4.ベルンとリオ、泣く石像の謎
「はっー、マジか。女の子か」
「しかも18歳の」
ベルンとリオは顔を見合わせて唸った。ドナートの眉尻は心配で下がったまま。
「そうなんですよ。魔獣の多い森にひとりで住んで魔獣の研究をしてるって、変わった子ですけど、それ以外は普通でね。いや、年頃の女の子の割には見た目は気にしてないのも変わってるな。いやまあしかし、いい子には違いないんです。だから雑貨屋のセーラさんが依頼を出してなくても誰かは依頼を出してたと思うんですよね」
ドナートは銀貨を3枚、カウンターに並べた。
「ともかくアースロ森の探索ありがとうございました。無事でいることの確認はできなかったのは残念ですが、かわいそうなことになっていないこともまた確認できたわけですし」
リオが銀貨を受け取ろうと手を伸ばすが、ベルンが先に銀貨をドナートの方へ押し戻した。
「これは受け取れねぇよ。だって俺らフィオレちゃんの"無事"は確認できてねぇんだから」
ドナートはベルンの行動に驚き、リオに助けを求めるように視線を向けた。
「アンタはバカですか。ドナートさんを困らせるんじゃありませんよ。これは危険なアースロ森に入って探索したことへの正当な報酬です。受け取るべきですよ」
「だってよぉ」
「まあベルンの言い分も分かりますがね。ドナートさん、俺らが旅の途中でたまたまフィオレさんにお会いできたらこちらに連絡をいれます。その時の報酬はいりませんよ」
たとえそれが無事な姿でなかったとしても、という言葉は飲み込んだ。それでもドナートには伝わったようだ。少し涙ぐみつつあるのを、ベルンとリオは気づかなかった振りをした。
「ははっ、あなたたちは不思議な冒険者だ。フィオレは自分で森を出て行った。そしてどこかで元気にしていて、また戻ってくると信じています。フィオレとどこかで会ったら、近くの冒険者ギルドを通じて連絡をいただけたらありがたいです」
「ええ、わかりました。お約束します」
「それとよぉ、ガストンで広場の石像が泣くって依頼も受けて来たんだけど、あの石像を建てたやつに詳しい話って聞けるか?」
いい雰囲気がベルンの発言によって、一瞬で払拭されドナートは目を丸くさせた。が、さすが冒険者ギルドの職員、すぐに持ち直す。
「ああ、あの依頼も受けてくださったんですね。建てた人にですか?」
「ああ、あの石像が────」
「あの像が泣くあらゆる可能性を考えようと思っています」
「そ、そうそう」
リオの説明になるほど、とドナートは肯首する。ドナートはいい笑顔で話を始めた。
「あの石像はですね、今のブルーメの町長が町長に就任した5年前、街のシンボルになるように、広場が町民の憩いの場になるようにと建てさせたものです。ずいぶん精巧な動物の石像をどこからか手に入れてきて、この町の大工や石工たちに組み立てさせて作ったようですね。技術者ギルド主体の工事だったので、冒険者ギルドにはあまり情報は入って来なかったのですが、それは表でのこと。裏ではギルド同士で情報交換をしているものです」
ドナートさんはグイッとジョッキをあおる身振りをして、ウィンクをした。
「施工をした大工と石工に話を聞きたいとおっしゃるのならば建設ギルドに紹介状を冒険者ギルド長の名前でお書きします。それを持っていけば、当時の施工に関わったものを紹介してもらえるでしょう。回りくどくなりますが、そういうルールでして、申し訳ありません」
「いやいや、紹介状を書いてもらえるだけでありがたいよ」
「ご理解ありがとうございます」
「ドナートさん、町長にも話を聞くことは可能ですか?」
「町長は就任した時点で、領主より一時的に準貴族の位を賜ります。町長を辞任、交代したあとは、少し裕福とはいえ平民に戻るのですが、今の町長は現在の貴族位にふんぞり返っているような方でして、控えめにいって選民意識の強いクソ男なんですよ。なので、ギルド長の紹介状を持って行っても、冒険者に会う気になるかどうか」
ドナートはリオの佇まいを眺めてから言った。
「冒険者とは仮の姿。実はどこかの貴族家に縁のある方ということであれば、あるいは。たまにそういう出自を隠して冒険者をなさる方もおられますし……」
リオは軽く肩をすくめ、ベルンは不機嫌な顔になったが、とりあえず紹介状を二通用意してもらうように頼んだ。夜ももう遅く、翌日にギルドに顔を出すことを約束して、リオとベルンは宿へ向かった。
翌朝、ベルンとリオは冒険者ギルドに寄って、紹介状を二通受け取った。その足でまずは建設ギルドに向かう。冒険者にも負けず劣らず気性の荒そうな職人らしき男が多く出入りしていた。そんな建設ギルドのカウンターに立つ美しい女性職員に紹介状を出した。その場で紹介状の内容を確認すると、女性職員は頬に手を当てながら言った。
「ああ、広場の石像の件ですね。当ギルドに施工ミスがあったと……そうお考えで?」
いきなりの先制パンチに、リオはまさかそう考えるとは思わなかったと苦笑いを浮かべた。
「そういうわけではありません。ただ、石像が泣く現象の謎を解明して欲しいという依頼なので、施工をされた職人さんに、当時の様子など話を聞かせてもらいたいと思いまして」
「確かに、そういった噂はこちらでも聞き及んでおります。建設ギルドに不名誉な噂を払拭していただけるのならば、ご協力いたします」
「建設ギルドに不名誉な噂? そんなものがあるのか?」
ベルンが聞き返すと、女性職員は美しく描いた眉をひそめた。
「ご存知なかったんですね。石像が泣きだしたのは、ここ2年ほど前からでしょうか。夜になると女性の悲鳴とも、啜り泣きとも聞こえるような声で泣くようになりました。毎晩そんな声を聞かされる広場近くの住民は不眠症に悩む人も多くて。ライナー領のスタンピード事件で死んだ亡霊が泣いているんじゃないかとか、その死者を慰めるために、あの像の下に生き埋めにされた生贄がいるんじゃないかとか。はたまたライナー領から持ち出した石化した動物で作った像だから、その石化が解けかけてなお動けずにいるから泣いているんじゃないかとか」
ベルンとリオは顔を見合わせた。
「全くもってバカバカしい噂ばかりです。もちろん当ギルドは、そのような犯罪行為には関わっておりません。ライナー領からの石化した生体の持ち出しは禁止されておりますし、地鎮祭に生贄を埋めるなんて、どの時代のどの地域の因習を持ち出しての話なのかバカバカしいにもほどがあります」
「冒険者ギルドで聞いた話じゃ、石像は建設ギルドの石工が彫ったものじゃなく、町長がどこかから持って来たものだと聞いた。それは間違いないのか?」
「ええ、間違いありません。うちの父が、あ、私はギルド長の娘のフローラと申しますが、父が運搬ギルドに依頼をして、町長宅に石像を受け取りに行ったのです。基礎工事が終わるまではギルドの倉庫に保管してあって、リアルな石像だったものですから、少し不気味だったんですけど、ネコの石像が可愛らしくて、私、時々ギルドの倉庫に入り込んでネコの石像を見ていたんです。だからその当時のことはよく覚えています。もちろん倉庫で鳴いたりはしてませんし、石像を建ててから数年経ってから泣き出すなんて。誰かが建設ギルドを貶めようとして悪いイタズラをしたんじゃないかって私は思っているんですけど」
ベルンとフローラが話している間、顎に手を当てて考えこんでいたリオだったが、最後にと一つ質問をした。
「フローラさん、倉庫にネコの石像があったとき、抱きかかえてみたことはありますか?」
「え、ええ。壊してはいけないと思いつつ、一回だけ」
建設ギルドを出て、町長宅へ行く前に、リオが役場に寄りたいと言い出した。町長宅の横に設置されている役場は、ギルドの受付と似た雰囲気がある。税を集め、各種工事の発注、開墾許可、出生死亡の届出などの事務などを行うのだが、この地方に関する情報を集めるという大事な役割もまた国から課せられている。たとえば国からとある領主に対して監査等が行われる際に、領主は治める各地方の町長を通じて、それぞれの町に設置した役場から書類を提出させる。この仕組みは国で統一されていて、ライナー領でも同じだった。直轄地となった今は、領主の代わりに代官が置かれているだろうが。
なので、ベルンもリオも役場にどのような資料が集められていて、一般人でも閲覧できる情報がどのようなものなのかは熟知していた。ただ冒険者が役場に訪れることは滅多にない。動向を監視するような視線を集めながら、二人は一般閲覧可の書架から資料を抜き出して、閲覧机を借りて調べ物を始めた。
「工事の概要資料は分かるが、気象記録なんかどうすんだ?」
ベルンが首を捻る。リオはパラパラと資料を読み込み、パタンと資料を閉じた。
「お待たせしました。では町長に話を聞きにいきましょうか」
ベルンとリオは隣の町長の家にやってきた。ここは歴代の町長が住む家で、辞任交代した時には、速やかに次の町長に住まいを譲らなくてはならない。しかし、準貴族としての格式にそったその屋敷は、小さいながらもそれなりに華美で、執事を始めとした使用人がいる。
ベルンたちを出迎えた執事に紹介状を託すと少し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「大変失礼いたしますが、どちらかの貴族家の方でございましょうか」
執事は明らかにリオの方を向いて誰何していた。ベルンは不機嫌になりながらも、それならばとリオの護衛よろしく背後に立った。
リオは上品な笑みを浮かべて言う。
「私がどこの家の者か分からないと? 仮にも準男爵の位をいただいておきながら嘆かわしい」
すると、さっと顔を青ざめさせた執事は、失礼しましたと深く腰を折って応接室へとリオたちを応援した。
室内に二人になると、ベルンはじとりと湿った視線を相棒に送った。
「お前がどこかの貴族家のものだとは知らなかったな」
「おや、私はライナー家の臣下なんですから、ライナー家の者で間違いはないでしょう?」
「……そういうことか。お前、詐欺師になれるんじゃないか?」
「心外ですね。間違えたのはあちらです」
「それにしても、こんなに高貴な俺がいるのにわからないとは。なんで俺が立たされて、お前が座るんだ」
「まあ、頭脳労働はお任せください」
「答えになってない!」
それから少し、へりくだった様子の町長が応接室に入ってきた。
お互いに名乗り合ったあと、町長は怒りに顔を真っ赤にした。高位貴族だと思って出迎えたのに、元は貴族とはいえ、今は平民の冒険者が応接室にいたからだ。壁際に控える執事の汗の量が尋常ではない。大丈夫だろうか。
「(勘違いをしたのはそちらだが)忙しくされているところを突然押しかけてすみませんね。実は貴方が出した広場の泣く石像の依頼を受けた者です。少し詳しくお話しを聞かせていただきたいと思ってお邪魔したのですよ」
「あの泣く石像については本当に迷惑しているんですよ。私が町長に任命された祝いに、町のやつらに好印象を持ってもらおうと用意したんですがね。夜な夜な泣くもんで、苦情が殺到するようになりました。あんなイタズラしたやつはとっとととっ捕まえて牢屋に入れてやらねば気が済みませんよ。夜中に石像の周りをウロウロしてやがる奴がいるって話も聞いているんですよ」
「噂をいろいろ聞きましてね。あの石像、町長が直々にご用意されたものとか。どこからどのようにご用意されたのか伺っても?」
すると町長は再び顔を真っ赤にして怒り出した。頭から湯気があがりそうだ。
「冒険者風情が私を疑うのか!? とんだ侮辱だ! 私は断じて、断じて他領から石化した動物など盗んでなんかいない!」
「ではどこから?」
「うっ……うるさい。なんでそれを言わなきゃいけないんだ。さっさと泣くのをやめさせて、イタズラした犯人を捕まえてこい! ボヤボヤしてたら報酬を払わんぞ!」
町長の家を出ると、外は真っ暗になっていた。石像のある広場を抜けて南の宿屋に二人は向かった。今日も冷たい風が強く吹いている。
ベルンはぐるぐると首を曲げたあと、ぐっと背伸びをした。
「ああ、疲れた。俺は魔法をぶっ放したり、魔獣と戦ったりする方がいいや」
「ベルンは礼儀作法の時間がお嫌いでしたね」
「ああ、仕方がないからやっていたが、性に合わない。魔法の理論なら、少しは座って勉強する気も起きるんだが」
冒険者というのは常に周りに気を張っている。たとえ町の中でも、敵意や害意といった気配には敏感だ。だから、二人で話しながら歩いていても掏摸だったのなら、近づいてくるのが分かったのだが、路地から飛び出してきたローブを被った人物がベルンにぶつかって尻餅をついた。ローブの頭巾がずれて、月明かりにもはっきりと分かる見事な赤い髪と、何かに怯える緑の瞳が現れた。その特徴にベルンは頭の隅に何かが引っかかった。
「おっと、すまん。大丈夫か?」
ベルンが手を差し伸べると、尻餅をついた人物は素直に手を伸ばした。
その手があまりに柔らかくてベルンは思わず呼びかけた。
「フィオレ?」
ビクッと震え、おずおずと距離を置こうとするが、ベルンは手を握ったまま離さない。
「見ず知らずの男に、いきなり名を呼ばれたら、そりゃ警戒しますよ」
「そ、そうか。俺たちは冒険者だ。雑貨屋のセーラに頼まれて、魔獣研究家のフィオレが息災か確認してくれと頼まれた。アンタはその魔獣研究家のフィオレで間違いないのか?」
警戒している緑の瞳が、セーラの名で少し弛んだのをベルンもリオも感じた。
「これから手を離す。乱暴なことも絶対しない。少し話だけさせてくれ。逃げないでいてくれるか?」
フィオレが小さく頷くのを確認して、ベルンはそっと握った手首を離した。
「アンタがフィオレ、なのか?」
「そうよ、なんか文句あるわけ?」
「いや、聞いていた話と少し違ったもんでな」
フィオレはボサボサの赤毛、身なりに拘らないボロを着て、ガリガリに痩せているんじゃなかったのか? と、ベルンとリオは首を傾げた。そんな2人の心の内を読んだように、フィオレはクスッと笑った。
男勝りな話し方さえしなければ、目の前にいるフィオレは、どこかの令嬢と紹介されても疑われないだろう。赤毛は手入れされて艶があるし、闇色のローブの下はボロどころかクリーム色のドレスの袖や裾には金糸で刺繍が施されている貴族女性がよく着る意匠だった。
「どうせ令嬢らしく無いって言うんでしょ」
「いや、今、目の前にいる君は令嬢にしか見えないから困ってるんだ」
遠くで十数人がバタバタと走る気配を感じた。フィオレも同様に気配を察したらしい。フードを再び被ると、ベルンを睨み上げながら言った。
「貴方たちの宿は近く? ちょっと匿ってくれない?」
「えええっ、リオっ」
焦るベルンのマントに素早くフィオレは隠れる。
「ちょ、ちょっとフィオレ?」
「どうやら事情がありそうですね。しかたがありません、ベルン、フィオレ様を我らの宿へご招待いたしましょうか」
「で、でもご令嬢だぞ? 男の部屋に連れ込めってか!」
「……あら、冒険者のくせにあまり臭くないわね。外聞なんていまさら気にしないわ。それよりアイツらに捕まると面倒なのよ」
ベルンの背中側、マントの中でフィオレが囁いた。
「アーロスの森の家に送って行くのじゃダメなのか?」
「ダメよ! だってアイツらは父の私兵、領軍の騎士だもの。森の家の場所だって知っているし、魔獣にだって負けないわ。それより早く!!」
「わ、わかったよ!」
ブルーメの町の南側は冒険者ギルドもあり、冒険者相手の宿も多い。そこの一室に、ベルン、リオ、そしてローブを脱いだフィオレがいた。宿の主人は、ローブで顔を隠した女を連れ込んだとてどうせ商売女かとあまり気にしない。そのおかげでフィオレは誰に不審に思われることなく、ベルンたちの部屋へと入ることができた。
リオが木のマグカップに注いだ赤ワインをフィオレに勧める。それを受け取って、躊躇なく口を付けると話し始めた。
「貴方たちを巻き込んだ以上は最低限の事情は話すわ。さっき私を追いかけていたのは、このブルーメを含むナポータ領を治める領主、カルロス・メルティ。私はそのカルロスの三女、フィオレ・メルティ」
リオはあご先に手を添えながら、記憶を辿る。
「確かにナポータ領には、ご子息が1人とご令嬢が3人いらっしゃるはずです」
フィオレがリオの言葉を肯定するように頷く。
「ふふふ。一介の冒険者が領主の私兵を敵に回したと知っても青ざめもしないなんて肝が太いのね。まあいいわ、私はアーロス森で生活しながら魔獣の研究をしていたの。急に父が婚約話とともに迎えに来てなければね! 有無を言わさず領都の自宅に連れ帰られて、ブルーメの人たちに挨拶もできなかったわ。それが貴方が受けた依頼の真相よ。ブルーメの人たちは、私が領主の娘だとは知らないの。魔獣の研究をしている変な小娘が森にいるって認識ね。でもそんな私にとても親切で、すごく良い人たちなの」
「あー、それじゃ、君はどうしてここに?」
ガシガシと頭を掻きながらベルンがフィオレに質問した。
「一度森に帰って研究資料を取りに行きたいって言っても、ブルーメの人たちが心配するから別れの挨拶をしたいって言っても、父の命令で屋敷から出してくれなかったから、脱走してきちゃった」
「脱走……」
「してきちゃった……」
ベルンとリオは唖然とした。その顔を見て、フィオレは満足そうに笑う。
「そう、実家の馬を盗んでかっ飛ばしてね。だから森の家は真っ先に張り込まれていると思うのよね。志半ばで辛いけど、セーラには貴方達からよろしく言ってくれる?」
「それは構いませんが」
「なあ、アンタはどうして魔獣の研究なんかしてるんだ? 個人の趣味をとやかく言わねぇが、ご令嬢の趣味にしちゃ風変わりで、ちょっと聞いてみたくなった」
「……楽しい話ではないけれど。そうね、きっかけは、私が社交デビューして2年目の頃かしら。ここからそう遠くないライナー領で、スタンピードが発生したの。冒険者ならご存じでしょうけど、あそこにはアーロス森よりもさらに深い森があってね。領主一族も領軍もお強くて……だけどコカトリスへの対策ができてなくて、領民にも領主一族にも被害が大きく、石化してしまった人や動物がたくさんいるのよ。私は錬金術や魔法が好きで、石化された人や動物は死んだのではなくて、中で時が停められているのではないかと考えた。ライナー領の事件より少しあと、このアーロス森にも小さな個体のコカトリスが目撃されて、たまたま【塔】の魔法使いがブルーメにいたものだから、すぐに討伐されたから、知っているものは少ないのだけど、私はそこで石化した魔獣を見つけて、石化を解く方法を模索していたのよ」
「それで、石化を解く方法を見つけたのか?」
ベルンが身を乗り出した。フィオレは勢いに驚き、身体を少しのけ反らせた。フィオレはゆっくりと顔を横に振った。
「石化を解くかもしれない試薬はできたの。私は、ブルーメの新しい町長が建てた石像が、もしやライナー領の石化した動物なのではと思って、町に来る度に人目がない時を狙って試薬をかけてみたのだけど、ネコの石像に穴が開くばかりで、ネコには戻らなかった」
「だけど、アーロスの森で石化した魔獣には試したんだろう?」
「小さな個体は戻ったのよ。だけど、大きな個体には試せなかった」
ベルンとリオが目を見開いた。それが本当なら、両親を、領民を助けることができるかもしれない。だけど、その期待はすぐに裏切られた。
「どうして試さなかったんだ?」
「コカトリスの石化を解く試薬を作るには、コカトリスの尻尾の毒蛇の毒が必要なのよ。試薬もあと少ししかなかったし、もし助けられるなら、魔獣より石像にされた動物たちを助けたかった。でも戻らなかった。何を間違えたのかしら。魔獣と動物、人間では効果が違うのかしら……」
「コカトリスを捕ってくればいいんだな。ヤツはどこにいるんだ」
ベルンが壁にたてかけた杖を握った。即座にリオも大剣を持つ。フィオレは2人の様子を見て呆れたように笑った。
「バカね。コカトリスなんてそうそう出ないわ。魔獣がどこから現れるのか、その種類は誰が決めているのかさえ、まだ【塔】の研究者たちが頭を寄せ合っても答えが見つかっていないのに。貴方たちも石化を解きたいと願う誰かがいるのね。コカトリスがたくさん出てくるダンジョンでもあればいいのにね!」
「うげぇ、それは……」
「行きたいような、行きたく無いような心地ですね」
「冒険者だろ、しっかりしろ」
げんなりするベルンを見て、フィオレが笑う。しかし、次第にそれは哀しそうな笑顔になった。
「だけど、私はもうすぐ結婚させられる。嫁ぎ先じゃ、錬金術の実験も魔獣の研究もさせてもらえないだろうし、力になれなくて悪いわね。せめてあの家に置いてきた研究ノートを貴方たちに渡せたらいいんだけど」
「結婚が嫌で逃げたわけじゃないんだな」
「そりゃあね、貴族の娘に生まれた時から政略結婚は覚悟してたわよ。むしろ今まで好きにさせてもらってたことに感謝してるわ。強引なやり口には納得できないけど」
フィオレはテーブルに金貨を一枚乗せた。
「ギルドを通さなくて申し訳ないけど、私からの依頼を受けてくれる?」
「なんだ?」
「研究ノートを森の家から運び出して欲しいの。そのうちの一冊、石化についてのノートとこの金貨が報酬よ」
「構わないが」
「良かった! 研究の価値の分からない人に捨てられるのも、研究の価値の分かりすぎる人に奪われるのも許せなくて。助かるわ。ノートは大量にあるから、この空間魔法が付与された袋を使って。預けておくわね」
ドレスの隠しポケットから、生成りの巾着袋が出てきた。それをほいとベルンに手渡す。
「おいおい、こんな貴重なものを冒険者に預けていいのかよ。しかもギルドを介さない依頼で。持ち逃げされちまうぞ」
「いいの、いいの。なんだか貴方たちのことは信じられる気がして。じゃあ、私はここで待ってるからよろしくね」
さっさと行ってこいとばかりに、ベルンとリオは部屋を追い出された。その途端、フィオレが気配遮断の魔法を使ったのか、フィオレの気配が感じ取れなくなった。ベルンとリオがフィオレに聞こえないようにこっそりと話す。
「なかなか手練のようですね」
「あれなら気づかずにぶつかったのも道理だな。あれで家を抜け出したんだろうな」
「魔獣の森で生活できるだけの戦闘力もお持ちなのでしょうね」
「だな。なぁリオ、森に行くなら魔力の補充をして欲しかったんだが……」
「ご自分でなさいませ」
「つまり笛を吹くような原理で泣いていたと?」
冒険者ギルドのカウンターで、ドナートが目を丸くした。
「ええ、建設ギルド長の娘が、自宅の倉庫に保管されていたネコの石像を、あまりの可愛さに抱っこしたことがあるそうです。思ったより軽いので驚いたと言っていました。おそらく石像の中は空洞になっているのでしょう。そこに経年劣化かなにかで穴が空いた。ブルーメは夜になると、風の向きが変わり、強くて冷たい風が吹き込むようですね」
「ええ、夜になると川の方からの冷たい風が吹き込むんです。昔からそういうものなので気にしてませんでしたが」
「それで、強い風が小さな穴から吹き抜けようとすると音が鳴るんだと。だから、泣かないようにするなら、穴を埋めりゃいいんじゃねぇか?」
「それだけ、だったんですか」
ドナートはホッとした表情で微笑んだ。
「ありがとうございます。こちらが報酬です。町長にはこちらから報告しておきます」
「ん、よろしくな」
報酬を手にベルンとリオはギルドを出た。
昨夜、アーロスの森で出くわした領軍の騎士には、ギルドで受けた依頼で、魔獣研究家のフィオレを探していると説明し、堂々と家の中に入った。騎士たちは、家の中は、ひと通り捜索した後なのだろう、フィオレが戻ってくるのを警戒するために家の外で張っていることにしたらしい。おかげでノートの回収は滞りなく行えた。
騎士たちは、ベルンたちがフィオレの正体を知らないと思っているらしく、『フィオレを領主様も探しておられる。見つけたら詰所に報告するように』とだけ伝えて、森の家を後にするベルンたちを見送った。
宿に戻り、ついでに錬金術の実験道具やらも詰め込んだ巾着袋をフィオレに渡すと感激された。『実験も研究も諦めようと思っていたのに、余計なことを』と憎まれ口を叩きながらも、大事そうに巾着袋を胸に抱いていた。
そしてベルンとリオは、石化について書かれたフィオレの研究ノートを報酬としてもらい、次の朝、ブルーメを発った。
「なあ、あのネコの石像に穴を開けたのはフィオレだって言わなくてよかったのか?」
サクサクと次の街へと歩きながら、ベルンがリオに聞いた。
「領主の娘ですから町長ごときに咎められるとは思いませんが、フィオレ様がブルーメの方達に正体を隠したいままにされたいようでしたので、次の街に着いてから、ギルド経由で無事を伝える予定でしたでしょう?」
「ああ」
「フィオレ様が穴を開けたと報告したら、どこで会ったのかという話になります」
「そりゃそうだ」
「町長はフィオレ様を捕まえようとなさいますでしょう?」
「正体を知らなければ、あの男なら、そうするよな」
「この依頼は、石像が泣く謎を解くだけですから、犯人探しまでは含まれておりません。余計な報告をすれば、余計に面倒なことに巻き込まれる予感が致しましたので」
「確かにな、俺、余計なこと言わなくて良かったよ」
「ええ。黙っていただいていて、助かりました」
「その言い方もなんだかなぁ」
「さっさと索敵なさいませ」
「お前、本当に俺の従者かよ」
「ええ、従者で相棒と自負しておりますが、何か間違っていますか?」
ベルンはリオには勝てないな、と通算500回目にそう思った。