5.リオ、遠い昔の記憶
思いがけず石化解除の可能性を手にしたベルンとリオは西へ向かっていた足を北へ向けていた。
折角フィオレから託された石化の研究ノートだ。更に研究を進め、ライナー領の石化された人たちをもとに戻したい。だがベルンにもリオにも錬金術の心得はない。そこはプロを頼るべきだろう。
そして二人は【塔】を目指すことにした。師匠である【塔】の魔法使いアルデガルドなら自身で研究するか、あるいは有能な研究者に伝手があるだろう。
ライナー領の石像は、国から持ち出し禁止のお触れがでているが、壊れたりしないように【塔】の魔法使い達によって保存魔法をかけられ管理されているのだ。
しかしただ向かっているだけでは早晩路銀が尽きてしまう。途中の街で依頼を受けつつ旅をしていた。
「だからってワイバーンの群れを駆除とかゴブリンの集落を殲滅とか、めんどうくさい依頼ばっかり受けなくてもいいでしょが! バーサーカーかあんたは!」
旅の疲れでリオがうっかり寝過ごした日に、珍しく早起きしたベルンが勝手に受けてきた依頼は面倒で手数が必要なものばかり。リオは寝坊してしまった自身を責めた。今はそのゴブリンの集落を殲滅しにきているところだ。
「だってよぉ、ブルーメで暴れたりなかったからさぁ」
「語尾を伸ばすんじゃありません。全然かわいくない」
「おーこわ。はいはい、だいぶ気が済んだから、次は薬草採取か何かにしますよーだ」
「そう言って魔獣の巣の奥に生えてる薬草を採取する依頼とかは却下ですからね?」
「はいはい。んじゃ、いっちょやりますか!」
事前の打ち合わせ通りベルンは集落を見下ろす高台から魔法を打ち込むため走って行った。リオは集落の入り口で討ち漏らしたゴブリンを待ち伏せする役だ。集落の出口は東西に延びる狭い一本道、北側が森で南側が小高い崖になっている。
今回の依頼はこれで終わり。これが終わったら宿に帰って、ちょっといいワインでも飲んで寝てしまおう。リオはそんなふうに考えていた。
やがて崖の上で精緻な魔方陣が展開され、ベルンの攻撃が始まった。リオも気を引き締める。
ベルンの得意な雷魔法が炸裂し、集落一帯に襲いかかる。これで大多数は殲滅されただろう。いくつかある洞窟の中にいたらしいゴブリンが何事かと顔を出したところで広域魔法第2弾が発せられ、それもまた全滅。次はリオの仕事だ。
集落からの出口は一か所。そこから伸びる一本道で剣を構え、逃げ出してきたり襲いかかってくるゴブリンを斬り伏せていく。一本道なのでゴブリンは前からしか来ない。道は狭く、必ず1匹ずつ対峙することになるため、リオにとってはもはや作業でしかない。もう少ししたらベルンがこちらに加勢しに来るだろう。リオは持ち前の俊敏な剣技で次々ゴブリンを刈り取っていった。
だがその中に1匹だけ、他よりも体の大きなゴブリンがいた。この集落の長だろうか。このゴブリンは剣を持っていて、リオに斬りかかってきた。それを剣で受け流す。力比べになると、不利なのはゴブリンより体が小さいリオの方だ。
だから受け流して体勢を崩したところで思い切り蹴飛ばした。蹴飛ばした先は崖、その先にはかなりの傾斜でずっと下の谷へと続いている。ゴブリンは崖ぎりぎりに生えている細い木に掴まり、何とか落ちるのをこらえる。
が、そこへリオが剣を突き刺した。うまく急所にヒットしたようで、大きなゴブリンはずるりと崖の下へ向かってひっくり返った。
だがそれがよくなかった。刺した剣がゴブリンの体に刺さったまま抜けなかった。
「やば……!」
ゴブリンに引っ張られるようにリオも崖下へ落ちていった。
崖の上からベルンの叫び声が聞こえたような気がしたが、それもすぐに遠ざかっていった。
「あっ!」
バサバサバサ!
まだ幼いリオには少々多めの量の羊皮紙を書庫へ運んでいる途中、【塔】の廊下を歩いているリオは何かに躓いて持っていた束を床にばら撒いてしまった。
周囲にはリオと同年齢くらいの魔法使いの子供が何人もいるが、皆ニヤニヤ笑うだけで小さなリオを助けようとはしない。
「あ~あ、落としちゃったなあ」
「魔法が使えないんだから、そんな雑用くらいしっかりやってもらわなきゃなあ」
クスクス。
そう言っているが、リオを躓かせたのはこの子達が魔法で足元の絨毯を持ち上げたせいだ。波打った絨毯に足を取られて転んでしまった。
わざとやられたことはわかっている。けれど、ここで言い返したりやり返したりしたら、集団でもっと酷いことをされるのがわかっているので、リオは悔しさにググっと唇を噛み締めながら羊皮紙を拾い集めた。転んだ時に擦りむいた膝が痛い。
リオ――ヴィットーリオがこの【塔】に来たのはまだ物心つく前らしい。アルデガルドからそう聞いている。
両親は亡く、アルデガルドに預けられたらしい。
そこまではいい。
だがそこは最高峰の知識と技術を有した魔法使いのみが集まる【塔】。【塔】の魔法使いは、一目置かれ、他国にもその国の貴族と同じくらいに発言権を持つことが許されているほどにこの世界では地位が高い。
【塔】があるのは空中都市・魔法市国。どこの王国にも属さない魔法使いの独立都市国家であり、魔法市国に生まれるか、魔法市国に住む魔法使いに招き入れられないと辿り着けないし、一定の魔力を有していないと結界に弾かれて入れない。
つまり、リオにも魔法市国に入れるだけの魔力があるのだ。
しかし、何故かリオは魔法を使うことができない。潤沢な魔力を有しながらも魔法が使えないリオはいわば魔法使いのなり損ない。リオの成長とともにそれが判明すると、だんだん周囲の風当たりはきつくなってくる。特に遠慮のない子供達からの度を超えた嫌がらせは日々エスカレートしてきている。
こうやって魔法で転ばされることなど今や日常茶飯事なのだ。
アルデガルドも可愛がっている曾孫がこの国に馴染めていないことはわかってきていた。だがいじめられて擦り傷や打ち身を作って帰って来ることが増え、さすがに彼の身の危険を感じていた。
数週間後。
ライナー領主の館、その応接室。アルデガルドに連れられたリオは、出された果実水に手もつけず、大人しくソファーに座っていた。
アルデガルドはリオを魔法市国から出すことを決めた。大切な曾孫を手放さなくてはならない決断をさせるほどに、【塔】でのリオへの風当たりは酷くなっていたからだ。
アルデガルドとライナー領主バレリオは以前から交流があり、その伝手を頼ってリオの預け先を探してもらうことになったのだ。
「この子はこれだけの魔力を持ちながら魔法が使えないのですか」
難しい顔でそう言ってライナー領主がリオをじっと見つめた。ひどく居心地が悪い。
ここでも魔法が使えないことでひどいことを言われたりされたりするのだろうか。けれど自分をいつも守ってくれるアルデガルドは自分を置いて魔法市国へ帰ってしまうという。怖くてしょうがない。
「ヴィットーリオ、だったか」
バレリオが話しかけてきて、リオは背筋を硬くした。そこへ筋肉質で太い腕がずいっと伸びてくる。
殴られるのか。びくっと身をすくませたリオに構わず、バレリオはリオの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「それは大変だっただろう。だが、安心しろ。魔法市国の外には魔法を使える人間はそんなにいない」
「え?」
「貴族には稀に魔力持ちが生まれることがあるがな。まあ魔法が使えないなら、それ以外のことを伸ばせばいいだけの話だ。おまえは何がやりたい?」
「何……って」
考えたこともない。言葉に詰まったリオの頭を再びぐしゃぐしゃとかき混ぜる。
「まあ、そう言われてすぐに思いつくヤツの方が珍しいってもんだ。ゆっくり考えればいい」
バレリオの笑顔は百歩譲って獰猛で怖かったが、それ以上にリオの胸を揺さぶった。
――魔法、使えなくてもいいの?
そうしてバレリオと話をしているところへ、テラスの外から声をかけられた。
「おまえ、誰だ?」
テラスにいたのは真っ赤なくせっ毛でやんちゃそうな、けれど身形の良い男の子だ。言葉はぞんざいだが、嫌味っぽくはなく、むしろ好奇心でいっぱいに聞こえる。
だからリオもあまり警戒心が湧かなかった。
男の子はテラスからすたすたと部屋の中へ入ってきた。
「だからおまえだよ、おまえ。俺は――」
「ベルノルト!」
ゴイン! と痛そうな音を立ててバレリオの鉄拳が男の子の頭に落ちた。
「ってえ!」
「礼儀はどこへ捨ててきた! 裏庭か、西の森か、それともマイロ山か! そもそも礼儀以前の問題だが」
「わー、ごめんなさい父上! だってそいつがあんまりつまらなさそうな顔してるから、一緒に遊ばないかなと思ったんですー!」
ふむ、と領主が眉を上げる。
「まあ一理あるな。大人の話を聞いていてもつまらんだろう。よし、ヴィットーリオ。こいつは俺の息子でベルノルトだ。ちょっとばかり山猿みたいな奴だが、一緒に遊んでくるか」
「さすが父上、話がわかる」
「だがベルノルト、おまえはその後でマナーの復習だ」
「うえっ! はーい、わかりましたぁー」
そしてリオのところへ駆け寄ってくると手を取った。
「俺はベルノルト! ベルンって呼んでいいぞ。おまえは?」
「ヴィットーリオ――リオと呼ばれています」
「よし! リオ! 行くぞ!」
「わっ! 待って」
強引に連れ出され、ベルンに手を引かれるまま庭に出た。柔らかな芝生の生えた日当たりのいい庭は、確かにちょっとばかり心が浮き立つ。咲いている小さな花、それに惹かれて止まる蝶、どこかで鳴いている鳥の声。
今まで【塔】ではそんな平和な風景に目を向ける余裕がなかったのだからなおさらだ。
「え、おまえ、魔法市国から来たんだ? すごいなあ」
けれどベルンのそんな一言で心がカチンと固まってしまった。
「俺もちょこっとだけど魔法使えるんだ。魔力あるらしくてさ。でも父上は魔法市国には入れないって言うんだ。あそこに入るにはもっとたくさん魔力をもってないと無理だって。リオは入れるんだろ?」
「はい……でも、それだけで」
「それだけ? って?」
「僕、は、その――魔力はあるけど魔法が使え、なくて……」
「ありゃ、そうなんだ。そういうヤツもいるんだな」
ズキン、と胸の奥がきしんだ。この子もやはり【塔】の子供達と同じ、自分を蔑んでいじめるんだろう――
「ま、みんな出来ることと出来ないことがあるって父上が言ってた。だからさ、リオも魔法使えない代わりに、練習したらすごく上手になれる何かがあるんだよきっと」
「え……」
「例えばさ、剣とかどうだ? 俺、父上が特訓してくれるんだけど、剣はイマイチ得意じゃないんだよなあ――父上は強いんだぞ。剣の腕じゃ国でも三本の指に入るって言われてるらしい。でも俺は剣は訓練してもあんまりうまくならないし、でも魔法はちょっとだけ使える。魔力があるのに魔法が使えないっていうリオとは正反対だなあ」
どこが正反対なのかわかるようなわからないような気がして首をひねっていると、ベルンがパチンと手を叩いた。
「よし! 今から剣の稽古しようぜ! 行くぞ!」
わけがわからない。ただ、ベルンがとにかく勢いのある子供だという子とはわかった。
貴族に逆らうわけにも行かず、ベルンに引っ張られるまま練習用の木剣を取りに走らされた。
でも、いやじゃない。少なくとも【塔】にいる子供達とは全然違うみたいだ。
そうして見よう見まねで剣を振ってみたら、意外と楽しくてリオは夢中になっていった。
庭でベルンが得意そうにリオに剣を振らせているのをテラスから眺めるバレリオとアルデガルド。バレリオが口を開いた。
「ふむ、年も近いしベルンといい遊び相手になるかもしれませんね、アルデガルド様」
「そうじゃのう。あのリオが仲良く遊んでおるからな、ちと驚きじゃ」
「リオはあれだけの魔力を持っています。下手なところに養子に出すわけにも行きません。なので、我が家に住まわせて、ベルンの話し相手になってもらおうかと」
「おお、そうしていただけるとありがたい――爺バカで言わせてもらうと、リオはなかなか優秀じゃぞ? いろいろ仕事をやらせてみるといい」
その後、バレリオの元へ預けられたリオはバレリオから剣を習い、めきめきと頭角を現すことになる。そしてその優秀さから未来のベルンの側近として取り立てられていく。
だからリオは感謝している。
自分を育ててくれたアルデガルドに、取り立ててくれたバレリオに、そしてベルンに。
あの頃からリオにとって何者にも代えがたい大切な人たちなのだ。
「――オ……おーい、リオ!」
遠くから呼ばれた気がして、リオは重たいまぶたを開けた。
ライナー領の館ではなく、山の中だ。目の前は崖、そうだゴブリンとやり合ってあそこから落ちたんだと思い出した。
もう少し崖を下がったところに大きなゴブリンの亡骸が転がっている。剣が刺さったままなので取りに行こうと立ち上がろうとするが、ずきりと左足が痛んで立ち上がれない。
「折れたかな……ったたた」
「リオ! そこか?」
崖の上から声が聞こえた。見上げると、ちょうど中天にさしかかった太陽を浴びて崖の上からベルンが見下ろしている。リオにはベルンが輝いて見えた。
まるで光のようだ、とリオは思った。孤独だった自分の世界を変えて、自分を必要としてくれた大切な相棒。
口が裂けても本人には言えないけれど。
「ああ、ここですベルン!」
「生きてるか~?」
「返事してるんだから生きてますよ。あいにく無傷とはいきませんが」
「今そっちに行くからちょっと待ってろ~!」
すぐにばさっとロープが投げ下ろされてきた。どうやら崖の上で手近なところへ結びつけ、それを伝って降りてくるらしい。
そこでリオははっと気がついた。そういえばゴブリンの集落はどうなったのだろう。
「ベルン! ゴブリンの方はどうなったんですか」
「全部燃やしたー!」
「燃やした、って」
話しながらするすると降りてきたベルンが駆け寄ってくる。それを見てリオがまなじりをつり上げる。
「ベルン! 傷だらけじゃないですか! なんで治療魔法を使わないんです」
ベルンは本当に傷だらけだった。大きな怪我はないようだが、あちこち服が裂けたり血が滲んだりしている。
「しょうがないだろ、あの残り全部かたづけてきたんだからよ。もう魔力すっからかんだよ」
「治療魔法も?」
「安心しろ、それはとってある――《ヒール》」
ベルンが言葉と共に左腕のブレスレットに触れる。よく見ると嵌まっている石がひとつを除いて色を失っている。
ブレスレットに嵌まった石はそれぞれが属性魔法を宿していて、込められた魔力を使い切ると色をなくす。つまり、他の石は使い切ってきた、ということだ。そして唯一色を残しているのが治療魔法の石だ。
おそらくベルンはブレスレットの魔力を惜しみなく使ってゴブリンの集落を壊滅したのだろう。燃やした、と言っていたからおそらく自身の得意な火魔法も相当駆使しただろうから、魔力はほとんど残っていないに違いない。
だというのに崖の下へ落ちたリオのために治療魔法を温存しておいたのだろう、と気がついて苦い顔をしてしまった。
――自分のために使ってほしいんですけどね。
心の中でそうつぶやいている間に、痛めた足は見事に治ってしまった。聖属性の石は見事に色を失って灰色に変わっている。
「まったく、あなたって人は……」
リオはベルンの左手を取り、手甲の下になっている銀の腕輪に触れた。魔法は使えなくても、膨大な魔力で腕輪に魔力を補充することが出来る。ほどなくブレスレットの全ての石が色づき、魔力の充填が完了した。それを確認してベルンが「《ヒール》」と唱え、今度は自分の怪我を治した。
「さて、それじゃ後片付けしてギルドに達成報告に行きましょうか」
「しゃあない、あとちょっと頑張るかぁ」
お互いに「お疲れ」と背中を叩く。日はまだ高く、夕方には町に戻れるだろう。
そうして二人の旅はまだまだ続く。