序章:本記録について
この記録は、2022年11月、東京都T区の外れに位置する“日追町(仮名)”にて行われた非公開調査に基づく。
日追町という地名は、既に行政区画上は存在しておらず、地図上からも削除されている。インターネットの地図アプリケーションで検索をかけても、緑色の曖昧な土地の塊が映るばかりで、名称は表示されない。私がそれを知ったのも、廃棄された区立資料館の目録の片隅、手書きの注釈によってだった。
その資料館には正式な名称がない。ただ、“日追町戦争資料館”と呼ばれていた形跡がある。だが、戦争と名のつくものにしては展示内容が曖昧で、なにより“資料を説明する資料”が徹底的に欠落していた。私はそれに惹かれた。記録されるべき意味を欠いた記録。それは、かえって意味深に感じられたのだ。
ここに残す文章は、私があの建物に入ってからの、断続的かつ断片的な記憶の再構築である。
私は記録を残すつもりだった。しかし、気がつけば、自分が記録される側に回っていた。
あるいは、最初からそれが目的だったのかもしれない。最初の一歩を踏み入れたときの足音を、誰かがテープに焼き付けていたような既視感が、後になって私の背骨を冷たく這いずった。
人は、知らないことに対して敏感であるが、知りすぎたときには鈍感になる。
日追町地下資料館に存在したものは、明らかに“人の記憶を加工する”類の何かだった。
音、光、空気の振動、あるいはもっと根源的な知覚のレベルで、あの空間は“私”の感覚そのものを侵していった。
今、私はどこでこれを書いているのだろうか。
書いている、と信じているだけで、実際は既に展示されているだけかもしれない。
だがそれでも、これを読んでいるあなたがまだ“外側”にいるなら、せめて自分の住む町の名前を一度確認してほしい。
もしかしたら、すでにそれも変更されているかもしれないのだから。