心感を覚えていた。これは“整えられた風景”だ。だが、誰のために?
目的の建物──旧“日追町戦争資料館”と呼ばれていた施設──は、町の東端に位置していた。今は名称の看板も外され、封鎖された公共トイレか何かのように見える、コンクリート剥き出しの無機質な構造物だった。入り口の鉄扉には錆が浮き、長く開けられた形跡はなかった。にもかかわらず、私が近づくと、その扉は音もなく開いた。まるで、待っていたかのように。
扉を開けた瞬間、内側から押し返すような冷気が頬を打った。まるで地下の冷蔵庫に入るような、乾いた寒さだった。あたりに照明はなかったが、細い誘導灯のようなものが点滅しており、床のラインを沿って館内へと導いていた。
私は入口で一度振り返った。だが、町の景色はもう霧に包まれていた。数十メートルしか離れていないはずの道が、まるで遠くの風景画のようにぼやけていた。そこに人影はなく、車の音も鳥の声もなかった。
私は思わず首元をさすった。誰かに見られているような感覚が、なぜか首筋に集中していた。
足元の誘導灯を追って、私は内部へと一歩踏み入れた。扉が背後で閉まる音はしなかった。ただ、いつの間にか“開いていた”入口が“存在しない壁”に変わっていた。
中は静寂だった。冷えた空気が肺を削るように入り、呼吸音がやけに大きく響いた。
床はリノリウム張りで、ところどころに古びたスピーカーのようなものが設置されていたが、何の音も流れてはいなかった。展示パネルのようなものは壁に貼られていたが、文字情報は一切なかった。
最初の部屋には、何もなかった。ただ、中央に人ひとりが横たわれるほどのガラスケースがあっただけだ。中には何も入っていない。だが、私の視界の端に、一瞬、自分の寝姿のようなものが映った気がした。
首を振り、目をこすり、再び見たときには、そこには何もなかった。ただ、ガラス越しにうっすらと映る“今の私の姿”が、どこか微妙に歪んで見えた。
この時点で、私はまだ、自分が“記録されている”とは気づいていなかった。
だがこの場所に、“記録者がいた痕跡”ではなく、“記録される者が展示される構造”があることを、肌が理解し始めていた。
次の部屋から、展示が始まる。
私はノートを取り出し、最初のページに日付と時刻を書いた。
2022年11月14日 13時22分。
それが、最後に“私自身の時間”を記録できた瞬間だった。