6.ベルンとリオ、森の襲撃と幼馴染
交易の街がある西から、王都のある北へ向かう街道は、盗賊が多く出没することで有名だった。
高価な交易品を積んだ商隊が多く通るから、その荷を狙ってのことだろう。また街道が一部切り拓いた森を通るから、通過するものには見通しが悪く、盗賊には隠れる場所に困らないからということも理由のひとつだった。とはいえ、商隊もただ泣き寝入りしているわけではない。護衛や冒険者を雇って安全を守っている。
ベルンとリオは、冒険者ギルドで受けてきた薬草採取の依頼で、森側に入っていた。予定数を採取して、街道側に近づいたところで、リオが街道での騒ぎに気付いた。口に出さなかっただけでベルンもそれには気づいていた。同じ方向に耳をそばだて、どちらともなく走り出した。街道の様子が窺える木立の中、二人は立ち止まった。馬車が街道の真ん中に停まり、護衛が5人、馬車を背に剣を構えている。その周りを20人ほどの盗賊が武器を手に囲んでいた。
リオが目を眇めて囁く。
「ベルン、誰かが盗賊に襲われてますよ。しかもあの家紋、どうします?」
馬車に描かれているのは、ベルンがライナー領主家の次期領主であった時代に付き合いのあった貴族家の家紋だった。アンナ・スカルラッティ伯爵令嬢、ベルノルトの元婚約者。伯爵令嬢という肩書きに似合わず活発な女の子で、ベルンと気が合っていたが、ライナー領の事件により婚約は白紙になっていた。そのスカルラッティ家の家紋だった。
「スカルラッティ家の護衛はダメだな、ありゃ」
護衛の練度がまず低いとベルンがぶったぎる。剣の腕では国内で三本の指に入ろうかというバレリオ率いるライナー領の兵士は、数こそ負けるが練度は国王直轄部隊と引けを取らない。その彼らの鍛錬する姿を見て育ち、バレリオに剣の指南を受けた二人の評価は辛かった。
それに数でも負けている。押しに押されて、防戦しかできていない様子を見れば、盗賊たちの手に落ちるのは時間の問題だった。
「まあこの場合、どちらが悪いかは明白ですしね。ベルンに遺恨がないなら助けに入ってもいいんじゃないですか?」
「こっちが平民になったから婚約を維持できなくなっただけだ。別に遺恨なんかねーよ」
「ああ、プライドですか? 昔遊んで泣かせた女に、今の落ちぶれた姿を見せたくないですよね」
「泣かせたって、何もしてねーよ」
「お屋敷の池に落ちたり、木登りを教えた挙句に降りられなくなって泣いていましたよね彼女。ベルンがそそのかし……遊びに誘った挙句の事でしょう?」
「よく覚えてんな」
「そりゃあ、ねぇ。というか、思い出話をしてる場合ではありませんね。アンナ様が乗っているとは限りませんが、民間人を助けるのと、盗賊の討伐、捕縛は事前の依頼がなくても冒険者として推奨されている行動です。相手が貴族って言うのが面倒ではありますが」
「俺が一発ぶち込むから、リオはそのあと突っ込んでいけ」
「ここで火と雷は火災になりますよ。敵味方混戦しているのに攻撃魔法ぶち込むのはやめてくださいね」
「分かってるよっ!」
ベルンが詠唱を始める。馬車を含めた混戦状態の地面に精緻な魔法陣が描かれた。
「《バインド》」
木の根や蔓が地面から飛び出し、盗賊、護衛の区別なく手足を絡めとり動きを封じた。盗賊には身軽な者が多いのか、数人が逃げ出す。街道を封鎖するように停まっている馬車のおかげで、逃げ出した盗賊はみな同じ方向に走り出した。そこには、抜き身を構えたリオが待ち構えていた。
盗賊は生死を問わず、捕らえた者に報奨金が出るのだ。
「とはいえ、素材を剥ぎ取れる魔獣に比べて、殺すだけの価値もありませんがね」
「くそぉ、どけっ!」
ナイフを構え走り抜けようとする盗賊たちを一閃、脚の腱や手首を斬る。うめき声を上げて痛みにのたうち回る盗賊が転がっていた。そこへ這い寄る蔓が拘束していく。早く手当てをしないと、失血死するかもしれないが、あいにくリオは治療魔法は使えない。
「おつかれさん」
「ええ、ベルンもお疲れ様です」
「これ、どうすっかな」
駆け寄るベルンが根や蔓に動きを封じられて騒いでいるミノムシたちを振り返った。
「全員を縛っておくだけのロープがありませんし、ひとまず放っておいて馬車の主と話されては?」
「そうするかぁ」
ベルンは馬車の扉を杖の先で雑にノックした。馬車の扉は内側にも鍵が付いていて、襲撃に遭った場合などは内鍵をするのが常識だ。中から出てきて貰わなければ、話などできない。
リオが貴重な魔法石の付いた杖でノックしたことについて、苦言を呈そうとしたところで、緊張をはらんだ硬い声の返事が馬車の内側からあった。
「スカルラッティ家の者だろ? ちょっと出てこられるか? 盗賊に襲われてたところを介入した冒険者のベルンだ。護衛か盗賊か分からんので、全部拘束してある。選り分けてくれ」
貴族家で雇われている護衛は家紋入りの鎧を着用している。見分けがつかないわけがない。リオはベルンの雑な対応に、こいつ本当に元貴族かと呆れる。
ガタガタっと馬車の中で暴れる音がする。ベルンとリオが顔を見合わせていると、馬車の扉がバタンと外側に勢いよく開いた。
「ベルン!!」
栗色の髪のドレスを着た女性が飛び出てきた。その後ろをメイドドレスの女性が「お嬢様、先に出ないでくださいまし!!」と金切り声を上げている。
お嬢様と呼ばれている本人、予想通りベルンの元婚約者のアンナはステップも用意されていない馬車の戸口から、ベルンが抱き止めると疑っていない勢いで飛びついた。
「お嬢様!?」
淑女にあるまじき行動に、侍女は卒倒しそうになっていた。
「うおっ、アンナ? やっぱりお前だったか」
「久しぶりね、ベルン」
アンナより余程淑女らしい侍女は、ステップがないので降りられずにオロオロしている。リオは馬車に備えられているステップを戸口の下に用意して、侍女に手を貸した。美貌の冒険者に姫のように手を貸してもらい、頬を染めながら侍女は静々と馬車を降りた。
リオが振り返ると、ベルンはアンナをようやく下におろしていた。さっきまで再会を喜んで、子どものように抱きついたまま、抱きついた勢いでぐるぐる回っていたのをリオは知っている。リオの声色が冷める。
「なにやってんですか、貴方たちは」
アンナがリオを指さして、大声をあげた。
「あーーーー! リオ! なんでアンタもいるのよ!」
「居ては悪いのでしょうか」
アンナとリオの間で火花が散った。慌ててベルンが仲裁にはいる。
「お前らも相変わらずじゃねぇか。ってか、アンナ、お前どこに行く途中だったんだ?」
「タウンハウスに帰るところだったのよ。ベルンとの婚約が無くなっちゃって、もうすぐ伯爵夫人になるのよ、わたくし」
「そうか、良かったな」
「婚約されたのですね、おめでとうございます。婚約者がいるのなら、なおさら我が主人と離れて頂きませんと。こちらはしがない平民でございますので、貴族に睨まれたらどうなるか」
アンナは頬を膨らませつつ、リオの言ったことを理解したのか、ベルンの腕に絡めていた腕を解いた。リオはそれを満足そうに眺めて頷いた。
「アンドレアはそんなに狭量な人じゃないわよ。ベルンの友達だし」
「アンドレアと婚約したのか。あいつはいいやつだから幸せにしてもらえるよ、良かったな。貴族じゃなくなった今は会うことも叶わないけど、あいつによろしく言っといてくれ」
あっけらかんと話すベルンの言葉に、アンナは分かりやすく萎れた。
子どもだった彼らには、あの5年前の事件はどうしようもなかったのだ。大勢の領民を失った責任を、ただ一人生き残った領主一族のベルノルトに命をもって贖わせようとせず、ただ貴族籍を奪うだけに留めた王の恩赦をリオはありがたく思った。ベルンは家族を失って、どうして自分だけが生き残ったのかと嘆き悲しんだ。
そんな2人の前にアルデガルドは現れて、魔法市国でアルデガルドとともに暮らさないかと提案した。
ベルンはただ一人の従者で、友人のリオが魔法市国では生きにくいことを察して、首を横に振った。
『俺、魔力が少ないからさ、魔法市国の結界に入れてもらえない気がするんだよな』
そんなことはないとアルデガルドが返答するだろうことを察して、先手を打つように、にかっと笑いかけた。
『俺、リオと冒険者になるよ。師匠に教えてもらった魔法と、親父に教えてもらった剣でリオと一緒に生きていく。親父の形見もあるしな』
ライナー家の血縁者だけが使える魔道具である十個の小粒の魔法石が輝く銀の腕輪を着けた腕を少し持ち上げた。
腕輪はスタンピードを抑える出陣の前にバレリオからベルンに引き継がれた。これがあれば親父は死なずに済んだのではないかと、ベルンが今でも悔やんでいることをリオは知っている。
アルデガルドは二人の顔をじっくりと見つめて、その決意が揺るがないことを察すると、その眼差しを弛めた。
『そいじゃ、駆け出しの冒険者たちに最初の依頼を頼もうかの』
そして手渡されたのは、青い宝石と見知らぬ紋章が飾られた銀の細工が美しい一振りの短剣だった。
『これを西の隣国に住む、ワシの娘に渡しておくれ』
『西の隣国!? そんな遠くまで?』
『長旅が出来るように冒険者としての力を付けてからでいい、急がんでな。名をヴィオレッタという、銀の髪と菫色の瞳を持つ、ワシに似てチャーミングな娘じゃで』
『師匠に』
『似た……』
二人は禿げ上がった頭と、皺だらけの顔、そして長く胸まで伸びたヒゲを見る。
『そいじゃ、頼んだぞ。あ、忘れるところじゃった。このお守りを二人にやろう。肌身離さず持っておくんじゃ。ワシに連絡を取りたい時は、王都に住む【塔】の魔法使いに、このお守りを見せて取り次いでもらうといい』
アルデガルドは懐から水晶の付いた首飾りを出すと、ベルンとリオの首に手ずからかけた。
アルデガルドと別れた二人は冒険者ギルドで冒険者登録をし、地道に経験を積んだ。貴族でいるよりも、よほど生き生きしているベルンにリオはどれほど安心したか分からない。
だが、ベルンの貴族の友人たちは、ベルンがこれまでと同じ様に貴族として生きられなくなったことに衝撃を受けていたようだ。
「そんな顔するなよ、アンナ。俺は今、毎日が楽しいんだ」
「そう……。ベルンたちはどこに行く予定だったの?」
「ちょっと王都にな」
アンナはパッと表情を明るくした。
「じゃあ、私たちと一緒に行きましょうよ」
ベルンとリオは再び顔を見合わせた。ベルンが口を開く。
「それは構わねぇんだけどよ……」
ベルンとリオは視線を下げた。
アンナは可愛らしく首を傾げ、同じ方向を見ると、地面に這いつくばり、兜が脱げかけた護衛隊長と目が合った。
「お嬢……さま、助け……て…くだされ」
木の根や蔦に絡まれて苦しそうな護衛たちの声と悪態をつく盗賊たちの声が、ようやくアンナの耳に入ったようだ。
侍女はアンナに楚々と耳打ちする。
「お嬢様、冒険者の方々にお礼も言いませんと」
「あら……ごめん遊ばせ」