28.リオ、魔脈詰まりの治療
「一度ならず二度までも、リュカを助けてくれて感謝する」
リュカ誘拐事件の実行犯である『親玉さん』を捕まえたベルンとリオに、ギルミアは再び感謝の言葉を伝えた。
リュカの案内で、領都を警護する警護官のいる施設に『親玉さん』を預けたのだが、その後ギルミアも立ち会っての取り調べが行われたようだ。その後押し入り調査したアジトにはサヴァーヌ公爵との繋がりを示す馬具や取引の書類が無造作に置かれていたという。
「なんというかね、サヴァーヌ公爵の依頼でリュカを誘拐し、サヴァーヌ公爵領内のダンジョンに監禁、サヴァーヌ公爵との繋がりを示すものを所有し……って、あまりにも杜撰な計画過ぎて、むしろサヴァーヌ前公爵を失脚させるために誘拐を起こさせたのではないかと疑ってしまうね」
応接室のソファに背を預けたギルミアは、はぁ、と額に手を当ててため息をついた。
「何か心当たりがあるのか?」
ベルンが訊ねると、ギルミアは疲れた顔に儚げな微笑を浮かべて、首を横に振った。
「まあね。カンキリーとは──サヴァーヌ前公爵の事だが、同じ公爵家の嫡男として生まれて、幼年の頃から付き合いはあるんだ。だからあいつの事も、あいつの兄弟関係も少しは知っているつもりだよ。今回の盗賊崩れの頭目は雇ったつもりで、うまくカモにされたんだろうなぁ」
「捕まったら公爵も道連れにする気満々だよな。どうして紋章入りのものをあげちまったんだか」
「親玉は捕まった時にはサヴァーヌ公爵の威光でうやむやにしてもらおうって腹づもりもあったみたいだけど、こっちが先に手を打ったからね。カンキリーとの報酬額で決裂になっても、リュカを外国に売り飛ばして金貨を得るつもりだったみたいだ。結局はダンジョンの魔物に部下を全滅させられたし、悪い事はするもんじゃないよね」
侍従が置いていったお茶を一口飲むと、気持ちを切り替えたギルミアはポンと両手を叩いた。
「さて、ではヴィットーリオの魔脈詰りを診ようか。こちらに来て立ってもらえるかな」
「ギルミア様が?」
リオが立ち上がって、ギルミアの横に立つ。ギルミアもまた立ち上がってリオに両手を出すように言った。ギルミアはその手を握り込みながら、ベルンの問いに答える。
「いや、私は魔脈の流れを確認する程度だ。知識はあるが、実際に治療をするのは本職の方がヴィットーリオも安心だろう。もちろん軽いつまりくらいなら、力技で押し流して通してしまうこともできなくもないが──ヴィットーリオ、魔力を流すから体調が悪くなるかもしれない。我慢せずに言うように」
「分かりました。その、ギルミア様は慣れているように見受けられますが、魔脈詰りというのは、わりとあるのですか?」
「珍しいが症例が無いわけではないといったところかな。混血児に多いと言われている。エルフの魔力量に対して魔脈が細いとか、魔力発生器官はあるのに魔脈が発達しないとか、理由は様々だ。他の国でも同じ症例を持つ子どもはいるようだが、それほど気にされていないのか、治療を試みようという国はオイーリア以外にはほとんどないらしい」
ギルミアの魔力がリオの両腕を流れてくる。ゾワゾワとそこばゆいような感覚がして、リオは顔をしかめた。
「魔法市国は……魔法の叡智が集められていると聞きました。なのに、魔脈が詰まっているなどと誰も……」
リオの顔が俯き、銀の髪が顔にかかって影を作る。表情が見えないリオに、ギルミアは労わるような微笑みを浮かべた。
「そんなものかもしれないね。あそこは魔法が使えて当たり前のエリートばかりが集まっているところだから、魔力をどう使うか、魔法をどう構築するかは考えられても、魔法が使えないもののことには考えが及ばないようだ。おっと、舅を貶したことになるのかな、これは失言だった。謝罪しよう」
「じゃあ魔法が使えない奴もみんな、魔脈ってやつを治したら魔法を使えるようになるのか?」
「いや。そもそも魔力発生器官がない者もいる。南の大国、獣人の国バッサーニは、強靭な筋肉と骨格に恵まれ、身体強化魔法を使ったような身体能力を持つが、その実、多くの獣人が魔力発生器官自体を持たないらしい。北のゲルダークは険しい山脈の多い国だが鉱石や宝石の産出量が多く、またそれらを使った鍛治も盛んなのは知っているだろう? 彼らは四大精霊のうち土の精霊グノムを祖に持つと言われていて、精霊魔法を使うために、個々には魔力発生器官がないそうだ。精霊と契約をして魔法を使うと言う事だな」
「ということは、魔力発生器官を持ち、魔脈を通して外部魔力を使うのはオイーリアのエルフと人間の魔法使いだけってことか?」
「獣人とドワーフは一見は魔法を使っているように見えるかも知れないがそういうことだ。混血児以外はね。我々エルフは、風の精霊の眷属で森の精霊シルバを祖としていると言われている。唯一、魔力発生器官を持ち、魔脈に魔力を巡らし、一部の精霊魔法も使う種族だった。今の世で他種族に魔法を使えるものがいるのは、我らの祖先との混血が始まってからではないかと、こちらでは言い伝えられているのだよ」
「え、でも混血しだしたのは建国してからじゃ?」
ベルンはワイバーンの背の上で、若いエルフに聞いた話を思い出し、首を傾げた。
「王政だの公爵だのと周りの国に合わせて体制を変えてから、国内に混血の者が多く見られる様になったのは確かだが、実はその前から混血児自体は生まれていたんだ。他所との交流を絶って部族の掟を厳しくしても、恋をしてしまう場合がある」
少し恥ずかしそうな表情を作るギルミアを見て、リオの父親、もしくは兄貴くらいに見えるよなぁとベルンは思った。
「昔は混血児は隠されて育てられていたからね。今ほど姿を見ることがなかったんだ。魔力詰まりも今よりもっと差別的な扱いを受けていた。掟を守らなかった罰だとね。でも、何代か前のサヴァーヌ公爵の息子がロームから嫁を迎えた。その娘が産んだ子どもも魔力詰まりでね。その息子と公爵は国内に蔓延る差別をなくし、魔力詰まりを治療する方法を必死で探し、他の魔力詰まりで苦しむ子どもたちも治したんだ。今回、カンキリーのやったことは許せないけど、サヴァーヌ公爵家の貢献は実は我が国では結構大きいものなんだよ。だからリオ、魔力詰まりは罪ではない。長い間苦しんで辛かったね。こんなの鼻の穴に豆が詰まって息苦しいくらいの症状なのだから、おじいちゃんがすぐに治してやるからね」
リオがキョトンとした真顔でギルミアを見た。ベルンはソファに突っ伏して肩を震わせて笑っていたが、リオのこれまでの苦悩を知っていただけに、少しだけ涙が溢れた。
「鼻の穴のくだりはいろいろ台無しですよ、お祖父様」
その後、リオの魔脈の詰り具合を確かめたギルミアにお抱えの精霊医が到着したとの報せが入った。
「小さな詰りだけど長年詰まっていたものだから、万全を期して専門家に治してもらおう」
応接室に入ってきた精霊医は中性的な美貌の男だった。紫がかった青みのある髪を白いリボンでまとめて背中の中ほどまで垂らし、くるぶしまで覆う丈の白いワンピースのような服に、腰に刺繍のある金の飾り帯をしている。ベルンの価値観からいうと、医者というより神官のように見えた。
「要請により参りましたよ、ギルミア。魔脈詰りの子どもの治療と聞きましたが?」
「ウヴァー、来てくれてありがとう」
気安い仲なのか、ウヴァーはギルミアをハグして背中をポンポンと叩いた。ウヴァーは紹介されたリオを見下ろすと、にこりと微笑んだ。
「長い間辛かったですね」
リオの脳裏に魔法市国での身の置き所のない気持ちで過ごした日々が思い出される。しかし、辛い日々だけではなかったと思い直す。
「魔法市国にいた頃は……そうですね。辛い思いをした時もありましたが、曽祖父のアルデガルド様は大切にしてくださいましたし、バレリオ様は剣術を教えてくださいました。ベルノルトと出会えたこれまでの人生に、私は満足しております。今はベルンに頼りきりの情け無い相棒ですが、もし魔法が使えるようになれば、今よりもお役に立てるので嬉しいです」
「なんて健気な。このような幼子が……」
ウヴァーは隠しポケットから出したハンカチで、ホロリと溢れた涙を拭った。
「いや、幼子って……」
「すまない。こう見えてウヴァーはかなり歳上なのだ。私のことも未だに見守りが必要な子どもだと思っているフシがある」
「いえいえ。ギルミアは充分に立派におなりですよ」
慈愛の表情で微笑むウヴァーに、ギルミアは恥ずかしそうに表情を崩し、「ほらな」と同意を求めた。
「では、さっそくだがリオを診てもらえないだろうか」
「ええ、では魔脈の詰まり具合を確認したあと、治療をいたしましょう」
ウヴァーはギルミアがやったように、リオの両手を握った。ウヴァーの魔力をリオに流し、循環させて魔脈の滞りのある場所を探る。閉じていたウヴァーの瞼が開かれ、手を離すと腰のポーチを探り、一本のポーション瓶を取り出した。七色に光る液体が瓶の中程まで入れられている。
「リオさんの場合は、魔力を魔法に変換し放出する器官の手前に滞りがあるようです。魔力発生器官には問題ないようですね。これまで魔力酔いのような症状に悩まされてきたのでは?」
「え? そんなのあったか?」
リオはちらりとベルンに視線をやってから、ウヴァーに目を合わせた。
「幼少期には頭痛に悩まされることもありましたが、魔法は使えずとも魔導具に魔力を充填することは可能でしたので、それをやるようになってからはあまり自覚はありません」
「ふむ。魔導具の充填はできたのですか……。ともあれ放出されずに魔力が増え続けるばかりでは命に関わることもありましたので、魔導具に魔力を充填できて良かったですね」
リオとベルンはにこやかに告げられた事実に、顔を引き攣らせた。
「ではこちらの魔法薬を処方いたします。精霊樹の実である、命の木の実。これに数種類の素材を合わせて作った魔脈詰まりの特効薬です。特効薬といっても、すぐに滞りを溶かすのではなく、じわじわと身体に負担がないように溶かしますので、3日は魔法を試そうとはせずに安静にしていてください。ああ、寝込む必要はありませんよ。3日経ちましたら診察をさせて頂き、完全に滞りが溶けましたら、魔力を動かす練習からするのですが、魔導具の充填ができたということは、この練習は飛ばしても大丈夫かもしれませんね。なにせ、この治療をするのは魔力の扱いを初めて練習する歳のお子さんに不具合を発見して相談に来られる場合が多いので、リオさんのような事例はちょっと興味深いですね。ギルミア、リオさんが回復されるまでここに滞在しても構いませんか?」
「ああ、ウヴァーがいてくれるのは、こちらとしてもありがたい」
「それは良かった。では3日後の診察の際に、リオさんの魔法属性も調べましょうね。これまで使ってこなかった魔法行使の練習もしなくてはね」
ニコニコと微笑みながら、ウヴァーは引き攣る顔のリオの手に魔法薬の瓶を握らせた。
「ははは、警戒しなくてもそんなには不味くはありませんよ。さあ、一気に飲んじゃってくださいね」
キラキラと七色に光る液体は綺麗ではある。だが到底飲食物ではあり得ない輝きに、リオは一瞬躊躇したが、心配そうに見つめるベルンの顔が視界に入って覚悟を決めた。ぐいっと瓶を傾けて口に流し込む。例えるならば、熟しきった果実のような甘い香りと味に、なにやら草っぽいえぐみが舌を痺れさせた。リオは思わず片手で口を覆い、吐き気を我慢しながら、なんとかそれを飲み下した。
それから3日後、ウヴァーの診察を経て、リオは魔脈詰まりが完治したと告げられた。ウヴァーは満足そうに頷く。
「うんうん、順調ですね」
フォレストラ公爵城の応援室には、リオとウヴァーの他、前公爵夫妻、公爵夫妻、ベルン、ソフィア、マリアンヌ、リュカとリュカの両親、王宮画家をしているという三男のエロティカと一族勢揃いしており、さらに従者や侍女も控え、広い応接室は若干狭く感じるほどだった。
ウヴァーは手に持った属性検査ができる魔導具を確認して、うんうんと頷く。
「リオの一番強い属性は、へぇ……聖属性と水属性。こちらは相性がいいですからね。二つ合わせて持っていることはまあまああります。風属性も少しあるみたいですね。鍛錬次第では氷属性も扱えるようになるかも知れません。リオは剣使いの戦士でしたね。そうしたら剣への付与魔法も覚えましょう」
ベルンは少し複雑な気持ちを隠しつつ、相棒の魔法使いとしての開花に笑顔を浮かべ、リオの背中を叩いた。
「火魔法の俺と、水魔法のリオって攻撃の幅が増えて嬉しいぜ」
「ええ。これでベルンがあやうく延焼しかけた森も切り倒さなくても鎮火させられますね」
「お、おう」
「ところで、君はカルディ兄さんの息子ということだけれど、父上と母上に認められて、このままうちの公爵家に入るつもりかい? 爵位はクロ兄さんが継いでいるし、旨みはないと思うけど? まあこれまで平民として生きてきたのなら貴族に憧れるのは分かるけどさぁ」
リオとベルンのやりとりを眺めていたエロティカが、頬に手を当てながら気怠そうに訊ねた。表情には意地悪そうな笑みを浮かべている。マリアンヌがムッとして飛び出しそうになるのをソフィアが腕を組んで止めていた。
リオはにっこりと微笑みながら、エロティカに視線を合わせ対峙した。
「いえ、そのつもりはありません。今回は依頼でうかがいました。過ぎるほどのおもてなしをしていただきましたが俺は仲間達とこれからも冒険者として旅を続けるつもりです」
「ふぅん」
エロティカはリオ、ベルン、ソフィア、マリアンヌと視線を移し、最後にまたリオに視線を戻した。
「残念だったね、リュカ。リオはうちに住まないってさ」
エロティカは側にいたリュカの頭をワシワシと撫でた。リュカは分かりやすく、しょぼんと俯く。
「父上も残念だったね」
エロティカが意地悪そうに口の端を歪めつつ言う。
「私はもとよりリオをこの国に縛りつけるつもりはないよ。だが、困ったときはおじいちゃんに頼ってくれたら嬉しい」
「ぼくも! ぼくにもできることがあったら頼ってください!」
リュカがびょんとリオの腰に抱きついた。リオはリュカの頭を撫でながら、ぎこちなくギルミアに礼を言った。
それまで腕を組み、妻とともに静観していたクロディクスが口を開いた。
「リオはもうロームに帰るのか?」
「そうですね、依頼は達成しましたので」
リオの返事を聞いて、ウヴァーは慌てた。
「ダメ、ダメ! リオさんは魔力量がエルフ並みに多いんですから、きちんと魔法の練習をしなくては暴発してしまいますよ」
「なんとかなる気がしますし、俺は剣で戦いますので」
「いやいやいや! せっかく魔法が使えるようになったんですから魔法剣の練習もしましょうよ」
「俺が教えてやろうか」
ベルンが得意げに提案するが、リオが皮肉を返す前にウヴァーに反対された。
「いけませんよ。しっかり専門家のレッスンを受けなくては! 命に関わる事故に繋がります。最低でも季節ひとつ分はオイーリアに滞在してください」
「それじゃ、こうしたらどうかな。あと5日うちに滞在して、ウヴァーに魔法の基礎訓練をしてもらったら、フォレストラ公爵領のダンジョンに挑戦してみては?」
「おお! ここにもダンジョンがあるのか!」
喜ぶベルンにノルディクスの妻が微笑む。
「ええ。オイーリアはダンジョンが豊富なんですよ。フォレストラ公爵領のダンジョンは物理攻撃が効きにくいモンスターばかりが出ます。魔法訓練におすすめですよ」
ソフィアとマリアンヌが怯んだように身を寄せ合ったのを見て、ベルンがにっかり微笑みかけた。
「大丈夫だ。ソフィアの弓は火の魔石を付与しているから魔法攻撃として通用するし、フレイム弾も使えるだろ? マリアンヌの剣の補助魔法はどうだろうな……ま、いけるんじゃねぇか?」
「相変わらずベルンは大雑把ですね。大丈夫です、マリアンヌ。貴方は私が守ります」
「そういうことではないわよね。私の魔法剣をお貸しするわ。聖属性が使えるということは、魔力はあるのよね。リオと一緒に練習なさい。アベーレ、私の魔法剣をマリアンヌに」
「はい、奥様。すぐにお持ちいたします」
「ふ、ふぇ? 魔法剣!? そ、そんな貴重なものをお借りして良いのですか?」
「武器はモンスターを屠ってこそ価値があるのです。飾っておいても仕方がないでしょう?」
オホホとヴィオレッタが軽やかな笑い声をあげた。
「ぼくも! ぼくも一緒に行きたいです。木魔法と土魔法が得意なんですよ」
リュカがぴょんぴょん跳ねながら、リオとベルンに存在を主張するも、父であるノルディクスとギルミアに反対されたのだった。




